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第4章 モミジ&雅編
ACT.19 葛西モミジと九一三雅
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4月18日
赤城山を荒らしていた《アース・ウインド・ファイアー》が沈んだ。
落としたのは――葛西サクラの妹、ヒマワリとモミジ。
姉の雪辱を胸に、たった一ヶ月で牙を研ぎ直した二人。
実力は、もはや“あの頃のサクラ”すら越えかけている。
もしオオサキと遭遇したら――ただでは済まない。
しかも――第三勢力。
WHITE.U.F.OでもDUSTWAYでもない。
“えげつないのに、どこか泣いている気配”だけが残る、正体不明の少女。
名前すら出てこない。
だがその夜から、赤城の空気は変わった。
4月20日(月)17:00
群馬のりもの大学・自動車部 部室。
日が沈みかけ、油と工具と古いポスターが混ざった、“車好きの巣”。
そのど真ん中で、熊久保宣那(クマさん)が叫んだ。
「クイズ! いねーのは誰だべ!」
選択肢:サギさん(おれ)、カワちゃん、くに……そして野田さん。
……知らん名前が混ざってる。
「野田さんでしょ?」
「正解だべ!」
「誰やねん野田さんって!」
カワさんの鋭いツッコミで、部室が吉本になる。
笑いが収まった瞬間、タカさんの顔が締まった。
「この前のバトル、見たよね?」
「見た。……乱暴すぎたよ」
空気が自然と冷える。
「V36の堀内、ブレーキフェイント誘われた思ったら突っ込んだ。事故寸前だよ」
「そんな戦術あるのか……」「怖すぎやろ……」
プラズマ三人娘の表情が曇る。
「実際見た。あのアルテッツァ……あれは危ない。戦ったら死ぬ目見る」
部室に静寂が落ちる。
クマさんが思い出したように言う。
「サギさん、今日はワンエイティじゃなくて九〇マークIIで来ただな?」
「うん。借り物なんだ。持ち主に返してほしいって頼まれてね」
――ここから“草加幸平”の一件へ続く。
和食さいとう(13時)
派手な90マークIIが店の前に停止する。降りてきたのは――テレビでも知っている“草加幸平”。
俳優みたいな顔の元レーサーが、和服姿の智姉さんを見て微笑む。
「君は……伝説の斎藤智だろう?」
「まさか私を知っているとはな。光栄だ」
草加さんは、おれを振り返り、マークIIを指した。
「悪いが、これを持ち主に返してほしい。私は長時間運転すると身体が“燃える”」
そう言って草加さんは笑った。
事故で汗腺がほぼ機能しなくなった――ドライバーとして致命的な後遺症だ。
俳優のような顔で、草加幸平は穏やかに笑った。
「持ち主は……九一三雅。大学にいる」
「任せて!」
すぐに答えた。智姉さんは忙しいし、自分が行った方が早い。
タクシーへ向かう草加さんが振り返る。
「君が――大崎翔子だな?」
心臓が跳ねる。
「君の走り、見ている。サクラとWHITE.U.F.O倒したんだろう?」
……元プロに知られている。
少し誇らしかった。
現在。
プラズマ三人娘が息を呑む。
「それがマークII預かった理由だべ……」
「で、持ち主はどこにおるん?」
「探すしかないね」
フェンシング部……不在。テニス部……不在。
嫌な予感が胸を刺す。
乗馬部の広場。
馬上に立つ少女は、空気そのものが違った。
動きが少ないのに、視線だけが刃物だった。
「君が、九一三雅だよね?」
「そうだけど? 年下が軽く口きかないでくれる?」
プラズマ三人娘が即噴火する。
「なんだべあの態度!」「ムカつく!」「失礼すぎやろ!」
おれだけは静かだった。
――この子、心が泣いてる。
直感で分かった。
「草加さんから預かった。駐車場に置いてあるよ」
「父さんのクルマね。帰りに使うわ」
礼の欠片もない。
だが、雅の指先の潔癖すぎる仕草が、“何か隠してる”と告げていた。
部室へ戻ると、三人娘はまだ苛立っていた。
「なんだべあの子! 上から目線だし礼も言わねーべ!」
「ちょっとくらい『ありがとう』欲しかったよね!」
「せやな……」
その横で、わだす(おれ)だけが妙に落ち着いていたらしい。クマさんが首を傾げる。
「どうして見下されたのに平気なんだべ?」
「慣れてるからだろうね。昔も言われたし」
DUSTWAYとアース・ウインド・ファイアーが争っていた頃。おれは16歳というだけで笑われた。だから抜いた。何より智姉さんまで馬鹿にされたから、余計に腹が立った。
「……けど雅は、腕も智姉さんも貶さなかった。だから腹は立たなかった」
「アース・ウインド・ファイアーは最低だべ。あの女も最低だああ!」
三人が怒り散らす横で、わだすの胸は逆に冷えていく。
九一三雅には嫌な印象しかない。それなのに“何かが引っかかる”。
もしかしたら――惹かれる未来すらあるのかもしれない。悪い意味で。 悪い意味で。
「ところで、サキちゃんどう帰るん?」
智姉さんのマークIIを渡してしまったので、足がない。
「……歩くしかないかな」
「うちの車で送ったるわ」
カワさんがそう言って笑った。
「ありがとう。本当に助かるよ」
仲間っていいな、と素直に思った。
クマさんの方はカワさんとタカさんを誘う。
「今日、赤城行かねーべ?」
