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第6巻 再生の旅一灰の記憶-
第7話 再生の灯
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――夜が明けていた。
灰市の空に、初めて陽光が差し込む。
灰の雲はまだ厚いが、その切れ間から覗く光は確かだった。
冷たかった街が、わずかに息を吹き返すように見えた。
リュミナは屋根の上に座り、東の空を見つめていた。
掌の中には、昨夜の灰の欠片。
今はもう光を放っていない。
それでも、心臓の奥がかすかに熱を帯びていた。
「……暖かいね。」
後ろから、アーレンの声がした。
彼も同じ空を見上げていた。
顔に付いた灰を拭いもせず、静かに息を吐く。
「不思議だな。
灰が冷たいものだと思っていたのに……今は、あの光の方が暖かく感じる。」
リュミナは微笑む。
「それが“祈り”の温度よ。
理じゃなくて、命が残した熱。」
⸻
二人は崩れた街を歩いた。
灰の街にはもう、人の声も機械の音もない。
けれど、沈黙の中に“生きている気配”があった。
風が流れ、灰の粒が陽の光を受けて輝く。
歩きながら、アーレンは手にしていた符盤を開く。
割れたままの装置の中で、微弱な反応が残っていた。
「……再構炉の残滓か。」
「動くの?」
リュミナが覗き込む。
「理はもう死んでる。けれど、灰律の波はまだ消えていない。
命の記録を燃やすための炉だったはずが……いまは、静かに脈打っている。」
リュミナはその光を見つめる。
「まるで、呼吸してるみたい。」
⸻
アーレンは灰を手に取り、炉の中へそっと落とした。
すると灰は光り、炉の符線が一瞬だけ淡く輝いた。
「……見ろ。まだ反応する。」
「それって、灰が“生きてる”ってこと?」
アーレンは頷いた。
「命令も理も消えたのに、反応を続けている。
もしかしたら、灰そのものが“生きたい”と願っているのかもしれない。」
リュミナはその言葉に、胸が震えた。
――灰は、命の終わりじゃない。祈りの形。
「じゃあ、再生させよう。
理でなく、祈りの力で。」
アーレンがリュミナを見つめた。
「……祈りで、理を動かすのか。」
「そう。
命を“造る”んじゃなくて、“還す”の。」
⸻
アーレンはゆっくりと頷いた。
そして、炉の符陣を展開する。
壊れたはずの符線が、リュミナの灯りに呼応して淡く光る。
リュミナは両手を合わせ、胸の灰核に意識を向けた。
そこに、ルシアの声がまだ微かに残っている。
――灰は、祈りを覚えている。
リュミナは目を閉じ、静かに言葉を紡いだ。
「どうか、この灰に、もう一度“息”を。」
符線が震え、灰炉の中心が脈動を始める。
光が走り、淡い炎が生まれる。
灰が燃えるのではなく――“灯る”。
⸻
アーレンは息を呑んだ。
それは炎ではない。
灰が、静かに光となって揺らめいている。
理では説明できない現象。
だが、確かに命のような温もりがあった。
「……これが、祈りの再生炉か。」
リュミナは微笑む。
「ううん。これは、“希望の炉”。」
灰の灯が、ふたりの頬を照らした。
朝の光がそれに重なり、灰市の空がほんの少し明るくなる。
⸻
アーレンはしばらくその光を見つめていたが、やがて呟いた。
「理で世界を造り変えるより……祈りで灯す方が、ずっと難しいな。」
「でも、きっとそのほうが、正しい。」
リュミナの声は柔らかかった。
「灰が夢を見ていたのは、きっと――誰かがまた灯をともす日を、待っていたから。」
風が吹く。
灰の灯が揺れ、遠くの空へと一筋の光を放った。
それはまるで、亡き者たちの祈りが、世界へ帰っていくように。
⸻
リュミナは目を閉じ、静かに手を合わせた。
アーレンもその隣で、わずかに頭を垂れる。
灰市の中心に、新しい光が生まれた。
それはまだ小さいが、確かに燃えている。
