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第五章

056:嚥獄

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 俺は今、杜京にほど近い場所にある山の奥地にいる。
 そこには、入る者を全て飲み込んでしまいそうな、大口を開けたダンジョンの入り口がある。


「ここが嚥獄か……」


 嚥獄の存在感に正直圧倒されてしまった。
 踏破されていないダンジョンは、嚥獄以外にも多くあるにも関わらず、ここが特別視されているのは理由がある。
 今でこそ前回俺たちが合同パーティで探索した虚無の方が危険視され、Sランクのパーティかクランしか入れないダンジョンとして注目を集めているが、それまでは30階層以上進むことが出来ない難攻不落のダンジョンだったからだ。
 このダンジョンを踏破するのはハンター全員の悲願であった。


「す、すごい迫力ね……」

「あぁ、正直雰囲気に呑まれてる感が凄いわ……」


 俺と瀬那が嚥獄を前にして気圧されていると、「いつものダンジョンと何か違いますか?」と黒衣がキョトンとした表情で聞いてくる。


「いや、黒衣! 嚥獄だよ? 今までどんなハンターが挑んでも返り討ちにされてきた難攻不落のダンジョンだよ?」


 俺はダンジョンオタク特有の早口で捲し立てるが、それでも黒衣は小首を傾げて「はてはて?」という感じになっている。


「私には普段のダンジョンと変わらなく見えます。現れる魔獣が強かったとしても、詩庵様が劣るとも考えられません。それに私や瀬那さんも隣についています。――今の詩庵様は嚥獄という名前だけに圧倒されているように見えます。もっと自信を持ってください」


 そういうと俺の手を両手で優しく包み込んで、柔らかい笑顔で微笑んだ。
 するとさっきまで一緒に嚥獄に圧倒されていた瀬那も近付いてきて、俺たちの手に自分の手を乗せると「私はまだ2人には及ばない。だけど頑張るから。みんなで嚥獄に挑んで私たちが最強のハンターになろうね!」と力強い眼差しで俺たちを見つめてきた。

 あぁ、そうだよな。
 俺にはこんなにも頼りになる仲間がいるじゃないか。
 それに嚥獄の30階層に現れるというバジリスクだって倒してる。
 嚥獄だからって何も気圧されることなんて一切なかったんだ。


「ありがとう、二人とも。もう大丈夫。取り敢えず今回は30階層を超えたら終わりだけど、このクエストで俺たちの価値を日国中に知らしめてやろうな!」

「えぇ!」「はい!」



 ―



「これでドローンのリモコンにある起動ボタンを押せばっと……」


 ポチッと起動ボタンを押すと、凛音から渡された特殊フィルター搭載の高性能ドローン『撮るんだ君』が静かに浮かび上がった。
 通常のドローンは、プロペラ音がうるさくて魔獣を引き寄せてしまうのだが、ハンター御用達のドローンは小型かつ静音仕様なので魔獣に見つかる心配もない。
 ちなみに今回のダンジョンは、休憩とキャンプ以外ではずっと撮るんだ君を起動しておくことになっている。
 それをダンプレ(ダンジョンプレイ)でリアルタイム配信するっていう感じだ。


「よし! じゃあこれから嚥獄に潜る。最初はいつも通り黒衣と瀬那がメインで、俺がサポートする感じにしよう。それで11階層からは俺と瀬那がメインで、20階層からは俺と黒衣って感じだな」

「お任せください!」

「黒衣ちゃん頑張りましょうね!」

「よし。じゃあ最初に挨拶をしてから嚥獄に入るぞ」


 俺はそういうと撮るんだ君の録画ボタンを起動する。


「初めまして。先日Sランククランになった『清澄の波紋』のリーダー詩庵です。今回は嚥獄の30階層にいるバジリスクを討伐するまでを目標にしたいと思います。休憩とキャンプ中以外は配信するのでお時間があればお付き合いください!――よし、じゃあ行こうか」