クマさんの言葉に、二人が一気にテンションを上げる。
「行くよ!」
「うちもや!」
その様子を見て、ついおれも口を出した。
「……おれも行っていい?」
「構わねーべ!」
ああ、受け入れてもらえてる。そんな当たり前のことが少し嬉しかった。
この夜――“とんでもない出会い”がおれを待つことを、この時のおれはまだ知らない。
午後七時。 山の端が黒く落ちて、街灯が薄く滲む時刻だった。
ボクはSpeed葛西で、オレンジ色のアルテッツァのボンネットを開けていた。 VeilSide製の鋭いエアロが夜気を切り裂き、ライトに照らされたエンジンルームの奥で、スーパーチャージャーのベルトが銀色の牙のように光っている。
トヨタの名車──AE86の再来と呼ばれたスポーツセダン。 載っているのは機械式過給器を抱えた3S-GE。 310馬力。 ターボとは違う、機械仕掛けの“脈動”が鼓動みたいに伝わってくる。
「……うん、問題なし」
コンプレッサーの滑らかな抵抗を指先で確かめ、ボクは満足げに頷いた。
右ドアへ向かおうとした瞬間──足音。 双子の姉、ヒマワリが歩いてきた。 緑髪のポニーテールが揺れ、いつものようにちょっと抜けた表情だ。
「モミジ、どこ行くんだ?」
「赤城」
短くそれだけ告げ、ボクは運転席へ滑り込む。 クラッチを踏み、セルを回すと、スーパーチャージャーの唸りが夜を震わせた。 ヒマワリの声が背中に刺さる。
「また走りに行くんだな……気ぃつけろよ」
答えず、ギアを1速に入れた。
今夜はただの走行じゃない。 胸の奥に、妙なざわつきがずっと残っていた。 雨原でもWHITE.U.F.Oでもない。サクラ姉でも母さんでもない。 もっと別の、“何か”が今夜待っている気がした。
アルテッツァは闇に滑り出す。 エンジン音が、予告編のように街を震わせた。 同じ頃。 黒く包まれた郊外のアパート駐車場。
九一三雅はJZX90マークIIのドアを閉め、キーをひねった。 1JZの甲高いノイズが静寂を破る。
「……行こうかしら。赤城へ」
黒いタイツに包まれた脚がアクセルを柔らかく踏む。 マークIIは闇の道路へ吸い込まれるように走り出した。 昨日出会った小娘──オレンジのセダン──その正体を知らぬまま、 九一三雅はただ“獲物の匂い”を追う獣のようだった。
群馬県道4号、赤城道路。 ヒルクライムのゴール前、駐車場。
おれとプラズマ三人娘は、それぞれの愛車の前に集まっていた。 赤い180SX、オレンジのC33ローレル、黄色いHCR32、青いA31── 4台の色が闇に浮かぶと、ここが“戦場”だと全身が思い出す。
クマさんが語り始めた。 旧車の匂いを肴にする、走り屋らしい語り口で。
「昔のわだすは4WD改FR使いだったんだべ。GDBインプも、ランエボ9も乗ってただぁ~」
「クマさんが……エボとかインプ……? C33のイメージしかなかったよ」
「けど今は違うべ。旧車の魅力に取り憑かれたんだぁ。 “旧型FRセダン、ナメンなよ!”って言いたくなるほどにな!」
その台詞に思わず笑う。 あぁ、こういうところがクマさんだ。 古さを背負って戦う、そのロマンに全振りしてる。
「さて、今から走って行くか」
おれが促すと、クマさんがC33に乗り込もうとする。 そこで、おれはふと提案した。
「……クマさん。おれを乗せてくれない? どれくらい速くなったか、見てみたい」
クマさんの顔がぱっと明るくなる。
「いいべ! サギさんが見てくれるなんて、気合い入るだぁ!」
ドアが開き、左側の助手席に乗り込む。 エンジンをかけるとRB20DETが咆哮し、ターボの呼吸が車内を揺らした。
ただ、その音を遠くから聞いていたカワさんとタカさんの表情が強張った。
「……なんか嫌な予感するわ。くに、うちらも行くで」
「うん。くにちゃんはHCR32に乗るよ」
「ほんまはA31に乗せたかったんやけどなぁ……」
2人もエンジンをかけ、闇へ消えていく。 胸の奥でざわつく何かは、おれも感じていた。
“何かが起きる”気がしていた。
美晴山展望台前の高速セクション。
前を走るのはオレンジのアルテッツァ。スーパーチャージャーの吸気が夜気を切り裂く。ステアを握るのは葛西モミジ。
その真後ろ――白と紫のマークIIが獲物を狙う狼のように張り付いていた。1JZの排気音は深く太いのに、動きだけは異様に鋭い。
「……くる、か」
ミラーに視線を落とすモミジ。次の瞬間、
ガンッ!!
バンパー越しに“斜め下から突き上げる”衝撃が入る。
車体が浮きかけ、後輪がわずかに逃げる。
「くあッ──!?」
ハンパープッシュ。峠では“事故上等”の最悪行為。
車体がわずかに蛇行する。
モミジが怒鳴る前に、背後から冷たい声が闇を切った。
「あなたが遅いのが悪いだけよ。直線で抜くなんて、退屈なの」
九一三雅の声。嘲りながら、微塵も感情の揺れがない。
続く直線。
490馬力のマークIIが、310馬力のアルテッツァを上から押さえつけるように加速してくる。
「……っ、この女……!」
ブレーキもアクセルも使わせてくれない。逃げ道を全て潰す“殺しのライン”。
次の右高速へ――雅が横に並び、獲物を締め殺す獅子のようにラインを寄せてくる。
「前に出る資格、あるのかしら?」
ほんのわずか。だが、確実に。事故を起こす気で――。
(この女……本気だ!)
