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第3巻 理を紡ぐ者たち
第6章 灰縁の灯
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風が変わった。
灰の匂いに混じって、鉄と油の臭気が漂う。
アーレンは崩れた丘の上で足を止めた。
灰原の向こう、黒い鉄の構造物が並んでいる。
塔のように伸びた監視装置、
灰を吸い上げる巨大な管、
そして軍旗――二重翼に刻まれた竜の紋章。
「……帝国軍の拠点だな」
ノアが息をのんだ。
「ほんとに……生きてる人がいるんだ」
「ああ。だが、喜ぶことじゃない」
アーレンはマントを整え、符盤を隠した。
その横で、灰晶石が脈を打っている。
リュミナの核。
その光を見られれば、帝国に捕らえられるのは時間の問題だった。
⸻
基地の外縁には高い鉄柵と監視塔が並び、
灰除けの障壁が低い唸りをあげている。
理流を制御して外部の灰を遮断する装置――
灰地では唯一、明確に“生きている”機構だった。
ノアが柵の向こうを見つめる。
「……ひとが、たくさんいる。
みんな灰を掘ってる……」
アーレンは頷く。
「灰脈を採取しているんだろう。
灰を燃料として利用するつもりだ」
「でも……そんなことしたら、また“灰災”が」
「帝国はそれを恐れない。
理を制御できると信じている。
いや――信じたいだけだ」
⸻
そのとき、背後から声がした。
「そこで何をしている?」
低い、鋭い声。
振り返ると、灰色の外套をまとった兵士が二人。
符銃を腰に下げ、目には灰除けのゴーグル。
アーレンはとっさに答える。
「……避難民だ。灰地を越えようとして、道を失った」
一人の兵が近づき、顔を覗き込む。
灰にまみれたアーレンを見て、眉をひそめた。
「避難民がこんな奥まで来るか。……身分証は?」
「灰災で失った」
「ふん……まあいい。
ここは帝国灰理研究局の管轄だ。
命が惜しければ、勝手な行動はするな」
⸻
そう言って兵士が背を向けたとき――
もう一人が何かに気づいたように立ち止まる。
「待て、その荷だ。中身を見せろ」
アーレンの背嚢に目を向けている。
中には灰晶石。
見せるわけにはいかない。
アーレンは一瞬の間に符盤を起動しかけたが、
その前に別の声が割って入った。
「やめたまえ。
旅人に銃を向けるのは、帝国の礼節に反する」
⸻
灰塵の向こうから、ひとりの青年が歩いてきた。
白い外套。
肩章には灰理局の紋章。
黒髪を短く束ね、整った顔立ちに冷ややかな笑み。
「レネ・ヴォルテール、帝国灰理局監察官だ」
彼は手を軽く上げて兵を下がらせる。
「君たち、灰地を渡ってきたのか?
生きているだけで奇跡だ」
「……奇跡ではなく、運だ」
アーレンは慎重に言った。
「運でもいい。
この地で“灰を恐れない者”は、帝国としても貴重だ」
⸻
レネは一歩、アーレンに近づく。
彼の目が、灰晶石のわずかな光を捉えた。
「ほう……それは?」
アーレンは背嚢を閉じ、短く答えた。
「――ただの記録だ。かつての友の」
「そうか。
“友”を灰に喰われた者は多い。
だが、灰を連れて歩く者は珍しい」
その言葉に、アーレンの心臓が跳ねた。
この男――見抜いている。
⸻
レネは小さく笑った。
「安心しろ。君をすぐには捕らえない。
私は研究者だ。君の話を聞きたいだけだよ」
「……何を、だ」
「灰災を――リゼノスを滅ぼした“理の暴走”を。
そして、その中心にいた君の名を、
私は記録で何度も見た」
「アーレン・クロード。
君が“灰理理論”の創始者だ」
⸻
ノアが息を呑む。
レネはその反応を楽しむように笑い、
穏やかな声で言った。
「安心しろ。帝国は敵ではない。
君の知識を、“正しく”使いたいだけだ」
「“正しく”?」
「理を兵器ではなく、“安定装置”として扱う。
この地の灰を制御し、再び人が住めるようにする。
君が創った“理”を――人のために使うんだ」
⸻
アーレンは沈黙した。
だがその沈黙の裏で、胸の奥に小さな疑念が芽生える。
(帝国が理を“人のため”に使う……?)