“理の終わり”の場所で、“祈りの始まり”が生まれた。
――風が、戻ってきた。
再生炉の灯がともってから、街の空気が変わった。
灰の粒が光を受けて舞い、
瓦礫の上に落ちるたび、そこに小さな光が生まれる。
リュミナは膝をつき、指先で灰をすくった。
掌の上で、灰は微かに脈動している。
冷たさの中に、確かに“息”があった。
「……生きてる。」
彼女が呟くと、隣でアーレンが静かに頷いた。
「灰が反応している。
理の残滓が――いや、違う。これは……もっと原始的な“反応”だ。」
アーレンは符盤を開き、反応波を観測する。
その波はまるで鼓動のように広がり、地面の奥深くまで伝わっていた。
⸻
遠くの建物の影で、崩れた壁がひとりでに震えた。
粉塵が落ち、光の粒が漏れる。
次いで、倒れた機械の残骸が、かすかに音を立てて動いた。
「……見ろ、灰が呼び合ってる。」
アーレンの声は驚きよりも、どこか感嘆に近かった。
「理が組んだ構造体じゃない。
それぞれの灰が、自分の“記憶”を探して動いてる。」
リュミナは目を細め、淡く光る灰を見つめた。
「まるで……心臓が動き出したみたい。」
⸻
風が通り抜けた。
冷たいはずの風が、どこか柔らかい。
灰の粒を運びながら、街の奥へ、さらに奥へと吹き抜けていく。
それは、まるで眠っていた大地が呼吸を始めたようだった。
「これが、再生……?」
リュミナの声は震えていた。
アーレンは炉の光を見つめたまま、低く答える。
「“灰は命の記録”だと、彼女は言ったな。
なら、この反応は――命が自分の続きを探している証拠だ。」
⸻
沈黙の中、灰の街が少しずつ変化していく。
倒壊した塔の根元から、細い蔦のような光が伸び、
瓦礫の隙間には、淡く芽吹くような輝きが生まれる。
リュミナはそれを見て、ゆっくりと立ち上がった。
「灰が、命を“憶えてる”んだわ。
それを忘れていたのは、きっと私たちの方。」
アーレンは静かに頷いた。
「壊すことを学びすぎて、治すことを信じなくなった。
でも、灰は……それでもまだ、生きたいと思っていたんだな。」
⸻
灰炉の灯がふたりを照らす。
その光に照らされた瓦礫の表面が、柔らかな色を帯びた。
冷たい灰色が、ゆっくりと淡い金色へと変わっていく。
「見て。……色が戻ってきた。」
リュミナの声がかすれる。
「灰が、灰のままじゃなくなる。
これが、“再生”なのね。」
アーレンは黙って空を見上げた。
雲の切れ間から光が差し、灰の街を包み込む。
⸻
「……あの光、久しぶりだな。」
アーレンが呟く。
「長い間、陽の色を忘れていた。」
リュミナは微笑んだ。
「灰の夢は、終わったのね。」
「いや――」
アーレンはゆっくりと首を振る。
「今、ようやく“目が覚めた”だけだ。」
その言葉に、リュミナは静かに頷いた。
風が灰を巻き上げ、朝の光の中できらめく。
世界が、もう一度息をした。
――灰が、風に乗っていた。
街の上を漂う灰は、もう沈黙の残滓ではない。
光を宿し、風に混ざり、どこまでも流れていく。
それは命の欠片のように淡く瞬きながら、遠くへと渡っていった。
リュミナは屋根の上でその光景を見ていた。
朝の風が頬を撫で、髪を揺らす。
灰炉の灯は静かに脈打ち、周囲の空気に柔らかな熱を帯びさせていた。
「……きっと、広がっていくわね。」
彼女の言葉に、アーレンは頷いた。
符盤の波形には、微かな灰律の反応が次々と記録されている。
「西でも、反応が出ている。
ここだけじゃない――灰層全体が“呼吸”を始めた。」
⸻
遠くの地平線の向こうで、雲が割れる。
灰の風が渦を巻き、光が差し込む。
崩壊した街並みの影でも、同じように小さな光が点滅していた。
それは、再生炉の灯と同じ律動。
“命の記憶”が連鎖している。
リュミナは目を閉じ、風の中に耳を澄ます。
灰の音、木々のざわめき、遠い大地の息づかい。