二台は火花のように並んだまま高速コーナーへ飛び込んだ――。
スタートから十秒ほど。最初の右カーブを抜けた瞬間、背後から二種類の咆哮が追ってきた。低く唸るスーパーチャージャーの吸気音。甲高く鋭いターボの過給音。
──来ている。しかも二台。
「クマさん、後ろから来るよ。速いのが二つ」
曲線を下るほど音圧が増し、右中速コーナーを抜けた先で姿が見えた。オレンジのアルテッツァ。白紫の90マークII。
アルテッツァは本来NA。だが耳で分かる。あれは機械式過給器へ換装された個体だ。
「道、譲った方がいい。たぶん速い」
「うっせぇ! 後ろに来たらバトルだべ! それが礼儀だぁ!」
クマさんの血が騒ぎ始めていた。アクセルを踏み抜き、改造された六速MTのC33が吠える。後ろの二台も、一瞬で距離を詰めてきた。
次の左U字。
A31とHCR32がスピンしていた。
「ぶつけられたわ。料理すっわ」
九一三雅のマークIIが、A31のリアへ“突き”を入れていた。
あの女は――走りも性格も最悪だ。
三連続コーナーへ進入。クマさんはヒール&トゥからサイドを引き、綺麗な振り返しで C33 を横に滑らせる。だが、後ろの二台はさらに速い。ラインも車速も、完全に“追いつく気で”来ていた。
ミラーに映るオレンジと白紫。正体を見抜き、クマさんの声が低くなる。
「モミジと……九一三雅、だべ」
「次のコーナー、覚醒技使った方がいいよ。あの二台、マジで速い」
クマさんの身体がオレンジ色に揺らぎ──
〈神速〉。
踏み替えが消える。ギアの歯が“吸い込まれるように”噛み合い、
C33 が闇を裂いて横へ飛ぶ。
同時に、後ろでモミジも淡いオレンジの光をまとった。
「〈用心〉……アウト側へ逃がすのが正解か」
危険を察知した動き。しかし、その直後──
九一三雅のマークIIが紫色のオーラを纏う。
「〈神速〉ッ!」
ロケットのように射出された白紫が、C33 のリアへ突っ込んだ。バンッ、と鈍い衝撃。頭が跳ねる。挙動が乱れる。スピン寸前の白煙が立った。
「うわッ!」
ハンドルを抑え込みながら耐えるクマさん。その隙を突いて、九一三雅が二番手へ躍り出る。
「直線で抜くほどの価値がないわ」
九一三雅は様子見に切り替えた。 次のS字で“仕留める”つもりだ。
「クマさん、フェイントモーション!」
指示を飛ばす。 C33 が皿回しのように左右へ振れ、角度で速度を殺しながら攻める。後ろの二台も真似をするほど、クマさんの技術は光っていた。
だが── 九一三雅の目が光った瞬間、空気が変わった。
「さぁ、負けていただけないかしら?」
右コーナー。
雅は内側の縁石ギリギリに鼻先を入れ、“横Gの逃げ場”を奪ってくる。
そのままリアバンパーへ、迷いなく弾丸のような体当たり。 さらに、後ろのモミジも一気に攻める。
「ボクも行くよ」
二台のツインドリフトが火花のように並び、立ち上がりでアルテッツァが前へ出た。
そして── 第1高速区間。 C33 のパワーは強いが、レスポンスはアルテッツァに劣る。
ターボラグ。 諸刃の刃が牙をむく。
「くそ……高速でスーパーチャージャーに負けるだなんて……!」
次の左。 アルテッツァは完全に前へ出て、直後の右U字で綺麗なサイド進入。クマさんを引き離す。
「諦めねぇべ! 絶対抜き返すだぁ!」
しかし第2高速区間で異変が起きた。アルテッツァのテールライトが急激に赤く光る。
「こんな所でブレーキ!? 危ねぇべ!」
反応が一瞬遅れ、クマさんは急制動。強烈なGで身体が押しつぶされ、C33 がふらつきながらハーフスピンで停まった。
「ちきしょーめ!」
C33がハーフスピンで止まった直後、背後から二つのヘッドライトが揺 れながら近づいてきた。 A31とHCR32。カワさんとタカさんが、心配そうに降りてくる。
「クマさん、大丈夫なの?」 「九〇マークIIに当てられたって聞いたで?」
クマさんは、左U字で後ろから“押された”ことを簡潔に説明する。 タカさんは深く息を吐いた。
「やっぱりか……うちのHCR32もやられたよ。あいつ、ほんまに悪質だよ」
「おれは譲れって言ったんだけどね」
そう付け加えると、カワさんはわずかに目を伏せた。 あの人も熱くなりやすい。前に戸沢の件でも同じことをした。 冷静さを欠けば、勝てる勝負も落とす。
「仕方ねーべ……次は気を付けるだ」
クマさんがハンドルを握り直す。 三台はスタート地点へ戻り、それぞれ帰路についた。 翌日の午後五時。 葛西家では夕食を片付け終え、モミジが食卓から立ち上がっていた。
「ごちそうさま。母さん、ボクは行ってくるね」
「どこへ?」
「群馬のりもの大学だよ。後輩に会いに行く」
母のウメは、ため息混じりに笑う。
「そう。気をつけて行きなさい」
外に出ると、モミジは慣れた手つきでアルテッツァへ乗り込み、クラッチを踏む。 スーパーチャージャーの吸気が、夕方の風に鋭く溶けた。
自動車部の部室では、わだすたちプラズマ三人娘が談笑していた。 くにが、いつもより嬉しそうに笑っている。
「この前ね、子どもがくにちゃんのHCR32を見て“スカイライン!”って言っていた! めっちゃ嬉しかったよ!」
「今どきの子に珍しいな……車離れ、大丈夫なんちゃう?」
そんな会話の流れを断ち切るように、わだすが机を叩いた。
「クソ90マークII! 昨日のこと、絶対許さんべ!」
傷をつけられた悔しさが、まだ収まっていない。その時――部室の外から聴き慣れた“吸い込み音”が響いた。
