光速の走り屋オオサキショウコ

まとらまじゅつ

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第5章 ヒマワリ編

ACT.23 ミッドシップの立ち上がり

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 夜11時、赤城山。闇は濃すぎて、空気そのものが黒く塗りつぶされたみたいだった。湿った風が首筋を撫で、遠くで鳴く鹿の声がやけに孤独に響く。

 その静寂を裂くように――
 ドオオオンッ、と二台分の咆哮。HCR32スカイラインとA31セフィーロがスタート地点横の駐車場へ滑り込み、ヘッドライトに照らされた木々の影が乱舞する。まるで闇が呼吸をしているみたいに揺れた。

「クマはん、今日は来ないんやな……。九一三雅に、またなんか言われたんやろか」

 ドアを閉めた私に、くにが首を傾げる。ライトの白さに照らされて、頬はいつもより少し不安げだった。

「くに、ちょっと走ろか。ナンバー2決めよ」

「うんッ! でも手加減しないよ!」

 いつもの破天荒な笑顔。うちらプラズマ三人娘が揃うと、必ずこの流れになる。

「ヒマワリの話、まだしてへんよね」

「うん。あの人は倒すしかないもんね!」

「せや。サキはんに追いつくには、ヒマワリ越えが必須なんや」

 そのとき――

「す、すみません!」

 紫のECR33セダンが勢いよく停まり、青年が飛び出してきた。夜風の中でも分かるほど、真剣に目が光っていた。

「あなたたち……ドリフト甲子園の準優勝と準々優勝ですよね!」

「まあ、そこそこ有名人やで」

 彼は息を整える間もなく叫んだ。

「僕と勝負してください!」

 くにの口がぽかんと開いた。

「いまから……? ウチら、ふたりでやろうとしてたのに……?」

 私は小さく肩をすくめる。

「しゃーない。三つ巴にしよか」

 スタートラインに三台が並ぶ。先頭右にECR33、後方右にくにのHCR32、左にうちのA31。

「行くで……!」

 クラッチを繋いだ瞬間、三台のエンジンが咆哮を上げた。
 タイヤが悲鳴を上げ、ローターから伝わる熱気が足元をじりじり焦がす。

 その直後――

「……緑の弾丸?」

 駐車場前の闇を、一台の車が弾丸みたいに射抜いた。
 緑のSW20型MR2。葛西ヒマワリ。

「速ッ……!」

「は、はや……ッ!」

 まだ気づいてない。だが――絶対に来る。あいつは“匂い”で走りを追いかけてくるタイプや。

 ECR33は二合目の右コーナーでオーバースピードに入り、ブレーキングでスピンしてリタイア。

「くに、今や! 抜くで!」

「負けないよ!」

 そんな矢先――
 背後から、胃袋を掴まれるようなエンジン音が迫る。

「3S-GTE……! 来た!」

 緑のSW20が、霧みたいに闇を裂いて飛び込んでくる。

「前の二台……全部食ったるでぇぇぇ!!」

 ヒマワリの叫びが山に反響した。
 インに刺すスピードは、常識の外にあった。

「Kイリュージョン流《鬼影の追跡》!」

 私はA31を横に振り、リアで威圧するラインを描く。
 だが――切り返しの一拍が早すぎる。まるで内側の地形を“知っていた”みたいにSW20が刺し込み、私を抜いていった。

「次は、くに。頼むで!」

 くには黄色のオーラを纏い、<神速>を発動。

「絶対離さないんだからァッ!」

 しかし――

「ドラゴン・キラーッ!!」

 緑のオーラが爆ぜ、SW20がHCR32を飲み込むように抜き去る。
 リアが地面に沈み込み、獣が路面を噛みちぎるみたいに前へ飛んだ。
 MRの瞬発力が、コーナー出口で弓みたいに弾けた。

 うちらの誇りは、音を立てて崩れた。

 駐車場に戻ると、A31もHCR32もボンネットから白い湯気を上げていた。

 そこへ――
 白と紫のJZX90が、夜霧に溶けるように滑り込む。

「……九一三雅」

 降り立った彼女は、冬風みたいな冷えた笑みを浮かべていた。

「ヒマワリに、負けたんだって?」

「……見てたんかい」

「あなたたちが“伝説”を背負うには、まだ早いわ」

 くにが噛みつきそうになるが、私は手を伸ばして制した。

「落ち着き。今はその時ちゃう」

 九一三雅は、わずか一瞬だけ寂しそうな目をした。

「もし……あなたたちが“大崎翔子の取り巻き”じゃなければ、友達になれたかもしれないのにね」

 その言葉だけが、冬の空気をひどく冷たくした。

 九一三雅が“孤独”を身にまとうようになったのは、選んだ結果じゃない。
 気づけば、それしか残っていなかった。

 物心ついたとき、両親はいなかった。
 海に沈んだ観光船。救助された幼い雅の手には、父の腕時計だけが残された。

 孤児院。
 薄暗い廊下の匂いと、同じ年頃の子どもたちのざらついた視線。
 “親がいない子”なんて理由にならない理由で、雅はよく押し倒され、靴を隠され、心を削られるみたいに泣いた。

