創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第1巻 理を識る者たち

第12章 命の理

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 森の奥へと走り抜ける。
 枝が頭上を掠め、霧を孕んだ空気が肌を撫でた。
 木々は密集し、月の光さえ届かない。
 足元の落ち葉がわずかに沈み、湿った土が靴にまとわりつく。

 アーレンは振り返らずにリュミナの手を引いた。
 呼吸は浅く、視線は常に前を向いている。
 彼の耳は、森の「沈黙」を測るように動いていた。
 ――生き物の音が消えている。

 その異常に気づいたのは、もう随分前からだった。
 森が“聴いている”。
 自分たちの足音を、息を、鼓動を。

 リュミナは走りながら、何度も胸に手を当てた。
 鼓動が早い。
 だが、それは自分のものではない気がした。
 身体の奥で何かが光を放ち、同じ間隔で拍動を返してくる。

 アーレンは彼女の表情に気づく。
「胸か?」
「……あたたかい。なかが、ひかってる」

 闇の中でもわかる。
 彼女の胸の奥が、衣の下でかすかに明滅していた。
 光は生き物の呼吸のように脈を打ち、森の陰影を染めている。

 アーレンの背筋を、冷たい感覚が走った。
「……共鳴している」

 その言葉を吐き出した瞬間、木々の間に淡い光が点った。
 遠くで何かが立ち上がったのだ。
 金属の表面が、わずかな月光を反射している。
 形は掴めない。
 だが、確かに“こちら”を見ていた。

 リュミナの胸の光が強まる。
 森の奥の光と、完全に同じ間隔で。

 アーレンは立ち止まり、彼女を背にかばう。
 声は低く、息のようだった。
「リュミナ……君が、呼んでいる」

 森が応えるように揺れた。
 光は一歩、近づく。
 輪郭の奥で、形を失った何かが再び息を始める。

 森の空気が緩やかに歪んでいた。
 光が木々の間を漂い、影の奥で何かが形を結んでいく。

 最初に見えたのは、腕のようなものだった。
 骨と金属が融合したような関節、血管の代わりに走る細い銅線。
 肉の色と鉄の鈍光が、ひとつの身体に混ざり合っていた。

 やがてそれは、完全な輪郭を持った。
 四足に近い姿勢で、地に爪を立てている。
 顔はほとんど削げ落ち、片側の頬に埋め込まれた結晶が鈍く光った。

 アーレンはゆっくりと息を吸い、言葉を探すように呟く。
「……錬成獣。こんな場所に残っていたとは」

 リュミナはアーレンの背後からその存在を見つめていた。
 恐怖ではなく、どこか懐かしいような眼差しで。
 彼女の胸の奥がまた脈打ち、獣の胸の結晶がそれに呼応する。

「……あれ、わたしを見てる」
「見ているんじゃない。感じているんだ」

 アーレンは周囲を観察しながら、静かに言葉を続けた。
「錬成獣は本来、生命を模倣するために作られた。
 心臓の代わりに“核”を持ち、それを媒介に生体反応を再現する。
 ――君の核と同じ、理屈で動いている」

 リュミナの瞳が揺れた。
「じゃあ、あれも……わたし?」

 アーレンは答えられなかった。
 沈黙の中で、獣が一歩踏み出す。
 その動きは鈍く、だが確実に“生きようとしている”。
 草を踏む音さえ、まるで何かを確かめるようだった。

 森の匂いが変わった。
 土の湿気に混じって、鉄と焦げた油の匂いが漂う。
 アーレンは片手で符を構えたまま、声を落とす。
「呼吸するように、君を探している……。だが、それは生存のためじゃない。
 ――同化だ」

 リュミナはその言葉に眉を寄せる。
「どういうこと?」

「それは核を求めて動いている。
 欠けた心臓を補うために、同じ波を持つ“何か”を探している」

 獣の目が光った。
 その光は、まるで合図のようにリュミナの胸の中に響いた。
 彼女の身体がわずかに反応し、足元の土が揺れる。

 アーレンは咄嗟に彼女を引き寄せた。
 目の前で、獣が地を蹴る。
 その質量が空気を押し、森が一瞬、息を止めた。

 獣が一歩、近づいた。
 地面が微かに沈み、草葉がその重みを受けてしなる。
 光のない瞳孔の奥で、金色の結晶が脈を打っていた。

 アーレンは符を構え、もう片方の手でリュミナをかばう。
 森の空気が揺れ、葉擦れの音さえ遠のく。
 息を呑む音が、自分のものか彼女のものかも判然としなかった。

「――離れろ、リュミナ」
「……だめ。あれ、わたしを見てる」

 声が震えていた。
 恐怖よりも、どこか呼ばれているような響きがあった。
 リュミナの胸の奥が再び光る。
 森の奥の獣の胸も、それに呼応するように淡く明滅した。

 アーレンの口元が歪む。
「共鳴している……まるで“同じ理”を共有しているかのようだ」

 彼は符を地に叩きつけ、圧縮された空気を放った。
 その力が獣を押し返し、木の幹が震えた。
 だが獣は倒れず、動きを止めたままアーレンを見た。
 焦げた金属の匂いが漂う。