「ん? この音、昨日の……」
「スーパーチャージャーだよ」
「葛西モミジのアルテッツァかもしれへん!」
そう言った瞬間、部室のドアが音を立てて開いた。アルテッツァの主――葛西モミジが現れた。
「久しぶりだね」
静かな声。だが空気が張り詰める。宣那が立ち上がり、自然と敬語になる。
「葛西先輩……昨日のC33に乗っとったのは、わだす、熊久保宣那です」
「そう。いい腕してたよ。でもバトルはまだまだだね。ボクは葛西モミジ。サクラ姉ちゃんの妹だよ」
その瞬間、空気が凍りつく。 敗北の記憶が蘇る。
「ボクが来た目的を言うね。大崎翔子とバトルがしたい。サクラ姉ちゃんの仇を、ボクが取る」
三人娘が息を呑む。
「日程は4月25日、土曜の夜10時。コースは赤城道路ダウンヒル。スタート地点で待ってるって伝えて」
モミジはそれだけ言うと踵を返し、部室を出ていった。スーパーチャージャーの音が遠ざかるまで、誰も言葉を発せなかった。
夕方六時。モミジはアルテッツァの低い唸りを響かせ走っていた。
白紫のマークIIが道端に停まり、雅が“足”でアルテッツァを止めた。
「昨日のこと、覚えてる?」
「覚えてるとも。なぜボクにぶつけた?」
「あなたが遅いのが悪いだけよ。遅い走りは事故を呼ぶ。だから押すだけ」」
「ボクは遅くない! サクラ姉ちゃんと母さんから叩き込まれた技術だ!」
「サクラ……? あぁ、“大崎翔子に負けた負け犬”ね」
空気が凍った。
「負け犬……?」
「あなたも同じよ。覇気がない。覚醒技超人としても、走り屋としても。だから“大崎翔子には勝てない”。予言しとくわ」
雅は笑って去った。
残ったモミジは、握った拳から血がにじむほど震えていた。
「……勝つよ。絶対に勝つ」
“姉さんの敗北を書き換えるのは、姉さんの妹であるボクだ。”
モミジの中で、その原点が疼いていた。
午後6時頃、和食さいとう。ここで客を待ちながら、智姉さんと話す。ワンエイティの今後についてだ。
「おれ、クルマの剛性を強化したいんですよね。エンジン換装しているのにロールバーを入れないなんてヤレてしまうなと思いますけど」
「いいだろう。ただしクルマを改造してくれる場所を探さないとな。Speed葛西は敵のアジトだしな……」
確か剛性の無さはワンエイティの弱点だ。原因はハッチバック構造によるものだ。剛性がないとクルマのパーツが仕事しない。せっかく積んだRB26が宝の持ち腐れなってしまう。 その時、おれの天敵である六荒から連絡が来る。
「オオサキちゃん、スマホが鳴っているぞ!」
電話だ。誰から来たんだろうか? 急いで取りに来る。
「もしもし? あぁ、クマさん?」
「大変だべ! 葛西モミジという走り屋がサギさんにバトルをするって申し込みに来たべ!」
葛西モミジってアース・ウインド•ファイアーを倒した走り屋か? こんな奴がおれに挑むとは、次のターゲットにされている!?
「そうだべ」
その後、日程も伝えてくる。今週の土曜日だ。挑戦するかどうか尋ねる。
「どうだべ? 挑むべか?」
「断る理由はないよ」
挑むことが相手への礼儀だ。断る行為は失礼だと考えている。
「了解だべ、本人に会ったら伝えていくだ」
おれの答えを聞いた後は通話を切る。 智姉さんと六荒も側で会話を眺めていたようだ。
「何の話だ? 葛西モミジとバトルするのか?」
六荒は話の内容が気になって仕方がなかった。
「オオサキ、葛西モミジは葛西三姉妹で頭のいい走り屋だ。18歳にして大学を3つ卒業している。今度のバトルで対策を立てようか」
果たして智姉さんが立てるのはどんな作戦だろうか。とても気になるものだが、頭脳派のモミジに勝てるものはおれ自身が思いつくのだった。だが、その一方で影が動き始めるのだった
夜十一時。 葛西家のモミジの部屋。 パソコンでブログを開き、記事を書く。
“今日、バトルを申し込みました。 相手は姉を倒した走り屋です。絶対に勝ちます。”
隣でヒマワリがぬいぐるみを抱えながら覗き込む。
「天気予報、晴れって言ってたのに……モミジは雨って書いたのか?」
「分かるんだよ。ボクは雨で来ると予感する。今度のバトル、ウェットタイヤで行く」
「大学三つ卒業しとる奴は違うわ……!」
ヒマワリは目を丸くして笑った。
4月25日、翌朝6時・赤城山
朝の赤城。雨の残り香が漂い、路面にはまだ水滴が残っていた。 おれのワンエイティが前、智姉さんのR35が後ろ。 最後の五連続曲線へ突入した。
「小山田疾風流〈赤備え〉——!」
おれの身体に赤いオーラが立ち上がる。 ハンドルを真っ直ぐにしたまま、ワンエイティが横向きのまま進入する。
ゼロカウンタードリフト。 前輪を切らず、滑りだけで姿勢を保つ“難技”。
後ろの智姉さんもサイドを引き、R35を横へ滑らせる。
「久しぶりに使ったな……ゼロカウンター。よし、こっちは〈神速〉で行くぞ」
二つの“ドリフト”が激しくぶつかり合い、 わずかな差でおれが制した。
「やるな、オオサキ」
駐車場に停め、二人は傘をさす。
「智姉さん……勝つために、使っちゃいました」
「いい判断だ。相手は三姉妹最速のコーナリング性能を持つ頭脳派だ。17歳で大学を三つ出ている。あいつは走りも“思考で組み立てるタイプ”だ。普段の走りが通じない場面が来たら、その技を使え」
おれは深く頷く。 勝つための鍵が見え始めていた。 そこへヴィッツが到着し、六荒が降りてくる。
