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4巻
4-2
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――――――――‼
視界が光で埋め尽くされると、自身の使う転移魔法とは異なる感覚と、重力から解放されたかのような浮遊感に、シンは一瞬意識が飛びかける。
そんな違和感に耐えること数秒、光が消えた二人の前には、先程とはまったく別の風景が広がっていた。
目の前には、一本の太さが一メートルを越える丸太、それがズラリと隙間なく打ち込まれた柵が延々と続く。柵の高さはゆうに三〇メートルはあるだろう。
そしてその光景以上にシンが驚いたのは、周囲を漂う濃密な植物の香りだ。香り自体に不快さはないものの、いつまでも嗅いでいると嗅覚が破壊されそうなほどである。
この強い芳香こそが、魔物を寄せつけない結界の役目をしていると、後にシンは聞いて知った。
「んがっ!」
「どうだ、シン。ここが我らの住む〝アナンキア〟だ。なかなかのもの――どうした?」
振り向いたフィーリアは、いるべきはずの場所にシンがいないことに気付くと、あたりを見回し、やがて、足元で潰れた蛙のような無様を晒す物体を目にする。
「何かの遊びか?」
「……そんなわけないでしょう。初めての体験で平衡感覚が狂っただけですよ」
「かろうじてキミに常識が通用することが分かって安心したよ。さて、よっこい、せっ!」
フィーリアは、フードを被った状態のシンの首根っこを掴むと、一気に吊り上げた。
「うぉうっ⁉」
「はははっ! そういえば、昔はちょこまかと逃げ回る弟をこんな風に捕まえたものだ」
「さいですか。弟さんには同情しますよ……」
ジト目で返すシンを見て、フィーリアは再度高笑いする。結果として、それがよくなかった。
フィーリアが住まうというアナンキア。柵で囲われているのは当然、外敵の侵入を防ぐためで、ならばそこには門兵のような見張りがいるのもまた当然である。
微かな笑い声を耳に捉えたその男は、視界の先、精霊回廊の出入り口となっている大木の前に二つの人影を確認すると、胸に下げた小さな笛を思い切り吹いた。
笛がピイィと甲高い音を響かせると、それがやむ頃にはすでに、柵の上には十人近くの森エルフが弓を構え、二人の門兵が槍を携えてフィーリアたちの前に接近していた。
「姫様、よくぞご無事で‼ 連絡もなしに出て行かれた挙句、一向に戻る気配もなし、今まさに捜索隊を出そうと準備をしていたところですぞ!」
「姫様はよせ。多少のトラブルはあったものの、こうして無事に戻ってきた」
そう言うとフィーリアは、力強く胸元をドンと叩く。ただ、その肝心の胸元には、戦士の鎧ではなく布切れがサラシのように巻かれている。どこから見ても多少のトラブルで済むものではない。
加えて目の前のシンである。
「トラブル……ですと?」
「ああ、実は森の中でこの男に――」
ジャキ‼
フィーリアを姫様と呼んだ二人は槍を構えると、その穂先をシンに向けて固定する。それと同時に、柵の上の弓兵からは殺気が漏れ出し、開いた門からは武器を構えた戦士たちが殺到した。
「……『フラグ』がなんでしたっけ?」
「あ、いや……」
予想外の展開に、フィーリアはあわわと口をパクパクさせるだけで言葉にならない。
それをどのように捉えたのか。槍を構えた男は、諦観の表情を浮かべるシンに向かって、感情を押し殺した声で話しかける。
「――下郎、末期の言葉くらいは聞いてやろう」
「……弁明の機会がいただけるのでしたら、ぜひその席で」
「お前たちヤメロ! シンは――」
制止の声は間に合わず、槍の石突がシンの鳩尾に深々と突き刺さった。
「ぐっ――んっ‼」
くの字に折れ曲がる動きで、シンの体を掴んでいたフィーリアの手が離れる。すると今度はその首目がけて、槍の太刀打――金属で覆われた柄の部分――が振り下ろされ、シンの意識は刈り取られた。
シンの意識が途切れる直前に聞いた声は、フィーリアの絶叫だった。
■
「この度はお詫びのしようもない‼」
二〇人ほどの森エルフから頭を下げられたシンは、ズキズキと痛む後頭部をさすりながら、困惑の表情を浮かべていた。
各辺一〇メートルほどの板張りの部屋。そこでシンは一人だけ、草で編まれた畳のようなものの上に座らされている。おそらく上座ということなのだろう。
そんな彼の前には、一際強いオーラをかもし出している男を筆頭に、全員が胡坐をかいて床に両手をつき、頭を擦りつけている。その姿はさながら武士の出陣式か、はたまた謝罪の体勢か。
気分は武家屋敷である。
(どうしてこの氏族は、誰も彼もが武人スタイルの生き様なのか……)
眉をハの字にしたシンが懊悩していると、彼以外でただ一人、頭を下げていないフィーリアが口を開いた。
「シン殿、勘違いとはいえ貴殿に無礼を働いたのは事実であり、怒りが収まらぬのはごもっとも。しかしながら、ここはなにとぞ矛を収めてはもらえないだろうか?」
「え? ああ、少し考え事をしていただけで、怒ってなどいませんよ。大切な同胞、ましてや貴人に何かあったやもしれぬとあれば、先程の行動も理解できます。幸い大事には至ってはおりませんので、大事にするつもりは毛頭ありませんよ」
