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第1章 胎動編
ACT.7 初めてのバトル
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3月23日、午前6時30分。
赤城山ダウンヒルのスタート地点に向かう途中、智姉さんのR35が先に駐車場に止まっているのが見えた。隣には六荒もいる。
「待ってたぞ、オオサキ。」
「いやぁ、智姉さんが手加減してるのに、それでも速すぎますから。」
「もっと手加減してやれよ、智。」六荒が軽く笑う。
「それでも充分手加減してるんだけどな。」智姉さんが肩をすくめた。
伝説の走り屋に追いつくのは、まだまだ時間がかかりそうだ。
「さて、10分間休憩しよう。その後、お前を特別な場所に連れて行く。」
「特別な場所って?」
「それはお楽しみだ。ただしオオサキだけだぞ。」
10分後、六荒を残し、再び2台のクルマが道路へ飛び出した。第2高速セクションを抜け、ヘアピンの手前に停車する。それぞれのドライバーが車を降り、緊張感の中、智姉さんが話を切り出した。
「ここがサクラ・ゾーンだ」
「サクラ・ゾーン……?」
その響きにおれは思わず声を上げた。智姉さんが頷きながら、視線をコースの奥へ向ける。
「そう。葛西サクラが得意としている区間だ。彼女に勝てる走り屋なんて、赤城最速と、ある走り屋くらいのものだ」
「そんなに……」
おれの胸に不安が広がる。
「それだけじゃない。サクラについて、少し説明しておこうか」
智姉さんは軽く咳払いをしながら続けた。
「あいつは、物心ついたときから母親に走り仕込まれてる。カートで泣かされたの、たぶん赤ん坊の頃だな。チームメンバーですら彼女の表情を見たことがないほど、冷静で無口な性格だ」
「母親から……? つまり2世の走り屋なんですね?」
「そうだ。そして、その母親が誰か分かるか? 彼女の母親は、私のライバルだったんだ」
「えっ……! じゃあ、智姉さんと……」
「そう。私が現役だった頃、茨城の走り屋としてここに来たとき、彼女と何度もバトルをしたぞ。毎回苦しめられたけど、全部勝った」
智姉さんの瞳がどこか懐かしそうに輝く。かつての群馬最速の走り屋だった彼女と、智姉さんとの激闘が頭の中に描かれる。
「じゃあ、今度のバトルは……智姉さんの妹分対群馬最速の娘になるってことですか?」
「そうなるな。でも……『智姉さんの妹分』だなんて、ちょっと照れるな……」
智姉さんが頬を赤らめた。
「けど、うれしいですよ」
おれは笑みを浮かべる。心からそう思った。
「だって、智姉さんはおれにとって、師匠であり……お姉さんのような存在だから」
翌日、3月24日火曜日の朝9時。家のリビングで、智姉さんと六荒と一緒にDVDを見ていた。
画面にはサクラ・ゾーンでの葛西サクラの走りが映し出されている。映像の中で彼女は、180SXとのバトルを繰り広げていた。ちなみにその180SXは、おれのクルマではない。
「速い……! 完全に相手を追い詰めている!」
六荒が目を輝かせている。サクラの車が鋭いコーナリングで相手を引き離す。
「この技、<ウィル・シー・ヘブン>だよ」
智姉さんが冷静に解説する。
「その技はなんだ?」
六荒が首を傾げる。
「サイド・バイ・サイドの状態で、一定の速度を保ちながら相手を抜き去るテクニックだ。葛西サクラのオリジナルだよ」
おれが答えると、六荒は「すげぇな」と感心していた。彼はワンメイクレースが専門で、こうした特殊な技や「オーラ」には疎い。
映像が切り替わる。次はFC3Sとのバトルだ。サクラのJZA80が先行している。
「来た……!」
智姉さんが低い声で呟く。
「この技は、<サンズ・オブ・タイム>だ」
おれの言葉に、六荒が再び興味を示す。
「それはどんな技なんだ?」
「スピードを1km/hずつ落としながら相手をブロックする。相手は焦ってラインを乱すしかなくなるんだよ」
「……え、相手の走りを1km/hずつ削る? それ、拷問かよ……」
六荒のリアクションは驚きが激しい。
まさにその通り。映像のサクラは、追い抜きを狙うFCを巧みに封じ込めている。
次の瞬間、画面の中のバトルを見つめるおれの目が鋭くなる。
(……分かったよ。技の弱点がある!)
さらに他のDVDを視聴しながら、サクラの技や戦い方を分析していく。おれの中に確信が生まれていった。
(これで……勝てるかもしれない)
智姉さんが満足そうに微笑む。
「どうだ? このDVDを見たら、サクラがいかに速いか分かっただろう。それに、相手を知るいい機会だったんじゃあないか?」
「ええ、彼女が強いことは改めて理解しました。でも……技の弱点も見つけました!」
おれは力強く答えた。
果たして、それを突くことができるのか――。このDVDは、今回のバトルの大きなヒントとなるに違いない。
午後7時、「和食さいとう」の静かな店内に、葛西サクラの母親が姿を現した。
黒髪が平安時代の姫君のように艶やかで、顔立ちは20代と見紛うほど若々しい。
彼女は、どこか気品を漂わせている。
「斎藤智、こんばんは」
落ち着いた声で挨拶をする。
「葛西ウメ、メニューは何だ?」
智姉さんはカウンター越しに問いかける。
「明太子スパゲッティをお願いするわ」
智姉さんは無言で頷き、厨房へと向かった。
約20分後、香り立つスパゲッティが彼女の手でカウンターに置かれる。
「できたぞ」
「いただきます」
葛西サクラの母親・ウメはフォークを手に取り、一口ずつ丁寧に味わい始めた。
数分後、彼女はふと顔を上げ、智姉さんに視線を向ける。
「斎藤智。現役時代は短気で、すぐカッとなる性格だったけれど、今はずいぶん落ち着いたわね。でも、目の奥にある火種は……まだ消えてないわね」
智姉さんは手を止め、視線を落とした。
「ああ、昔の話だ。この頃は……両親の仲が悪くて、気が荒れていたんだ」
その言葉を聞いて、おれは驚いた。智姉さんにそんな過去があったとは知らなかった。伝説の走り屋にも、そんな背景があるなんて……。
「私が知っているあんたは、ワンビアに乗っていた。700馬力の1JZ-GTEを積んで、C-WESTのエアロとGTウイング、さらにブロンズのTE37を装着していたのを覚えているわ。群馬最速の私のJZA70を倒す姿は、10代の若者とは思えなかった」
「……あのクルマはもう手放したが、いいクルマだったぞ。今乗っているR35もなかなかだが、ワンビアは特別だった。運転が怖いと思ったことは一度もない。幼少期にフィンランドで運転を覚えたからな。自信はあった」
フィンランド……。おれはその言葉に引っかかった。確か、あの国では子どもでも車を運転する文化があると聞いたことがある。走り屋としての才能が、その頃から培われていたのだろう。
ウメはスパゲッティを食べ終え、智姉さんに微笑みかけた。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
代金を払った後、彼女は「じゃあな」と智姉さんに別れを告げて店を出ていく。
店の前には黒く角張ったクーペ、JZA70型スープラが停まっていた。
そのクルマはターボAのフロントダクトを備え、他にはエアロを装着していないシンプルな外観だが、どこか凄みを感じさせる。
「TOYOTA3000GT」というキャッチコピーで知られたこの名車は、すでに610馬力にまで改造されていた。ウメはそのエンジンを轟かせながら、夜の街へと消えていった。
25日の水曜日、バトルまであと3日。
午前10時、智姉さんの部屋で、おれはスープラに関する本を読んでいた。対戦相手のクルマ、JZA80の項目に集中して目を通す。
「JZA80は280馬力クラスではトップクラスのトルク性能。しかし、その重量ゆえにポテンシャルを完全には発揮しきれない……。さらに、FRなのにフロントヘビー。高速域でこそ真価を発揮するマシン……か。スピードを殺さずに走るのが鍵だな。」
ページをめくっていると、部屋の扉が開いた。智姉さんが入ってくる。
「オオサキ、ちょっと頼みがある。今夜、私とバトルの練習をしないか? 今日は仕事が休みだから、少しでも協力したいと思って。」
突然の提案に一瞬驚いたが、断る理由なんてない。むしろ願ってもないことだ。
智姉さんの頼みなら、俺は絶対に応える。……だって、彼女のことが好きだから。
「もちろん! やりましょう!」
