創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第4巻 帝国編・前編 ―灰の秩序―

第2章 観測される者

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 帝国首都ヴァルシュタイン。
 その中心に建つ巨大な塔――灰理局中央庁舎。
 地上からは無数の導管が延び、塔の内部で符流が脈を打っていた。
 まるで“理そのもの”が血液のように循環しているかのようだ。

 エルシア・ファロウは、ひとり観測室にいた。
 机の上に広げられたのは、十数年前の研究記録。
 そこには薄く、しかし確かに残る署名――A・クロード。

「……この波形。あの日と同じ」

 符盤に映る理流のグラフが、不規則に揺れている。
 あの“理災”以来、封印されたはずの波形だ。
 それが再び現れた。しかも、灰暦三年の現在に。

 ⸻

 観測室の扉が静かに開く。
 入ってきたのは、黒い軍服の男。
 灰理局付き帝国参謀――ラザン・アルディウス。

「主任。新たな指令が下った」
「……また、“理の解析”ですか?」

「いや、“再現”だ。」
 短い一言に、空気が凍った。

「再現……理災を、ですか?」

「そうだ。陛下はおっしゃった。“理を制御せねば未来はない”と。」

 ラザンは机に符刻された封筒を置く。
 赤い封蝋の中央には、双頭の鷲と“理符”の紋章。
 帝国最高権限の命令書だった。

 ⸻

 エルシアは唇を噛んだ。
「……狂ってます。理災は偶発ではない。理が“応答した”結果です。
 人の手で再現など――」

「できるさ。」
 ラザンの声は低く、しかし確信に満ちていた。
「アーレン・クロードができた。ならば帝国ができぬはずがない。」

「彼は“創った”のではない。“呼んでしまった”んです!」

 叫ぶような声。
 しかしラザンの表情は微動だにしなかった。

「……主任。あなたはあの“理”に惹かれている。違うか?」

「私は――理を恐れています。」

「ならば、それを理解しろ。
 恐怖は、観測によってのみ支配できる。」

 彼の言葉は、まるで帝国の思想そのものだった。
 “観測こそ支配”――理を神ではなく、道具として扱う帝国の根幹。

 ⸻

 ラザンが去ったあと、
 エルシアは静かに机に置かれた資料を見つめた。

 そこには、封印指定の記録。
 リゼノス王国・王立学院――灰核理論、実験資料。
 最後のページに記された、ひとつの名。

 《灰の研究者 A・クロード》

「……あなたの理は、まだ終わっていないのね」

 呟いた瞬間、符盤が微かに反応した。
 波形がわずかに変動し、灰色の光が走る。

 理は――“応えていた”。

 ⸻

 外では、塔の鐘が鳴る。
 それは新たな観測実験の始まりを告げる鐘。
 灰暦三年、帝国は再び理に手を伸ばす。

 そして、灰の向こうで、
 アーレンもまたその揺らぎを感じ取っていた



 空が揺れていた。

 風ではない。
 灰そのものが震え、粒子が脈を打つように上下している。
 アーレンは符盤の光を見つめながら、息を詰めた。

「……まただ。帝国が観測を始めたな。」

 符盤の波形はゆっくりと歪み、灰流の周期が狂い始めている。
 世界の“理の呼吸”が、外から押し込まれるように乱されていた。

 ノアが怯えたようにアーレンの袖を掴む。
「空が、うごいてる……」
「見ないほうがいい。あれは“覗かれている空”だ。」

 ⸻

 リュミナがゆっくりと立ち上がった。
 灰核が淡く光り、脈動が空気に伝わる。

「……理が痛い」