「アルテッツァ、スーパーチャージャー積んでいる。低速が鬼強い。お前のRB26は低速トルク薄いし……雨だと、余計に苦戦するかもな」
智姉さんも補足する。
「バトルのタイヤはドライで行くぞ。雨は、やむと予想している」
「了解です」
天気すら勝敗を左右する。 モミジの“雨予知”と智姉さんの“晴れ読み”。 どちらが勝つかは、当日にならないと分からない。
4月25日 夜。
曇りの赤城に、三つの因縁が向かっていた。
オレンジのアルテッツァ。
白紫のマークII。
そして、赤い180SX。
九一三雅は――
その夜、何かを狙っていた。
The Next Lap
赤城山を荒らしていた《アース・ウインド・ファイアー》が沈んだ。
落としたのは――葛西サクラの妹、ヒマワリとモミジ。
姉の雪辱を胸に、たった一ヶ月で牙を研ぎ直した二人。
実力は、もはや“あの頃のサクラ”すら越えかけている。
もしオオサキと遭遇したら――ただでは済まない。
しかも――第三勢力。
WHITE.U.F.OでもDUSTWAYでもない。
“えげつないのに、どこか泣いている気配”だけが残る、正体不明の少女。
名前すら出てこない。
だがその夜から、赤城の空気は変わった。
4月20日(月)17:00
群馬のりもの大学・自動車部 部室。
日が沈みかけ、油と工具と古いポスターが混ざった、“車好きの巣”。
そのど真ん中で、熊久保宣那(クマさん)が叫んだ。
「クイズ! いねーのは誰だべ!」
選択肢:サギさん(おれ)、カワちゃん、くに……そして野田さん。
……知らん名前が混ざってる。
「野田さんでしょ?」
「正解だべ!」
「誰やねん野田さんって!」
カワさんの鋭いツッコミで、部室が吉本になる。
笑いが収まった瞬間、タカさんの顔が締まった。
「この前のバトル、見たよね?」
「見た。……乱暴すぎたよ」
空気が自然と冷える。
「V36の堀内、ブレーキフェイント誘われた思ったら突っ込んだ。事故寸前だよ」
「そんな戦術あるのか……」「怖すぎやろ……」
プラズマ三人娘の表情が曇る。
「実際見た。あのアルテッツァ……あれは危ない。戦ったら死ぬ目見る」
部室に静寂が落ちる。
クマさんが思い出したように言う。
「サギさん、今日はワンエイティじゃなくて九〇マークIIで来ただな?」
「うん。借り物なんだ。持ち主に返してほしいって頼まれてね」
――ここから“草加幸平”の一件へ続く。
和食さいとう(13時)
派手な90マークIIが店の前に停止する。降りてきたのは――テレビでも知っている“草加幸平”。
俳優みたいな顔の元レーサーが、和服姿の智姉さんを見て微笑む。
「君は……伝説の斎藤智だろう?」
「まさか私を知っているとはな。光栄だ」
草加さんは、おれを振り返り、マークIIを指した。
「悪いが、これを持ち主に返してほしい。私は長時間運転すると身体が“燃える”」
そう言って草加さんは笑った。
事故で汗腺がほぼ機能しなくなった――ドライバーとして致命的な後遺症だ。
俳優のような顔で、草加幸平は穏やかに笑った。
「持ち主は……九一三雅。大学にいる」
「任せて!」
すぐに答えた。智姉さんは忙しいし、自分が行った方が早い。
タクシーへ向かう草加さんが振り返る。
「君が――大崎翔子だな?」
心臓が跳ねる。
「君の走り、見ている。サクラとWHITE.U.F.O倒したんだろう?」
……元プロに知られている。
少し誇らしかった。
現在。
プラズマ三人娘が息を呑む。
「それがマークII預かった理由だべ……」
「で、持ち主はどこにおるん?」
「探すしかないね」
フェンシング部……不在。テニス部……不在。
嫌な予感が胸を刺す。
乗馬部の広場。
馬上に立つ少女は、空気そのものが違った。
動きが少ないのに、視線だけが刃物だった。
「君が、九一三雅だよね?」
「そうだけど? 年下が軽く口きかないでくれる?」
プラズマ三人娘が即噴火する。
「なんだべあの態度!」「ムカつく!」「失礼すぎやろ!」
おれだけは静かだった。
――この子、心が泣いてる。
直感で分かった。
「草加さんから預かった。駐車場に置いてあるよ」
「父さんのクルマね。帰りに使うわ」
礼の欠片もない。
だが、雅の指先の潔癖すぎる仕草が、“何か隠してる”と告げていた。
部室へ戻ると、三人娘はまだ苛立っていた。
「なんだべあの子! 上から目線だし礼も言わねーべ!」
「ちょっとくらい『ありがとう』欲しかったよね!」
「せやな……」
その横で、わだす(おれ)だけが妙に落ち着いていたらしい。クマさんが首を傾げる。
「どうして見下されたのに平気なんだべ?」
「慣れてるからだろうね。昔も言われたし」
DUSTWAYとアース・ウインド・ファイアーが争っていた頃。おれは16歳というだけで笑われた。だから抜いた。何より智姉さんまで馬鹿にされたから、余計に腹が立った。
「……けど雅は、腕も智姉さんも貶さなかった。だから腹は立たなかった」
「アース・ウインド・ファイアーは最低だべ。あの女も最低だああ!」
三人が怒り散らす横で、わだすの胸は逆に冷えていく。
九一三雅には嫌な印象しかない。それなのに“何かが引っかかる”。
もしかしたら――惹かれる未来すらあるのかもしれない。悪い意味で。 悪い意味で。
「ところで、サキちゃんどう帰るん?」
智姉さんのマークIIを渡してしまったので、足がない。
「……歩くしかないかな」
「うちの車で送ったるわ」
カワさんがそう言って笑った。
「ありがとう。本当に助かるよ」