 黒衣と瀬那の方を向くと、コクリと一回頷いてくる。
 いよいよ、嚥獄に潜るのか。
 さっきまでは気負いすぎていたが、今は心の奥から来る高揚感に満ちていた。

 嚥獄の一階層目は広大に広がる草原だった。
 ここに出てくる魔獣はAランクのケンタウロスだ。
 神話では上半身が人間で、下半身が馬だったが、ここに出てくるケンタウロスの上半身はオラウータンみたいに腕の長い猿とのことだった。
 うん。どう考えても気持ち悪い。


「それにしても、魔獣と全然出会わないな」

「はい。嚥獄に入って1時間くらい経過するのですが、視界にも入ってきませんね」

「魔獣もそうだけど、嚥獄の階層って広すぎない?」

「そうなんだよな。嚥獄が最恐って言われてる一つに、この広い空間が挙げられてるんだよ」

「確かにこれは辛いかも。現れる魔獣もいきなりAランクだしね」


 俺たちが緊張感のない会話をしていると、凛音が作ってくれたコネクトにグループで着信があった。


『やっほー! 今ダンプレでしぃくんたちのこと見てるよー』

『あっ、凛音ちゃん。ねぇ、私カメラ映り悪くないかしら?』

『大丈夫! 瀬那ちゃんは今日も美人さんだよ』

『うふふ。良かった』

『なんか俺たちの配信ただ歩いてるだけで全然面白くないんじゃないか?』


 ぶっちゃけただ歩いてるだけの、街ブラならぬダンプラを見てても視聴者は何一つ楽しくないだろうな。
 魔獣が出てくれたらちょっとは盛り上がりを見せることができるのだが、こればかりは魔獣さんにも事情があるしどうすることもできない。


『私はダンジョンに潜ってるみんなを見るの初めてだから見てて楽しいんだけど、他の視聴者さんは確かに面白くないかもね』

『まぁ、当然だよな。こんなんじゃ視聴者数も少ないだろうし、ひょっとして失敗だったかな』

『まだ判断は出来ないよぉ。だけど、視聴者さんは結構多いよ。――えっとぉ、今は5万人くらいかな?』

『はっ? 5万人!? そんなに俺たちのダンプレ配信見てる人いるの?』

『プフッ! しぃくん驚すぎじゃない?』

『いや、普通にビビるだろ! うわぁ、急に変な汗が出てきたわ……』

『しぃくん、今キョドりすぎてて、チャットで【リーダーが挙動不審すぎる。わろた】っていじられてるよ』

「プッ……。あは、あはははは」


 瀬那が思わず声に出して笑い始めた。
 それに釣られて俺と黒衣も笑ってしまう。
 なんというくだらない会話をしているのだろうか。
 普通のパーティはもっと緊張感を持ってダンジョンに挑んでいると思うが、これが俺たちのダンジョンでの普通だった。

 だが、俺はここで急に冷静になった。
 今俺たちはダンプレで配信中なのだ。
 配信を見ている人たちは、俺たちがコネクトで会話しているなんてもちろん分からない。
 ということは、俺たち3人は誰も会話していないのに、ニヤニヤしたり急に笑い出す変な人のように映っているのだろう。
 気になった俺は、凛音に改めてコメント欄がどうなっているか聞いてみると。


『えっとぉ。【何こいつら急に笑い出して気持ち悪い】【なんでニヤニヤしてるの?】【薬か?】――こんな感じで書かれてるよ』

『うぉぉ!!! ダメじゃん! 俺たち完全に変な奴らって思われちゃってるじゃん!』

『そ、それは困るわ。イロモノクランって思われちゃう!』

『わ、私はともかく、詩庵様が笑い者になるのは流石に避けたいところです』

『と、とりあえず、凛音には申し訳ないけど、ダンプレをしてる時は日常会話的なコネクト辞めておこうか……』

『う、うん。ちょっと寂しいけど、それがいいかもね……』

『まぁ、夜になったら会えるしな。そのときたくさん話をしようぜ』


 コネクトを切ると、俺たちは顔を見合わせて改めて嚥獄に真面目に向かい合おうと心に誓うのだった。
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