 リュミナが息を詰めた。
 瞳の奥がかすかに輝き、光が皮膚の下で流れるように走った。

「アーレン……これ、止まらない」

 光は胸から喉へ、腕へと広がり、指先から淡い粒子が零れる。
 アーレンは彼女の肩を掴んだ。
「抑えろ。意識を手放すな」

「わたし……こわい。けど、あれが――泣いてるみたい」

 その一言に、アーレンの心臓が一瞬止まった。
 目の前の錬成獣が動きを止め、低く喉を震わせる。
 音ではない、空気そのものの震えだった。

 リュミナの光が一瞬、閃いた。
 それに応じて獣の胸の結晶が砕けるように明滅する。
 まるで互いの鼓動が一つになりかけているようだった。

 アーレンは反射的に腕を伸ばし、彼女を抱き寄せた。
 符の残光が、二人を包み込む。
 森の闇がひときわ濃くなり、すべての音が途絶えた。

 そして――その静寂の中で、アーレンの口から低く漏れた。
「……昔、似たものを作る現場にいた」

 リュミナの瞳が揺れた。
 その意味を問おうとした瞬間、獣が再び動いた。
 今度は明確に、“奪うため”の動きだった。

 空気が崩れた。
 森の奥に漂っていた湿り気が、一瞬にして乾く。
 草木が音もなく傾き、枝葉が重力を忘れたように揺らいでいる。

 アーレンは符を展開したまま、息を止めた。
 錬成獣の足が地を離れ、わずかに宙へ浮く。
 それは力で押し上げられたのではなく――
 この空間の“法則”が、ひととき乱れたからだ。

 リュミナの瞳が光を宿す。
 金でも銀でもない、言葉にできぬ色。
 風が彼女を中心に渦を巻き、周囲の粒子がすべて彼女の方へ引き寄せられる。

「リュミナ、やめろ!」
 アーレンの声が届かない。
 彼女の視線は獣に向けられたままだ。
 恐怖も怒りもない。ただ、痛みを感じ取るようなまなざし。

 錬成獣の胸の光が弱まり、結晶の表面が割れた。
 砕けた破片が宙に舞い、粉塵のように消えていく。
 その瞬間、獣の身体がゆっくりと崩れ落ちた。
 金属と肉が混じり合った殻が、形を失って土に還っていく。

 光だけが残った。
 リュミナの胸から伸びた細い光の線が、それを包み、吸い取るように淡く消える。

 森が静まった。
 風も音も戻らず、ただ沈黙だけが漂う。

 アーレンは数歩近づき、リュミナの肩を掴んだ。
 体温がほとんど感じられない。
 彼女の目は開かれていたが、焦点を結んでいなかった。

「……リュミナ」

 名を呼ぶと、彼女は小さく瞬きをした。
 そのまま、腕の中に崩れ落ちる。
 重みはあったが、まるで中身を失った器を抱いているようだった。

 アーレンはゆっくりと膝をつき、地面に額を押しつける。
 崩れた錬成獣の残骸が、指先に触れた。
 そこには、微かに熱が残っていた。
 かつて“生きようとしたもの”の、最後の名残。

「……命を、奪うことでしか止められんのか」

 その呟きが、森の中で溶けていった。
 そしてその静寂の奥――リュミナの胸の核が、わずかに脈を打った。

 

 夜はまだ明けきらなかった。
 森の輪郭が灰色に溶け、霧が低く漂っている。
 焚き火の跡には白い灰だけが残り、そこにかすかな風が触れた。

 アーレンは膝をつき、リュミナの傍らにいた。
 彼女の呼吸は浅く、肌は冷たい。
 だが胸の奥――あの核は、確かにまだ光を放っていた。
 弱く、けれど絶えず。

 彼は彼女の額から汗を拭い、掌を重ねる。
 その下で、柔らかな脈動が指先を押し返した。
 命の証。
 だがそれは、人の理に属さぬものだった。

 視線を落とすと、少し離れた場所に錬成獣の残骸が横たわっている。
 形は崩れ、骨と金属とが同じ色をしていた。
 もうそこに、生命の気配はない。

 アーレンはゆっくりと立ち上がり、あの残骸を見下ろした。
「同じ理で生まれ、同じ理で滅んだ……」
 その声は誰に向けたものでもなかった。

 森は再び静寂を取り戻しつつあった。
 夜明け前の空気が冷たく、吐く息が白い。
 鳥の声もまだ聞こえない。

 アーレンは小さく息をつき、リュミナのそばに戻る。
 彼女の髪を手で梳きながら、瞳を閉じた。
「命を創ることは、神を模倣することだと誰かが言った。
 ……だが、俺はもう信じない。神などいない。いるのは、ただ“理”だけだ」

 リュミナは答えない。
 だが彼女の胸の光が、一度だけ、呼吸のように脈を打った。

 その瞬間、アーレンの手が止まる。
 彼は光を見つめたまま、ゆっくりと呟いた。
「それでも……この理の中に、魂が在るのなら」

 遠くで、薄明が森を染め始めた。
 空の端が青く割れ、夜が退く。
 アーレンは立ち上がり、もう一度振り返った。
 崩れた錬成獣の残骸に朝の光が触れ、静かに蒸気を立てて消えていく。

 新しい一日が始まろうとしていた。
 だがその光の中で、アーレンの表情は少しも晴れなかった。
 彼の中にあるのは、ただ――沈黙だけだった。
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