創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第3巻 理を紡ぐ者たち

第4章 揺らぐ灯

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 ――低い音が、洞を震わせた。

 灰の灯が、いつもより早い周期で脈を打っている。
 光は白く、次第に強く――まるで息を荒げるように。

 アーレンは符盤の破片を手にしたまま立ち上がった。
 足元の灰が、ざわざわと動く。
 まるで生き物のように、彼の靴を這い上がっていく。

「……理の流れが不安定だ」

 ノアが小さく呻いた。
 胸の灰核が明滅し、痛みに顔を歪めている。

「ノア!」
 アーレンは駆け寄り、彼女の肩を抱いた。
 熱い――まるで発熱しているようだ。

「灰が……うるさいの……!」

 ノアの声は震えていた。
 その瞳の奥で、灰色の光が揺れている。



 洞の外から怒号が聞こえた。

「灯が暴れているぞ!」
「灰が吹き上がってる! 子どもたちを奥へ!」

 イサルの声がそれに重なる。
 祈りの印を掲げ、符を連ねて灰の流れを鎮めようとするが、
 光の奔流が彼女の印を押し返した。

「……だめ、止まらない!」

 灰の灯の中央から、光の柱が立ち上がった。
 白い閃光が天井を突き抜け、洞全体を照らし出す。



 アーレンは符盤の残骸を広げ、理式を即興で再構築した。
 脈動を測り、波形を合わせ、反符を描く。

「イサル、祈りを続けて!
 その波を合わせるんだ!」

「理に祈りを? ――理解したわ!」

 二人の声が重なり、
 理と祈りがぶつかり合うように洞を包む。

 灰の流れが一瞬、収束した。
 だが、中央の灯だけは止まらない。



 ノアの体が震えていた。
 灰核が激しく光を放ち、体内の理流が暴走している。

「ノア! 意識を保て!」

「……アーレン、こえが、きこえる……!」

「声?」

「“リュミナ”が、ないてる……!」

 アーレンの心臓が跳ねた。
 理のざわめき――それは、呼応。
 灰が、彼女を再び“世界の表”に引き戻そうとしている。



「……リュミナ、やめろ!
 これ以上は――!」

 叫んだ瞬間、
 灰の灯が音もなく崩壊した。

 白光が一気に洞を呑み込み、
 視界が焼き切れたように真っ白になった。



 しばらくして――
 音が戻る。

 灰の民たちの叫び。
 崩れる岩の音。
 誰かが泣いている。

 アーレンは咳き込みながら体を起こした。
 洞の中央には、もはや灯はなかった。
 代わりに、灰の中に人の形の影が横たわっている。



 ノアがその影に駆け寄る。
 灰を払うと、
 そこに見えたのは――少女の輪郭。
 灰色の髪、そして金色の瞳。

「……うそ……」

 アーレンは息を呑んだ。

 それは、リュミナだった。



灰はまた、命を形づくった。
 それが祝福か、報いかを知らぬまま――。

 灰の光が、まだ残っていた。

 洞の中央――崩れた灯の跡に、
 灰に包まれた少女が横たわっている。

 アーレンはゆっくりと歩み寄り、膝をついた。
 灰を払うたびに、白い肌が現れる。
 そして、その胸の奥で――