仲間っていいな、と素直に思った。
クマさんの方はカワさんとタカさんを誘う。
「今日、赤城行かねーべ?」
クマさんの言葉に、二人が一気にテンションを上げる。
「行くよ!」
「うちもや!」
その様子を見て、ついおれも口を出した。
「……おれも行っていい?」
「構わねーべ!」
ああ、受け入れてもらえてる。そんな当たり前のことが少し嬉しかった。
この夜――“とんでもない出会い”がおれを待つことを、この時のおれはまだ知らない。
午後七時。 山の端が黒く落ちて、街灯が薄く滲む時刻だった。
ボクはSpeed葛西で、オレンジ色のアルテッツァのボンネットを開けていた。 VeilSide製の鋭いエアロが夜気を切り裂き、ライトに照らされたエンジンルームの奥で、スーパーチャージャーのベルトが銀色の牙のように光っている。
トヨタの名車──AE86の再来と呼ばれたスポーツセダン。 載っているのは機械式過給器を抱えた3S-GE。 310馬力。 ターボとは違う、機械仕掛けの“脈動”が鼓動みたいに伝わってくる。
「……うん、問題なし」
コンプレッサーの滑らかな抵抗を指先で確かめ、ボクは満足げに頷いた。
右ドアへ向かおうとした瞬間──足音。 双子の姉、ヒマワリが歩いてきた。 緑髪のポニーテールが揺れ、いつものようにちょっと抜けた表情だ。
「モミジ、どこ行くんだ?」
「赤城」
短くそれだけ告げ、ボクは運転席へ滑り込む。 クラッチを踏み、セルを回すと、スーパーチャージャーの唸りが夜を震わせた。 ヒマワリの声が背中に刺さる。
「また走りに行くんだな……気ぃつけろよ」
答えず、ギアを1速に入れた。
今夜はただの走行じゃない。 胸の奥に、妙なざわつきがずっと残っていた。 雨原でもWHITE.U.F.Oでもない。サクラ姉でも母さんでもない。 もっと別の、“何か”が今夜待っている気がした。
アルテッツァは闇に滑り出す。 エンジン音が、予告編のように街を震わせた。 同じ頃。 黒く包まれた郊外のアパート駐車場。
九一三雅はJZX90マークIIのドアを閉め、キーをひねった。 1JZの甲高いノイズが静寂を破る。
「……行こうかしら。赤城へ」
黒いタイツに包まれた脚がアクセルを柔らかく踏む。 マークIIは闇の道路へ吸い込まれるように走り出した。 昨日出会った小娘──オレンジのセダン──その正体を知らぬまま、 九一三雅はただ“獲物の匂い”を追う獣のようだった。
群馬県道4号、赤城道路。 ヒルクライムのゴール前、駐車場。
おれとプラズマ三人娘は、それぞれの愛車の前に集まっていた。 赤い180SX、オレンジのC33ローレル、黄色いHCR32、青いA31── 4台の色が闇に浮かぶと、ここが“戦場”だと全身が思い出す。
クマさんが語り始めた。 旧車の匂いを肴にする、走り屋らしい語り口で。
「昔のわだすは4WD改FR使いだったんだべ。GDBインプも、ランエボ9も乗ってただぁ~」
「クマさんが……エボとかインプ……? C33のイメージしかなかったよ」
「けど今は違うべ。旧車の魅力に取り憑かれたんだぁ。 “旧型FRセダン、ナメンなよ!”って言いたくなるほどにな!」
その台詞に思わず笑う。 あぁ、こういうところがクマさんだ。 古さを背負って戦う、そのロマンに全振りしてる。
「さて、今から走って行くか」
おれが促すと、クマさんがC33に乗り込もうとする。 そこで、おれはふと提案した。
「……クマさん。おれを乗せてくれない? どれくらい速くなったか、見てみたい」
クマさんの顔がぱっと明るくなる。
「いいべ! サギさんが見てくれるなんて、気合い入るだぁ!」
ドアが開き、左側の助手席に乗り込む。 エンジンをかけるとRB20DETが咆哮し、ターボの呼吸が車内を揺らした。
ただ、その音を遠くから聞いていたカワさんとタカさんの表情が強張った。
「……なんか嫌な予感するわ。くに、うちらも行くで」
「うん。くにちゃんはHCR32に乗るよ」
「ほんまはA31に乗せたかったんやけどなぁ……」
2人もエンジンをかけ、闇へ消えていく。 胸の奥でざわつく何かは、おれも感じていた。
“何かが起きる”気がしていた。
美晴山展望台前の高速セクション。
前を走るのはオレンジのアルテッツァ。スーパーチャージャーの吸気が夜気を切り裂く。ステアを握るのは葛西モミジ。
その真後ろ――白と紫のマークIIが獲物を狙う狼のように張り付いていた。1JZの排気音は深く太いのに、動きだけは異様に鋭い。
「……くる、か」
ミラーに視線を落とすモミジ。次の瞬間、
ガンッ!!
バンパー越しに“斜め下から突き上げる”衝撃が入る。
車体が浮きかけ、後輪がわずかに逃げる。
「くあッ──!?」
ハンパープッシュ。峠では“事故上等”の最悪行為。
車体がわずかに蛇行する。
モミジが怒鳴る前に、背後から冷たい声が闇を切った。
「あなたが遅いのが悪いだけよ。直線で抜くなんて、退屈なの」
九一三雅の声。嘲りながら、微塵も感情の揺れがない。
続く直線。
490馬力のマークIIが、310馬力のアルテッツァを上から押さえつけるように加速してくる。
「……っ、この女……!」
ブレーキもアクセルも使わせてくれない。逃げ道を全て潰す“殺しのライン”。
次の右高速へ――雅が横に並び、獲物を締め殺す獅子のようにラインを寄せてくる。
「前に出る資格、あるのかしら?」
ほんのわずか。だが、確実に。事故を起こす気で――。
(この女……本気だ!)