そのすべてが、ひとつの旋律を奏でているようだった。
「ねぇ、アーレン……聞こえる?」
彼女の声は囁きに近かった。
「灰が歌ってる。
“まだここにいる”って。」
アーレンは静かに頷く。
「聞こえる。
これは……理じゃない。
ただ、生きようとする音だ。」
⸻
ふと、足元の瓦礫の間から芽のような光が覗いた。
それは灰の中から生まれた、淡い緑の輝き。
リュミナが膝をつき、そっと触れると、指先にぬくもりが伝わった。
「これ……。」
アーレンが目を細める。
「灰の中の微生構造が再結合している。
理が再構しているんじゃない。
“灰そのものが、生きたいと思ってる”んだ。」
リュミナは小さく笑った。
「……命って、理よりずっと強いのね。」
⸻
風が再び吹いた。
光の粒が舞い上がり、空一面に散っていく。
その光が届いた先――
遠く離れた地でも、同じように灰の灯がともり始めていた。
誰もいない荒野の中で、壊れた研究塔の残骸が淡く光る。
朽ちた都市の地層では、灰の流れが静かに動き出す。
海の向こうでも、大気の流れが変わり始める。
灰が世界を繋いでいた。
かつて“終わり”と呼ばれたものが、今は“始まり”へと姿を変えていく。
⸻
リュミナは手のひらに舞い落ちた灰の粒を見つめる。
そこに微かな光が宿り、淡い拍動を刻んでいた。
まるで、誰かが小さく“ありがとう”と囁いているように。
「……世界が、覚えてくれてる。」
リュミナの声が震えた。
アーレンは静かに微笑み、炉の灯に手をかざす。
「灰は、忘れない。
どんな理よりも、祈りのほうが長く残る。
――だからこそ、もう一度、歩ける。」
⸻
陽が昇る。
灰の街に朝が訪れ、瓦礫が淡く光を反射する。
遠くで鳥の声が聞こえた。
それは、この世界で初めて響いた“音”だった。
リュミナはその声を聞きながら、小さく笑う。
「ねぇ、アーレン。
あの鳥も、灰の夢を見てたのかも。」
アーレンは頷いた。
「だとしたら、俺たちは……夢の続きを見てるんだろうな。」
風が吹く。
灰と光が混ざり、世界に新しい息を吹き込む。
灰が、再び生を歌いはじめた。
――陽が昇りきった。
灰市の空は、淡い金の色をしていた。
再生炉の灯は安定し、灰の流れも静まっている。
もう爆ぜるような光はない。
ただ、一定のリズムで淡く脈打ち、まるで心臓の鼓動のように街を照らしていた。
アーレンは炉の前に立ち、掌をかざした。
光が指先に触れ、微かな温もりが伝わる。
“命を造る”ために生まれた炉が、今は“命を見守る”ために灯っている。
「……これで、ようやく終わったのか。」
彼の声は低く、静かだった。
隣でリュミナが微笑む。
「いいえ、始まったの。灰は夢を見終えたけれど、
今度は“現実を生きる番”だから。」
⸻
二人は並んで歩き出した。
崩れた街の通りを抜けると、風が流れ込んでくる。
灰が陽光を反射して舞い、金の粒のように空を満たした。
「……もう誰もいない街なのに、不思議だな。」
アーレンは立ち止まり、瓦礫を見渡す。
「音がする。
ここにいた人たちの、呼吸のような……。」
リュミナは目を閉じた。
「灰が憶えてるの。
祈りも、笑いも、痛みも、全部。
でもそれは、過去じゃなくて“今を生かすため”の記録。」
⸻
丘の上まで登ると、街全体が見渡せた。
あちこちに小さな光が灯っている。
まるで夜空を逆さにしたような景色。
その中心に、再生炉の灯が柔らかく光っていた。
アーレンは長い息を吐き、ゆっくりと言葉を探す。
「……ずっと間違えていた気がする。
命は創るものじゃなく、
こうして“見届ける”ためにあるんだな。」
リュミナは微笑む。
「あなたが見届けた命は、ちゃんと生きてたわ。
灰の中で、ずっと。」
彼は少しだけ笑って、頷いた。
「なら……この研究も、まだ終わらせるわけにはいかないな。」
⸻
彼は懐から小さな符片を取り出した。
破損した理式を一部削り、新しい符を刻む。
