創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第1巻 理を識る者たち

第13章 灰の記憶

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 夜明け前の森は、まだ冷たかった。
 リュミナの寝息は浅く、胸の奥で淡い光がゆっくりと脈を打っている。
 アーレンはその光を見つめていたが、やがてまぶたが重くなり、静かな眠りに落ちていった。

 ⸻

 目を開けると、雪が降っていた。
 石畳の街。煙突から出る白い煙が、風に押されて斜めに流れている。
 少年の自分が、凍った手をこすりながら走っている。
 擦り切れた外套の裾が揺れ、靴底が石に打つたび乾いた音がした。

「アーレン、まってよ!」

 振り返ると、少女がいた。
 栗色の髪に雪を積もらせて、笑いながら息を弾ませている。
 ミリア――孤児院で一緒に育った友達だった。
 冷たい風の中でも、彼女の笑顔だけは不思議とあたたかかった。

 二人はよく、街外れの古い図書館へ通った。
 小さな教会の隣にある、石造りの建物。
 中は少し埃っぽくて、いつも薄暗い。けれど、そこだけは外よりも静かだった。

 司書の老人は、白い髭を指でなでながらいつも同じ言葉を口にする。
「世の中のすべてには“理(ことわり)”があるんだ。
 人が生まれるのも、雪が降るのも、偶然じゃない。理がある」
 アーレンはその言葉を聞くたび、胸の奥が少しざわめいた。

 彼は難しい本を抱え、ミリアはその隣で挿絵を指でなぞる。
「ねえ、どうして雪の形ってみんな違うの?」
「同じ形に見えても、でき方が違うんだ。温度とか風とか、いろんな条件で変わる」
「ふうん。じゃあ、人も雪と同じなんだね」
 そう言ってミリアは笑い、窓の外の雪を見上げた。

 帰り道、ミリアは赤い毛糸の紐をアーレンの手首に結んだ。
「これ、目印ね。わたしたち、ずっと一緒にいるっていう印」
 彼女の手は小さくて、指先が少し冷たかった。
 アーレンはうなずき、結び目を確かめた。

 ⸻

 それは、ごく普通の冬の朝だった。
 でも空の色が、いつもより鈍く見えた。
 市場の向こうから煙が上がり、人々がざわめく。
 雪の白さの下で、地面がわずかに震えていた。

「アーレン……なんか、変だね」
「大丈夫。たぶん――」

 その瞬間、風が熱を帯びた。
 光が街を照らし、屋根が崩れ、音が世界をかき消した。
 焼けた匂いが押し寄せ、息ができなくなる。

 ミリアの手を掴もうとした。
 でも指先がすべり、マフラーの端が釘に引っかかった。
「ほどくから、待って」
 彼女がそう言ったあと、光がすべてを奪った。

 気づくと、雪も声も消えていた。
 空は灰に覆われ、空気が焦げ臭い。
 アーレンは瓦礫をかき分け、必死に探した。
 そして見つけたのは、焦げた毛糸の紐だった。

 握りしめると、まだ少し温かかった。
 その温もりが消えたとき、胸の奥で何かが静かに壊れた。

 ⸻

 それからの時間は、長かったようで短かった。
 孤児院の屋根は崩れ、窓の隙間から雪が入り込む。
 街の人々は減り、鐘の音だけが時を刻んでいた。

 ある日、修道女に呼ばれた。
 王立学院の使者が、孤児院を訪れていたのだ。
 兵士のような男が、紙を手に立っている。
「この子か。学院が才能を求めている。研究員候補として引き取ろう」

 アーレンは頷いた。
 理由はなかった。ただ、このままでは何も変わらないと思った。

 出発の前の日、彼は図書館を訪れた。
 あの老人が、暖炉の火のそばに座っている。
「行くのかね」
「はい。学びたいんです。命の仕組みを」
 老人はしばらく黙って、古い本を閉じた。
「理を追う者は、時に理に呑まれる。
 でも、それでも進むしかない。……君の中に、まだ“温かさ”が残っているなら、忘れないことだ」

 アーレンは軽く会釈をし、外に出た。
 雪が細く降っている。
 手首の赤い紐はまだ解けていなかった。

 その結び目を指でなぞりながら、彼は心の中でつぶやいた。
 ――もう二度と、失わせない。
 ――命の理を、俺の手で確かめる。

 少年の足跡が雪の上に続いていた。
 その先に待つものを、彼はまだ知らなかった。 




 あの雪の日から、季節がいくつも過ぎた。
 街の灰は消え、けれどアーレンの胸の中には、いまだ白く積もったままだった。
 赤い紐の結び目は、擦れて細くなってもほどけなかった。