にこやかに、そして穏やかに話すシンに、男たちはさらに頭を床につける。
事態が終息すると思われた直後、先頭で頭を下げ、先程シンに対して謝罪の言葉を述べた男性が、再度口を開く。
「もったいなきお言葉。なれど、娘の恩人に狼藉を働きながらお咎めなし、それでは我らの気が済みませぬ。許されるならこのナハト、我が右腕をこの場にて切り落とし、以て贖罪とさせていただきたく――」
「父上⁉」
どうやら先頭で頭を下げていた男は、フィーリアの父親で族長らしい。言葉遣いもそうなら、行動も実に武人的だ。
「許されませんから‼ そんな謝罪の仕方は要りませんから!」
スタイリッシュな謝罪からのエキセントリックな贖罪のコンボに、シンの方が悲鳴を上げる。
(もうヤメテ! なに、この森のエルフってなんなの⁉ 中身完全に戦国武将じゃん! しかも一際ヤバイ地方の‼)
とはいえ、相手もハイそうですかと納得するはずはない。
「しかしそれでは我らの気が!」
「そんなことされても嬉しくありません! どうしても気が済まない、そう仰るのでしたら二つ、私の要望を叶えていただきたく存じます」
「要望を二つ?」
なおも抗弁する族長の意識が別のものに移ったところで、シンは一気に捲し立てる。
「ええ。まず一つ目。私は世界を旅して回る薬師です。そのため、各地で薬の材料や貴重な素材を購入し、作った薬をまた売って――そうして生計を立てております。ですので、もしよろしければ、この森で採れる植物や様々な素材、それらを買わせていただければと思っております」
「そのようなこと。買うなどと言わず、好きなだけ持っていっていただいて構いませんぞ」
「いえ、それは私の方が心苦しいので勘弁願います。もしどうしてもというのであれば、市価の半値で譲っていただければありがたい。そして二つ目のお願いですが、フォレストバイパーの産卵時期が過ぎるまで、ここに滞在する許可をいただきたいのですが……」
「……は?」
「父上、彼――シンは元々、それが目的でこんなところまでやって来た変わり者でして」
呆ける父親に、フィーリアが事情を説明する。
はじめは神妙に聞いていた族長だったが、顔からは徐々に緊張感が失せ、しまいには若干呆れ顔になる。ちなみに後ろの連中は、頭を床につけたまま首を傾げるという、器用な芸当を見せていた。
「決して迷惑をかけるような真似はしませんので、どうぞお願いいたします」
「シン殿は変わった御仁ですな……無論、こちらに異論はございませぬ。どうぞごゆるりと、この里に滞在してくだされ」
それからシンは、後ろで頭を下げていた男たちからも、順繰りに謝罪の言葉をかけられる。そしてその都度、エルフの若く秀麗な相貌から繰り出される武士のような言葉遣いに、苦笑いを抑えるのに必死だった。
そして――
「……ふぅ」
あてがわれた部屋の中、ようやく安堵のため息をついたシンは、大の字に寝転ぶ。
『シンにしては、えらく穏便に済ませたものですね?』
そこへ、シンの体内にある竜宝珠を介して、大地の魔竜メタリオンの思念が、彼の頭の中に響いた。何の前触れもなしに話しかけてくるリオンに、しかしシンは欠片も動じず、冷静に返す。
「……リオン、とりあえずお前が俺のことをどう評価してるのか知りたいので、チョットここに来て座りなさい」
巨乳美女の姿で――とはあえて言わなかったものの、相手には充分伝わったようで、当然のように無視された。
お願いを聞いてくれない無慈悲な友人に、シンは心の中で悪態をつきながら話し出す。
「暴れるメリットが一つもないからな。まあおかげで相手は俺に対して、感謝と負い目で強気には出られない。大概の要求は無条件で通るし、多少無茶なことも押し通せる。万々歳だな」
『さすが外道ですねえ……』
「酷くない?」
呆れる声に突っ込みを入れつつ、グラウ=ベリア大森林の森エルフについて、シンはリオンからあれこれ聞き出した。
――グラウ=ベリア大森林には、シンが出会ったアナンキア氏族をはじめ、ミラヨルド、ルーケンヌ、パラマシル、サンノイドと、合計五つの氏族が存在する。この呼び名は、彼らが護り、また護られている五本の聖樹の名前でもある。
森の中心には世界樹があると言われているが、通常の手段では近付くことも、それどころか姿を見ることすら難しい。
そんな世界樹から、北の位置にあるアナンキアを筆頭に、前述の順番で右回りに五本の聖樹が点在し、各々の里には二万人ほどの森エルフが住んでいる。
一番東に位置するミラヨルド。彼らは五氏族の中で最も開放的であり、大森林の東にあるハルト王国と、活発に交流している。
パラマシルとサンノイド。こちらは、数十年前から険悪な仲とのこと。聖樹同士の距離が近く、そのせいで狩りや希少な植物など、縄張り問題で揉めていることが理由だ。
シンが滞在するアナンキア、そしてルーケンヌは特にこれといった特徴はなく、ごく一般的なエルフの営みが見られるだろう、とはリオンの言である――
「一般的とは……?」
リオンの言葉に、首を傾げる以外の反応ができないシンだった。
その後、森を抜ける間に採取した、様々な植物や魔物の素材。これらを整理、整頓しているとあっというまに時間は過ぎ、気がつけば日は傾いている。
(食事はどうしよう?)