 その声に、アーレンは顔を上げた。
 風景が揺れて見える。
 遠くの岩が、まるで鏡の中の像のように滲んでいた。

「反射が起きている……!」
 アーレンは符盤を叩き、遮断符を展開する。
 光の円が地面に走り、周囲の灰流を抑え込む。

 しかし遅かった。
 上空に淡い光の環が現れ、灰がそこに引き寄せられていく。

 ⸻

 空間が、ひとつの“眼”になった。

 無数の符号が浮かび上がり、灰の流れを記述し始める。
 理を「見るための装置」――帝国の符眼。
 だがその眼が世界に干渉するほど、灰は抵抗を始めた。

 灰流の渦が、逆向きに回転する。
 観測が理を動かし、理が“観測者”を覗き返す。

「……理の逆流が始まったか」
 アーレンは歯を食いしばり、符盤に手をかざした。

 ⸻

 リュミナの瞳が淡く金色に輝く。
 灰核の光が反応し、符眼の波と共鳴している。

「……こっちを、見てる」
「何が?」
「“誰か”。遠くの“目”が、わたしを呼んでる……」

 声が震えていた。
 まるで、空そのものがリュミナの中を覗いているようだった。

 アーレンは彼女を抱き寄せるようにして、低く呟いた。

「落ち着け。理はお前を害しない。ただ――“答えを求めてる”だけだ。」

 リュミナはかすかに頷いた。
 けれど、その金の瞳の奥には、確かに誰かの意志が映っていた。

 ⸻

 帝国灰理局・観測室。

「主任、異常発生! 観測波が逆位相を取り始めています!」
 報告に、エルシアは顔を上げた。
「逆位相……? まさか、灰域の理が応答しているの?」

 符盤の上に描かれる波形。
 観測者と観測対象――両方から発信される双方向の理流。
 まるで、“観測される側”がこちらを観測しているかのようだった。

「反応点を特定して!」
「……灰域南西、旧リゼノス圏……中心に、人型の反応がひとつ!」

 その瞬間、符盤の中央が淡く光った。
 数値ではなく、名が浮かび上がる。

 《対象:LUMINA》

 エルシアは息を呑んだ。

「……生きている……?」

 ⸻

 灰原。
 風が止み、光の環が消える。

 リュミナは静かに息を吐いた。
 空の光はなくなったが、胸の灰核がまだ微かに脈を打っている。

「……“見られた”感じがした。
 でも、怖くなかった。」

 アーレンは空を見上げ、低く呟いた。

「理が、再び繋がった。
 帝国は“見る”ことで、また“開いてしまった”んだ。」

 彼の瞳には、遠く光る帝国の符眼が映っていた。



 灰原に夜が落ちていた。
 月の代わりに、空の彼方で淡い光が脈を打つ。
 それは星ではなく、帝国の“符眼”――
 遠隔観測のための理制御装置だった。

 アーレンは焚き火の前に符盤を置き、
 微かに光を放つ波形を見つめた。

「……位置を割り出されるのも時間の問題だな。」

 灰流の揺れが、一定の周期で乱されている。
 帝国の観測波が、周期的に灰域を走査している証拠だった。

 ノアが怯えたようにリュミナの手を握る。
「どうすれば……あれを止められるの?」

 アーレンは静かに頭を振った。
「止められはしない。
 “見ること”そのものが、理を動かす。
 だから――こちらが先に“視えない”ようにする。」

 ⸻

 彼は符盤の周囲に灰を撒き、指先で数式を描き始めた。
 理流をねじ曲げ、観測の位相をずらす遮断式――“灰幕符”。
 かつて学院で理災研究をしていた頃、自分が考案した式だった。

「この式……前にも使ってたね」
 リュミナがかすかに呟いた。
 アーレンは苦笑する。
「覚えてるのか?」
「うん……“見られないようにする”って、あなた言ってた。」