 淡い金の光が、かすかに脈を打っていた。

「……生きている……」

 その声は、祈りにも似ていた。



 ノアが後ろから覗き込む。
 小さな声で、息を呑んだ。

「このひと……ひかってる……」

「ああ。灰が、まだ循環してる。
 理が命を繋いでるんだ」

 アーレンは震える手で少女の額に触れた。
 ひんやりとして、柔らかい。
 そこには“確かに”肉体があった。

 ただし、それは記憶を持たない器。
 灰の中で再構成された命。



 イサルが静かに近づいてきた。
 灰の光に照らされたその顔には、驚きと畏怖が混じっていた。

「……これは、“理の再臨”」

「違う」
 アーレンは首を振った。

「理が命を模しただけだ。
 これは、リュミナの記録が形を取ったに過ぎない」

「記録でも、命でも。
 灰がそれを“選んだ”のです」

 イサルは少女に膝をつき、掌を胸に当てた。
 脈がある。
 灰の民たちが静かに集まり、灯を失った洞の中央で跪いた。

「彼女を“灰の灯”と呼びましょう。
 再び命を与えた理の証として」

 その声は、祈りのように響いた。



 そのとき――
 少女の指が、わずかに動いた。

 アーレンが息を呑む。

 まぶたが震え、金の光が差し込む。
 瞳が、ゆっくりと開かれた。

 焦点を結ばない視線。
 だが、確かに“見る”という行為をしていた。

「……あ……れ……ん?」

 アーレンの全身が強張った。
 その声は、あまりにも懐かしかった。



「リュミナ……なのか?」

 少女は小さく首を傾げた。

「しらない……でも、
 そのなまえ……いたい、の」

 声が震える。
 記憶はない。
 だが、理が“名”を覚えていた。

 アーレンの胸が熱くなる。
 その手を伸ばしかけて――止めた。

 違う。
 彼女はもう、リュミナではない。
 だが、確かに“彼女の理”を宿している。



 イサルが静かに言った。

「名は、魂に残るもの。
 ならば、その魂はまだ理に繋がっている」

「……彼女を、再び創ってしまったのか」

 アーレンの声は震えていた。

「灰が選んだのです。
 あなたではなく、理そのものが」

 イサルの言葉は静かで、しかし確信に満ちていた。



 ノアが少女の手を握った。
 少女は、弱々しくもそれを握り返す。

「……あたたかい」

 その一言に、
 アーレンの膝が崩れそうになった。

 涙にも似た灰が、頬を伝う。



 イサルは立ち上がり、
 洞の出口へと歩きながら小さく呟いた。

「――灰の民は、再び“理の灯”を得た。
 けれど、同時に“理の業火”を抱いたのかもしれませんね」

 アーレンはその背を見送り、
 ただ少女の小さな呼吸を聞いていた。

 それから三日が経った。

 灰の洞は静かだった。
 崩れ落ちた天井の裂け目から光が差し込み、
 灰の粒が空中で緩やかに舞っている。

 少女――リュミナは、岩壁の傍らで寝台に横たわっていた。
 体の熱は引き、呼吸も穏やか。
 肌の下で、灰核の微かな光が脈打っている。

 ノアはほとんど付きっきりでその傍にいた。
 リュミナの手を握りながら、幼い声で歌のような祈りを口ずさんでいる。
 それはこの集落に伝わる“灯守(あかりもり)の歌”だった。