それはかつて“創造式”と呼ばれたものの一部。
だが今は、まったく違う名が刻まれた。
――〈記録〉
アーレンはその符を灰の中へ置き、手を合わせる。
「これからは、理を造るんじゃない。
命が何を残すのか、その“記録者”として生きる。」
風が符を撫で、灰の上に淡い光が流れる。
その符は静かに溶け、炉の灯と一つになった。
⸻
リュミナは空を見上げた。
陽光の中で、灰が輝きながら流れていく。
遠くの空に、白い鳥が一羽、舞い上がっていた。
「行こう、アーレン。」
彼女が微笑む。
「この灯が広がっていくなら、次の場所にも届くはず。」
アーレンは一度だけ振り返り、
再生炉の光を見つめた。
「……あぁ。もう、恐れない。」
灰を踏みしめ、二人は歩き出す。
背後で、風が吹いた。
炉の灯が揺れ、灰が舞い上がる。
それはまるで、誰かが“いってらっしゃい”と囁いたようだった。
⸻
リュミナは小さく呟く。
「灰が生まれ変わるたびに、きっと世界も少しだけ温かくなる。」
アーレンは頷いた。
「それを見届けよう。
――それが、俺たちの研究だ。」
朝の光が、丘の向こうまで満ちていく。
灰の街は静かに息をしていた。
そして、新しい一日が始まった。
灰市の空に、初めて陽光が差し込む。
灰の雲はまだ厚いが、その切れ間から覗く光は確かだった。
冷たかった街が、わずかに息を吹き返すように見えた。
リュミナは屋根の上に座り、東の空を見つめていた。
掌の中には、昨夜の灰の欠片。
今はもう光を放っていない。
それでも、心臓の奥がかすかに熱を帯びていた。
「……暖かいね。」
後ろから、アーレンの声がした。
彼も同じ空を見上げていた。
顔に付いた灰を拭いもせず、静かに息を吐く。
「不思議だな。
灰が冷たいものだと思っていたのに……今は、あの光の方が暖かく感じる。」
リュミナは微笑む。
「それが“祈り”の温度よ。
理じゃなくて、命が残した熱。」
⸻
二人は崩れた街を歩いた。
灰の街にはもう、人の声も機械の音もない。
けれど、沈黙の中に“生きている気配”があった。
風が流れ、灰の粒が陽の光を受けて輝く。
歩きながら、アーレンは手にしていた符盤を開く。
割れたままの装置の中で、微弱な反応が残っていた。
「……再構炉の残滓か。」
「動くの?」
リュミナが覗き込む。
「理はもう死んでる。けれど、灰律の波はまだ消えていない。
命の記録を燃やすための炉だったはずが……いまは、静かに脈打っている。」
リュミナはその光を見つめる。
「まるで、呼吸してるみたい。」
⸻
アーレンは灰を手に取り、炉の中へそっと落とした。
すると灰は光り、炉の符線が一瞬だけ淡く輝いた。
「……見ろ。まだ反応する。」
「それって、灰が“生きてる”ってこと?」
アーレンは頷いた。
「命令も理も消えたのに、反応を続けている。
もしかしたら、灰そのものが“生きたい”と願っているのかもしれない。」
リュミナはその言葉に、胸が震えた。
――灰は、命の終わりじゃない。祈りの形。
「じゃあ、再生させよう。
理でなく、祈りの力で。」
アーレンがリュミナを見つめた。
「……祈りで、理を動かすのか。」
「そう。
命を“造る”んじゃなくて、“還す”の。」
⸻
アーレンはゆっくりと頷いた。
そして、炉の符陣を展開する。
壊れたはずの符線が、リュミナの灯りに呼応して淡く光る。
リュミナは両手を合わせ、胸の灰核に意識を向けた。
そこに、ルシアの声がまだ微かに残っている。
――灰は、祈りを覚えている。
リュミナは目を閉じ、静かに言葉を紡いだ。
「どうか、この灰に、もう一度“息”を。」
符線が震え、灰炉の中心が脈動を始める。
光が走り、淡い炎が生まれる。
灰が燃えるのではなく――“灯る”。
⸻
アーレンは息を呑んだ。
それは炎ではない。
灰が、静かに光となって揺らめいている。
理では説明できない現象。
だが、確かに命のような温もりがあった。