二台は火花のように並んだまま高速コーナーへ飛び込んだ――。
スタートから十秒ほど。最初の右カーブを抜けた瞬間、背後から二種類の咆哮が追ってきた。低く唸るスーパーチャージャーの吸気音。甲高く鋭いターボの過給音。
──来ている。しかも二台。
「クマさん、後ろから来るよ。速いのが二つ」
曲線を下るほど音圧が増し、右中速コーナーを抜けた先で姿が見えた。オレンジのアルテッツァ。白紫の90マークII。
アルテッツァは本来NA。だが耳で分かる。あれは機械式過給器へ換装された個体だ。
「道、譲った方がいい。たぶん速い」
「うっせぇ! 後ろに来たらバトルだべ! それが礼儀だぁ!」
クマさんの血が騒ぎ始めていた。アクセルを踏み抜き、改造された六速MTのC33が吠える。後ろの二台も、一瞬で距離を詰めてきた。
次の左U字。
A31とHCR32がスピンしていた。
「ぶつけられたわ。料理すっわ」
九一三雅のマークIIが、A31のリアへ“突き”を入れていた。
あの女は――走りも性格も最悪だ。
三連続コーナーへ進入。クマさんはヒール&トゥからサイドを引き、綺麗な振り返しで C33 を横に滑らせる。だが、後ろの二台はさらに速い。ラインも車速も、完全に“追いつく気で”来ていた。
ミラーに映るオレンジと白紫。正体を見抜き、クマさんの声が低くなる。
「モミジと……九一三雅、だべ」
「次のコーナー、覚醒技使った方がいいよ。あの二台、マジで速い」
クマさんの身体がオレンジ色に揺らぎ──
〈神速〉。
踏み替えが消える。ギアの歯が“吸い込まれるように”噛み合い、
C33 が闇を裂いて横へ飛ぶ。
同時に、後ろでモミジも淡いオレンジの光をまとった。
「〈用心〉……アウト側へ逃がすのが正解か」
危険を察知した動き。しかし、その直後──
九一三雅のマークIIが紫色のオーラを纏う。
「〈神速〉ッ!」
ロケットのように射出された白紫が、C33 のリアへ突っ込んだ。バンッ、と鈍い衝撃。頭が跳ねる。挙動が乱れる。スピン寸前の白煙が立った。
「うわッ!」
ハンドルを抑え込みながら耐えるクマさん。その隙を突いて、九一三雅が二番手へ躍り出る。
「直線で抜くほどの価値がないわ」
九一三雅は様子見に切り替えた。 次のS字で“仕留める”つもりだ。
「クマさん、フェイントモーション!」
指示を飛ばす。 C33 が皿回しのように左右へ振れ、角度で速度を殺しながら攻める。後ろの二台も真似をするほど、クマさんの技術は光っていた。
だが── 九一三雅の目が光った瞬間、空気が変わった。
「さぁ、負けていただけないかしら?」
右コーナー。
雅は内側の縁石ギリギリに鼻先を入れ、“横Gの逃げ場”を奪ってくる。
そのままリアバンパーへ、迷いなく弾丸のような体当たり。 さらに、後ろのモミジも一気に攻める。
「ボクも行くよ」
二台のツインドリフトが火花のように並び、立ち上がりでアルテッツァが前へ出た。
そして── 第1高速区間。 C33 のパワーは強いが、レスポンスはアルテッツァに劣る。
ターボラグ。 諸刃の刃が牙をむく。
「くそ……高速でスーパーチャージャーに負けるだなんて……!」
次の左。 アルテッツァは完全に前へ出て、直後の右U字で綺麗なサイド進入。クマさんを引き離す。
「諦めねぇべ! 絶対抜き返すだぁ!」
しかし第2高速区間で異変が起きた。アルテッツァのテールライトが急激に赤く光る。
「こんな所でブレーキ!? 危ねぇべ!」
反応が一瞬遅れ、クマさんは急制動。強烈なGで身体が押しつぶされ、C33 がふらつきながらハーフスピンで停まった。
「ちきしょーめ!」
C33がハーフスピンで止まった直後、背後から二つのヘッドライトが揺 れながら近づいてきた。 A31とHCR32。カワさんとタカさんが、心配そうに降りてくる。
「クマさん、大丈夫なの?」 「九〇マークIIに当てられたって聞いたで?」
クマさんは、左U字で後ろから“押された”ことを簡潔に説明する。 タカさんは深く息を吐いた。
「やっぱりか……うちのHCR32もやられたよ。あいつ、ほんまに悪質だよ」
「おれは譲れって言ったんだけどね」
そう付け加えると、カワさんはわずかに目を伏せた。 あの人も熱くなりやすい。前に戸沢の件でも同じことをした。 冷静さを欠けば、勝てる勝負も落とす。
「仕方ねーべ……次は気を付けるだ」
クマさんがハンドルを握り直す。 三台はスタート地点へ戻り、それぞれ帰路についた。 翌日の午後五時。 葛西家では夕食を片付け終え、モミジが食卓から立ち上がっていた。
「ごちそうさま。母さん、ボクは行ってくるね」
「どこへ?」
「群馬のりもの大学だよ。後輩に会いに行く」
母のウメは、ため息混じりに笑う。
「そう。気をつけて行きなさい」
外に出ると、モミジは慣れた手つきでアルテッツァへ乗り込み、クラッチを踏む。 スーパーチャージャーの吸気が、夕方の風に鋭く溶けた。
自動車部の部室では、わだすたちプラズマ三人娘が談笑していた。 くにが、いつもより嬉しそうに笑っている。
「この前ね、子どもがくにちゃんのHCR32を見て“スカイライン!”って言っていた! めっちゃ嬉しかったよ!」
「今どきの子に珍しいな……車離れ、大丈夫なんちゃう?」
そんな会話の流れを断ち切るように、わだすが机を叩いた。
「クソ90マークII! 昨日のこと、絶対許さんべ!」
傷をつけられた悔しさが、まだ収まっていない。その時――部室の外から聴き慣れた“吸い込み音”が響いた。
「ん? この音、昨日の……」
「スーパーチャージャーだよ」
「葛西モミジのアルテッツァかもしれへん!」
そう言った瞬間、部室のドアが音を立てて開いた。アルテッツァの主――葛西モミジが現れた。
「久しぶりだね」
静かな声。だが空気が張り詰める。宣那が立ち上がり、自然と敬語になる。