即答すると、彼女はわずかに微笑んだ。
「じゃあ、今夜10時だな。<サクラ・ゾーン>を中心に練習しよう。」
その夜、約束通り練習が始まった。
ダウンヒルのゴール地点近く、静まり返った駐車場に車を停める。エンジンを切ると、周囲はひんやりとした夜の空気に包まれた。遠くでフクロウの鳴き声が響く。
冷たい夜風が肌を撫でるなか、智姉さんとバトルの話をする。
「オオサキ、今度のバトルは、相手に先行を取られるかもしれない。」
「どうしてですか?」
彼女の言葉に、胸の奥にざわめくものを感じる。すると、智姉さんが落ち着いた声で説明を始めた。
「あいつのクルマには大径シングルターボが搭載されている。出力だけじゃない。トルクも58kg・mと高い数値だ。」
確かに、おれのワンエイティは350馬力、トルクは47kg・m。数字を比べれば、一目瞭然の差がある。
「そう簡単に追い付ける相手じゃないですね……。」
俺がそう漏らすと、智姉さんが少し眉をひそめた。
「だからこそ、<サクラ・ゾーン>で優位を取る必要がある。そこはパワーよりもライン取りが物を言う場所だ。お前の技術を信じている。」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
信じてくれている。ならば、それに応えたい。
この練習を通して、勝利の糸口を掴むんだ――そう、強く心に誓った。
3月27日、金曜日。明日はついにバトルの日だ。
午前6時、赤城山。朝霧が薄く漂う峠道を、オレのJZA80と母さんのJZA70が駆け下りる。
先行しているのはオレ。視界に広がる白い靄を切り裂きながら、サクラ・ゾーンへ突入する。
S字直線、U字ヘアピン。
舵を軽く当て、リズムよくコーナーを抜けていく。だが、ルームミラーには母さんのJZA70が映る。間合いを詰めてきた。
90度カーブ前の直線。
ついに、サイド・バイ・サイド。
左側から猛然と迫るJZA70。そのラインは鋭く、容赦がない。
「——葛西血玉流《ウィル・シー・ヘブン》!」
オレは一瞬の隙を突き、インを締める。
JZA80は白い光を纏うように、スムーズにアウトへと流れ――JZA70の進路を巧みに塞いだ。
直線を抜けると、今度は2連続ヘアピン。再び母さんが動く。
「——葛西血玉流《サンズ・オブ・タイム》!」
カウンターを当てながら、オレは速度を100km/hに調整。
ギリギリまでインを詰め、JZA70の進入を封じる。
やがて、ふもとへ到達。バトルは終了した。
車を降りると、母さんが微笑む。だが、その瞳は鋭い。
「明日の夜が本番ね……」
「そうだな……」
冷たい朝の空気が肌を刺す。オレの胸には、決戦への緊張が重くのしかかっていた。
だが――負けるわけにはいかない。
己のプライドのために。
そして、母さんに認められるために。
母さんが腕を組みながら言う。
「準備はできてるの? 私はあんたと互角に走るために、手加減してたんだから。」
その言葉に、オレは返す。
「オレの作戦は完璧だ。サクラ・ゾーンと技で、必ず勝ってみせる。」
自信を言葉にするものの――その裏では、不安が渦巻いていた。
相手は16歳のドライバー。若さゆえの勢いと未知数の実力。油断は禁物だ。
だが――このときのオレには、まだ気づけなかった。
“その警戒心こそが、命取りになることを——。”
3月28日、ついにバトル当日を迎えた。
夜9時。DUSTWAYのメンバーがスタート地点近くの薄暗い駐車場に集結し、それぞれのマシンが色とりどりの光で周囲を染める。エンジン音が響き渡り、会場は熱気に包まれていた。
「来たぞ! 雨原さんとサクラさんだ!」
「元群馬最速の葛西ウメもいるぞ!」
サクラのJZA80が駐車場で華麗な180度ターンを披露すると、ギャラリーが一斉に歓声を上げる。
「すごい! サクラさん、全然負けそうな感じがしない!」
ターンを終えたJZA80の隣に、母親のウメがJZA70を停めた。彼女は静かに車から降りると、サクラのもとへ歩み寄る。
「サクラ……調子はどう?」
「前半はドリフト走行会のラインで粘られるだろうけど、勝負は後半だと思ってる。そこに集中すれば勝てる。」
その区間で彼女が走るのを見た者はいない。サクラ・ゾーンを控えたこのバトルに、ギャラリーたちは期待と興奮を隠せない。
「サクラさーん! 頑張って!」
黄色い声援に、サクラは手を軽く振り応えた。
「……オオサキはまだ来てないのか?」
「いや、まだだな。」
ウメが腕組みをしながら周囲を見回す。サクラと雨原も、その姿を待ち続けている。
一方、その頃。
和食さいとうでは、もう一人の主役であるおれが、出発の準備を整えていた。
「仕事が終わった。さぁ、行くぞ」
「もうすぐ時間ですね」
「俺も向かう。見届けたいからな」
仕事を終え、おれはワンエイティに、智姉さんはR35に、六荒はヴィッツに乗り込む。3台のエンジンが次々と唸りを上げた。
「行こう、ワンエイティ」
爆発音のように響くエンジンを轟かせながら、和食さいとうを出発する。 初めてのバトルだ。緊張よりも興奮が勝る。負けてもいい。大事なのは、楽しむことだ。
DUSTWAYのメンバーから、トランシーバー越しに状況が伝えられる。
「こちら最終5連続ヘアピン! 3台のクルマが接近! 先頭は銀色、中間は赤いボディに黒と灰色のバイナル……」
「オオサキちゃんのワンエイティか。来たな……。斎藤智のR35も一緒とは、豪華な顔ぶれじゃないか」
雨原の声には、どこか楽しそうな響きが混じっていた。
2台は第2高速セクションを駆け抜ける。その様子を、峠に集まったギャラリーたちが見守っていた。
「来たぞ……」
「もう一人の主役だ」
「伝説の走り屋、斎藤智も来ている」
「ヤバイな……走りのオーラが違う」
「もしワンエイティの少女が勝ったら……俺たちも戦ってみたい相手だな。ドリフト走行会でサクラを追い詰めた走り屋だって聞くけど……見た感じ、若いな」
彼らは、以前の走行会の出来事を思い出しながら、静かにその走りに注目していた。
3台は第2高速セクションを抜け、残りの道路を駆け上がっていく。ついに、R35とワンエイティ、ヴィッツの姿がスタート地点からも確認できるほどに迫ってきた。
「もう来たな……。そろそろオレも、スタートラインに立つか。こんなに楽しみなのは久しぶりだ」
バトルを待ち望むサクラの声には、普段の冷静さとは違う熱がこもっていた。
R35とヴィッツがスタート地点に到着すると、そのまま停車。ワンエイティはUターンし、JZA80の隣に並ぶ。
「俺はサクラ・ゾーンに行ってギャラリーする」
六荒は車を降りると、単身その場所へ向かった。
「大崎翔子………………」
「来たよ、葛西サクラ」
「すまないな――私たちはお前たちより遅れてやってきて」
「もう二度と追い詰められるわけにはいかない……免許を取ったばかりの16歳に負けるなんて、絶対にあり得ない」
サクラの目が鋭く光る。その瞳に宿るのは、強い覚悟。
彼女の闘争心があふれ出す。その姿はまるで、覚醒した超人のようだった。
「斎藤智」
「なんだ?」
駐車場からウメが歩み寄る。
「今回はあなたの妹分と、私の娘の勝負ね。どちらが素晴らしいか、楽しみだわ。過去が産んだ女と、未来を拓く女の対決……まるで神話ね」
「私もだ」
それは、間接的に智とウメの因縁が交錯する対決でもあった。
「葛西ウメと斎藤智が並んだぞ!」
「この二人は、かつて赤城で激闘を繰り広げた……!」
「だが、すべて斎藤智が勝利した」
かつての激戦を知る者たちが、興奮の声を上げる。
二人が並ぶ姿は、ただのライバル同士の再会ではない。
それは、走り屋たちの伝説の続き。
ギャラリーたちは、その光景を目に焼き付けるように見つめていた。まるで、世界のスターを見ているかのように――。
1時間が経過し、ついにバトルの開始が迫る――。スターターは智姉さんが務める。
「葛西サクラのJZA80は相当速えぜ。ドライバーの腕もすげぇがな」
雨原はそう評した。
「それだけじゃない。彼女は〈サンズ・オブ・タイム〉という技を使う。ある二人を除いて、誰にも攻略できない技だ」
「ってことは……ワンエイティは勝てそうにないんじゃ?」
「属性の相性は互角だ。ワンエイティの覚醒技は風と光、サクラの覚醒技は闇……。色を見ればわかるだろう?」
ギャラリーたちはサクラの圧倒的な実力を見て、俺の勝ち目は薄いと語っている。だが——負けるつもりはない。俺は彼らの予想を覆してみせる!