「……これが、祈りの再生炉か。」
リュミナは微笑む。
「ううん。これは、“希望の炉”。」
灰の灯が、ふたりの頬を照らした。
朝の光がそれに重なり、灰市の空がほんの少し明るくなる。
⸻
アーレンはしばらくその光を見つめていたが、やがて呟いた。
「理で世界を造り変えるより……祈りで灯す方が、ずっと難しいな。」
「でも、きっとそのほうが、正しい。」
リュミナの声は柔らかかった。
「灰が夢を見ていたのは、きっと――誰かがまた灯をともす日を、待っていたから。」
風が吹く。
灰の灯が揺れ、遠くの空へと一筋の光を放った。
それはまるで、亡き者たちの祈りが、世界へ帰っていくように。
⸻
リュミナは目を閉じ、静かに手を合わせた。
アーレンもその隣で、わずかに頭を垂れる。
灰市の中心に、新しい光が生まれた。
それはまだ小さいが、確かに燃えている。
“理の終わり”の場所で、“祈りの始まり”が生まれた。
――風が、戻ってきた。
再生炉の灯がともってから、街の空気が変わった。
灰の粒が光を受けて舞い、
瓦礫の上に落ちるたび、そこに小さな光が生まれる。
リュミナは膝をつき、指先で灰をすくった。
掌の上で、灰は微かに脈動している。
冷たさの中に、確かに“息”があった。
「……生きてる。」
彼女が呟くと、隣でアーレンが静かに頷いた。
「灰が反応している。
理の残滓が――いや、違う。これは……もっと原始的な“反応”だ。」
アーレンは符盤を開き、反応波を観測する。
その波はまるで鼓動のように広がり、地面の奥深くまで伝わっていた。
⸻
遠くの建物の影で、崩れた壁がひとりでに震えた。
粉塵が落ち、光の粒が漏れる。
次いで、倒れた機械の残骸が、かすかに音を立てて動いた。
「……見ろ、灰が呼び合ってる。」
アーレンの声は驚きよりも、どこか感嘆に近かった。
「理が組んだ構造体じゃない。
それぞれの灰が、自分の“記憶”を探して動いてる。」
リュミナは目を細め、淡く光る灰を見つめた。
「まるで……心臓が動き出したみたい。」
⸻
風が通り抜けた。
冷たいはずの風が、どこか柔らかい。
灰の粒を運びながら、街の奥へ、さらに奥へと吹き抜けていく。
それは、まるで眠っていた大地が呼吸を始めたようだった。
「これが、再生……?」
リュミナの声は震えていた。
アーレンは炉の光を見つめたまま、低く答える。
「“灰は命の記録”だと、彼女は言ったな。
なら、この反応は――命が自分の続きを探している証拠だ。」
⸻
沈黙の中、灰の街が少しずつ変化していく。
倒壊した塔の根元から、細い蔦のような光が伸び、
瓦礫の隙間には、淡く芽吹くような輝きが生まれる。
リュミナはそれを見て、ゆっくりと立ち上がった。
「灰が、命を“憶えてる”んだわ。
それを忘れていたのは、きっと私たちの方。」
アーレンは静かに頷いた。
「壊すことを学びすぎて、治すことを信じなくなった。
でも、灰は……それでもまだ、生きたいと思っていたんだな。」
⸻
灰炉の灯がふたりを照らす。
その光に照らされた瓦礫の表面が、柔らかな色を帯びた。
冷たい灰色が、ゆっくりと淡い金色へと変わっていく。
「見て。……色が戻ってきた。」
リュミナの声がかすれる。
「灰が、灰のままじゃなくなる。
これが、“再生”なのね。」
アーレンは黙って空を見上げた。
雲の切れ間から光が差し、灰の街を包み込む。
⸻
「……あの光、久しぶりだな。」
アーレンが呟く。
「長い間、陽の色を忘れていた。」
リュミナは微笑んだ。
「灰の夢は、終わったのね。」
「いや――」
アーレンはゆっくりと首を振る。
「今、ようやく“目が覚めた”だけだ。」
その言葉に、リュミナは静かに頷いた。
風が灰を巻き上げ、朝の光の中できらめく。
世界が、もう一度息をした。
――灰が、風に乗っていた。
街の上を漂う灰は、もう沈黙の残滓ではない。