シンがそんなことを考えていたところへ、実にタイミングよくフィーリアがやってきた。
食事の準備ができたと告げる彼女についていけば――なぜか宴会場に案内される。
「何か、祝い事でもあるのですか?」
「……本当に些細なことを気にする男だな。疑問など、酒が飲めるというだけで全て呑み込め。それがいい男というものだ」
「はあ、そういうもんですか。フィーリアさんは男前ですね」
お互い、相手に呆れたような目線を送っていると、先程、実に男前な責任の取り方をしようとした男から声をかけられた。
「来られたか、シン殿! ささ、こちらへ」
宴会場全体に届くような声で自分の名を呼ばれ、場の注目を一身に浴びたシンは、促されるままに上座に座る。
空気の読めるジャパニーズサラリーマンの前世を有するシンに、断るという選択肢はなかった。
シンの両隣に族長のナハト、その娘のフィーリアが着座し、皆の視線が三人に集まる中、ナハトがおもむろに口を開く。
「此度は、大事な客人を迎えての祝いの席である。客人の名はシン、我が娘の恩人にして、行き違いから生じた我らの無礼を水に流してくださった徳量寛大の徒である。また、この時期必要になるフォレストバイパーの毒袋を四体分も提供してくれた、まさに豊穣の使い。皆、今宵は大いに飲むがいい」
『おーーーー‼』
族長の宣言ののち、次々に杯を酌み交わし、盛り上がる武闘派の森エルフたち。そんな中でシンはというと、挨拶に来る森エルフたちに営業スマイルで応対していた。
彼らの列が途切れた頃、タイミングを見計らっていたのだろうか。フィーリアの逆隣に座っている二〇歳(ヒト種換算で一〇歳)くらいの年若い少年が、シンに話しかけてくる。
「シン様、この度は本当にありがとうございました」
周囲とは一線を画す、大人しい雰囲気のエルフの少年は、そう言ってシンに頭を下げた。
「感謝なら充分にいただきましたよ。あー、ええと」
「カイトと申します、シン様」
「様付けはよしてください。カイト君は、フィーリアさんの息子さんで?」
ゴン――‼
「痛ぅ……イキナリなにを?」
「バカモノ! カイトは私の弟だ。私が子持ちに見えるのか⁉」
顔を真っ赤にして怒るフィーリアを見て、周囲がどっと笑う。
シンは頭をさすりながら不満顔で――
「見えるも何も、エルフの外見から、どうやって年齢を見分けろと言うんですか?」
「そ、それは! ……雰囲気というか、佇まいというか、色々だ!」
「んな無茶な……ああなるほど。つまりフィーリアさんは、大人の女性らしい佇まいもなければ、妻にと望まれる雰囲気もかもし出していないということですね!」
ゴン――‼
「ぬおっ!」
「喧嘩を売っているのか? いや、売っているのだな。いいだろう、泣きたくなるほど買い叩いてやる!」
二人のやり取りに、すでに酒が回りはじめた周囲はやいのやいのとはやし立てる。
あたふたするカイトの前で、やる気満々で二人が唸り声を上げていると――
ゴスンッ‼
フィーリアの脳天に、シンが食らったものとは明らかに違う、質の高いゲンコツが落とされた。
「っ~~~~~~‼」
「ハーッハッハ! フィーリア、そなたの負けよな。というかそなた、恩人の頭をそうポンポンと叩くでない」
叩くどころか殴るなのだが、その辺は気にしないらしい。というか、父親の基準からすれば、娘のそれは確かに叩く程度なのだろう。
頭を押さえ、涙目で何か言いたそうなフィーリアではあったが、さすがに自重したようで大人しく座る。耳まで赤くした顔で、シンを睨むのをやめる気はなさそうだが……
「……で、フィーリアさんは一体何歳なんですか?」
「我が娘なら五〇は越えておりましたかな。まあ、腕っ節ばかり鍛えたがる、まだまだ子供にござるよ」
「族長、姫様は今年で九〇歳ですぞ」
「む、そうであったか? まあ、一〇〇にも届かぬのだ、大した違いはなかろう」
大ざっぱすぎる認識と、赤ら顔でヌハハと笑う姿。そこに里を統べる者の威厳はなく、ただの酒飲みオヤジがいるだけだった。
その後も宴会は続いていたが、不意にナハトがポツリと呟く。
「……娘も、せめてもう少し落ち着きが出てくれれば、安心して嫁ぎ先へ送り出してやれるのだがな」
「え、フィーリアさん、結婚するのですか?」
「うむ、ルーケンヌの次期族長のもとへな」
ルーケンヌとは、北にあるアナンキアに対し、グラウ=ベリア大森林の南に位置する聖樹の里である。
離れた土地に嫁ぐ娘を思ってか、ナハトの表情はどこか寂しげであった。
なんとなく言葉をかけづらくなったシンは、ふとフィーリアを見ると――
「……………………」
キュッと唇を引き結び、どこか思いつめたような表情を浮かべている。それを見たシンは、心の中だけで盛大なため息をついた……
■
――アナンキアの朝は遅い。
グラウ=ベリア大森林の中にある集落では、陽の光がまともに差すのは早くとも七時を過ぎる。
にもかかわらず、森エルフの戦士たちは朝の四時から完全装備で柵の外を走り、木の枝に飛び移り、さらに当番の者は、朝の食材の調達に森へと入るのだ。
シンが目を覚ました六時には、いまだ薄暗い広場で模擬戦闘をしている戦士たちの姿があった。
「武士かとも思ったが、中身は海兵隊だったか……」
昨夜あれだけ宴会で騒いだ次の日にこれである。アナンキアの戦士たちの質の高さが透けて見えるようだった。