ちなみに、覚醒技の属性の相性が良いと、相手に与える精神ダメージが増し、技の速度も上がる。
水曜日に智姉さんが「JZA80が先行になる」と予測していたが——
ただし、これは覚醒技超人同士のバトル。性能だけの勝負ではない。
「道路の状態も良好、邪魔なクルマもいないわ」
トランシーバーを持ったウメが、智姉さんに状況を報告する。
「聞いたぜ。邪魔なクルマもいねぇし、路面の状態も完璧だ」
雨原も異常なしと報告した。
「よし、準備はいいな。この二台を出発させる」
路面コンディションを確認した智姉さんは、すぐにスタートの準備に入る。
緊張感が張り詰める。ついに、その時が来た——。
智姉さんの手が上がる。狼煙が上がる。ギャラリーの視線が一点に集中する。
「カウントを始めるぞ! 10秒前……9、8、7、6、5、4、3、2、1……GO!!」
カウントが終わると同時に、二台のエンジンが咆哮を上げる。ターボの爆音が響き渡り、アスファルトが震えた。
先行はJZA80。智姉さんの予想通りだった。
本来なら、そのクルマは280馬力ながら高いトルクを持つ。しかし、重量があるため加速は遅くなりがちだ。だが、サクラのJZA80は違う。軽量化されたボディと、大径シングルタービンの生み出す高トルクが、その加速を押し上げた。
「すげぇ! サクラさんのJZA80! 軽くてトルクもあるから、ワンエイティをどんどん引き離していく!」
「ざまぁ見ろ! どんどん差が広がるぞ! このまま突き放せ!」
サクラのJZA80が生み出すトルクは58kg・m。この強大なトルクが、序盤の直線で圧倒的なアドバンテージをもたらす。
「ワンエイティのRB26とJZA80の2JZ・大径シングルターボ……。加速勝負は、JZA80の勝ちだな」
雨原は先行を奪ったJZA80を見つめながら、仲間の勝利を祈る。
「私の予想通りだったな……」
「さすが大径シングルターボ……。得たトルクで、ワンエイティを圧倒しているわね」
視界の先から、JZA80の姿が消えかけていく。しかし——この差は、あとで詰めることになる。
最初のヘアピン
サクラの妹たちは、ギャラリーの一角にいた。
「来たぜ! オレのサクラ姉ちゃん! 速いね!」
上の妹がJZA80の姿を目に捉え、嬉しそうに叫ぶ。
黒いJZA80が、最初のヘアピンでドリフトを決める。重さを感じさせない、鋭いコーナリング。「ノーマルの10倍速い」と噂されるだけのことはある。
「重いJZA80とは思えないコーナリング……イィーネ!」
彼女の口癖だ。某人気バンドのボーカルの影響で、片手でVサインを作り、それを顎に当てながら言う。
「来たよ! 相手のワンエイティが!」
下の妹が叫ぶ。ワンエイティが、遅れて第1ヘアピンへ飛び込んでくる。しかし——サクラより速い。
「速すぎる! あのワンエイティ!」
「ヒマワリ……ボクはあいつを侮れない相手だと思っているよ。ワンエイティ乗りは年下なのに……すごい!」
姉の背後に迫るワンエイティ。その鋭い突っ込みを目の当たりにし、妹たちは息をのむ。
次のヘアピン——幅の広いコーナーが迫る。そこへ、ワンエイティがサクラを追い詰めるように突っ込んでいく……。
頂上。
「ワンエイティがサクラさんとの差を詰めていく!」
「やっぱり、ついてくるか……バトルでも速いな。」
状況はトランシーバーを通じて、雨原にも伝えられる。
「やってくれるな……葛西サクラのJZA80の背後にピタリと張りついてる。」
「恐ろしい奴ね、大崎翔子。うちの娘にここまで接近するなんて……。」
智とウメも、雨原のトランシーバー越しにそのやりとりを聞いていた。
現在、バトル中の2台は直線に入る。
直線では、サクラのJZA80が持つ圧倒的なパワーで、おれのワンエイティを再び引き離していく。
「パワーならオレのほうが上……だが、それに頼る走りはしない。」
次は、3連続ヘアピン。
1つ目の右ヘアピン。
おれはここをドリフトで駆け抜け、再びサクラとの距離を詰める。続く2つ目、3つ目のヘアピンも同様に攻め、次のU字ヘアピンへ突入。気づけば、2台はサイド・バイ・サイドで並んでいた。
「“フライ・ミー・ソー・ハイ”! 行けぇぇぇ!」
「――サイド・バイ・サイドはオレの得意技だ……! 葛西血玉流、“ウィル・シー・ヘブン”!」
萌葱色のオーラをまとい、時速200km/hのドリフトで攻め込むおれ。
対するサクラも、黒いオーラをまとい、時速110km/hのスピードでサイド・バイ・サイドの攻防を展開する。
サクラの技が、おれの技を封じた。
「ぐっ……!」
JZA80が前を譲らない。
「ウィル・シー・ヘブン」のブロックによる精神的ダメージが襲う。しかも、おれの覚醒技は闇属性の技が弱点……ダメージは計り知れない。
U字ヘアピンを抜け、直線へ。
JZA80は、2回のタコ踊りからのドリフト、さらにフェイントモーションを駆使し、S字セクションを駆け抜けていく。
「ここは、この走りで攻める……!」
S字を抜け、次のコーナーへ。接触ギリギリまで距離を詰めた。
ここまでは、ドリフト走行会で走ったセクションだ。
――今から、上手く走れるのか?
第1高速セクション突入。
直線に入り、JZA80が再び引き離す。だが、次のコーナーでスピードを落とさないドリフトを決め、一気に追い上げる!
……が、また直線に入ると、せっかく縮めた距離が一瞬で消え去った。
頂上。
智とウメが話していた。
「メンバーのトランシーバーから聞いたわ。今、第2高速セクションを走っているって。」
「もうすぐだな……サクラ・ゾーン。」
「サクラ・ゾーンに入れば、サクラが“サンズ・オブ・タイム”を使って決めるでしょうね。」
「けど、お見通しだ。」
「……あの技に弱点なんてあるの?」
「この前、DVDをオオサキに見せたら、『見抜いた』って言ってた。それで勝てるんじゃないか?」
そう、今のオオサキなら見抜いているはず。
弱点が明かされるのは、もうすぐだ。
バトルはいよいよ後半戦へ――。
第2高速セクションとその終わりにあたるジグザグゾーンを抜け、ナイフ型のヘアピンに入る。
先にサクラが進み、おれは時速130km/hでドリフトしながら追走していった。
その光景を、白い2人組が見守っていた。
「JZA80が先行してるじゃん。このままだとサクラの勝ちかじゃんね……」
女の方が、そのままの結果を予想して口を開いた。
「いや、待てよ。ワンエイティにもまだチャンスがある。スピードでコーナーに突っ込んでいけば、ここから変わるはずだ」
男の方はおれの走りを注視し、その予感が的中する。
「さあ、サクラゾーン、いよいよ注目の瞬間だ!」
「こちら、S字直線後のヘアピン! すごい! サクラさんが離すどころか、相手に食らいつかれている!」
トランシーバーを持ったDUSTWAYのメンバーが息を呑んで報告を続ける。
「サクラ・ゾーンで、ここまで追い詰められるなんて前例がない!」
「赤城最速や元群馬最速しかできなかったのに!」
90度のコーナーを抜け、サクラゾーンでもJZA80が食い下がられているのを見て、観客たちが驚きの声を上げる。
――六荒はギャラリーポイントの柵にもたれながら、黙って息を呑んでいた。
(光が見えてきた……来るぞ、オオサキちゃん)
「食いつかれている…。でも、まだ勝機はある。母さんと雨原さんを除いた走り屋たちを倒してきた。このまま行けば、勝てる…!」
90度コーナーを終え、直線を抜けると、二連続ヘアピンに入る。
「この技なら……<サンズ・オブ・タイム>……行かせない……行かせない…」
サクラは黒いオーラを身に纏いながら、ドリフトで攻めていく。1km/hずつ減速しながら、その足音が響く。
その光景を六荒は静かに見ていた。
「これがサクラの<サンズ・オブ・タイム>か…オオサキちゃんや智と何度も見た技だ」
覚醒技を使えない彼にも分かった
しかし、おれはその技を見抜いていた。
「この技はお見通しだ!」
これは水曜日の夜の出来事だ。
おれが智姉さんと会話していたときのこと。話題は、葛西サクラの弱点についてだった。
「線路みたいなんです。いったんそのラインに乗ったら、もうブレーキを踏むしかない。外からはねじ込める。でも、それに気づけた奴なんて……いないんです」
「なるほど。決められた道から外れられないってことか。それなら、ちょっとした隙をつかれると、脱線するってことだな」
おれがDVDを見ながら、サクラが技を使った後の走りに精神的なムラを感じたのは、まさにそのせいだと気づいた。
「オーラの圧力に飲まれたわけじゃない。ただ、視野が狭くなるんだ。プレッシャーってやつぁ」
精神的なブレが走りに影響を与えている、だからこそ、その隙をつけると判断した。
萌葱色のオーラをまとったおれは、いよいよ攻めに入る!
「まず、君の精神力を削らせてもらうよ!行くぞ、ワンエイティ!<フライ・ミー・ソー・ハイ>! イケイケイケイケイケイケケェー!!」
ワンエイティが全開で攻めに掛かる! その衝突がサクラに精神的なダメージを与え、彼女はコーナーを立ち上がりながらふらつく。その瞬間、おれは精神的な負担をかけることに成功した。風で闇を切り裂いたのだった。
次に高速区間を抜け、右U字ヘアピンに突入する。サイド・バイ・サイドで進入し、ワンエイティが内側を走り、サクラのJZA80が外側をキープする。実はこれはおれの作戦だった。サクラを追い込むつもりで、全速力で前に出た。
「抜かれた・・・・・・」
この瞬間、頂上の連中にも伝わるだろう!