光を宿し、風に混ざり、どこまでも流れていく。
それは命の欠片のように淡く瞬きながら、遠くへと渡っていった。
リュミナは屋根の上でその光景を見ていた。
朝の風が頬を撫で、髪を揺らす。
灰炉の灯は静かに脈打ち、周囲の空気に柔らかな熱を帯びさせていた。
「……きっと、広がっていくわね。」
彼女の言葉に、アーレンは頷いた。
符盤の波形には、微かな灰律の反応が次々と記録されている。
「西でも、反応が出ている。
ここだけじゃない――灰層全体が“呼吸”を始めた。」
⸻
遠くの地平線の向こうで、雲が割れる。
灰の風が渦を巻き、光が差し込む。
崩壊した街並みの影でも、同じように小さな光が点滅していた。
それは、再生炉の灯と同じ律動。
“命の記憶”が連鎖している。
リュミナは目を閉じ、風の中に耳を澄ます。
灰の音、木々のざわめき、遠い大地の息づかい。
そのすべてが、ひとつの旋律を奏でているようだった。
「ねぇ、アーレン……聞こえる?」
彼女の声は囁きに近かった。
「灰が歌ってる。
“まだここにいる”って。」
アーレンは静かに頷く。
「聞こえる。
これは……理じゃない。
ただ、生きようとする音だ。」
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ふと、足元の瓦礫の間から芽のような光が覗いた。
それは灰の中から生まれた、淡い緑の輝き。
リュミナが膝をつき、そっと触れると、指先にぬくもりが伝わった。
「これ……。」
アーレンが目を細める。
「灰の中の微生構造が再結合している。
理が再構しているんじゃない。
“灰そのものが、生きたいと思ってる”んだ。」
リュミナは小さく笑った。
「……命って、理よりずっと強いのね。」
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風が再び吹いた。
光の粒が舞い上がり、空一面に散っていく。
その光が届いた先――
遠く離れた地でも、同じように灰の灯がともり始めていた。
誰もいない荒野の中で、壊れた研究塔の残骸が淡く光る。
朽ちた都市の地層では、灰の流れが静かに動き出す。
海の向こうでも、大気の流れが変わり始める。
灰が世界を繋いでいた。
かつて“終わり”と呼ばれたものが、今は“始まり”へと姿を変えていく。
⸻
リュミナは手のひらに舞い落ちた灰の粒を見つめる。
そこに微かな光が宿り、淡い拍動を刻んでいた。
まるで、誰かが小さく“ありがとう”と囁いているように。
「……世界が、覚えてくれてる。」
リュミナの声が震えた。
アーレンは静かに微笑み、炉の灯に手をかざす。
「灰は、忘れない。
どんな理よりも、祈りのほうが長く残る。
――だからこそ、もう一度、歩ける。」
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陽が昇る。
灰の街に朝が訪れ、瓦礫が淡く光を反射する。
遠くで鳥の声が聞こえた。
それは、この世界で初めて響いた“音”だった。
リュミナはその声を聞きながら、小さく笑う。
「ねぇ、アーレン。
あの鳥も、灰の夢を見てたのかも。」
アーレンは頷いた。
「だとしたら、俺たちは……夢の続きを見てるんだろうな。」
風が吹く。
灰と光が混ざり、世界に新しい息を吹き込む。
灰が、再び生を歌いはじめた。
――陽が昇りきった。
灰市の空は、淡い金の色をしていた。
再生炉の灯は安定し、灰の流れも静まっている。
もう爆ぜるような光はない。
ただ、一定のリズムで淡く脈打ち、まるで心臓の鼓動のように街を照らしていた。
アーレンは炉の前に立ち、掌をかざした。
光が指先に触れ、微かな温もりが伝わる。
“命を造る”ために生まれた炉が、今は“命を見守る”ために灯っている。
「……これで、ようやく終わったのか。」
彼の声は低く、静かだった。
隣でリュミナが微笑む。