それがどんな悲劇を招くか、
誰よりも彼自身が知っていた。
⸻
「……話を聞こう」
アーレンは低く言った。
「ただし、条件がある。――ノアには手を出すな」
レネは微笑を深めた。
「約束しよう。君が協力する限り、誰も傷つけはしない」
その声が妙に柔らかく響いた。
灰の灯が遠くで瞬き、
新たな“理の火”が、静かに灯った。
基地の内部は、想像以上に整っていた。
灰災の地のただ中とは思えないほど、
鉄と理式が秩序を保っていた。
壁面を走る導管は、淡く青い光を流している。
理流を安定化させる“灰導管”。
それが基地全体を巡り、
灰地の空気をわずかに“生”の側へ引き戻していた。
⸻
レネは案内役を務めながら、何気なく言った。
「ここは帝国の灰理研究拠点――通称“灰縁基地”。
リゼノスで発見された理技術を再現し、
灰を制御可能なエネルギー源に変換する計画だ」
アーレンは黙ってついていく。
廊下のあちこちに監視符が貼られ、
人影が通るたびに青い火花を散らしていた。
「……帝国は、灰を使うつもりか?」
「“使う”というより、“馴らす”だな」
レネは軽く笑った。
「灰は暴れる。
だが、理式を与えれば、家畜のように従順になる。
リゼノスが滅びたのは、それを拒んだからだ」
⸻
実験区画へ入ると、
巨大な円環装置が中央に鎮座していた。
灰導炉――
灰の理を取り込み、安定化させるための装置。
導管の中心では灰が液状化し、
ゆっくりと光を帯びて回転している。
まるで“灰が呼吸している”ようだった。
ノアがレネの袖を引いた。
「これ……リュミナの、なかにあったのと似てる……」
アーレンの表情が一瞬だけ揺れる。
確かに、灰導炉の核構造は“灰核理論”と同一の数式で動いていた。
⸻
「……その理式、どこで手に入れた」
アーレンの声が低く響いた。
レネは微笑を浮かべ、
制御盤の符に触れながら言う。
「リゼノスの学院跡から。
君の残した研究記録を再現したのさ。
――まさか本人に見られるとは思わなかったが」
「それは……未完成だ」
「知っている。
だからこそ“完成”させたい。
君の協力があればな」
⸻
アーレンは符盤を取り出し、理式を睨んだ。
その構造は――危うい。
理流の循環に“逆位相”が組み込まれている。
つまり、理を“固定”するのではなく、
“閉じ込める”構造。
「……レネ、これは安定化装置じゃない。
灰を――“封印”する理式だ」
レネは振り返り、わずかに笑みを深めた。
「封印、か。面白い言葉だな。
我々は“管理”と呼んでいる」
⸻
その言葉のあと、
灰導炉の中心が低く唸った。
灰が一瞬、赤く光り、
周囲の符が連鎖的に反応する。
「反応値が上昇!」
技術兵が叫ぶ。
「理流、限界値を超過!」
レネが制御符を叩く。
「冷却符を起動、流量を一定に保て!」
アーレンは即座に横へ飛び、制御盤に手を伸ばした。
「理位相が反転してる! 止めろ、今すぐ!」
「止められん、まだ安定点を――」
レネの言葉が終わる前に、
炉の中心が爆ぜた。
⸻
灰の奔流が吹き荒れる。
ノアが悲鳴を上げ、アーレンにしがみつく。
灰導炉の光が収束し、
やがてその中心に“人の形”が現れた。
灰が寄り集まり、
金色の光が脈動する。
アーレンは息を呑んだ。
その姿は、あまりにも――
「……リュミナ……?」
⸻
灰の光が揺れ、
人影がゆっくりと顔を上げた。
だが、その瞳には“色”がなかった。
純粋な灰色。
理の形をなぞっただけの“人の模造”。
レネは呆然とその光景を見つめ、
やがて静かに言った。
「――成功だ」
アーレンの胸が熱くなる。
「違う、これは命じゃない! 理を縛っただけだ!」
レネが目を細めた。
「理を縛れれば、人も縛れる。