「抜かれました!しかも、サクラ・ゾーンの終盤で!」
「なに!? 嘘だろ!サクラをあそこで倒せたのはあたしとウメさんだけだぞ!どうやって説明するんだ?」
トランシーバー越しに、2連続ヘアピンで見守るギャラリーと雨原が会話している。
「それが、よく分からないんですが…サクラをアウト側に追い込んで行ったんです…」
ギャラリーの頭の中は空っぽになった。サクラ・ゾーンでサクラが負けたことに、何も言葉が出なかった。
その情報を聞いた雨原の心の中には、大きな喪失感が広がった。赤城最速と元群馬最速の二人にしかサクラを倒したことがなかったサクラ・ゾーンを、オオサキはクリアしてしまったんだ!
「やったのか!?しかも、サクラゾーンで抜くなんて、すごいじゃあないか、オオサキ!」
「やっぱり速いのね…大崎翔子。うちの娘をあそこで抜くなんて…」
智姉さんは、サクラゾーンでおれがサクラを抜いたことを喜び、口元に自然な笑みを浮かべていた。ウメの顔色は一変し、息が詰まりそうになる。
「うちの娘より速い走り屋がいるって…走りの世界って、広いわね。まるで初めて斎藤智に負けた時の気分よ」
ウメは何も言わず、ただ立っていた。
肩を落とすでもなく、顔を伏せるでもなく、涙もこぼさず。
ただ、真っすぐに――目の前の、敗れた娘の姿を見つめていた。
ギャラリーの喧騒も、トランシーバーの音も、彼女には届いていないようだった。
過去に見た光景が、今、正確に重なっていた。
あの時も、自分は同じようにコースの端に立ち、誰にも届かない場所で、静かに終わりを見ていた。
「……また……置いていかれたのね、私たちは」
微かに唇が動いたが、その声を聞いた者は誰もいなかった。
“才能ある子は、早くに火がつく。だが、燃え尽きるのも早いのよ。”
過去に、自分にそう告げた女がいた。
彼女もまた、峠を走る少女を育てていた。
技を教え、走りを鍛え、そして敗北を見守った母親だった。
ウメは、その時の彼女の表情を思い出した。
無表情だった。
でも――確かに、胸が裂けそうな音がした。
それと同じ音が、今、自分の中で響いていた。
「……智。あなたの教えは、いつもそうなのね。勝者を育てるんじゃない、敗者を淘汰する」
誰に言うでもなく、ウメはぽつりと呟いた。
確かに見た。
あの頃の自分と、
そして、あの娘が抱え込んでいる、未来の自分を――。
娘の敗北を自分のことのように悔しがるウメは、JZA70に乗り込み、黙って帰っていった。
一方、第2高速セクションを終えた後、白い2人組はあの瞬間について耳にしていた。
「サクラ、抜かれたじゃん。」
「俺はその理由、知ってる。」
「なんじゃん?」
「サクラの技には致命的な弱点があったんだ。あの『サンズ・オブ・タイム』、実は雨原しか弱点を知らない技だった。でも、ワンエイティに乗るやつは、それを見抜いたんだ。世の中には恐ろしいやつがいるもんだな、面白くなったぜ。」
男はその話を聞いて、思わず笑みを浮かべた。肌に鳥肌が立ち、興奮が抑えられなかった。
「その次、あいつと戦ってみたいじゃん!もし戦うならヒルクライムでやりたいじゃん!」
「でも、そこで戦うならお前が有利すぎるだろ…」
「それでも、あいつと戦ったらすごく面白いじゃん! サイドブレーキドリフトで仕留めてやるぜ!」
後に、この2人とオオサキが関わることになる。彼らもまた、かなりの強敵だ。特徴的な走りを見せるやつらだ。
その光景を間近で見た六荒は、思わずこう言葉を漏らす。
「なかなかの勝負だったな。オオサキちゃんがDUSTWAYのメンバーを追い抜くなんて…」
彼の身体は震えていた。手を見ると、自然に動いている。そんな熱いシーンを目の前にして、心が揺さぶられていた。
残りの距離を一気に進み、おれとワンエイティはゴールに到着した。バトルを制したのだ!
「か、勝った・・・!DUSTWAYで、赤城最速に次ぐ2番目に速い女に・・・」
「負けた・・・。まさか得意のサクラゾーンで・・・本当に、先週見た夢が現実になったのか・・・」
遅れて、JZA80もゴールに到達する。サクラの敗北が決まった。この予想外の番狂わせに、誰もが驚いた。
「なんで……ここだけは、誰にも譲らないって……そう、決めてたのに……!(見えない……ラインが、狂っていく……! オレの……オレだけの道が……!)」
サクラは静かに悔しがった。
「速い奴だ・・・だが、オレはいつかリベンジしてやる。あいつがもっと活躍した時に、もう一度勝負を挑んでやる。その時は、強くなったオレの走りを見せてやる・・・」
敗北を喫した後、そんな誓いを胸に刻んだ。彼女との再戦の日は必ず来るだろう。おれも、もっと速くなるから。
スタート地点。
「サクラさんのJZA80が遅れてゴールしました!」
ゴール地点にいるメンバーからトランシーバーで敗北を雨原に伝えられる。それを聞いた雨原は、悔しそうに顔をしかめた。
「残念だ・・・・・・サクラが負けてしまった・・・・・・でも面白かったぜ!改めて、オオサキちゃんという奴は、本気にしそうな相手だ」
悔しさを隠しきれない表情を浮かべながらも、メンバーの敗北を認める。だが、同時に新たなライバルが現れたことに興奮しているようだ。しばらくの間、オオサキは標的にされるだろう。
「どうするんだよ、雨原さん!しばらくの間、ここで無敗だったうちのチームが負けちゃって!空が明るくなれば、噂は広まるぞ!今までサクラさんに勝てたのは、あなたとウメさんだけだったんだぞ!」
メンバーが騒ぎ始める。
「しばらくの間、あいつを標的にするぜ。勝つまではな」
雨原はそう言い残し、FDに乗って帰っていった。
今日の出来事で、DUSTWAYから冷ややかな目で見られるかもしれない。だが、それも仕方がない。強力なメンバーを倒してしまったから。
「見事だ、オオサキ」
智姉さんはスタート地点で、おれの勝利を祝福してくれた。
今回のバトルは、赤城で2番目に速いと言われた実力者が、彗星のように現れたオオサキに敗れたという恐ろしいニュースとして広まった。
これをきっかけに、オオサキの名は広まり、どんな走り屋になっていくのだろうか。そして、強敵たちも次々に現れるだろう。
バトルが終わった後、おれと智姉さん、六荒は和食さいとうに戻る。
「すごかったぞ、オオサキ。葛西サクラに勝つとはな・・・しかもサクラ・ゾーンで彼女を追い抜いたとは」
「いやあ、あそこは本当に厳しかったです。でも、技の弱点を理解したおかげです」
「俺も、自分のようで嬉しいぞ」
今日のバトルを振り返る。
正直、不安だった。でも、勝てて良かった。
「良かったな。DVDが役に立ったらしいな。ただ、木曜日に返してしまったけど」
「智姉さんとあそこで練習したことも、役に立ちました」
「あの瞬間、武者震いしてしまったよ」
伝説の始まりの夜は、こうして静かに幕を閉じた。
翌日の夜、3人の女がレストランにて何やら話している。
1人目はオレンジ色のセミロングの髪をしていて、もみあげを結んでいる。
2人目はえんじ色のポニーテールの髪型で、小柄な体格をしている。
3人目は青色のツーサイドアップの髪型で、えんじ色の少女よりも少し大きく、オレンジ色の少女より小柄だ。
「昨日の勝負見たべ? すごかったべ~! 赤城で雨原に次いで速い葛西サクラが負けたんだべ!」
オレンジ色の女が東北の訛りを交えて話す。昨日のオオサキとサクラのバトルについて語っていた。
「あれはくにちゃんもびっくりしたよ、熊久保さん!しかも、勝ったワンエイティ乗りの走り屋は16歳の女の子らしいね。くにちゃんより年下だよ」
えんじ色の少女、自分のことを「くにちゃん」と呼ぶその少女が言う。これで、オレンジ色の女が「熊久保さん」という名前だと分かる。
「……ほんまに、あんな若さで……やるやんか」
青色の少女が関西弁で話す。
「本当に速えのか?」
「ワンエイティ乗りの師匠は、伝説の走り屋、斎藤智らしいからね」
くにちゃんがそのことを話すと、熊久保の目が熱くなる。
「んだな、速いかどうか、確認したくなっただ!」
「噂では、朝の赤城山をたまに走っているらしいで。うちのイリュージョンで倒してやるで!」
「そうだね。私も戦ってみたい!」
くにちゃんと青色の少女も興奮してきたようだ。
「こい、ワンエイティ乗り!」
熊久保が拳を突き上げる。
「去年の学生ドリフト選手権チャンピオンの、おらが腕を見せてやるだ! 覚醒技――超速舞流で、やっつけてやるべ!」