ちなみに、現在シンがあてがわれている部屋は、彼らが訓練施設として使っている建物の一室で、族長のナハトや、その親族などが滞在時に使用する部屋である。
顔を洗って意識をハッキリさせたシンは、食堂で適当に朝食を摘んだ後、そのまま集落の中を散策しようと宿舎を後にした。
そこへ――
「あ、シン様!」
外へ出たとたんに声をかけられる。声の方を向くと、そこには森エルフの少年の姿が。昨日紹介してもらった、フィーリアの弟のカイトだ。
「おはようございます、カイト君。それから様はよしてくださいよ、恥ずかしいですから」
「そうですか? ではシンさんで。それでシンさんはどこへ?」
「ええ、滞在許可を貰ったものですから、街中でも散策しようかと」
「でしたら僕がアナンキアを案内しますよ!」
シンは道案内を手に入れた。
森エルフの多くは、自分たちの故郷を、村、街などとは呼称せず、聖樹の名前で呼ぶのが通例らしい。ただ、対外的には○○の街――もしくは里――で通しているとのこと。
訪れたときに見た、大きな柵で覆われた空間の広さは、直径が二キロの円形になっており、その中に約二万人が住む。
住居や各施設は、外観はログハウスなどの木造建築で、商店以外の建物内は原則土足禁止。どこぞの別荘地のようである。
全ての住人が森エルフというわけではなく、わずかではあるがヒト種やドワーフなども住んでいる。彼らの大半は、鍛冶師や職人、交易商人とのこと。
森エルフということもあり、種族特性として全員が風属性の魔法の使い手だ。また、軽い身のこなしに加え、弓の腕前はヒト種であれば熟練の弓兵並み。
その中でも『戦士』として訓練を受けている一〇〇〇人ほどの精鋭が、森の外で魔物を狩ったり、悪意を持った襲撃者への対処をしている。
里の中心には、幹の太さが三〇、高さが二〇〇メートルになる聖樹アナンキアがそびえ、街のどこからでも見ることができる。
シンは、カイト少年の案内で朝市にやってきた。
店頭には様々な果実や木の実、野菜などが並んでいるが、やはりというべきなのだろうか、肉や魚の類は多くなかった。
「森エルフの皆さんは、肉はあまり食べないのですか?」
「好みもありますが、どうしても肉が食べたい! という人は少ないですね。『戦士団』の方々が『肉を食べないと力が出ない』と言って、狩った獲物の大半を自分たちで消費しているのが、市場で肉を見かけない一番の原因ですけど」
あははと笑うカイトに、妙に納得したシンも乾いた笑いを返す。
店を回りながら買い食いをしていると、シンはふと、周りの森エルフたちの会話に違和感を覚える。いや、それはカイトと話をしているときから感じていたものだが、ここにきてはっきりと自覚してしまった。
彼らの喋り方が、カイトが言うところの『戦士団』とはまるで違う。シンにとって馴染みの、『ごく普通』の喋り方なのである。
「カイト君、店先で会話している方々と、ナハト様やフィーリアさんたちの話し方が、まるで違うのはなぜなんですか?」
「アレは戦士団独特の喋り方です。腕や素質を見込まれ戦士団に入団した方たちは、訓練を終えると皆、ああいう喋り方になってしまうんです」
どうやら、あの喋り方は彼ら特有のものらしい。好奇心旺盛なシンとしては、どのようなプロセスを踏めば、あんな喋り方になるのか気にはなったが、藪蛇になるのが怖くてそれ以上つっこむ気になれなかった。
「僕も二〇歳です。まだまだ未熟ではありますが、父が族長ということもあって、今年から戦士団への入団が決まっていまして」
「――――⁉」
聞き捨てならないセリフに、彼の背筋に戦慄が走った。
シンは隣を歩く少年に目を向ける。
線の細い子である。種族がエルフということを差し引いても、美少年という表現がしっくりくるだろう。もし『外』の街を歩こうものなら、すれ違う十人が十人、思わず振り返るはずだ。
言葉遣いも丁寧で、物腰も柔らかいこの少年がああなる。シンは、立場が生み出す境遇の残酷さを嘆いた。
「それは、その、なんというか……」
「ハイ、今からとても楽しみなんです! カッコイイですよね、あの喋り方!」
「あ、ハイ……ソウデスネ」
アナンキアの闇は深そうだ……いや、業だろうか。
食べ物や日用品を扱う店を一通り回り、次は武具や素材を扱う店を見て回る。
店頭に多く並ぶのは、バラガの街でも見た鎧ヤモリの素材を使った装備。他にも甲虫類の鎧や盾などもあるが、フィーリアの鎧のような『グランディヌス』の素材を使ったものはない。
カイトが話すには、グランディヌスを使った装備は、希少で市場には出回っておらず、戦士団でも一部の上位者にしか支給されないものだとか。またフォレストバイパーのものですら、市場にはあっても高額で、新人や一般団員では手が届かないとのことだった。
そんなカイトが「ここは凄いですよ」とシンを連れてきたのは、今までの店舗とは見るからに規模の違う、これはもう問屋と呼んだ方が相応しい、そんな大店である。
「ここは『タラスト商会』と言って、『外』の取引相手と交易品を扱う卸問屋です。取り扱うのは、高価な工芸品、それに、この森でしか採れない貴重な素材です」
「ビンゴ!」
シンは思わず大声を出す。
先程までとは違い、感情を隠そうともしないシンの喜びっぷりに、案内役としての務めを果たせたことをカイトは密かに喜んだ。
開いた木の扉がキィと鳴ると、まるでそれが呼び鈴だったかのように、店の奥で人影が動く。