君が成し得なかった“完全なる制御”だ」
⸻
灰の模造体が動いた。
その腕から灰の流れが吹き出し、
床の符式がひとつ、またひとつと焼き切れていく。
兵たちが悲鳴を上げた。
「制御不能! 炉が反転してます!」
アーレンはノアを抱き寄せ、叫んだ。
「レネ、離れろ! 灰が理を喰ってる!」
「……興味深い」
レネはそれでも一歩、前へ出た。
「これが“命”の形か」
⸻
灰導炉が爆ぜた。
光がすべてを呑み込む。
金と灰が混じり合い、音が消える。
アーレンはノアを庇いながら、崩れる壁を飛び越えた。
灰が降り積もる中、リュミナの核が脈を打つ。
『……あれは、わたし……じゃない……』
リュミナの声が、震えていた。
アーレンは灰晶石を握りしめ、
崩れ落ちる炉を見つめた。
「……理は、神でも、兵器でもない。
お前たちは――また同じ過ちを繰り返す気か」
――音が、戻ってこない。
灰導炉の爆発は、あらゆる“声”を奪っていた。
燃焼も、破壊も、すべてが吸い込まれ、
ただ灰の渦だけが残っていた。
アーレンは、崩れ落ちた壁の陰で目を開けた。
肺に灰を吸い込み、激しく咳き込む。
ノアが腕の中で震えている。
「ノア、無事か」
「……う、ん……でも、あのひかりが……」
アーレンは顔を上げた。
炉の中心部、割れた制御環の中に――
“何か”が、立っていた。
⸻
灰の中から、白い足が現れる。
ゆっくりと、形を成す。
肌は陶器のように滑らかで、
血の代わりに灰が滲み、指先から零れ落ちていた。
それは、少女の姿だった。
ただし――目がなかった。
眼窩の奥には、灰の光が宿っている。
それは、命の“模倣”。
理が記録を読み違えて、生んだ“影”。
⸻
「……成功、か」
灰塵の中から、レネが歩いてきた。
片手に符盤、もう片方の手には灰導器の残骸。
外套は破れ、灰まみれになっているのに、
その瞳だけは澄みきっていた。
「見たか、アーレン。
灰は命を再現できる。
“記録”ではなく、“意志”の形で」
「違う……」
アーレンはかすれた声で言った。
「それは命じゃない。
理が命を“模した”だけだ」
⸻
レネは灰の少女に近づき、膝をついた。
手を伸ばす。
灰の少女が、ゆっくりと顔を向けた。
「わたしは……なに……?」
声がした。
灰の粒が空中で震える。
言葉が理の波として響いた。
レネは笑みを浮かべる。
「“灰導体(はいどうたい)”だ。
お前は、人の理を宿した最初の存在――
我々の、新しい未来だよ」
⸻
「やめろ!」
アーレンが叫んだ。
「灰導体は不安定だ。理が自己進化を始めれば、
再び“灰災”が起きる!」
「……君はまだ、“恐れている”んだな」
レネがゆっくりと立ち上がる。
「理は暴れない。人が恐れるから暴れるんだ。
だから、私は“理に恐怖を教えない世界”を作る」
「それが帝国の理想か?」
「帝国など関係ない。
これは、私の――“救済”だ」
⸻
その瞬間、灰導体が動いた。
その胸から、金の光が漏れる。
アーレンは凍りついた。
――それは、リュミナの“光”と同じ波。
「やめろ、それは――!」
灰導体が手を掲げる。
指先から灰が噴き出し、崩れた床を呑み込む。
灰が触れた金属が、理式の符へと変わり、
そのまま“灰の花”のように咲き始めた。
⸻
ノアが叫んだ。
「アーレン! これ、灰が――生きてる!」
アーレンは符盤を叩いた。
「ノア、後ろへ!」
反符式が光り、灰導体の動きを一瞬止める。
だがその瞳――灰の光がアーレンを見つめていた。
『……どうして、にてるの……?』
声。
リュミナの声に、酷似していた。
⸻
アーレンの心が裂けるように痛んだ。
「やめろ……! 彼女の声を使うな!」
レネが冷たく笑う。