 洞の外では、灰の民たちが動いていた。
 崩れた壁を修復し、灯の跡に新しい灯を据えようとしている。
 それを中心に、民の声が絶えなかった。

「灯の娘が目を覚ました」
「理が、わたしたちを見捨てなかったんだ」

 誰もが安堵と希望の入り混じった表情をしていた。

 アーレンはその光景を離れた場所から眺めていた。
 彼の手には、再び組み直した符盤。
 灰を解析するために必要な、最低限の道具だった。



「……信仰の速さには驚かされるな」

 背後からイサルの声がした。
 彼女は崩れた岩の上に立ち、民たちの祈りを見下ろしていた。

「希望が早すぎるという意味ですか?」

「いや。
 恐怖の裏返しだよ。
 彼らは“理が荒ぶった”ことを恐れている。
 だから、その結果を“奇跡”に変えた」

「あなたはそれを、否定しますか?」

「理は選ばない。
 ただ反応しただけだ」

「――それでも、彼女は生きている」

 イサルの声は静かで、どこか鋭かった。
 彼女もまた、何かを確かめようとしているようだった。



 アーレンは手元の符盤を見つめた。
 灰の粒を乗せると、すぐに淡い光が走る。
 内部構造を解析する数式が、筆記具の先に浮かぶ。

「……灰の構造が変わっている。
 人の理と同調している部分がある。
 つまり、灰が“命”の側に寄ってきている」

「理が、人に歩み寄っている……?」

「かもしれない。
 ただ、それは危うい。
 理は均衡を求める。
 この再生が許された分、どこかで別の理が歪む」

 アーレンの声には焦りが混じっていた。



 イサルは腕を組み、目を閉じた。

「あなたの考えは理解します。
 ですが……いま、民が必要としているのは理ではなく“意味”です。
 命が戻ったという、その事実の形です」

「意味で世界を救えるなら、私は何も失わなかった」

 アーレンの言葉に、イサルは何も言わなかった。
 ただ、祈りの歌が遠くから聞こえる。

 ノアの声だった。



 リュミナは目を閉じたまま、
 微かに唇を動かしていた。
 ノアの声に合わせるように――
 言葉にならない、息のような音を重ねていた。

 その音を聴きながら、
 アーレンは思わず符盤の計測を止めた。

 灰の粒が、音に反応している。
 リュミナの呼吸に合わせて、波のように光を繰り返している。

 まるで“命”そのものが理式を奏でているかのようだった。



 イサルが小さく呟いた。

「祈りと理……どちらも、同じ波の上にあるのかもしれませんね」

 アーレンは応えず、ただ目を伏せた。
 光の粒がノアとリュミナの周囲を漂い、
 洞の空気がほんの少しだけ、温かくなった気がした。


 夜が訪れていた。

 洞の奥では、修復した灯がかすかに光を放っている。
 その隣で、アーレンは再び符盤を広げていた。
 光の粒を調整しながら、灰流の波形を測定している。

 灰の動きは昼とは明らかに違っていた。
 ――早すぎる。
 理流が、まるで何かに“怯えている”ようだった。

「安定値が落ちてる……なぜだ……」

 符盤の数字が跳ね上がる。
 灰の温度が上昇していた。
 まるで生体の発熱のように。



 そのとき、背後からかすかな声がした。

「……あれ……ん……?」

 振り返ると、リュミナが目を開けていた。
 金の瞳が、淡く光を放っている。

「……気分はどうだ?」

「いたい……ここ……」

 彼女は胸を押さえていた。
 灰核のあたりが脈動し、光が不規則に瞬いている。

 アーレンは駆け寄り、符盤を調整する。

「灰核の理流が暴走している……共鳴値が上限を超えてる!」



 ノアが不安そうに顔を覗き込む。

「リュミナ……だいじょうぶ?」

 リュミナは首を振った。
 目の焦点が揺れている。

「……こえが……たくさん、きこえるの……
 ねむってた“みんな”のこえ……」

「灰の記録が……混ざってる?」

 アーレンの背筋に冷たいものが走る。
 灰は理を記す。
 この洞の灰には、無数の命の“記録”が宿っている。
 もしリュミナの核がそれを受け入れ始めたなら――



 灯の光が一気に強まった。
 灰が空気を裂くように浮き上がり、
 リュミナの身体の周囲で渦を巻く。

「アーレン、離れて!」
 イサルの声が響く。
 彼女が祈りの印を結ぶが、灰はそれを弾き返した。

「止まらない……理が拒んでいる……!」

「違う!」
 アーレンが叫ぶ。
「理は拒んでなんかいない!
 ただ、居場所を探しているだけだ!」



 ノアが泣きそうな声で叫ぶ。

「リュミナ、いっちゃやだ……!」

 リュミナの目が、わずかに動いた。
 アーレンの方を見た――ように思えた。

 その瞬間、灰の渦が爆ぜた。
 白い閃光。
 アーレンはとっさにノアを抱き寄せ、身を伏せた。

 耳が鳴る。
 視界が揺れる。



 やがて、光が収まった。

 そこに、リュミナの姿はなかった。
 ただ、灰の中に一つの結晶が落ちている。

 アーレンは膝をつき、その結晶を拾い上げた。
 掌の中で淡い光が脈を打っている。

 リュミナの灰核――。
 完全に分離していた。



 イサルが静かに歩み寄る。
 その目には悲しみと、僅かな諦めがあった。

「理は、命を返した。
 でも、それは“人の形”を保つことを許さなかったのです」

「……拒絶、か」

「いいえ。
 これは――“警告”です。
 理の領域を越えた者に対する、世界の自己防衛」

 アーレンは拳を握りしめた。
 結晶の光が、その掌を照らしている。



「それでも……
 もう一度、彼女を取り戻す方法があるはずだ」

 イサルは息をのんだ。
「アーレン……あなたは、まだ――」

「理は命を奪うためにあるんじゃない。
 命を繋ぐためにある。
 灰がそれを証明した」

 彼の声には、かつての“研究者の熱”が戻っていた。



 灰の風が、洞を抜けていく。
 ノアが静かに涙を拭いながら、
 リュミナのいなくなった寝台を見つめていた。

 その頬に落ちた灰が光り、微かな声が聞こえた。

『――また、ね。』

 それはリュミナの声に、よく似ていた。
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