こうして、3人はオオサキを狙うことを決意した。
熊久保は、覚醒技を知っていた……。
それは、次回までのお楽しみだ。
The Next Lap
赤城山ダウンヒルのスタート地点に向かう途中、智姉さんのR35が先に駐車場に止まっているのが見えた。隣には六荒もいる。
「待ってたぞ、オオサキ。」
「いやぁ、智姉さんが手加減してるのに、それでも速すぎますから。」
「もっと手加減してやれよ、智。」六荒が軽く笑う。
「それでも充分手加減してるんだけどな。」智姉さんが肩をすくめた。
伝説の走り屋に追いつくのは、まだまだ時間がかかりそうだ。
「さて、10分間休憩しよう。その後、お前を特別な場所に連れて行く。」
「特別な場所って?」
「それはお楽しみだ。ただしオオサキだけだぞ。」
10分後、六荒を残し、再び2台のクルマが道路へ飛び出した。第2高速セクションを抜け、ヘアピンの手前に停車する。それぞれのドライバーが車を降り、緊張感の中、智姉さんが話を切り出した。
「ここがサクラ・ゾーンだ」
「サクラ・ゾーン……?」
その響きにおれは思わず声を上げた。智姉さんが頷きながら、視線をコースの奥へ向ける。
「そう。葛西サクラが得意としている区間だ。彼女に勝てる走り屋なんて、赤城最速と、ある走り屋くらいのものだ」
「そんなに……」
おれの胸に不安が広がる。
「それだけじゃない。サクラについて、少し説明しておこうか」
智姉さんは軽く咳払いをしながら続けた。
「あいつは、物心ついたときから母親に走り仕込まれてる。カートで泣かされたの、たぶん赤ん坊の頃だな。チームメンバーですら彼女の表情を見たことがないほど、冷静で無口な性格だ」
「母親から……? つまり2世の走り屋なんですね?」
「そうだ。そして、その母親が誰か分かるか? 彼女の母親は、私のライバルだったんだ」
「えっ……! じゃあ、智姉さんと……」
「そう。私が現役だった頃、茨城の走り屋としてここに来たとき、彼女と何度もバトルをしたぞ。毎回苦しめられたけど、全部勝った」
智姉さんの瞳がどこか懐かしそうに輝く。かつての群馬最速の走り屋だった彼女と、智姉さんとの激闘が頭の中に描かれる。
「じゃあ、今度のバトルは……智姉さんの妹分対群馬最速の娘になるってことですか?」
「そうなるな。でも……『智姉さんの妹分』だなんて、ちょっと照れるな……」
智姉さんが頬を赤らめた。
「けど、うれしいですよ」
おれは笑みを浮かべる。心からそう思った。
「だって、智姉さんはおれにとって、師匠であり……お姉さんのような存在だから」
翌日、3月24日火曜日の朝9時。家のリビングで、智姉さんと六荒と一緒にDVDを見ていた。
画面にはサクラ・ゾーンでの葛西サクラの走りが映し出されている。映像の中で彼女は、180SXとのバトルを繰り広げていた。ちなみにその180SXは、おれのクルマではない。
「速い……! 完全に相手を追い詰めている!」
六荒が目を輝かせている。サクラの車が鋭いコーナリングで相手を引き離す。
「この技、<ウィル・シー・ヘブン>だよ」
智姉さんが冷静に解説する。
「その技はなんだ?」
六荒が首を傾げる。
「サイド・バイ・サイドの状態で、一定の速度を保ちながら相手を抜き去るテクニックだ。葛西サクラのオリジナルだよ」
おれが答えると、六荒は「すげぇな」と感心していた。彼はワンメイクレースが専門で、こうした特殊な技や「オーラ」には疎い。
映像が切り替わる。次はFC3Sとのバトルだ。サクラのJZA80が先行している。
「来た……!」
智姉さんが低い声で呟く。
「この技は、<サンズ・オブ・タイム>だ」
おれの言葉に、六荒が再び興味を示す。
「それはどんな技なんだ?」
「スピードを1km/hずつ落としながら相手をブロックする。相手は焦ってラインを乱すしかなくなるんだよ」
「……え、相手の走りを1km/hずつ削る? それ、拷問かよ……」
六荒のリアクションは驚きが激しい。
まさにその通り。映像のサクラは、追い抜きを狙うFCを巧みに封じ込めている。
次の瞬間、画面の中のバトルを見つめるおれの目が鋭くなる。
(……分かったよ。技の弱点がある!)
さらに他のDVDを視聴しながら、サクラの技や戦い方を分析していく。おれの中に確信が生まれていった。
(これで……勝てるかもしれない)
智姉さんが満足そうに微笑む。
「どうだ? このDVDを見たら、サクラがいかに速いか分かっただろう。それに、相手を知るいい機会だったんじゃあないか?」
「ええ、彼女が強いことは改めて理解しました。でも……技の弱点も見つけました!」
おれは力強く答えた。
果たして、それを突くことができるのか――。このDVDは、今回のバトルの大きなヒントとなるに違いない。
午後7時、「和食さいとう」の静かな店内に、葛西サクラの母親が姿を現した。
黒髪が平安時代の姫君のように艶やかで、顔立ちは20代と見紛うほど若々しい。
彼女は、どこか気品を漂わせている。
「斎藤智、こんばんは」
落ち着いた声で挨拶をする。
「葛西ウメ、メニューは何だ?」
智姉さんはカウンター越しに問いかける。
「明太子スパゲッティをお願いするわ」
智姉さんは無言で頷き、厨房へと向かった。
約20分後、香り立つスパゲッティが彼女の手でカウンターに置かれる。
「できたぞ」
「いただきます」
葛西サクラの母親・ウメはフォークを手に取り、一口ずつ丁寧に味わい始めた。
数分後、彼女はふと顔を上げ、智姉さんに視線を向ける。
「斎藤智。現役時代は短気で、すぐカッとなる性格だったけれど、今はずいぶん落ち着いたわね。でも、目の奥にある火種は……まだ消えてないわね」
智姉さんは手を止め、視線を落とした。
「ああ、昔の話だ。この頃は……両親の仲が悪くて、気が荒れていたんだ」
その言葉を聞いて、おれは驚いた。智姉さんにそんな過去があったとは知らなかった。伝説の走り屋にも、そんな背景があるなんて……。
「私が知っているあんたは、ワンビアに乗っていた。700馬力の1JZ-GTEを積んで、C-WESTのエアロとGTウイング、さらにブロンズのTE37を装着していたのを覚えているわ。群馬最速の私のJZA70を倒す姿は、10代の若者とは思えなかった」
「……あのクルマはもう手放したが、いいクルマだったぞ。今乗っているR35もなかなかだが、ワンビアは特別だった。運転が怖いと思ったことは一度もない。幼少期にフィンランドで運転を覚えたからな。自信はあった」
フィンランド……。おれはその言葉に引っかかった。確か、あの国では子どもでも車を運転する文化があると聞いたことがある。走り屋としての才能が、その頃から培われていたのだろう。
ウメはスパゲッティを食べ終え、智姉さんに微笑みかけた。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
代金を払った後、彼女は「じゃあな」と智姉さんに別れを告げて店を出ていく。
店の前には黒く角張ったクーペ、JZA70型スープラが停まっていた。
そのクルマはターボAのフロントダクトを備え、他にはエアロを装着していないシンプルな外観だが、どこか凄みを感じさせる。
「TOYOTA3000GT」というキャッチコピーで知られたこの名車は、すでに610馬力にまで改造されていた。ウメはそのエンジンを轟かせながら、夜の街へと消えていった。
25日の水曜日、バトルまであと3日。
午前10時、智姉さんの部屋で、おれはスープラに関する本を読んでいた。対戦相手のクルマ、JZA80の項目に集中して目を通す。
「JZA80は280馬力クラスではトップクラスのトルク性能。しかし、その重量ゆえにポテンシャルを完全には発揮しきれない……。さらに、FRなのにフロントヘビー。高速域でこそ真価を発揮するマシン……か。スピードを殺さずに走るのが鍵だな。」
ページをめくっていると、部屋の扉が開いた。智姉さんが入ってくる。
「オオサキ、ちょっと頼みがある。今夜、私とバトルの練習をしないか? 今日は仕事が休みだから、少しでも協力したいと思って。」
突然の提案に一瞬驚いたが、断る理由なんてない。むしろ願ってもないことだ。
智姉さんの頼みなら、俺は絶対に応える。……だって、彼女のことが好きだから。
「もちろん! やりましょう!」
即答すると、彼女はわずかに微笑んだ。