「君が言った。“灰は記録を持つ”と。
つまり、灰の理が君の創った“L-01”の記録を読み取ったのだ。
これは偶然ではない――再現だよ」
アーレンは歯を噛みしめた。
「……それを、命とは呼ばない」
⸻
灰導体が一歩踏み出した。
足跡から灰の花が咲き、
空間の理流が一気に変調する。
基地全体の符式が次々と反応し、
照明が落ち、警報が鳴り響いた。
「理流異常発生! 中心区画が崩壊します!」
遠くで兵の声が聞こえる。
レネはその混乱を無視し、アーレンを見つめた。
「君の研究が、ついに完成したんだ。
この地の灰は、もう“死んでいない”。」
⸻
アーレンはノアの手を引き、灰の中へ駆けだした。
背後で灰導体の光が爆ぜ、
レネの笑い声が、灰風にかき消された。
灰は、形を持とうとしている。
命を模し、人を真似、
やがて“理”さえも模倣する。
⸻
崩れた廊下を走り抜けながら、ノアが振り返った。
「アーレン、あの子……泣いてた」
アーレンは答えなかった。
ただ、胸の中の灰晶石が淡く脈を打つ。
『……あれは、わたしじゃない。
でも……わたしの“いたみ”を、しってる……』
灰の声が、静かに響いた。
⸻
灰の時代は、終わらない。
それは、命のかたちを真似るたびに、
より深い“理の鏡”を生み出していく。
灰の匂いに混じって、鉄と油の臭気が漂う。
アーレンは崩れた丘の上で足を止めた。
灰原の向こう、黒い鉄の構造物が並んでいる。
塔のように伸びた監視装置、
灰を吸い上げる巨大な管、
そして軍旗――二重翼に刻まれた竜の紋章。
「……帝国軍の拠点だな」
ノアが息をのんだ。
「ほんとに……生きてる人がいるんだ」
「ああ。だが、喜ぶことじゃない」
アーレンはマントを整え、符盤を隠した。
その横で、灰晶石が脈を打っている。
リュミナの核。
その光を見られれば、帝国に捕らえられるのは時間の問題だった。
⸻
基地の外縁には高い鉄柵と監視塔が並び、
灰除けの障壁が低い唸りをあげている。
理流を制御して外部の灰を遮断する装置――
灰地では唯一、明確に“生きている”機構だった。
ノアが柵の向こうを見つめる。
「……ひとが、たくさんいる。
みんな灰を掘ってる……」
アーレンは頷く。
「灰脈を採取しているんだろう。
灰を燃料として利用するつもりだ」
「でも……そんなことしたら、また“灰災”が」
「帝国はそれを恐れない。
理を制御できると信じている。
いや――信じたいだけだ」
⸻
そのとき、背後から声がした。
「そこで何をしている?」
低い、鋭い声。
振り返ると、灰色の外套をまとった兵士が二人。
符銃を腰に下げ、目には灰除けのゴーグル。
アーレンはとっさに答える。
「……避難民だ。灰地を越えようとして、道を失った」
一人の兵が近づき、顔を覗き込む。
灰にまみれたアーレンを見て、眉をひそめた。
「避難民がこんな奥まで来るか。……身分証は?」
「灰災で失った」
「ふん……まあいい。
ここは帝国灰理研究局の管轄だ。
命が惜しければ、勝手な行動はするな」
⸻
そう言って兵士が背を向けたとき――
もう一人が何かに気づいたように立ち止まる。
「待て、その荷だ。中身を見せろ」
アーレンの背嚢に目を向けている。
中には灰晶石。
見せるわけにはいかない。
アーレンは一瞬の間に符盤を起動しかけたが、
その前に別の声が割って入った。
「やめたまえ。
旅人に銃を向けるのは、帝国の礼節に反する」
⸻
灰塵の向こうから、ひとりの青年が歩いてきた。
白い外套。
肩章には灰理局の紋章。
黒髪を短く束ね、整った顔立ちに冷ややかな笑み。
「レネ・ヴォルテール、帝国灰理局監察官だ」
彼は手を軽く上げて兵を下がらせる。
「君たち、灰地を渡ってきたのか?