「いらっしゃいませ。これはカイト様、今日はどのような用向きで?」
「おはようございます。父から連絡は行っていると思うのですが」
「ああ、ではそちらの方が! はじめまして、シン様。そしてようこそ、我がタラスト商会へ。私はタラスト=アナンキア、商会の会長を務めております」
カイトの言葉を聞き、その顔に喜色を湛えたエルフの男性は、シンの前で優雅に頭を垂れる。
男に倣うようにシンも頭を下げ、お互い自己紹介をするのだが――
視界が光で埋め尽くされると、自身の使う転移魔法とは異なる感覚と、重力から解放されたかのような浮遊感に、シンは一瞬意識が飛びかける。
そんな違和感に耐えること数秒、光が消えた二人の前には、先程とはまったく別の風景が広がっていた。
目の前には、一本の太さが一メートルを越える丸太、それがズラリと隙間なく打ち込まれた柵が延々と続く。柵の高さはゆうに三〇メートルはあるだろう。
そしてその光景以上にシンが驚いたのは、周囲を漂う濃密な植物の香りだ。香り自体に不快さはないものの、いつまでも嗅いでいると嗅覚が破壊されそうなほどである。
この強い芳香こそが、魔物を寄せつけない結界の役目をしていると、後にシンは聞いて知った。
「んがっ!」
「どうだ、シン。ここが我らの住む〝アナンキア〟だ。なかなかのもの――どうした?」
振り向いたフィーリアは、いるべきはずの場所にシンがいないことに気付くと、あたりを見回し、やがて、足元で潰れた蛙のような無様を晒す物体を目にする。
「何かの遊びか?」
「……そんなわけないでしょう。初めての体験で平衡感覚が狂っただけですよ」
「かろうじてキミに常識が通用することが分かって安心したよ。さて、よっこい、せっ!」
フィーリアは、フードを被った状態のシンの首根っこを掴むと、一気に吊り上げた。
「うぉうっ⁉」
「はははっ! そういえば、昔はちょこまかと逃げ回る弟をこんな風に捕まえたものだ」
「さいですか。弟さんには同情しますよ……」
ジト目で返すシンを見て、フィーリアは再度高笑いする。結果として、それがよくなかった。
フィーリアが住まうというアナンキア。柵で囲われているのは当然、外敵の侵入を防ぐためで、ならばそこには門兵のような見張りがいるのもまた当然である。
微かな笑い声を耳に捉えたその男は、視界の先、精霊回廊の出入り口となっている大木の前に二つの人影を確認すると、胸に下げた小さな笛を思い切り吹いた。
笛がピイィと甲高い音を響かせると、それがやむ頃にはすでに、柵の上には十人近くの森エルフが弓を構え、二人の門兵が槍を携えてフィーリアたちの前に接近していた。
「姫様、よくぞご無事で‼ 連絡もなしに出て行かれた挙句、一向に戻る気配もなし、今まさに捜索隊を出そうと準備をしていたところですぞ!」
「姫様はよせ。多少のトラブルはあったものの、こうして無事に戻ってきた」
そう言うとフィーリアは、力強く胸元をドンと叩く。ただ、その肝心の胸元には、戦士の鎧ではなく布切れがサラシのように巻かれている。どこから見ても多少のトラブルで済むものではない。
加えて目の前のシンである。
「トラブル……ですと?」
「ああ、実は森の中でこの男に――」
ジャキ‼
フィーリアを姫様と呼んだ二人は槍を構えると、その穂先をシンに向けて固定する。それと同時に、柵の上の弓兵からは殺気が漏れ出し、開いた門からは武器を構えた戦士たちが殺到した。
「……『フラグ』がなんでしたっけ?」
「あ、いや……」
予想外の展開に、フィーリアはあわわと口をパクパクさせるだけで言葉にならない。
それをどのように捉えたのか。槍を構えた男は、諦観の表情を浮かべるシンに向かって、感情を押し殺した声で話しかける。
「――下郎、末期の言葉くらいは聞いてやろう」
「……弁明の機会がいただけるのでしたら、ぜひその席で」
「お前たちヤメロ! シンは――」
制止の声は間に合わず、槍の石突がシンの鳩尾に深々と突き刺さった。
「ぐっ――んっ‼」
くの字に折れ曲がる動きで、シンの体を掴んでいたフィーリアの手が離れる。すると今度はその首目がけて、槍の太刀打――金属で覆われた柄の部分――が振り下ろされ、シンの意識は刈り取られた。
シンの意識が途切れる直前に聞いた声は、フィーリアの絶叫だった。
■
「この度はお詫びのしようもない‼」
二〇人ほどの森エルフから頭を下げられたシンは、ズキズキと痛む後頭部をさすりながら、困惑の表情を浮かべていた。
各辺一〇メートルほどの板張りの部屋。そこでシンは一人だけ、草で編まれた畳のようなものの上に座らされている。おそらく上座ということなのだろう。
そんな彼の前には、一際強いオーラをかもし出している男を筆頭に、全員が胡坐をかいて床に両手をつき、頭を擦りつけている。その姿はさながら武士の出陣式か、はたまた謝罪の体勢か。
気分は武家屋敷である。
(どうしてこの氏族は、誰も彼もが武人スタイルの生き様なのか……)
眉をハの字にしたシンが懊悩していると、彼以外でただ一人、頭を下げていないフィーリアが口を開いた。
「シン殿、勘違いとはいえ貴殿に無礼を働いたのは事実であり、怒りが収まらぬのはごもっとも。しかしながら、ここはなにとぞ矛を収めてはもらえないだろうか?」
