創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第1巻 理を識る者たち

第11章 森に沈む灯

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 昼の陽が、梢の間から柔らかく射し込んでいた。
 森は深いが、風が通う場所を選べば光も差す。
 アーレンは落ち葉を払い、枯れ枝を集めて焚き火を作った。
 火打ち石を鳴らす音が乾いた空気を裂き、やがて小さな炎がぱちりと灯る。

 煙が立ち上り、森の匂いに焦げた木の香が混ざった。
 リュミナはその様子を膝を抱えて見つめていた。
 目の前の炎に映る彼女の瞳は、ほんのりと金色を帯びている。

「……きれい」
 呟く声は小さく、けれど確かな温かさを含んでいた。

 アーレンは片手で火を整え、木の枝に吊るした鍋の中をかき混ぜた。
 湯気が立ち上り、薬草の青い香りが広がる。

「飲めば少しは疲れが取れる。味は保証しないがな」
 リュミナは受け取った木のカップを両手で包み、湯気をふっと吹いた。
 口をつけ、少し顔をしかめる。
「にがい」
「だろうな。だが、それが効く」

 アーレンは短く笑った。
 その笑みを、リュミナは初めて見る気がした。

「アーレン、わらった」
 彼が言葉を返す前に、リュミナの頬がほころぶ。
 ほんの少しだけ、森の空気がやわらいだ。

 火の音がぱちぱちと鳴る。
 小さな鳥が枝から枝へと飛び、川のせせらぎが遠くで響いている。
 束の間の平穏が、二人の間に静かに降りていた。

 焚き火の炎が落ち着き、薪が静かに弾ける音だけが響いていた。
 アーレンは木の枝で火をかき混ぜながら、向かいに座るリュミナを見た。
 数日前まで、彼女は言葉をほとんど持たなかった。
 それが今は、問いかけ、笑い、表情で感情を示す。

 火に照らされた彼女の顔は、驚くほど“人間らしかった”。

「……おまえは、変わったな」
 アーレンが呟くと、リュミナは首を傾げた。
「かわった?」

「顔だ。言葉も、前よりずっと多い」
「アーレンが、おしえてくれた」
 リュミナは当たり前のように言い、炎の揺らぎを見つめた。
「まえは、ことばが、からっぽだった。でも、いまは、あたまのなかに、いろがある」

「色、か……」
 アーレンは小さく笑い、手元の枝を放った。
「人の言葉は、感情の影だ。君の中に“影”が生まれたのかもしれない」

 リュミナは考え込むように唇に指をあてる。
「じゃあ、アーレンのことばにも、かげがある?」

「俺のは……古傷のようなものだ。癒えぬ影だよ」
 その声にはわずかな疲労が混じった。

 リュミナは焚き火の向こうから彼を見つめる。
 火の明かりが彼の頬を照らし、陰影を作る。
「アーレンのかげ、すこし、さびしそう」

 その言葉に、アーレンはわずかに目を伏せた。
 炎の音が一度だけ大きく弾ける。
 その瞬間、遠くで風が森を揺らし、静けさが戻った。

「……休め。夜が更ける」
 アーレンはそう言って立ち上がり、薪を足した。
 だが彼の胸には、沈黙と共にひとつの問いが残っていた。

 ――“彼女の変化”は、単なる模倣ではない。
 では、この成長は何に導かれている?

 火が小さく揺れた。
 その炎の中で、リュミナの金の瞳が人のように瞬いた。

 夜の森は、昼とはまるで違う顔を見せていた。
 木々は闇に溶け、枝葉の隙間からのぞく月光が、地面にまだらな模様を描いている。
 虫の音が遠くで鳴き、焚き火の赤い光だけが、二人をこの世界に繋ぎとめていた。

 アーレンは手の中の金属片を掌で転がし、静かに呪文のような言葉をつぶやいた。
 手元の金属が微かに発光し、周囲に配置した数個の小石が淡く光を帯びる。

「……これ、なに?」
 リュミナが身を乗り出して尋ねた。

「振動探知符だ。地を歩くものが近づけば光る。
 獣でも、人でもな」

 リュミナは焚き火の明かりに照らされながら、じっとその光を見つめた。
「まもってくれるの?」
「……まあ、目くらまし程度にはなる」

 アーレンは火を少し弱め、温度を調整する。
 強い火は匂いを生み、夜風に乗って余計なものを呼ぶ。
 錬金灯が代わりに淡い光を放ち、焚き火の消えた後も周囲を柔らかく照らした。

 森は静かだった。
 リュミナは毛布にくるまり、焚き火の名残に身を寄せた。
 アーレンは背を木に預け、浅い眠りに身を委ねる。

 ――どれほどの時が経っただろう。

 不意に、空気がわずかに震えた。
 微かな音。風ではない。地の下で、何かが“踏んだ”。

 次の瞬間――
 森の端に埋められた小石の一つが、淡く、しかし確かな光を放った。

 アーレンは目を開けた。
 すでに立ち上がり、腰の小刀に手をかける。
「……リュミナ、起きろ」

 リュミナは寝ぼけ眼をこすりながら顔を上げた。
「……ひかってる……」

 光は一つ、また一つと点き、まるで誰かがゆっくりと円を描くように近づいてくる。
 その光の反応に合わせて、森の風向きが変わった。

 夜の静寂を、何かが確かに裂いていた。

 森の空気が、変わった。
 さっきまで吹いていた風が止み、虫の声も消える。
 代わりに、地の底から這い上がるような低い唸りが響いた。

 アーレンは焚き火の残りを足で崩し、光を殺した。
 闇に慣れた目で、森の奥を見据える。
 探知符の光が、ひとつ、またひとつと明滅している。
 まるで“何か”が、その間をうろついているように。

「リュミナ、動くな。音を立てるな」
 囁き声は風よりも静かに落ちた。

 リュミナは唇を噛み、アーレンの背に身を寄せた。
 彼女の指先が震えているのが分かる。
 アーレンは片手でそれを握り、もう片方の手で腰の小瓶を取り出した。

 瓶の中には黒く濁った液体。
 彼はそれを地面に数滴垂らし、小さく呪文を唱える。
 液体が蒸発し、青白い煙が地を這うように広がった。

 「……においが、かわった」
 リュミナが囁く。

「匂いで誘い出す。姿が見えなければ、風で探る」

 その言葉の直後――
 木々の間で、何かが“息をした”。

 重い呼吸。
 人のようで、人ではない。
 肌を撫でるような冷気が走り、空気がわずかに震えた。

 アーレンは煙の流れを見る。
 風が乱れた方向を、彼の視線が捉える。
 ――そこだ。

 彼は地面に散らした符をひとつ指で弾いた。
 淡い閃光が弾け、周囲が一瞬だけ照らされる。

 その光の中に、影があった。
 獣のように低く、しかし人の形を持つ輪郭。
 皮膚は黒くひび割れ、目だけが光っていた。

 リュミナの喉から、小さな悲鳴が漏れる。
 アーレンは彼女の肩を引き寄せ、短く叫んだ。
「走れ――!」

 光が消える。
 闇が戻る。
 そして森全体が、息を潜めたように沈黙した。
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