「じゃあ、今夜10時だな。<サクラ・ゾーン>を中心に練習しよう。」
その夜、約束通り練習が始まった。
ダウンヒルのゴール地点近く、静まり返った駐車場に車を停める。エンジンを切ると、周囲はひんやりとした夜の空気に包まれた。遠くでフクロウの鳴き声が響く。
冷たい夜風が肌を撫でるなか、智姉さんとバトルの話をする。
「オオサキ、今度のバトルは、相手に先行を取られるかもしれない。」
「どうしてですか?」
彼女の言葉に、胸の奥にざわめくものを感じる。すると、智姉さんが落ち着いた声で説明を始めた。
「あいつのクルマには大径シングルターボが搭載されている。出力だけじゃない。トルクも58kg・mと高い数値だ。」
確かに、おれのワンエイティは350馬力、トルクは47kg・m。数字を比べれば、一目瞭然の差がある。
「そう簡単に追い付ける相手じゃないですね……。」
俺がそう漏らすと、智姉さんが少し眉をひそめた。
「だからこそ、<サクラ・ゾーン>で優位を取る必要がある。そこはパワーよりもライン取りが物を言う場所だ。お前の技術を信じている。」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
信じてくれている。ならば、それに応えたい。
この練習を通して、勝利の糸口を掴むんだ――そう、強く心に誓った。
3月27日、金曜日。明日はついにバトルの日だ。
午前6時、赤城山。朝霧が薄く漂う峠道を、オレのJZA80と母さんのJZA70が駆け下りる。
先行しているのはオレ。視界に広がる白い靄を切り裂きながら、サクラ・ゾーンへ突入する。
S字直線、U字ヘアピン。
舵を軽く当て、リズムよくコーナーを抜けていく。だが、ルームミラーには母さんのJZA70が映る。間合いを詰めてきた。
90度カーブ前の直線。
ついに、サイド・バイ・サイド。
左側から猛然と迫るJZA70。そのラインは鋭く、容赦がない。
「——葛西血玉流《ウィル・シー・ヘブン》!」
オレは一瞬の隙を突き、インを締める。
JZA80は白い光を纏うように、スムーズにアウトへと流れ――JZA70の進路を巧みに塞いだ。
直線を抜けると、今度は2連続ヘアピン。再び母さんが動く。
「——葛西血玉流《サンズ・オブ・タイム》!」
カウンターを当てながら、オレは速度を100km/hに調整。
ギリギリまでインを詰め、JZA70の進入を封じる。
やがて、ふもとへ到達。バトルは終了した。
車を降りると、母さんが微笑む。だが、その瞳は鋭い。
「明日の夜が本番ね……」
「そうだな……」
冷たい朝の空気が肌を刺す。オレの胸には、決戦への緊張が重くのしかかっていた。
だが――負けるわけにはいかない。
己のプライドのために。
そして、母さんに認められるために。
母さんが腕を組みながら言う。
「準備はできてるの? 私はあんたと互角に走るために、手加減してたんだから。」
その言葉に、オレは返す。
「オレの作戦は完璧だ。サクラ・ゾーンと技で、必ず勝ってみせる。」
自信を言葉にするものの――その裏では、不安が渦巻いていた。
相手は16歳のドライバー。若さゆえの勢いと未知数の実力。油断は禁物だ。
だが――このときのオレには、まだ気づけなかった。
“その警戒心こそが、命取りになることを——。”
3月28日、ついにバトル当日を迎えた。
夜9時。DUSTWAYのメンバーがスタート地点近くの薄暗い駐車場に集結し、それぞれのマシンが色とりどりの光で周囲を染める。エンジン音が響き渡り、会場は熱気に包まれていた。
「来たぞ! 雨原さんとサクラさんだ!」
「元群馬最速の葛西ウメもいるぞ!」
サクラのJZA80が駐車場で華麗な180度ターンを披露すると、ギャラリーが一斉に歓声を上げる。
「すごい! サクラさん、全然負けそうな感じがしない!」
ターンを終えたJZA80の隣に、母親のウメがJZA70を停めた。彼女は静かに車から降りると、サクラのもとへ歩み寄る。
「サクラ……調子はどう?」
「前半はドリフト走行会のラインで粘られるだろうけど、勝負は後半だと思ってる。そこに集中すれば勝てる。」
その区間で彼女が走るのを見た者はいない。サクラ・ゾーンを控えたこのバトルに、ギャラリーたちは期待と興奮を隠せない。
「サクラさーん! 頑張って!」
黄色い声援に、サクラは手を軽く振り応えた。
「……オオサキはまだ来てないのか?」
「いや、まだだな。」
ウメが腕組みをしながら周囲を見回す。サクラと雨原も、その姿を待ち続けている。
一方、その頃。
和食さいとうでは、もう一人の主役であるおれが、出発の準備を整えていた。
「仕事が終わった。さぁ、行くぞ」
「もうすぐ時間ですね」
「俺も向かう。見届けたいからな」
仕事を終え、おれはワンエイティに、智姉さんはR35に、六荒はヴィッツに乗り込む。3台のエンジンが次々と唸りを上げた。
「行こう、ワンエイティ」
爆発音のように響くエンジンを轟かせながら、和食さいとうを出発する。 初めてのバトルだ。緊張よりも興奮が勝る。負けてもいい。大事なのは、楽しむことだ。
DUSTWAYのメンバーから、トランシーバー越しに状況が伝えられる。
「こちら最終5連続ヘアピン! 3台のクルマが接近! 先頭は銀色、中間は赤いボディに黒と灰色のバイナル……」
「オオサキちゃんのワンエイティか。来たな……。斎藤智のR35も一緒とは、豪華な顔ぶれじゃないか」
雨原の声には、どこか楽しそうな響きが混じっていた。
2台は第2高速セクションを駆け抜ける。その様子を、峠に集まったギャラリーたちが見守っていた。
「来たぞ……」
「もう一人の主役だ」
「伝説の走り屋、斎藤智も来ている」
「ヤバイな……走りのオーラが違う」
「もしワンエイティの少女が勝ったら……俺たちも戦ってみたい相手だな。ドリフト走行会でサクラを追い詰めた走り屋だって聞くけど……見た感じ、若いな」
彼らは、以前の走行会の出来事を思い出しながら、静かにその走りに注目していた。
3台は第2高速セクションを抜け、残りの道路を駆け上がっていく。ついに、R35とワンエイティ、ヴィッツの姿がスタート地点からも確認できるほどに迫ってきた。
「もう来たな……。そろそろオレも、スタートラインに立つか。こんなに楽しみなのは久しぶりだ」
バトルを待ち望むサクラの声には、普段の冷静さとは違う熱がこもっていた。
R35とヴィッツがスタート地点に到着すると、そのまま停車。ワンエイティはUターンし、JZA80の隣に並ぶ。
「俺はサクラ・ゾーンに行ってギャラリーする」
六荒は車を降りると、単身その場所へ向かった。
「大崎翔子………………」
「来たよ、葛西サクラ」
「すまないな――私たちはお前たちより遅れてやってきて」
「もう二度と追い詰められるわけにはいかない……免許を取ったばかりの16歳に負けるなんて、絶対にあり得ない」
サクラの目が鋭く光る。その瞳に宿るのは、強い覚悟。
彼女の闘争心があふれ出す。その姿はまるで、覚醒した超人のようだった。
「斎藤智」
「なんだ?」
駐車場からウメが歩み寄る。
「今回はあなたの妹分と、私の娘の勝負ね。どちらが素晴らしいか、楽しみだわ。過去が産んだ女と、未来を拓く女の対決……まるで神話ね」
「私もだ」
それは、間接的に智とウメの因縁が交錯する対決でもあった。
「葛西ウメと斎藤智が並んだぞ!」
「この二人は、かつて赤城で激闘を繰り広げた……!」
「だが、すべて斎藤智が勝利した」
かつての激戦を知る者たちが、興奮の声を上げる。
二人が並ぶ姿は、ただのライバル同士の再会ではない。
それは、走り屋たちの伝説の続き。
ギャラリーたちは、その光景を目に焼き付けるように見つめていた。まるで、世界のスターを見ているかのように――。
1時間が経過し、ついにバトルの開始が迫る――。スターターは智姉さんが務める。
「葛西サクラのJZA80は相当速えぜ。ドライバーの腕もすげぇがな」
雨原はそう評した。
「それだけじゃない。彼女は〈サンズ・オブ・タイム〉という技を使う。ある二人を除いて、誰にも攻略できない技だ」
「ってことは……ワンエイティは勝てそうにないんじゃ?」
「属性の相性は互角だ。ワンエイティの覚醒技は風と光、サクラの覚醒技は闇……。色を見ればわかるだろう?」
ギャラリーたちはサクラの圧倒的な実力を見て、俺の勝ち目は薄いと語っている。だが——負けるつもりはない。俺は彼らの予想を覆してみせる!