「え? ああ、少し考え事をしていただけで、怒ってなどいませんよ。大切な同胞、ましてや貴人に何かあったやもしれぬとあれば、先程の行動も理解できます。幸い大事には至ってはおりませんので、大事にするつもりは毛頭ありませんよ」
にこやかに、そして穏やかに話すシンに、男たちはさらに頭を床につける。
事態が終息すると思われた直後、先頭で頭を下げ、先程シンに対して謝罪の言葉を述べた男性が、再度口を開く。
「もったいなきお言葉。なれど、娘の恩人に狼藉を働きながらお咎めなし、それでは我らの気が済みませぬ。許されるならこのナハト、我が右腕をこの場にて切り落とし、以て贖罪とさせていただきたく――」
「父上⁉」
どうやら先頭で頭を下げていた男は、フィーリアの父親で族長らしい。言葉遣いもそうなら、行動も実に武人的だ。
「許されませんから‼ そんな謝罪の仕方は要りませんから!」
スタイリッシュな謝罪からのエキセントリックな贖罪のコンボに、シンの方が悲鳴を上げる。
(もうヤメテ! なに、この森のエルフってなんなの⁉ 中身完全に戦国武将じゃん! しかも一際ヤバイ地方の‼)
とはいえ、相手もハイそうですかと納得するはずはない。
「しかしそれでは我らの気が!」
「そんなことされても嬉しくありません! どうしても気が済まない、そう仰るのでしたら二つ、私の要望を叶えていただきたく存じます」
「要望を二つ?」
なおも抗弁する族長の意識が別のものに移ったところで、シンは一気に捲し立てる。
「ええ。まず一つ目。私は世界を旅して回る薬師です。そのため、各地で薬の材料や貴重な素材を購入し、作った薬をまた売って――そうして生計を立てております。ですので、もしよろしければ、この森で採れる植物や様々な素材、それらを買わせていただければと思っております」
「そのようなこと。買うなどと言わず、好きなだけ持っていっていただいて構いませんぞ」
「いえ、それは私の方が心苦しいので勘弁願います。もしどうしてもというのであれば、市価の半値で譲っていただければありがたい。そして二つ目のお願いですが、フォレストバイパーの産卵時期が過ぎるまで、ここに滞在する許可をいただきたいのですが……」
「……は?」
「父上、彼――シンは元々、それが目的でこんなところまでやって来た変わり者でして」
呆ける父親に、フィーリアが事情を説明する。
はじめは神妙に聞いていた族長だったが、顔からは徐々に緊張感が失せ、しまいには若干呆れ顔になる。ちなみに後ろの連中は、頭を床につけたまま首を傾げるという、器用な芸当を見せていた。
「決して迷惑をかけるような真似はしませんので、どうぞお願いいたします」
「シン殿は変わった御仁ですな……無論、こちらに異論はございませぬ。どうぞごゆるりと、この里に滞在してくだされ」
それからシンは、後ろで頭を下げていた男たちからも、順繰りに謝罪の言葉をかけられる。そしてその都度、エルフの若く秀麗な相貌から繰り出される武士のような言葉遣いに、苦笑いを抑えるのに必死だった。
そして――
「……ふぅ」
あてがわれた部屋の中、ようやく安堵のため息をついたシンは、大の字に寝転ぶ。
『シンにしては、えらく穏便に済ませたものですね?』
そこへ、シンの体内にある竜宝珠を介して、大地の魔竜メタリオンの思念が、彼の頭の中に響いた。何の前触れもなしに話しかけてくるリオンに、しかしシンは欠片も動じず、冷静に返す。
「……リオン、とりあえずお前が俺のことをどう評価してるのか知りたいので、チョットここに来て座りなさい」
巨乳美女の姿で――とはあえて言わなかったものの、相手には充分伝わったようで、当然のように無視された。
お願いを聞いてくれない無慈悲な友人に、シンは心の中で悪態をつきながら話し出す。
「暴れるメリットが一つもないからな。まあおかげで相手は俺に対して、感謝と負い目で強気には出られない。大概の要求は無条件で通るし、多少無茶なことも押し通せる。万々歳だな」
『さすが外道ですねえ……』
「酷くない?」
呆れる声に突っ込みを入れつつ、グラウ=ベリア大森林の森エルフについて、シンはリオンからあれこれ聞き出した。
――グラウ=ベリア大森林には、シンが出会ったアナンキア氏族をはじめ、ミラヨルド、ルーケンヌ、パラマシル、サンノイドと、合計五つの氏族が存在する。この呼び名は、彼らが護り、また護られている五本の聖樹の名前でもある。
森の中心には世界樹があると言われているが、通常の手段では近付くことも、それどころか姿を見ることすら難しい。
そんな世界樹から、北の位置にあるアナンキアを筆頭に、前述の順番で右回りに五本の聖樹が点在し、各々の里には二万人ほどの森エルフが住んでいる。
一番東に位置するミラヨルド。彼らは五氏族の中で最も開放的であり、大森林の東にあるハルト王国と、活発に交流している。
パラマシルとサンノイド。こちらは、数十年前から険悪な仲とのこと。聖樹同士の距離が近く、そのせいで狩りや希少な植物など、縄張り問題で揉めていることが理由だ。
シンが滞在するアナンキア、そしてルーケンヌは特にこれといった特徴はなく、ごく一般的なエルフの営みが見られるだろう、とはリオンの言である――
「一般的とは……?」
リオンの言葉に、首を傾げる以外の反応ができないシンだった。
その後、森を抜ける間に採取した、様々な植物や魔物の素材。これらを整理、整頓しているとあっというまに時間は過ぎ、気がつけば日は傾いている。
(食事はどうしよう?)