生きているだけで奇跡だ」
「……奇跡ではなく、運だ」
アーレンは慎重に言った。
「運でもいい。
この地で“灰を恐れない者”は、帝国としても貴重だ」
⸻
レネは一歩、アーレンに近づく。
彼の目が、灰晶石のわずかな光を捉えた。
「ほう……それは?」
アーレンは背嚢を閉じ、短く答えた。
「――ただの記録だ。かつての友の」
「そうか。
“友”を灰に喰われた者は多い。
だが、灰を連れて歩く者は珍しい」
その言葉に、アーレンの心臓が跳ねた。
この男――見抜いている。
⸻
レネは小さく笑った。
「安心しろ。君をすぐには捕らえない。
私は研究者だ。君の話を聞きたいだけだよ」
「……何を、だ」
「灰災を――リゼノスを滅ぼした“理の暴走”を。
そして、その中心にいた君の名を、
私は記録で何度も見た」
「アーレン・クロード。
君が“灰理理論”の創始者だ」
⸻
ノアが息を呑む。
レネはその反応を楽しむように笑い、
穏やかな声で言った。
「安心しろ。帝国は敵ではない。
君の知識を、“正しく”使いたいだけだ」
「“正しく”?」
「理を兵器ではなく、“安定装置”として扱う。
この地の灰を制御し、再び人が住めるようにする。
君が創った“理”を――人のために使うんだ」
⸻
アーレンは沈黙した。
だがその沈黙の裏で、胸の奥に小さな疑念が芽生える。
(帝国が理を“人のため”に使う……?)
それがどんな悲劇を招くか、
誰よりも彼自身が知っていた。
⸻
「……話を聞こう」
アーレンは低く言った。
「ただし、条件がある。――ノアには手を出すな」
レネは微笑を深めた。
「約束しよう。君が協力する限り、誰も傷つけはしない」
その声が妙に柔らかく響いた。
灰の灯が遠くで瞬き、
新たな“理の火”が、静かに灯った。
基地の内部は、想像以上に整っていた。
灰災の地のただ中とは思えないほど、
鉄と理式が秩序を保っていた。
壁面を走る導管は、淡く青い光を流している。
理流を安定化させる“灰導管”。
それが基地全体を巡り、
灰地の空気をわずかに“生”の側へ引き戻していた。
⸻
レネは案内役を務めながら、何気なく言った。
「ここは帝国の灰理研究拠点――通称“灰縁基地”。
リゼノスで発見された理技術を再現し、
灰を制御可能なエネルギー源に変換する計画だ」
アーレンは黙ってついていく。
廊下のあちこちに監視符が貼られ、
人影が通るたびに青い火花を散らしていた。
「……帝国は、灰を使うつもりか?」
「“使う”というより、“馴らす”だな」
レネは軽く笑った。
「灰は暴れる。
だが、理式を与えれば、家畜のように従順になる。
リゼノスが滅びたのは、それを拒んだからだ」
⸻
実験区画へ入ると、
巨大な円環装置が中央に鎮座していた。
灰導炉――
灰の理を取り込み、安定化させるための装置。
導管の中心では灰が液状化し、
ゆっくりと光を帯びて回転している。
まるで“灰が呼吸している”ようだった。
ノアがレネの袖を引いた。
「これ……リュミナの、なかにあったのと似てる……」
アーレンの表情が一瞬だけ揺れる。
確かに、灰導炉の核構造は“灰核理論”と同一の数式で動いていた。
⸻
「……その理式、どこで手に入れた」
アーレンの声が低く響いた。
レネは微笑を浮かべ、
制御盤の符に触れながら言う。
「リゼノスの学院跡から。
君の残した研究記録を再現したのさ。
――まさか本人に見られるとは思わなかったが」
