創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第6巻 再生の旅一灰の記憶-

第6章 灰の夢

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――落ちていく。

 灰が流れ、光が反転する。
 リュミナの視界は白とも黒ともつかない靄に包まれ、
 世界が音を失っていった。

 足も、声も、意識も、境界を失う。
 けれど、その中心だけが妙に熱い。
 胸の奥――灰核が、誰かの声に応えるように震えていた。

 《記録ノ夢、起動》

 その符文の残光が、まるで呼吸するように明滅する。
 現実は崩れ、灰が彼女の身体を覆う。
 重力はなく、ただ流れだけがある。

 “記録の夢”――それが何かを理解するより早く、
 リュミナは光と影の狭間に吸い込まれていった。



 気づいたとき、世界は灰でできていた。

 天も地もなく、無数の灰粒が漂う空間。
 それぞれが淡い光を宿し、まるで“誰かの思い出”のように瞬いている。
 静寂。
 風すらも音を持たない。

 リュミナはゆっくりと手を伸ばした。
 掌の上に、灰の粒がひとつ落ちる。
 冷たいのに、なぜか懐かしい。

「……ここは、誰の夢?」

 その声に応えるように、灰が波紋を描く。
 世界が震え、形を持ちはじめた。
 灰の流れが集まり、街の輪郭をつくる。

 鉄とガラス、そして光る符線。
 ――見覚えがあった。
 灰契炉の研究塔。アーレンの過去。

 リュミナは息をのむ。
 「これが……記録の夢……?」



 灰の向こうに、人影が立っていた。
 白衣を纏う青年。
 顔を上げた瞬間、彼女の心臓が跳ねた。

「アーレン……?」

 けれど、その瞳は今の彼のものではない。
 理に囚われ、感情を削ぎ落とした研究者の目。
 冷たく、静かな光。

 周囲には符盤と灰槽が並び、符文の光が脈動している。
 その中央――灰流の中で、小さな影が形を取り始めた。
 まだ眠る少女。

 リュミナは思わず歩み寄る。
 だが、足元がふわりと溶け、進むことができない。
 ――これは夢。触れられない記録。

 それでも、目を逸らせなかった。



 青年が口を開く。
 「灰律、安定率0.72。魂格形成、進行中。」
 淡々と告げる声。
 だがその指先は震えていた。

 少女の胸に、淡い光がともる。
 灰の中で、命が灯る。

 ――灰が、命を覚える瞬間。

 リュミナは息を詰めた。
 それはただの記録ではない。
 “祈りの断片”のような波動が、灰全体から伝わってくる。

 どこからともなく、かすかな声が響いた。

 ――怖くないよ。
 ――わたしは、灰の中にいるから。

 リュミナは振り返った。
 灰の流れの向こう、少女が微笑んでいた。
 輪郭は曖昧で、光そのもののような存在。

「……ルシア?」

 少女は頷く。
 「あなたは、アーレンの灰に触れたのね。」

 その言葉とともに、灰の粒が空に舞い上がる。
 世界が、柔らかい光で包まれた。



 リュミナは理解する。
 これは過去の再現ではない。
 灰が、自ら夢を見ている。
 命が壊れる瞬間に残った“祈り”が、形を成している。

 ルシアの声が、灰の奥から響いた。

 「ねぇ、リュミナ。灰はね、終わりじゃないの。
  理が消えても、祈りが残るの。
  だから、灰は“夢”を見続けるのよ。」

 リュミナは胸の奥に手を当てた。
 灰核が静かに応えていた。

「……あなたは、まだ生きているのね。」

 灰の少女は微笑み、そっと消えていった。
 灰が舞い上がり、空を覆う。

 その瞬間、リュミナの身体が光に包まれた。
 灰が彼女を導く――さらに深い、祈りの記録の奥へ。



 遠くで、誰かの声がした。
 ――アーレン。
 ――あの子を……お願い。

 世界が、ゆっくりと再び沈み始める。
