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蓮城さんちの弟
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松陽台との合同練習の日は、朝から薄曇りだった。梅雨らしい湿気が肌にまとわりつくものの、日差しが弱いせいか、気温はそれほど高くない。
「なんなんだろうな、あのオーラ」
タオルで顔の汗を拭いながら、草介が小声でつぶやく。視線の先にいるのは、松陽台の仲間たちと談笑している司馬雄大だ。
「鷺高のグラウンドでスポドリ飲んでる司馬雄大。シュール過ぎて消化できねぇ」
「まるでスター扱いだね」
使い終わったタオルを受け取りながら、水沢が、あきれた顔で口をひらいた。
「たしかに、なかなかの男前だけど、そんなにすごい選手なの?」
「司馬雄大っていったら、短距離やってるヤツならだれでも知ってる超有名人だよ。持ちタイムは高校歴代3位だし、大会に出るたび結果を残してる。正真正銘スターなの。みのりちゃんだって、推しが自分の部屋でしれっとくつろいでたら、脳みそバグるでしょ。いまの俺の心境は、それと一緒」
ドヤ顔で語る草介を尻目に、水沢は、「どうなの?」とでもいいたげな表情でオレを見あげる。ついでのように差し出されたドリンクボトルを受け取りながら、オレは、小さく肩をすくめてみせた。
「推し」のたとえはどうかと思うが、司馬さんの存在に浮き足立っているのが、草介だけじゃないのは確かだ。皆、朝のグラウンド整備のときからソワソワして落ちつきがなかったし、松陽台の選抜メンバーがマイクロバスで現れたときには、声にならないどよめきが沸き起こっていた。
双方が打ち解けて話すようになってからも、自分から司馬さんに声をかける部員は、もともと顔見知りだというコウタ先輩と数人の先輩くらいで、あとはチラチラ盗み見るだけ。初恋をこじらせてる乙女みたいで、関係のないオレから見ても、ちょっとウザい。当の本人は気にする様子もないから、もう慣れっこなんだろうけど。
くつろいだ様子で笑顔を浮かべる司馬さんを見ていると、いいようのない焦りを感じる。
空いたボトルを水沢に預け、オレは、鷺高の休憩スペースから、そっと離れた。
「合同練習」といっても、間近に関東大会を控えたいま、疲労が溜まるような負荷の高い練習はしていない。調整を兼ねた交流会といってもいいくらいだ。それでも、ふだん関わりのないランナーたちと一緒に走れば、技術面や精神面での摩擦が起こるし、宮Tだけじゃなく、松陽台の監督からも細かい指導が飛んでくるから気が抜けない。
刺激──それこそが、宮Tの狙いなのはわかっている。でも、いまは刺激なんてほしくなかった。他人の視線がわずらわしく、ちょっとした会話だけでも億劫に感じる。できることなら暗くなるまで自分の部屋に閉じこもっていたいくらいだ。
だけどもちろん、現実はそんなに甘くない。この休憩の後には、今日のメインイベントともいえるタイムトライアルが待っている。
数人ずつの組に別れ、持ちタイムの遅い順からスタートする流れで、オレの出番は最後。隣のレーンが司馬さんだ。正直いって、気が重い。
「調子は?」
すぐそばで聞こえた低い声に、驚いて顔をあげると、その司馬さんが立っていた。
「県大会の決勝以来だな、蓮城君」
だれもがこぞって「甘いマスク」と評する顔立ち。でも、オレを見据えるまなざしには甘さのかけらもない。獲物を狙う猛禽類みたいな鋭い光で、気を抜いたら、頭から食われそうだ。
「あのレースが、ずっと引っかかってた。いつもの君なら、後半もっと伸びるはずなのに、かなり失速してただろ。調子が悪かったのか、それとも単に手を抜いただけなのか」
「手なんて抜いてません。オレに、そんな余裕ないです」
とっさに否定したら、司馬さんの目が、ほんの少しやわらいだ気がした。
「ふぅん。舐めたマネしてるなら一発しめてやろうと思ってたけど、その必要はないってことか」
冗談とも本気ともつかない口調で、司馬さんがいう。
「タイムトライアル、楽しみにしてるよ。試合形式で君と競り合えるチャンスは貴重だ。わざわざ監督に頼みこんでまで作ってもらった機会だと思えば、なおさらね」
「……え?」
「全力走の意味、ちゃんとわかってるよな。無駄足だったなんて思わせないでくれよ」
いいたいことだけいって歩き去る司馬さんの後ろ姿を見ながら、オレは激しく混乱していた。
いまのは、どういう意味なんだろう。合同練習を望んだのは、宮Tじゃなく司馬さんだった?