シンがそんなことを考えていたところへ、実にタイミングよくフィーリアがやってきた。
食事の準備ができたと告げる彼女についていけば――なぜか宴会場に案内される。
「何か、祝い事でもあるのですか?」
「……本当に些細なことを気にする男だな。疑問など、酒が飲めるというだけで全て呑み込め。それがいい男というものだ」
「はあ、そういうもんですか。フィーリアさんは男前ですね」
お互い、相手に呆れたような目線を送っていると、先程、実に男前な責任の取り方をしようとした男から声をかけられた。
「来られたか、シン殿! ささ、こちらへ」
宴会場全体に届くような声で自分の名を呼ばれ、場の注目を一身に浴びたシンは、促されるままに上座に座る。
空気の読めるジャパニーズサラリーマンの前世を有するシンに、断るという選択肢はなかった。
シンの両隣に族長のナハト、その娘のフィーリアが着座し、皆の視線が三人に集まる中、ナハトがおもむろに口を開く。
「此度は、大事な客人を迎えての祝いの席である。客人の名はシン、我が娘の恩人にして、行き違いから生じた我らの無礼を水に流してくださった徳量寛大の徒である。また、この時期必要になるフォレストバイパーの毒袋を四体分も提供してくれた、まさに豊穣の使い。皆、今宵は大いに飲むがいい」
『おーーーー‼』
族長の宣言ののち、次々に杯を酌み交わし、盛り上がる武闘派の森エルフたち。そんな中でシンはというと、挨拶に来る森エルフたちに営業スマイルで応対していた。
彼らの列が途切れた頃、タイミングを見計らっていたのだろうか。フィーリアの逆隣に座っている二〇歳(ヒト種換算で一〇歳)くらいの年若い少年が、シンに話しかけてくる。
「シン様、この度は本当にありがとうございました」
周囲とは一線を画す、大人しい雰囲気のエルフの少年は、そう言ってシンに頭を下げた。
「感謝なら充分にいただきましたよ。あー、ええと」
「カイトと申します、シン様」
「様付けはよしてください。カイト君は、フィーリアさんの息子さんで?」
ゴン――‼
「痛ぅ……イキナリなにを?」
「バカモノ! カイトは私の弟だ。私が子持ちに見えるのか⁉」
顔を真っ赤にして怒るフィーリアを見て、周囲がどっと笑う。
シンは頭をさすりながら不満顔で――
「見えるも何も、エルフの外見から、どうやって年齢を見分けろと言うんですか?」
「そ、それは! ……雰囲気というか、佇まいというか、色々だ!」
「んな無茶な……ああなるほど。つまりフィーリアさんは、大人の女性らしい佇まいもなければ、妻にと望まれる雰囲気もかもし出していないということですね!」
ゴン――‼
「ぬおっ!」
「喧嘩を売っているのか? いや、売っているのだな。いいだろう、泣きたくなるほど買い叩いてやる!」
二人のやり取りに、すでに酒が回りはじめた周囲はやいのやいのとはやし立てる。
あたふたするカイトの前で、やる気満々で二人が唸り声を上げていると――
ゴスンッ‼
フィーリアの脳天に、シンが食らったものとは明らかに違う、質の高いゲンコツが落とされた。
「っ~~~~~~‼」
「ハーッハッハ! フィーリア、そなたの負けよな。というかそなた、恩人の頭をそうポンポンと叩くでない」
叩くどころか殴るなのだが、その辺は気にしないらしい。というか、父親の基準からすれば、娘のそれは確かに叩く程度なのだろう。
頭を押さえ、涙目で何か言いたそうなフィーリアではあったが、さすがに自重したようで大人しく座る。耳まで赤くした顔で、シンを睨むのをやめる気はなさそうだが……
「……で、フィーリアさんは一体何歳なんですか?」
「我が娘なら五〇は越えておりましたかな。まあ、腕っ節ばかり鍛えたがる、まだまだ子供にござるよ」
「族長、姫様は今年で九〇歳ですぞ」
「む、そうであったか? まあ、一〇〇にも届かぬのだ、大した違いはなかろう」
大ざっぱすぎる認識と、赤ら顔でヌハハと笑う姿。そこに里を統べる者の威厳はなく、ただの酒飲みオヤジがいるだけだった。
その後も宴会は続いていたが、不意にナハトがポツリと呟く。
「……娘も、せめてもう少し落ち着きが出てくれれば、安心して嫁ぎ先へ送り出してやれるのだがな」
「え、フィーリアさん、結婚するのですか?」
「うむ、ルーケンヌの次期族長のもとへな」
ルーケンヌとは、北にあるアナンキアに対し、グラウ=ベリア大森林の南に位置する聖樹の里である。
離れた土地に嫁ぐ娘を思ってか、ナハトの表情はどこか寂しげであった。
なんとなく言葉をかけづらくなったシンは、ふとフィーリアを見ると――
「……………………」
キュッと唇を引き結び、どこか思いつめたような表情を浮かべている。それを見たシンは、心の中だけで盛大なため息をついた……
■
――アナンキアの朝は遅い。
グラウ=ベリア大森林の中にある集落では、陽の光がまともに差すのは早くとも七時を過ぎる。
にもかかわらず、森エルフの戦士たちは朝の四時から完全装備で柵の外を走り、木の枝に飛び移り、さらに当番の者は、朝の食材の調達に森へと入るのだ。
シンが目を覚ました六時には、いまだ薄暗い広場で模擬戦闘をしている戦士たちの姿があった。
「武士かとも思ったが、中身は海兵隊だったか……」
昨夜あれだけ宴会で騒いだ次の日にこれである。アナンキアの戦士たちの質の高さが透けて見えるようだった。
ちなみに、現在シンがあてがわれている部屋は、彼らが訓練施設として使っている建物の一室で、族長のナハトや、その親族などが滞在時に使用する部屋である。
顔を洗って意識をハッキリさせたシンは、食堂で適当に朝食を摘んだ後、そのまま集落の中を散策しようと宿舎を後にした。
そこへ――
「あ、シン様!」