「それは……未完成だ」
「知っている。
だからこそ“完成”させたい。
君の協力があればな」
⸻
アーレンは符盤を取り出し、理式を睨んだ。
その構造は――危うい。
理流の循環に“逆位相”が組み込まれている。
つまり、理を“固定”するのではなく、
“閉じ込める”構造。
「……レネ、これは安定化装置じゃない。
灰を――“封印”する理式だ」
レネは振り返り、わずかに笑みを深めた。
「封印、か。面白い言葉だな。
我々は“管理”と呼んでいる」
⸻
その言葉のあと、
灰導炉の中心が低く唸った。
灰が一瞬、赤く光り、
周囲の符が連鎖的に反応する。
「反応値が上昇!」
技術兵が叫ぶ。
「理流、限界値を超過!」
レネが制御符を叩く。
「冷却符を起動、流量を一定に保て!」
アーレンは即座に横へ飛び、制御盤に手を伸ばした。
「理位相が反転してる! 止めろ、今すぐ!」
「止められん、まだ安定点を――」
レネの言葉が終わる前に、
炉の中心が爆ぜた。
⸻
灰の奔流が吹き荒れる。
ノアが悲鳴を上げ、アーレンにしがみつく。
灰導炉の光が収束し、
やがてその中心に“人の形”が現れた。
灰が寄り集まり、
金色の光が脈動する。
アーレンは息を呑んだ。
その姿は、あまりにも――
「……リュミナ……?」
⸻
灰の光が揺れ、
人影がゆっくりと顔を上げた。
だが、その瞳には“色”がなかった。
純粋な灰色。
理の形をなぞっただけの“人の模造”。
レネは呆然とその光景を見つめ、
やがて静かに言った。
「――成功だ」
アーレンの胸が熱くなる。
「違う、これは命じゃない! 理を縛っただけだ!」
レネが目を細めた。
「理を縛れれば、人も縛れる。
君が成し得なかった“完全なる制御”だ」
⸻
灰の模造体が動いた。
その腕から灰の流れが吹き出し、
床の符式がひとつ、またひとつと焼き切れていく。
兵たちが悲鳴を上げた。
「制御不能! 炉が反転してます!」
アーレンはノアを抱き寄せ、叫んだ。
「レネ、離れろ! 灰が理を喰ってる!」
「……興味深い」
レネはそれでも一歩、前へ出た。
「これが“命”の形か」
⸻
灰導炉が爆ぜた。
光がすべてを呑み込む。
金と灰が混じり合い、音が消える。
アーレンはノアを庇いながら、崩れる壁を飛び越えた。
灰が降り積もる中、リュミナの核が脈を打つ。
『……あれは、わたし……じゃない……』
リュミナの声が、震えていた。
アーレンは灰晶石を握りしめ、
崩れ落ちる炉を見つめた。
「……理は、神でも、兵器でもない。
お前たちは――また同じ過ちを繰り返す気か」
――音が、戻ってこない。
灰導炉の爆発は、あらゆる“声”を奪っていた。
燃焼も、破壊も、すべてが吸い込まれ、
ただ灰の渦だけが残っていた。
アーレンは、崩れ落ちた壁の陰で目を開けた。
肺に灰を吸い込み、激しく咳き込む。
ノアが腕の中で震えている。
「ノア、無事か」
「……う、ん……でも、あのひかりが……」
アーレンは顔を上げた。
炉の中心部、割れた制御環の中に――
“何か”が、立っていた。
⸻
灰の中から、白い足が現れる。
ゆっくりと、形を成す。
肌は陶器のように滑らかで、
血の代わりに灰が滲み、指先から零れ落ちていた。
それは、少女の姿だった。
ただし――目がなかった。
眼窩の奥には、灰の光が宿っている。
それは、命の“模倣”。
理が記録を読み違えて、生んだ“影”。
⸻
「……成功、か」