ちなみに、覚醒技の属性の相性が良いと、相手に与える精神ダメージが増し、技の速度も上がる。
水曜日に智姉さんが「JZA80が先行になる」と予測していたが——
ただし、これは覚醒技超人同士のバトル。性能だけの勝負ではない。
「道路の状態も良好、邪魔なクルマもいないわ」
トランシーバーを持ったウメが、智姉さんに状況を報告する。
「聞いたぜ。邪魔なクルマもいねぇし、路面の状態も完璧だ」
雨原も異常なしと報告した。
「よし、準備はいいな。この二台を出発させる」
路面コンディションを確認した智姉さんは、すぐにスタートの準備に入る。
緊張感が張り詰める。ついに、その時が来た——。
智姉さんの手が上がる。狼煙が上がる。ギャラリーの視線が一点に集中する。
「カウントを始めるぞ! 10秒前……9、8、7、6、5、4、3、2、1……GO!!」
カウントが終わると同時に、二台のエンジンが咆哮を上げる。ターボの爆音が響き渡り、アスファルトが震えた。
先行はJZA80。智姉さんの予想通りだった。
本来なら、そのクルマは280馬力ながら高いトルクを持つ。しかし、重量があるため加速は遅くなりがちだ。だが、サクラのJZA80は違う。軽量化されたボディと、大径シングルタービンの生み出す高トルクが、その加速を押し上げた。
「すげぇ! サクラさんのJZA80! 軽くてトルクもあるから、ワンエイティをどんどん引き離していく!」
「ざまぁ見ろ! どんどん差が広がるぞ! このまま突き放せ!」
サクラのJZA80が生み出すトルクは58kg・m。この強大なトルクが、序盤の直線で圧倒的なアドバンテージをもたらす。
「ワンエイティのRB26とJZA80の2JZ・大径シングルターボ……。加速勝負は、JZA80の勝ちだな」
雨原は先行を奪ったJZA80を見つめながら、仲間の勝利を祈る。
「私の予想通りだったな……」
「さすが大径シングルターボ……。得たトルクで、ワンエイティを圧倒しているわね」
視界の先から、JZA80の姿が消えかけていく。しかし——この差は、あとで詰めることになる。
最初のヘアピン
サクラの妹たちは、ギャラリーの一角にいた。
「来たぜ! オレのサクラ姉ちゃん! 速いね!」
上の妹がJZA80の姿を目に捉え、嬉しそうに叫ぶ。
黒いJZA80が、最初のヘアピンでドリフトを決める。重さを感じさせない、鋭いコーナリング。「ノーマルの10倍速い」と噂されるだけのことはある。
「重いJZA80とは思えないコーナリング……イィーネ!」
彼女の口癖だ。某人気バンドのボーカルの影響で、片手でVサインを作り、それを顎に当てながら言う。
「来たよ! 相手のワンエイティが!」
下の妹が叫ぶ。ワンエイティが、遅れて第1ヘアピンへ飛び込んでくる。しかし——サクラより速い。
「速すぎる! あのワンエイティ!」
「ヒマワリ……ボクはあいつを侮れない相手だと思っているよ。ワンエイティ乗りは年下なのに……すごい!」
姉の背後に迫るワンエイティ。その鋭い突っ込みを目の当たりにし、妹たちは息をのむ。
次のヘアピン——幅の広いコーナーが迫る。そこへ、ワンエイティがサクラを追い詰めるように突っ込んでいく……。
頂上。
「ワンエイティがサクラさんとの差を詰めていく!」
「やっぱり、ついてくるか……バトルでも速いな。」
状況はトランシーバーを通じて、雨原にも伝えられる。
「やってくれるな……葛西サクラのJZA80の背後にピタリと張りついてる。」
「恐ろしい奴ね、大崎翔子。うちの娘にここまで接近するなんて……。」
智とウメも、雨原のトランシーバー越しにそのやりとりを聞いていた。
現在、バトル中の2台は直線に入る。
直線では、サクラのJZA80が持つ圧倒的なパワーで、おれのワンエイティを再び引き離していく。
「パワーならオレのほうが上……だが、それに頼る走りはしない。」
次は、3連続ヘアピン。
1つ目の右ヘアピン。
おれはここをドリフトで駆け抜け、再びサクラとの距離を詰める。続く2つ目、3つ目のヘアピンも同様に攻め、次のU字ヘアピンへ突入。気づけば、2台はサイド・バイ・サイドで並んでいた。
「“フライ・ミー・ソー・ハイ”! 行けぇぇぇ!」
「――サイド・バイ・サイドはオレの得意技だ……! 葛西血玉流、“ウィル・シー・ヘブン”!」
萌葱色のオーラをまとい、時速200km/hのドリフトで攻め込むおれ。
対するサクラも、黒いオーラをまとい、時速110km/hのスピードでサイド・バイ・サイドの攻防を展開する。
サクラの技が、おれの技を封じた。
「ぐっ……!」
JZA80が前を譲らない。
「ウィル・シー・ヘブン」のブロックによる精神的ダメージが襲う。しかも、おれの覚醒技は闇属性の技が弱点……ダメージは計り知れない。
U字ヘアピンを抜け、直線へ。
JZA80は、2回のタコ踊りからのドリフト、さらにフェイントモーションを駆使し、S字セクションを駆け抜けていく。
「ここは、この走りで攻める……!」
S字を抜け、次のコーナーへ。接触ギリギリまで距離を詰めた。
ここまでは、ドリフト走行会で走ったセクションだ。
――今から、上手く走れるのか?
第1高速セクション突入。
直線に入り、JZA80が再び引き離す。だが、次のコーナーでスピードを落とさないドリフトを決め、一気に追い上げる!
……が、また直線に入ると、せっかく縮めた距離が一瞬で消え去った。
頂上。
智とウメが話していた。
「メンバーのトランシーバーから聞いたわ。今、第2高速セクションを走っているって。」
「もうすぐだな……サクラ・ゾーン。」
「サクラ・ゾーンに入れば、サクラが“サンズ・オブ・タイム”を使って決めるでしょうね。」
「けど、お見通しだ。」
「……あの技に弱点なんてあるの?」
「この前、DVDをオオサキに見せたら、『見抜いた』って言ってた。それで勝てるんじゃないか?」
そう、今のオオサキなら見抜いているはず。
弱点が明かされるのは、もうすぐだ。
バトルはいよいよ後半戦へ――。
第2高速セクションとその終わりにあたるジグザグゾーンを抜け、ナイフ型のヘアピンに入る。
先にサクラが進み、おれは時速130km/hでドリフトしながら追走していった。
その光景を、白い2人組が見守っていた。
「JZA80が先行してるじゃん。このままだとサクラの勝ちかじゃんね……」
女の方が、そのままの結果を予想して口を開いた。
「いや、待てよ。ワンエイティにもまだチャンスがある。スピードでコーナーに突っ込んでいけば、ここから変わるはずだ」
男の方はおれの走りを注視し、その予感が的中する。
「さあ、サクラゾーン、いよいよ注目の瞬間だ!」
「こちら、S字直線後のヘアピン! すごい! サクラさんが離すどころか、相手に食らいつかれている!」
トランシーバーを持ったDUSTWAYのメンバーが息を呑んで報告を続ける。
「サクラ・ゾーンで、ここまで追い詰められるなんて前例がない!」
「赤城最速や元群馬最速しかできなかったのに!」
90度のコーナーを抜け、サクラゾーンでもJZA80が食い下がられているのを見て、観客たちが驚きの声を上げる。
――六荒はギャラリーポイントの柵にもたれながら、黙って息を呑んでいた。
(光が見えてきた……来るぞ、オオサキちゃん)
「食いつかれている…。でも、まだ勝機はある。母さんと雨原さんを除いた走り屋たちを倒してきた。このまま行けば、勝てる…!」
90度コーナーを終え、直線を抜けると、二連続ヘアピンに入る。
「この技なら……<サンズ・オブ・タイム>……行かせない……行かせない…」
サクラは黒いオーラを身に纏いながら、ドリフトで攻めていく。1km/hずつ減速しながら、その足音が響く。
その光景を六荒は静かに見ていた。
「これがサクラの<サンズ・オブ・タイム>か…オオサキちゃんや智と何度も見た技だ」
覚醒技を使えない彼にも分かった
しかし、おれはその技を見抜いていた。
「この技はお見通しだ!」
これは水曜日の夜の出来事だ。
おれが智姉さんと会話していたときのこと。話題は、葛西サクラの弱点についてだった。
「線路みたいなんです。いったんそのラインに乗ったら、もうブレーキを踏むしかない。外からはねじ込める。でも、それに気づけた奴なんて……いないんです」
「なるほど。決められた道から外れられないってことか。それなら、ちょっとした隙をつかれると、脱線するってことだな」
おれがDVDを見ながら、サクラが技を使った後の走りに精神的なムラを感じたのは、まさにそのせいだと気づいた。
「オーラの圧力に飲まれたわけじゃない。ただ、視野が狭くなるんだ。プレッシャーってやつぁ」
精神的なブレが走りに影響を与えている、だからこそ、その隙をつけると判断した。
萌葱色のオーラをまとったおれは、いよいよ攻めに入る!
「まず、君の精神力を削らせてもらうよ!行くぞ、ワンエイティ!<フライ・ミー・ソー・ハイ>! イケイケイケイケイケイケケェー!!」
ワンエイティが全開で攻めに掛かる! その衝突がサクラに精神的なダメージを与え、彼女はコーナーを立ち上がりながらふらつく。その瞬間、おれは精神的な負担をかけることに成功した。風で闇を切り裂いたのだった。
次に高速区間を抜け、右U字ヘアピンに突入する。サイド・バイ・サイドで進入し、ワンエイティが内側を走り、サクラのJZA80が外側をキープする。実はこれはおれの作戦だった。サクラを追い込むつもりで、全速力で前に出た。
「抜かれた・・・・・・」
この瞬間、頂上の連中にも伝わるだろう!