 泣いたところで誰も助けてくれない。
 泣かなければ何も変わらない。
 その繰り返しのなかで、雅はひとつの答えにたどり着く。

——人は信じない方が傷つかない。

 そのはずだった。

 雨の日だった。
 院の裏で殴られていた雅を、ひょいと抱き上げた男がいた。

「……大丈夫か。ひどい目にあったな」

 草加幸平。
 GT300帰りの走り屋。
 優しい声なのに、どこか芯が鋼みたいだった。

「父さん、って呼んでいい。無理に笑わんでいいかな。立てるか?」

 雅はそのとき、初めて“救われる”という感覚を知った。
 父親の記憶はぼんやりしていたが、この男の背中は妙に鮮明だった。

 その日、草加は雅を連れ、ある夜の峠へ向かった。
 筑波山。
 雨で路面が黒く濡れ、ギャラリーが息を潜める中、一台のワンビアがスタートラインに佇んでいた。

「雅。あれが……斎藤智だ」

 雨の闇を切り裂く、ワンビアのボンネット下で、1JZの直6が雨を裂き、
夜の筑波山を目覚めさせた。
“直4シルビアの皮を被った怪物”――
 その異様さに、ギャラリーが息を呑んだ。
 観客がざわつく。
 誰もが“勝ちを疑わない”走り屋の登場に震えていた。

 その瞬間、雅は理解した。

――私には、何もない。
――でも、この人たちは“何かを持っている”。

 斎藤智の走りを初めて見たとき、雅の世界は初めて色づいた。
 黒一色だった心に、色が差し込んだ。

 涙があふれた。
 怖さでも悲しさでもない。
 “憧れ”という感情を、初めて知った。

「父さん……私、強くなりたい」

「なればいい。お前は、なれる。孤独や痛みはな、力になる。
 ただし……そのまま進むと、智みたいな“怪物”になるぞ」

「……なってもいい」

 雅はかすかに微笑んだ。
 初めて、未来が欲しくなった。

  草加の背中と、智の走り。
 それだけが雅の“支え”になった。

 孤児院を出てからも、バイト代を貯めて車を買い、
 夜の峠に通い詰め、
 いつしか「九一三雅」という名だけが一人歩きを始めた。

 でも、心の奥底ではずっと恐れていた。

 ——自分は誰にも選ばれない。
 ——誰も私を必要としない。

 だから智を追う。
 だから草加の言葉が唯一の“家族”になる。
 だから“大崎翔子”が許せなかった。

 智に選ばれたように見えたから。
 自分がどれだけ手を伸ばしても届かなかった場所に、
 オオサキが軽々と入り込んでしまったように思えたから。

 雅の嫉妬は、恋愛でも恋情でもない。

“家族を奪われた子どもの、最後の正しさ”が揺らいだ瞬間の叫びだ。

 ――九一三雅は、ただ孤独なだけだった。
 誰よりも速くなりたいわけじゃない。
 ただ、誰かに選ばれたかった。
 父親と呼べる人と、同じ景色を見ていたかった。

 だからこそ、オオサキが許せない。
 “取られた”と思ってしまう。
 自分には手に入らなかったあの温度に、
 彼女が無自覚に触れていることが、何よりも耐えられない。

 夜の赤城で、雅は今も走り続ける。
 笑われても、嫌われても、敵視されても。
 それでも――
 彼女のエンジンが止まることはない。

 深夜0時。Speed葛西のガレージ。
 金属とオイルの匂いが漂い、蛍光灯の白が床に冷たく広がる。

 私は長女・サクラのJZA80のボンネットを開け、レンチを回していた。

 そこへ――
 夜を切り裂くロータリーターボのサウンド。

「やあ、ウメさん」

 青いFDから降りてきた芽来夜の目は、まるで子どもみたいに輝いていた。

「これ……マジでヤバい。オオサキにリベンジできるんじゃあね?」

「そのために作っているわ」

 私はくすりと笑い、鍵を握る。

「……ちょっと裏赤城まで、付き合ってくれないかしら? 息抜きじゃあなくて……決意の確認よ」

 JZA70とFDが、静まり返った峠へ消えていく。

 展望台に車を停め、ボンネットに寄りかかる。

「赤城最速。誰だと思うの?」

 芽来夜は夜空を見上げ、ゆっくり答えた。

「四人。サクラ、ヒマワリ、モミジ。そして……大崎翔子」

 胸が微かに疼いた。

「やっぱり、あの子か」

「智を思わせるんだよ。あの子の走りは」

「……なら、私も動く。斎藤智に挑む」

 芽来夜が微笑む。

「ウメさん、本気だな」

 私は月を見上げ、静かに誓った。

 ――必ず抜く。斎藤智、あなたを。

 深夜1時、県道4号赤城線。
 DC5インテグラが、孤独に夜を切り裂いていた。

 バックミラーに、青白い光。

「……まさか」

 ギャラリーの声が風に乗って届く。

「雨原芽来夜だ!」

 青いFDが迫る。
 空気ごと支配される圧。

「煽られたら……終わりだ」

 ブラインドアタックは使えない。タイミングが悪すぎる。

「逃げるしか……!」

 アクセルを踏み抜くが、FDは張り付いたまま離れない。

「なんて……化け物だよ……!」

 影のように横へ並び、獣のように食らいつく。
 赤城の闇で封じられていた“最速”が、今また牙を剥いた。

The Next Lap──
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