灰塵の中から、レネが歩いてきた。
片手に符盤、もう片方の手には灰導器の残骸。
外套は破れ、灰まみれになっているのに、
その瞳だけは澄みきっていた。
「見たか、アーレン。
灰は命を再現できる。
“記録”ではなく、“意志”の形で」
「違う……」
アーレンはかすれた声で言った。
「それは命じゃない。
理が命を“模した”だけだ」
⸻
レネは灰の少女に近づき、膝をついた。
手を伸ばす。
灰の少女が、ゆっくりと顔を向けた。
「わたしは……なに……?」
声がした。
灰の粒が空中で震える。
言葉が理の波として響いた。
レネは笑みを浮かべる。
「“灰導体(はいどうたい)”だ。
お前は、人の理を宿した最初の存在――
我々の、新しい未来だよ」
⸻
「やめろ!」
アーレンが叫んだ。
「灰導体は不安定だ。理が自己進化を始めれば、
再び“灰災”が起きる!」
「……君はまだ、“恐れている”んだな」
レネがゆっくりと立ち上がる。
「理は暴れない。人が恐れるから暴れるんだ。
だから、私は“理に恐怖を教えない世界”を作る」
「それが帝国の理想か?」
「帝国など関係ない。
これは、私の――“救済”だ」
⸻
その瞬間、灰導体が動いた。
その胸から、金の光が漏れる。
アーレンは凍りついた。
――それは、リュミナの“光”と同じ波。
「やめろ、それは――!」
灰導体が手を掲げる。
指先から灰が噴き出し、崩れた床を呑み込む。
灰が触れた金属が、理式の符へと変わり、
そのまま“灰の花”のように咲き始めた。
⸻
ノアが叫んだ。
「アーレン! これ、灰が――生きてる!」
アーレンは符盤を叩いた。
「ノア、後ろへ!」
反符式が光り、灰導体の動きを一瞬止める。
だがその瞳――灰の光がアーレンを見つめていた。
『……どうして、にてるの……?』
声。
リュミナの声に、酷似していた。
⸻
アーレンの心が裂けるように痛んだ。
「やめろ……! 彼女の声を使うな!」
レネが冷たく笑う。
「君が言った。“灰は記録を持つ”と。
つまり、灰の理が君の創った“L-01”の記録を読み取ったのだ。
これは偶然ではない――再現だよ」
アーレンは歯を噛みしめた。
「……それを、命とは呼ばない」
⸻
灰導体が一歩踏み出した。
足跡から灰の花が咲き、
空間の理流が一気に変調する。
基地全体の符式が次々と反応し、
照明が落ち、警報が鳴り響いた。
「理流異常発生! 中心区画が崩壊します!」
遠くで兵の声が聞こえる。
レネはその混乱を無視し、アーレンを見つめた。
「君の研究が、ついに完成したんだ。
この地の灰は、もう“死んでいない”。」
⸻
アーレンはノアの手を引き、灰の中へ駆けだした。
背後で灰導体の光が爆ぜ、
レネの笑い声が、灰風にかき消された。
灰は、形を持とうとしている。
命を模し、人を真似、
やがて“理”さえも模倣する。
⸻
崩れた廊下を走り抜けながら、ノアが振り返った。
「アーレン、あの子……泣いてた」
アーレンは答えなかった。
ただ、胸の中の灰晶石が淡く脈を打つ。
『……あれは、わたしじゃない。
でも……わたしの“いたみ”を、しってる……』
灰の声が、静かに響いた。
⸻
灰の時代は、終わらない。
それは、命のかたちを真似るたびに、
より深い“理の鏡”を生み出していく。
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