外へ出たとたんに声をかけられる。声の方を向くと、そこには森エルフの少年の姿が。昨日紹介してもらった、フィーリアの弟のカイトだ。
「おはようございます、カイト君。それから様はよしてくださいよ、恥ずかしいですから」
「そうですか? ではシンさんで。それでシンさんはどこへ?」
「ええ、滞在許可を貰ったものですから、街中でも散策しようかと」
「でしたら僕がアナンキアを案内しますよ!」
シンは道案内を手に入れた。
森エルフの多くは、自分たちの故郷を、村、街などとは呼称せず、聖樹の名前で呼ぶのが通例らしい。ただ、対外的には○○の街――もしくは里――で通しているとのこと。
訪れたときに見た、大きな柵で覆われた空間の広さは、直径が二キロの円形になっており、その中に約二万人が住む。
住居や各施設は、外観はログハウスなどの木造建築で、商店以外の建物内は原則土足禁止。どこぞの別荘地のようである。
全ての住人が森エルフというわけではなく、わずかではあるがヒト種やドワーフなども住んでいる。彼らの大半は、鍛冶師や職人、交易商人とのこと。
森エルフということもあり、種族特性として全員が風属性の魔法の使い手だ。また、軽い身のこなしに加え、弓の腕前はヒト種であれば熟練の弓兵並み。
その中でも『戦士』として訓練を受けている一〇〇〇人ほどの精鋭が、森の外で魔物を狩ったり、悪意を持った襲撃者への対処をしている。
里の中心には、幹の太さが三〇、高さが二〇〇メートルになる聖樹アナンキアがそびえ、街のどこからでも見ることができる。
シンは、カイト少年の案内で朝市にやってきた。
店頭には様々な果実や木の実、野菜などが並んでいるが、やはりというべきなのだろうか、肉や魚の類は多くなかった。
「森エルフの皆さんは、肉はあまり食べないのですか?」
「好みもありますが、どうしても肉が食べたい! という人は少ないですね。『戦士団』の方々が『肉を食べないと力が出ない』と言って、狩った獲物の大半を自分たちで消費しているのが、市場で肉を見かけない一番の原因ですけど」
あははと笑うカイトに、妙に納得したシンも乾いた笑いを返す。
店を回りながら買い食いをしていると、シンはふと、周りの森エルフたちの会話に違和感を覚える。いや、それはカイトと話をしているときから感じていたものだが、ここにきてはっきりと自覚してしまった。
彼らの喋り方が、カイトが言うところの『戦士団』とはまるで違う。シンにとって馴染みの、『ごく普通』の喋り方なのである。
「カイト君、店先で会話している方々と、ナハト様やフィーリアさんたちの話し方が、まるで違うのはなぜなんですか?」
「アレは戦士団独特の喋り方です。腕や素質を見込まれ戦士団に入団した方たちは、訓練を終えると皆、ああいう喋り方になってしまうんです」
どうやら、あの喋り方は彼ら特有のものらしい。好奇心旺盛なシンとしては、どのようなプロセスを踏めば、あんな喋り方になるのか気にはなったが、藪蛇になるのが怖くてそれ以上つっこむ気になれなかった。
「僕も二〇歳です。まだまだ未熟ではありますが、父が族長ということもあって、今年から戦士団への入団が決まっていまして」
「――――⁉」
聞き捨てならないセリフに、彼の背筋に戦慄が走った。
シンは隣を歩く少年に目を向ける。
線の細い子である。種族がエルフということを差し引いても、美少年という表現がしっくりくるだろう。もし『外』の街を歩こうものなら、すれ違う十人が十人、思わず振り返るはずだ。
言葉遣いも丁寧で、物腰も柔らかいこの少年がああなる。シンは、立場が生み出す境遇の残酷さを嘆いた。
「それは、その、なんというか……」
「ハイ、今からとても楽しみなんです! カッコイイですよね、あの喋り方!」
「あ、ハイ……ソウデスネ」
アナンキアの闇は深そうだ……いや、業だろうか。
食べ物や日用品を扱う店を一通り回り、次は武具や素材を扱う店を見て回る。
店頭に多く並ぶのは、バラガの街でも見た鎧ヤモリの素材を使った装備。他にも甲虫類の鎧や盾などもあるが、フィーリアの鎧のような『グランディヌス』の素材を使ったものはない。
カイトが話すには、グランディヌスを使った装備は、希少で市場には出回っておらず、戦士団でも一部の上位者にしか支給されないものだとか。またフォレストバイパーのものですら、市場にはあっても高額で、新人や一般団員では手が届かないとのことだった。
そんなカイトが「ここは凄いですよ」とシンを連れてきたのは、今までの店舗とは見るからに規模の違う、これはもう問屋と呼んだ方が相応しい、そんな大店である。
「ここは『タラスト商会』と言って、『外』の取引相手と交易品を扱う卸問屋です。取り扱うのは、高価な工芸品、それに、この森でしか採れない貴重な素材です」
「ビンゴ!」
シンは思わず大声を出す。
先程までとは違い、感情を隠そうともしないシンの喜びっぷりに、案内役としての務めを果たせたことをカイトは密かに喜んだ。
開いた木の扉がキィと鳴ると、まるでそれが呼び鈴だったかのように、店の奥で人影が動く。
「いらっしゃいませ。これはカイト様、今日はどのような用向きで?」
「おはようございます。父から連絡は行っていると思うのですが」
「ああ、ではそちらの方が! はじめまして、シン様。そしてようこそ、我がタラスト商会へ。私はタラスト=アナンキア、商会の会長を務めております」
カイトの言葉を聞き、その顔に喜色を湛えたエルフの男性は、シンの前で優雅に頭を垂れる。
男に倣うようにシンも頭を下げ、お互い自己紹介をするのだが――
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