意識しているのはオレの方だけで、向こうは眼中にもないと思いこんでいたけれど、そうじゃなかったってことなんだろうか。
『無駄足だったなんて思わせないでくれよ』
なんにしろ、ああまでいわれて無様な走りをするわけにはいかない。たとえ勝ち目がなくても、精一杯食らいついていかなきゃだめだ──なのに、頭で強く思うほど、気持ちがついていかない。自分を奮い立たせる情熱や闘争心が、まるでなにかに堰き止められているみたいだ。
「夏樹、準備いいか?そろそろ始めるぞ」
コウタ先輩が近寄ってきて、声をかける。
「はい。すぐ行きます」
思い通りにならないもどかしさをぶつけるように、両手で腿の筋肉を二、三度強く叩いてから、オレはようやく、待機場所に向かって歩きだした。
「なんなんだろうな、あのオーラ」
タオルで顔の汗を拭いながら、草介が小声でつぶやく。視線の先にいるのは、松陽台の仲間たちと談笑している司馬雄大だ。
「鷺高のグラウンドでスポドリ飲んでる司馬雄大。シュール過ぎて消化できねぇ」
「まるでスター扱いだね」
使い終わったタオルを受け取りながら、水沢が、あきれた顔で口をひらいた。
「たしかに、なかなかの男前だけど、そんなにすごい選手なの?」
「司馬雄大っていったら、短距離やってるヤツならだれでも知ってる超有名人だよ。持ちタイムは高校歴代3位だし、大会に出るたび結果を残してる。正真正銘スターなの。みのりちゃんだって、推しが自分の部屋でしれっとくつろいでたら、脳みそバグるでしょ。いまの俺の心境は、それと一緒」
ドヤ顔で語る草介を尻目に、水沢は、「どうなの?」とでもいいたげな表情でオレを見あげる。ついでのように差し出されたドリンクボトルを受け取りながら、オレは、小さく肩をすくめてみせた。
「推し」のたとえはどうかと思うが、司馬さんの存在に浮き足立っているのが、草介だけじゃないのは確かだ。皆、朝のグラウンド整備のときからソワソワして落ちつきがなかったし、松陽台の選抜メンバーがマイクロバスで現れたときには、声にならないどよめきが沸き起こっていた。
双方が打ち解けて話すようになってからも、自分から司馬さんに声をかける部員は、もともと顔見知りだというコウタ先輩と数人の先輩くらいで、あとはチラチラ盗み見るだけ。初恋をこじらせてる乙女みたいで、関係のないオレから見ても、ちょっとウザい。当の本人は気にする様子もないから、もう慣れっこなんだろうけど。
くつろいだ様子で笑顔を浮かべる司馬さんを見ていると、いいようのない焦りを感じる。
空いたボトルを水沢に預け、オレは、鷺高の休憩スペースから、そっと離れた。
「合同練習」といっても、間近に関東大会を控えたいま、疲労が溜まるような負荷の高い練習はしていない。調整を兼ねた交流会といってもいいくらいだ。それでも、ふだん関わりのないランナーたちと一緒に走れば、技術面や精神面での摩擦が起こるし、宮Tだけじゃなく、松陽台の監督からも細かい指導が飛んでくるから気が抜けない。
刺激──それこそが、宮Tの狙いなのはわかっている。でも、いまは刺激なんてほしくなかった。他人の視線がわずらわしく、ちょっとした会話だけでも億劫に感じる。できることなら暗くなるまで自分の部屋に閉じこもっていたいくらいだ。
だけどもちろん、現実はそんなに甘くない。この休憩の後には、今日のメインイベントともいえるタイムトライアルが待っている。
数人ずつの組に別れ、持ちタイムの遅い順からスタートする流れで、オレの出番は最後。隣のレーンが司馬さんだ。正直いって、気が重い。
「調子は?」
すぐそばで聞こえた低い声に、驚いて顔をあげると、その司馬さんが立っていた。
「県大会の決勝以来だな、蓮城君」
だれもがこぞって「甘いマスク」と評する顔立ち。でも、オレを見据えるまなざしには甘さのかけらもない。獲物を狙う猛禽類みたいな鋭い光で、気を抜いたら、頭から食われそうだ。
「あのレースが、ずっと引っかかってた。いつもの君なら、後半もっと伸びるはずなのに、かなり失速してただろ。調子が悪かったのか、それとも単に手を抜いただけなのか」
「手なんて抜いてません。オレに、そんな余裕ないです」
とっさに否定したら、司馬さんの目が、ほんの少しやわらいだ気がした。
「ふぅん。舐めたマネしてるなら一発しめてやろうと思ってたけど、その必要はないってことか」
冗談とも本気ともつかない口調で、司馬さんがいう。
「タイムトライアル、楽しみにしてるよ。試合形式で君と競り合えるチャンスは貴重だ。わざわざ監督に頼みこんでまで作ってもらった機会だと思えば、なおさらね」
「……え?」
「全力走の意味、ちゃんとわかってるよな。無駄足だったなんて思わせないでくれよ」
いいたいことだけいって歩き去る司馬さんの後ろ姿を見ながら、オレは激しく混乱していた。
いまのは、どういう意味なんだろう。合同練習を望んだのは、宮Tじゃなく司馬さんだった?
意識しているのはオレの方だけで、向こうは眼中にもないと思いこんでいたけれど、そうじゃなかったってことなんだろうか。
『無駄足だったなんて思わせないでくれよ』
なんにしろ、ああまでいわれて無様な走りをするわけにはいかない。たとえ勝ち目がなくても、精一杯食らいついていかなきゃだめだ──なのに、頭で強く思うほど、気持ちがついていかない。自分を奮い立たせる情熱や闘争心が、まるでなにかに堰き止められているみたいだ。
「夏樹、準備いいか?そろそろ始めるぞ」
コウタ先輩が近寄ってきて、声をかける。
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思い通りにならないもどかしさをぶつけるように、両手で腿の筋肉を二、三度強く叩いてから、オレはようやく、待機場所に向かって歩きだした。
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