 灰の光が、静かに彼女の胸の灰核を照らした。

 ⸻

 帝国灰理局。

 観測室の空間が再び揺れる。
「主任、反応が急に減衰しました! 灰域が“見えません”!」
 エルシアは眉をひそめ、符盤を操作する。

 波形が、奇妙な形で折り返していた。
 観測波が吸い込まれ、別の理流へと分岐している。

「……彼が、遮断符を使ったのね。」
 呟く声は静かだったが、その奥に焦りが滲んでいた。

「主任、どうされます?」
「追う。座標を再構築して――“理標(りひょう)”を立てなさい。」

 技術士官が息をのむ。
「理標を? そんなことをすれば――」
「いいの。理は見られるだけじゃない。“触れられる”のよ。」

 ⸻

 灰原。
 夜の空に、細い光の柱が立った。
 遠く離れた地平から、真っすぐにアーレンたちの方へ。

「……理標だ。」
 アーレンが立ち上がる。
「帝国が“観測点”を固定した。」

 リュミナの灰核が脈を打つ。
 光が、帝国の理標と共鳴している。

「……アーレン。あのひかり……わたしを、呼んでる。」

 彼はリュミナの肩を掴み、低く言った。
「呼ばせるな。あれに応じたら、また“理災”が起こる。」

 ⸻

 だが、その光は止まらなかった。
 灰が風に舞い、空の柱と地上の灰核が共鳴を始める。

 リュミナの髪が揺れ、金色の瞳に光が宿る。
 帝国と灰域の“理”が、再びひとつに繋がろうとしていた。

 アーレンは符盤を構え、叫ぶ。
「理標を壊す! ノア、離れろ!」

 符盤が白く閃き、灰が渦を巻いた。
 彼の符式と理標の波がぶつかり、
 夜空に巨大な衝撃光が走る。

 ⸻

 その瞬間、帝国観測室の符盤が爆ぜた。
 光が弾け、壁に理式の残光が刻まれる。

「主任! 理標が――!」
「いいわ。これで彼が“まだ生きている”ことがわかった。」

 エルシアは、光の消えた符盤に手を置いた。
 その指先に残る微かな熱を感じながら、静かに言った。

「――アーレン・クロード。
 あなたはまだ、理を創ろうとしているのね。」


 風が止んでいた。

 灰が宙に浮かび、世界が息を潜めている。
 焚き火の火はすでに消え、辺りには微かな光が漂っていた。
 それは、灰そのものが発する“光”だった。

 アーレンは静かに立ち上がり、灰幕の残滓に触れた。
 焼け焦げた符盤が脈を打っている。
 理標との干渉で、周囲の灰が“別の相”を帯びてしまっていた。

「……聞こえるか?」

 ノアが首をかしげる。
「なにが?」

 アーレンは目を細め、耳を澄ませた。

 ――……アーレン。

 誰かの声。
 風ではない。灰そのものが、音を帯びて囁いている。

 ⸻

 リュミナが、ゆっくりと歩き出した。
 灰の光が彼女の周囲に集まり、胸の灰核が淡く輝く。

「……ねぇ、アーレン。これ、“歌ってる”」

 彼女の声は、どこか懐かしげだった。
 灰がリズムを刻み、かすかな音律を形づくる。
 まるで“誰か”の記憶をなぞるように。

 アーレンは息を呑んだ。
「灰の共鳴……。理災のとき、観測された記録がまだ残っているのか……」

 リュミナの足元に、光の文字が浮かび上がる。
 符でも数式でもない。
 それは“言葉”だった。

 ――なぜ、命を創るの?