 灰が脈動し、次の記録が開かれようとしていた。



 ――呼吸の音が、灰の海に溶けていった。

 リュミナは目を開ける。
 あたりは淡い光の粒で満ちていた。
 それは灰であり、同時に命の断片でもあった。
 一つひとつの粒が、鼓動を持つように淡く点滅している。

 どこかで誰かが祈っている――そんな錯覚すら覚える。

「……ここは、“記録”の奥……?」
 彼女の声が灰に触れると、波紋が静かに広がる。
 灰が光に変わり、やがて形を結ぶ。

 そこに、少女が立っていた。

 灰の髪。光を透かすような白い衣。
 その瞳はあたたかく、まるで世界のすべてを赦しているようだった。

「あなたが……ルシア、なの?」
 リュミナが問いかけると、少女はゆっくり頷いた。

「うん。わたしは、灰が覚えていた“願い”の形。
 アーレンの祈りと、わたしの最後の想いが混ざって、今の“わたし”になった。」

 灰が舞い上がる。
 その流れの中に、いくつもの記憶が一瞬だけ映る。
 アーレンの横顔、研究室の灯、手を伸ばす少女。
 そして、光に還る瞬間の温もり。



 ルシアはゆっくりと手を差し出した。
 その手は灰でできているのに、確かにあたたかい。

「ねぇ、リュミナ。灰ってね、命の“残響”なの。
 理が壊れても、想いは消えない。
 想いが行き場を失うと、灰になって、次の祈りを待つの。」

 リュミナの胸が痛んだ。
 「……あなたは、まだここに囚われてるの?」

 ルシアは首を横に振る。
 「囚われてるんじゃないの。
  ここは“消える前に、誰かに託す場所”。
  灰が夢を見るのは、次の誰かに“祈り”を渡すため。」

 その言葉とともに、灰が光を帯びて広がる。
 波紋の中に、無数の命の記録が浮かび上がった。
 人が笑い、泣き、祈る光景。
 それは、世界の記憶そのものだった。



「アーレンはね、わたしを失ってからもずっと祈ってた。
 あの人は自分を許せなかったけど……それでも、理の底で、
 “もう一度命を見届けたい”って思ってた。」

 リュミナは唇を噛む。
 灰がその痛みを感じ取るように、柔らかく光を放つ。

「……それが、この“灰の夢”なの?」
「うん。あの人の祈りと、わたしの欠片が混じりあって生まれた夢。
 あなたは今、その中にいる。
 だから、お願い――アーレンを、外の世界へ連れていって。」



 リュミナは彼女の手を握った。
 灰が溶け、光が流れ込む。
 温かいのに、どこか切ない。

「灰はね、冷たく見えるけど、本当は熱を覚えてるの。
 燃え尽きたあとにも、ちゃんと“温度”が残るのよ。」
 ルシアの声が、優しく響く。

 リュミナの灰核が共鳴し、胸の奥が脈動する。
 ――命を創る理。
 ――命を失う痛み。
 ――それでも残った祈り。

 そのすべてが、一つの光に変わっていく。



 「ありがとう、リュミナ。」
 ルシアが笑った。
 「灰はね、終わりじゃない。
  あなたが見つけてくれたから、また“灯”に戻れる。」

 その瞬間、彼女の身体が光の粒となって弾けた。
 無数の灰が空へ舞い上がり、淡い炎のように世界を染めていく。

 リュミナはその中心に立ち尽くした。
 涙が頬を伝い、灰と混ざって光る。

「……あなたの祈り、わたしが伝える。
 アーレンに――もう一度、命を信じてほしいって。」

 灰が頷くように流れ、彼女の足元から風が立ち上がった。
 視界が白に染まり、光が彼女を包み込む。



 最後に、ルシアの声が響いた。

 ――ありがとう。
 ――あなたが見てくれたから、灰はもう寂しくない。

 そして、世界が静かに閉じた。

 次の瞬間、リュミナの身体が光に包まれ、
 夢は終わりを告げた。



 目を開けたとき、そこは再び灰市の瓦礫だった。
 手のひらの中で、ひとつの灰の欠片が微かに光っていた。
 それは冷たくも温かくもない――ただ、心臓の鼓動に似た“リズム”を刻んでいた。