「抜かれました!しかも、サクラ・ゾーンの終盤で!」
「なに!? 嘘だろ!サクラをあそこで倒せたのはあたしとウメさんだけだぞ!どうやって説明するんだ?」
トランシーバー越しに、2連続ヘアピンで見守るギャラリーと雨原が会話している。
「それが、よく分からないんですが…サクラをアウト側に追い込んで行ったんです…」
ギャラリーの頭の中は空っぽになった。サクラ・ゾーンでサクラが負けたことに、何も言葉が出なかった。
その情報を聞いた雨原の心の中には、大きな喪失感が広がった。赤城最速と元群馬最速の二人にしかサクラを倒したことがなかったサクラ・ゾーンを、オオサキはクリアしてしまったんだ!
「やったのか!?しかも、サクラゾーンで抜くなんて、すごいじゃあないか、オオサキ!」
「やっぱり速いのね…大崎翔子。うちの娘をあそこで抜くなんて…」
智姉さんは、サクラゾーンでおれがサクラを抜いたことを喜び、口元に自然な笑みを浮かべていた。ウメの顔色は一変し、息が詰まりそうになる。
「うちの娘より速い走り屋がいるって…走りの世界って、広いわね。まるで初めて斎藤智に負けた時の気分よ」
ウメは何も言わず、ただ立っていた。
肩を落とすでもなく、顔を伏せるでもなく、涙もこぼさず。
ただ、真っすぐに――目の前の、敗れた娘の姿を見つめていた。
ギャラリーの喧騒も、トランシーバーの音も、彼女には届いていないようだった。
過去に見た光景が、今、正確に重なっていた。
あの時も、自分は同じようにコースの端に立ち、誰にも届かない場所で、静かに終わりを見ていた。
「……また……置いていかれたのね、私たちは」
微かに唇が動いたが、その声を聞いた者は誰もいなかった。
“才能ある子は、早くに火がつく。だが、燃え尽きるのも早いのよ。”
過去に、自分にそう告げた女がいた。
彼女もまた、峠を走る少女を育てていた。
技を教え、走りを鍛え、そして敗北を見守った母親だった。
ウメは、その時の彼女の表情を思い出した。
無表情だった。
でも――確かに、胸が裂けそうな音がした。
それと同じ音が、今、自分の中で響いていた。
「……智。あなたの教えは、いつもそうなのね。勝者を育てるんじゃない、敗者を淘汰する」
誰に言うでもなく、ウメはぽつりと呟いた。
確かに見た。
あの頃の自分と、
そして、あの娘が抱え込んでいる、未来の自分を――。
娘の敗北を自分のことのように悔しがるウメは、JZA70に乗り込み、黙って帰っていった。
一方、第2高速セクションを終えた後、白い2人組はあの瞬間について耳にしていた。
「サクラ、抜かれたじゃん。」
「俺はその理由、知ってる。」
「なんじゃん?」
「サクラの技には致命的な弱点があったんだ。あの『サンズ・オブ・タイム』、実は雨原しか弱点を知らない技だった。でも、ワンエイティに乗るやつは、それを見抜いたんだ。世の中には恐ろしいやつがいるもんだな、面白くなったぜ。」
男はその話を聞いて、思わず笑みを浮かべた。肌に鳥肌が立ち、興奮が抑えられなかった。
「その次、あいつと戦ってみたいじゃん!もし戦うならヒルクライムでやりたいじゃん!」
「でも、そこで戦うならお前が有利すぎるだろ…」
「それでも、あいつと戦ったらすごく面白いじゃん! サイドブレーキドリフトで仕留めてやるぜ!」
後に、この2人とオオサキが関わることになる。彼らもまた、かなりの強敵だ。特徴的な走りを見せるやつらだ。
その光景を間近で見た六荒は、思わずこう言葉を漏らす。
「なかなかの勝負だったな。オオサキちゃんがDUSTWAYのメンバーを追い抜くなんて…」
彼の身体は震えていた。手を見ると、自然に動いている。そんな熱いシーンを目の前にして、心が揺さぶられていた。
残りの距離を一気に進み、おれとワンエイティはゴールに到着した。バトルを制したのだ!
「か、勝った・・・!DUSTWAYで、赤城最速に次ぐ2番目に速い女に・・・」
「負けた・・・。まさか得意のサクラゾーンで・・・本当に、先週見た夢が現実になったのか・・・」
遅れて、JZA80もゴールに到達する。サクラの敗北が決まった。この予想外の番狂わせに、誰もが驚いた。
「なんで……ここだけは、誰にも譲らないって……そう、決めてたのに……!(見えない……ラインが、狂っていく……! オレの……オレだけの道が……!)」
サクラは静かに悔しがった。
「速い奴だ・・・だが、オレはいつかリベンジしてやる。あいつがもっと活躍した時に、もう一度勝負を挑んでやる。その時は、強くなったオレの走りを見せてやる・・・」
敗北を喫した後、そんな誓いを胸に刻んだ。彼女との再戦の日は必ず来るだろう。おれも、もっと速くなるから。
スタート地点。
「サクラさんのJZA80が遅れてゴールしました!」
ゴール地点にいるメンバーからトランシーバーで敗北を雨原に伝えられる。それを聞いた雨原は、悔しそうに顔をしかめた。
「残念だ・・・・・・サクラが負けてしまった・・・・・・でも面白かったぜ!改めて、オオサキちゃんという奴は、本気にしそうな相手だ」
悔しさを隠しきれない表情を浮かべながらも、メンバーの敗北を認める。だが、同時に新たなライバルが現れたことに興奮しているようだ。しばらくの間、オオサキは標的にされるだろう。
「どうするんだよ、雨原さん!しばらくの間、ここで無敗だったうちのチームが負けちゃって!空が明るくなれば、噂は広まるぞ!今までサクラさんに勝てたのは、あなたとウメさんだけだったんだぞ!」
メンバーが騒ぎ始める。
「しばらくの間、あいつを標的にするぜ。勝つまではな」
雨原はそう言い残し、FDに乗って帰っていった。
今日の出来事で、DUSTWAYから冷ややかな目で見られるかもしれない。だが、それも仕方がない。強力なメンバーを倒してしまったから。
「見事だ、オオサキ」
智姉さんはスタート地点で、おれの勝利を祝福してくれた。
今回のバトルは、赤城で2番目に速いと言われた実力者が、彗星のように現れたオオサキに敗れたという恐ろしいニュースとして広まった。
これをきっかけに、オオサキの名は広まり、どんな走り屋になっていくのだろうか。そして、強敵たちも次々に現れるだろう。
バトルが終わった後、おれと智姉さん、六荒は和食さいとうに戻る。
「すごかったぞ、オオサキ。葛西サクラに勝つとはな・・・しかもサクラ・ゾーンで彼女を追い抜いたとは」
「いやあ、あそこは本当に厳しかったです。でも、技の弱点を理解したおかげです」
「俺も、自分のようで嬉しいぞ」
今日のバトルを振り返る。
正直、不安だった。でも、勝てて良かった。
「良かったな。DVDが役に立ったらしいな。ただ、木曜日に返してしまったけど」
「智姉さんとあそこで練習したことも、役に立ちました」
「あの瞬間、武者震いしてしまったよ」
伝説の始まりの夜は、こうして静かに幕を閉じた。
翌日の夜、3人の女がレストランにて何やら話している。
1人目はオレンジ色のセミロングの髪をしていて、もみあげを結んでいる。
2人目はえんじ色のポニーテールの髪型で、小柄な体格をしている。
3人目は青色のツーサイドアップの髪型で、えんじ色の少女よりも少し大きく、オレンジ色の少女より小柄だ。
「昨日の勝負見たべ? すごかったべ~! 赤城で雨原に次いで速い葛西サクラが負けたんだべ!」
オレンジ色の女が東北の訛りを交えて話す。昨日のオオサキとサクラのバトルについて語っていた。
「あれはくにちゃんもびっくりしたよ、熊久保さん!しかも、勝ったワンエイティ乗りの走り屋は16歳の女の子らしいね。くにちゃんより年下だよ」
えんじ色の少女、自分のことを「くにちゃん」と呼ぶその少女が言う。これで、オレンジ色の女が「熊久保さん」という名前だと分かる。
「……ほんまに、あんな若さで……やるやんか」
青色の少女が関西弁で話す。
「本当に速えのか?」
「ワンエイティ乗りの師匠は、伝説の走り屋、斎藤智らしいからね」
くにちゃんがそのことを話すと、熊久保の目が熱くなる。
「んだな、速いかどうか、確認したくなっただ!」
「噂では、朝の赤城山をたまに走っているらしいで。うちのイリュージョンで倒してやるで!」
「そうだね。私も戦ってみたい!」
くにちゃんと青色の少女も興奮してきたようだ。
「こい、ワンエイティ乗り!」
熊久保が拳を突き上げる。
「去年の学生ドリフト選手権チャンピオンの、おらが腕を見せてやるだ! 覚醒技――超速舞流で、やっつけてやるべ!」
こうして、3人はオオサキを狙うことを決意した。
熊久保は、覚醒技を知っていた……。
それは、次回までのお楽しみだ。
The Next Lap
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