「葛西先輩……昨日のC33に乗っとったのは、わだす、熊久保宣那です」
「そう。いい腕してたよ。でもバトルはまだまだだね。ボクは葛西モミジ。サクラ姉ちゃんの妹だよ」
その瞬間、空気が凍りつく。 敗北の記憶が蘇る。
「ボクが来た目的を言うね。大崎翔子とバトルがしたい。サクラ姉ちゃんの仇を、ボクが取る」
三人娘が息を呑む。
「日程は4月25日、土曜の夜10時。コースは赤城道路ダウンヒル。スタート地点で待ってるって伝えて」
モミジはそれだけ言うと踵を返し、部室を出ていった。スーパーチャージャーの音が遠ざかるまで、誰も言葉を発せなかった。
夕方六時。モミジはアルテッツァの低い唸りを響かせ走っていた。
白紫のマークIIが道端に停まり、雅が“足”でアルテッツァを止めた。
「昨日のこと、覚えてる?」
「覚えてるとも。なぜボクにぶつけた?」
「あなたが遅いのが悪いだけよ。遅い走りは事故を呼ぶ。だから押すだけ」」
「ボクは遅くない! サクラ姉ちゃんと母さんから叩き込まれた技術だ!」
「サクラ……? あぁ、“大崎翔子に負けた負け犬”ね」
空気が凍った。
「負け犬……?」
「あなたも同じよ。覇気がない。覚醒技超人としても、走り屋としても。だから“大崎翔子には勝てない”。予言しとくわ」
雅は笑って去った。
残ったモミジは、握った拳から血がにじむほど震えていた。
「……勝つよ。絶対に勝つ」
“姉さんの敗北を書き換えるのは、姉さんの妹であるボクだ。”
モミジの中で、その原点が疼いていた。
午後6時頃、和食さいとう。ここで客を待ちながら、智姉さんと話す。ワンエイティの今後についてだ。
「おれ、クルマの剛性を強化したいんですよね。エンジン換装しているのにロールバーを入れないなんてヤレてしまうなと思いますけど」
「いいだろう。ただしクルマを改造してくれる場所を探さないとな。Speed葛西は敵のアジトだしな……」
確か剛性の無さはワンエイティの弱点だ。原因はハッチバック構造によるものだ。剛性がないとクルマのパーツが仕事しない。せっかく積んだRB26が宝の持ち腐れなってしまう。 その時、おれの天敵である六荒から連絡が来る。
「オオサキちゃん、スマホが鳴っているぞ!」
電話だ。誰から来たんだろうか? 急いで取りに来る。
「もしもし? あぁ、クマさん?」
「大変だべ! 葛西モミジという走り屋がサギさんにバトルをするって申し込みに来たべ!」
葛西モミジってアース・ウインド•ファイアーを倒した走り屋か? こんな奴がおれに挑むとは、次のターゲットにされている!?
「そうだべ」
その後、日程も伝えてくる。今週の土曜日だ。挑戦するかどうか尋ねる。
「どうだべ? 挑むべか?」
「断る理由はないよ」
挑むことが相手への礼儀だ。断る行為は失礼だと考えている。
「了解だべ、本人に会ったら伝えていくだ」
おれの答えを聞いた後は通話を切る。 智姉さんと六荒も側で会話を眺めていたようだ。
「何の話だ? 葛西モミジとバトルするのか?」
六荒は話の内容が気になって仕方がなかった。
「オオサキ、葛西モミジは葛西三姉妹で頭のいい走り屋だ。18歳にして大学を3つ卒業している。今度のバトルで対策を立てようか」
果たして智姉さんが立てるのはどんな作戦だろうか。とても気になるものだが、頭脳派のモミジに勝てるものはおれ自身が思いつくのだった。だが、その一方で影が動き始めるのだった
夜十一時。 葛西家のモミジの部屋。 パソコンでブログを開き、記事を書く。
“今日、バトルを申し込みました。 相手は姉を倒した走り屋です。絶対に勝ちます。”
隣でヒマワリがぬいぐるみを抱えながら覗き込む。
「天気予報、晴れって言ってたのに……モミジは雨って書いたのか?」
「分かるんだよ。ボクは雨で来ると予感する。今度のバトル、ウェットタイヤで行く」
「大学三つ卒業しとる奴は違うわ……!」
ヒマワリは目を丸くして笑った。
4月25日、翌朝6時・赤城山
朝の赤城。雨の残り香が漂い、路面にはまだ水滴が残っていた。 おれのワンエイティが前、智姉さんのR35が後ろ。 最後の五連続曲線へ突入した。
「小山田疾風流〈赤備え〉——!」
おれの身体に赤いオーラが立ち上がる。 ハンドルを真っ直ぐにしたまま、ワンエイティが横向きのまま進入する。
ゼロカウンタードリフト。 前輪を切らず、滑りだけで姿勢を保つ“難技”。
後ろの智姉さんもサイドを引き、R35を横へ滑らせる。
「久しぶりに使ったな……ゼロカウンター。よし、こっちは〈神速〉で行くぞ」
二つの“ドリフト”が激しくぶつかり合い、 わずかな差でおれが制した。
「やるな、オオサキ」
駐車場に停め、二人は傘をさす。
「智姉さん……勝つために、使っちゃいました」
「いい判断だ。相手は三姉妹最速のコーナリング性能を持つ頭脳派だ。17歳で大学を三つ出ている。あいつは走りも“思考で組み立てるタイプ”だ。普段の走りが通じない場面が来たら、その技を使え」
おれは深く頷く。 勝つための鍵が見え始めていた。 そこへヴィッツが到着し、六荒が降りてくる。
「アルテッツァ、スーパーチャージャー積んでいる。低速が鬼強い。お前のRB26は低速トルク薄いし……雨だと、余計に苦戦するかもな」
智姉さんも補足する。
「バトルのタイヤはドライで行くぞ。雨は、やむと予想している」
「了解です」
天気すら勝敗を左右する。 モミジの“雨予知”と智姉さんの“晴れ読み”。 どちらが勝つかは、当日にならないと分からない。
4月25日 夜。
曇りの赤城に、三つの因縁が向かっていた。
オレンジのアルテッツァ。
白紫のマークII。
そして、赤い180SX。
九一三雅は――
その夜、何かを狙っていた。
The Next Lap
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