 リュミナの瞳が揺れた。
「……この声、知ってる。わたしの……中の……?」

 アーレンは静かに首を振った。
「それは、灰が残した“理の記憶”だ。
 理災のとき、命が壊れる瞬間――その情報が灰に刻まれている。」

 ⸻

 灰の流れが再び動き出す。
 風もないのに、灰粒が宙を舞い、形を作る。
 人の形。輪郭。
 それはかつての王都、そして人々の影だった。

 ノアが息をのむ。
「……人が、灰のなかに……!」

 アーレンは目を伏せた。
「灰は、“観測された命”を記録している。
 あの日、世界中が“理の眼”に見られた。
 そして――灰になった。」

 ⸻

 リュミナが一歩、踏み出した。
 灰の像が、彼女に呼応するように手を伸ばす。
 その瞬間、彼女の灰核が激しく光を放った。

 アーレンが叫ぶ。
「離れろ、リュミナ!」

 だが、もう遅かった。

 灰の像が一斉に崩れ、光の粒が彼女の体に流れ込む。
 まるで、数えきれない“命の記録”が彼女の中へ還っていくかのようだった。

 ⸻

 リュミナの瞳が、金から白へと変わった。
 その声が、灰の中に響く。

「――理は、まだここにいる。」

 その声は、彼女自身のものではなかった。
 いくつもの声が重なり、響き合っている。
 男の声、女の声、子どもの声。
 理の記録が、彼女という“器”を通して語り始めていた。

「命は記録。
 観測は罪。
 そして、灰は赦し。」

 アーレンは拳を握った。
「……“理”そのものが、語っているのか?」

 ⸻

 帝国灰理局。

 観測塔の符盤が再び明滅した。
「主任、灰域の波が……変化しました! 観測値が読めません!」

 エルシアは符盤を凝視する。
 波形が、言語化されていた。

【理は、記録を求む】

「……理が、語っている?」

 ラザンが背後で笑った。
「面白いじゃないか。なら、観測を続けろ。
 “理”が求めるなら、それを人の手で叶えてやるまでだ。」

 エルシアは眉を寄せ、唇を噛んだ。
 その表情には恐怖と興奮が混じっていた。

 ⸻

 灰原。
 リュミナの光が徐々に弱まっていく。
 彼女は膝をつき、アーレンの腕に崩れ落ちた。

「リュミナ! 意識を保て!」
「……わたし、たくさんの……声を……きいた……」
 掠れた声。
 灰の中で、彼女の呼吸だけが生の音を持っていた。

 アーレンは静かに彼女を抱きしめる。
 その耳元で、小さく呟いた。

「理は……まだ、彼女を観測している。」

 ⸻

 空が再び光った。
 遠く、帝国の方角で。
 新たな理標が、立ち上がろうとしていた。

 
    灰原を裂くように光が降り注いだ。
 帝国の理標が、理流そのものを呼び起こしている。
 アーレンは符盤を構え、遮断符を重ね打ちするが、灰流の圧は増すばかりだった。

「だめだ……理が押し返してくる!」

 リュミナの灰核が脈動し、金の光があふれた。
 空間が軋む。風景が滲む。灰そのものが“形”を取り始めていた。

「……塔、が……!」

 ノアの声が震える。
 地面から立ち上がる灰が柱となり、瞬く間に巨大な塔を形づくった。
 灰流が縦に連なり、まるで理が世界の“記録”を垂直に描き出しているようだった。

 アーレンは息を呑む。
「――理標が、物質化した……!」

 空に伸びる灰の塔。その内部で、何かが“脈動”していた。
 理標を通じ、帝国と灰域の理が完全に接続されている。
 だが、それは均衡ではなく、衝突だった。

 灰が逆流する。塔の根元が音を立て、亀裂が走った。

「リュミナ、離れろ!!」

 叫ぶ間もなく、塔が爆ぜた。
 白光が灰原を覆い、轟音が空を割る。
 衝撃が走り、アーレンたちは吹き飛ばされた。

 ⸻

 ――それは、ほんの数分のことだった。

 灰は空へと舞い上がり、塔は形を失った。
 残ったのは、焦げた灰と、耳をつんざくような沈黙。

 やがて、風が戻る。
 アーレンは灰の中から這い出し、焼け焦げた符盤を掴んだ。

「……理標の共鳴が……暴走したのか。」

 リュミナは胸を押さえ、かすかに息をする。
 灰核が淡く光を放ち、名残の波が脈打っていた。

「……アーレン、いま……なにか、見えた気がしたの。
 “目”が、わたしの中を覗いてた。」

 アーレンは唇を噛む。
「理は応えた。――そして、帝国はその応答を“観測”している。」

 灰の地に残った塔の残骸。
 それは、後に“灰理塔”と呼ばれることになる
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