 リュミナは静かに呟く。
 「……これが、灰の祈り。」



 ――光が、呼吸をしていた。

 リュミナはゆっくりと目を開けた。
 灰市の崩れた屋根の隙間から、淡い陽が射している。
 風が戻っていた。
 灰を運び、瓦礫の間を静かに撫でていく。

 現実に、帰ってきた。

 手の中には、小さな灰の欠片。
 その中心で、かすかに光が瞬いている。
 まるで“心臓の鼓動”のように。

「……夢、じゃなかったのね。」

 リュミナの声に応えるように、灰が微かに震えた。
 それは言葉ではなく、ただ“生きている”という反応。
 灰はまだ、祈っていた。



 背後から足音が近づく。
 アーレンだった。
 肩や頬には灰が付着し、血が滲んでいる。
 だが、その瞳にはかつての冷たさはなかった。

「……戻ってきたのか。」
 彼は息を整えながら言った。
 リュミナはゆっくりと頷き、掌を開く。

「見て。これは、灰の祈り。」

 アーレンの目がわずかに揺れる。
 その光に、どこか見覚えがあった。
 ――あの実験炉の光。
 ルシアが最後に残した、淡い灯。

「お前……夢の中で、何を見た。」

 リュミナは答えを探すように目を閉じた。
 胸の奥にまだ、灰の声が残っている。

「……彼女に会ったわ。ルシア。
 でも、それは“記録”じゃなかった。
 灰が覚えていた祈り――命を失っても残った想い。
 それが、私を呼んだの。」

 アーレンは言葉を失った。
 ただ、灰の光を見つめる。
 その中で、何かが少しずつ融けていくようだった。



「灰はね、終わりじゃないの。」
 リュミナの声が、風に溶ける。
 「理が壊れても、祈りは消えない。
  彼女はそう言ってた。
  “灰は、次の命に灯を渡すために夢を見る”って。」

 アーレンの指が、わずかに震えた。
 胸の奥で、何かが再び熱を取り戻す。

「……そんなことを、言っていたのか。」

「ええ。
 彼女はあなたを恨んでなんかいなかった。
 むしろ――あなたが生きてくれることを、願ってた。」

 アーレンはゆっくりと息を吐いた。
 長い間、止まっていた呼吸が、ようやく動き出す。

「……俺は、命を造って、壊した。
 祈りを理で塗り潰して、何も残せなかったはずだ。」

 リュミナは首を振る。
 「残っていたの。あなたが信じなかった“祈り”が。」



 風が吹く。
 灰が舞い上がり、二人の間を通り抜けた。
 陽光が差し込み、その粒を金色に染めていく。

 アーレンは手を伸ばし、リュミナの掌にそっと触れた。
 灰の欠片が二人の間で光を放つ。

 「……暖かい。」
 その一言は、祈りのように小さかった。

 リュミナは微笑む。
 「灰は熱を覚えてるって、彼女が言ってたの。
  燃え尽きても、温度は残るの。
  だから、それはまだ“生きてる”。」



 しばらくの沈黙。
 灰が降り、光が差す。
 世界はまだ壊れているのに、どこかで何かが再び動き出していた。

「リュミナ。」
 アーレンの声は低く、だが確かに震えていた。
 「……俺は、まだこの世界に祈っていいのか。」

 リュミナは頷いた。
 「ええ。だって、祈りは罪の反対だから。」

 アーレンは目を閉じた。
 風が灰を運び、瓦礫の街に淡い光が降る。

 灰の欠片が空へ昇り、ひとすじの光の筋となった。
 それはまるで――失われた命が、再び空を見上げたように。



 リュミナが空を見上げる。
 「灰が夢を見た理由、今ならわかる。
  あれは、残された者のための夢だったのね。」

 アーレンは静かに呟いた。
 「……なら、俺も夢を見よう。
  彼女の見た祈りの続きを。」

 灰が風に溶け、
 世界に、微かな光の粒が舞い始めた。

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