 王立学院の門をくぐったとき、彼は十五歳だった。
 高い石壁の内側は、外の街とはまるで違った。
 整った道、規則正しく並ぶ研究棟、硝子の窓に映る自分の姿。
 初めて、自分の“居場所”があるように感じた。

 講義室では、名のある錬金学者たちが難しい理論を語った。
 物質の分解と再構築、生命を維持する微細な循環。
 アーレンはすべてを吸い取るように学び、夜もノートを書き続けた。

 他の生徒が遊びに出る時間、彼は図書館の奥にいた。
 かつて街で通った小さな図書館よりもずっと大きく、静かで、冷たかった。
 そこには、人が触れなくなった書物の棚があり、埃をかぶった記録が眠っていた。
 “生体錬成”“魂の定着実験”――
 危険と書かれた封印文書の中に、彼が求めていた言葉があった。

 命を、もう一度つくる方法。



 アーレンは頭角を現した。
 彼の研究ノートは教授たちの目に留まり、やがて学院長の推薦で特別研究班に入る。
 王国の軍部と繋がる、その班の目的を知ったのは、後になってからだった。

 ある日、面談室で年配の男が言った。
「君の理論には応用の可能性がある。――国のために、命を守る兵器を作ってみないか?」

 守る、という言葉が、当時の彼の心に響いた。
 ミリアを救えなかった少年のままの彼は、迷わず頷いた。
「やります。命を失わない“仕組み”を作りたいんです」
 男は笑い、契約書を差し出した。
 それが、境界線だった。



 軍の研究施設は学院の地下にあった。
 窓がなく、昼も夜もわからない。
 白衣の人々が黙々と瓶を運び、机の上で光る液体が小さな呼吸をしているようだった。

 アーレンの研究室には、巨大な練成陣が刻まれていた。
 幾度も失敗し、焦げた跡が黒く染みついている。
 生体組織は形をとどめず、血肉はわずかに動いて止まった。
 魂のない生命は、ただの“形”でしかなかった。

 ある晩、同僚の青年が小さく呟いた。
「こんなもの、命とは呼べない」
 アーレンは手を止めなかった。
 呼べなくてもいい。呼べないなら、呼べる形にすればいい。
 そう信じていた。

 だが、ある日、研究室の空気が変わった。
 制御装置が鳴り、練成陣が異常に光り始める。
 封印を解除する声が重なり、白い閃光が走った。
 次に目を開けたとき、床一面に影が広がっていた。

 それは、動いていた。
 肉と金属が混じった異形の塊。
 人の形を模したようで、そうではない。
 眼に宿る光は、何も映していなかった。

 悲鳴と衝突音。
 硝子が割れ、薬液が飛び散る。
 アーレンは符を掴み、陣を閉じた。
 光が消えたあと、残っていたのは、焼け焦げた匂いと、沈黙。

 その夜、報告書には「実験体暴走、研究班全滅」と記された。
 生き残ったのは、アーレンただ一人。
 
 
 翌日、研究は禁忌指定となった。
 報告書には「原因不明の魔力暴走」「研究班全滅」と記され、
 生き残ったアーレンの名は削除された。

 軍も学院も、すべてを“なかったこと”にした。
 ただ一人、口を閉ざした彼だけが、その真実を覚えていた。

 その後、学院は彼を再び迎え入れた。
 「優秀な人材を死なせるわけにはいかない」と。
 だがそれは、監視の意味でもあった。

 ⸻

 今のアーレンの研究室は、地下一階。
 講義が終わると、生徒たちが去ったあとで鍵を閉める。
 壁の奥に、もうひとつの扉。
 そこが、彼だけの“続き”の場所だった。

 夜になると、机の上に古い記録を広げる。
 焦げた紙、途切れた数式。
 それでも、目を離せなかった。
 失敗の先に、まだ“理”は残っている気がした。

 あの日奪われた命。
 燃える街の中で消えた声。
 そして、自らの手で壊した命。
 その両方を償うには、
 “もう一度、正しい形で生を創る”しかなかった。

 だから、アーレンは筆を取った。
 誰にも見せない新しいノートに、
 一行だけ書いた。

 ――再定義:生命。

 その夜、森の外で雪が降った。
 赤い紐を結んだ手首が、ほんの少しだけ震えた。
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