「いいえ、始まったの。灰は夢を見終えたけれど、
今度は“現実を生きる番”だから。」
⸻
二人は並んで歩き出した。
崩れた街の通りを抜けると、風が流れ込んでくる。
灰が陽光を反射して舞い、金の粒のように空を満たした。
「……もう誰もいない街なのに、不思議だな。」
アーレンは立ち止まり、瓦礫を見渡す。
「音がする。
ここにいた人たちの、呼吸のような……。」
リュミナは目を閉じた。
「灰が憶えてるの。
祈りも、笑いも、痛みも、全部。
でもそれは、過去じゃなくて“今を生かすため”の記録。」
⸻
丘の上まで登ると、街全体が見渡せた。
あちこちに小さな光が灯っている。
まるで夜空を逆さにしたような景色。
その中心に、再生炉の灯が柔らかく光っていた。
アーレンは長い息を吐き、ゆっくりと言葉を探す。
「……ずっと間違えていた気がする。
命は創るものじゃなく、
こうして“見届ける”ためにあるんだな。」
リュミナは微笑む。
「あなたが見届けた命は、ちゃんと生きてたわ。
灰の中で、ずっと。」
彼は少しだけ笑って、頷いた。
「なら……この研究も、まだ終わらせるわけにはいかないな。」
⸻
彼は懐から小さな符片を取り出した。
破損した理式を一部削り、新しい符を刻む。
それはかつて“創造式”と呼ばれたものの一部。
だが今は、まったく違う名が刻まれた。
――〈記録〉
アーレンはその符を灰の中へ置き、手を合わせる。
「これからは、理を造るんじゃない。
命が何を残すのか、その“記録者”として生きる。」
風が符を撫で、灰の上に淡い光が流れる。
その符は静かに溶け、炉の灯と一つになった。
⸻
リュミナは空を見上げた。
陽光の中で、灰が輝きながら流れていく。
遠くの空に、白い鳥が一羽、舞い上がっていた。
「行こう、アーレン。」
彼女が微笑む。
「この灯が広がっていくなら、次の場所にも届くはず。」
アーレンは一度だけ振り返り、
再生炉の光を見つめた。
「……あぁ。もう、恐れない。」
灰を踏みしめ、二人は歩き出す。
背後で、風が吹いた。
炉の灯が揺れ、灰が舞い上がる。
それはまるで、誰かが“いってらっしゃい”と囁いたようだった。
⸻
リュミナは小さく呟く。
「灰が生まれ変わるたびに、きっと世界も少しだけ温かくなる。」
アーレンは頷いた。
「それを見届けよう。
――それが、俺たちの研究だ。」
朝の光が、丘の向こうまで満ちていく。
灰の街は静かに息をしていた。
そして、新しい一日が始まった。
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【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-
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その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。
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この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。
はい、ご注文は?
調味料、それとも武器ですか?
カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。
村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。
いずれは世界へ通じる道を繋げるために。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
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