琥珀いろの夏 〜偽装レンアイはじめました〜

桐山アリヲ

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 「それは予想外の展開だね」

 ワイングラスを傾けながら、サトルさんがにやりと笑う。

 「他人事だからって、おもしろがらないでください」 
 
 「他人事とは思ってないよ。千年くんは、僕の大切なひとなんだから」
 
 「また軽々しくそういうことを」

 ため息とともに、おれはノンアルコールのカクテルを飲みくだした。口のなかに、甘酸っぱいカシスの風味が広がる。

 『千年くんは未成年だからジュースかノンアルね』

 くだけた性格のわりに、サトルさんは、そういうところはちゃんとしている。
 もともと責任感が強い人なのかもしれないけれど、社会的影響力の大きな仕事柄もあるんだろう。

 都心のビルの地下にある、落ち着いた雰囲気の洋風割烹。
 サトルさんはこの店の常連らしく、通されたのは、全面ガラス張りの向こうに吹き抜けの庭をのぞむ席だった。

 低くジャズの流れる店内で、酒と食事を楽しむ客はみな、洗練された服に身を包んだおとなの男女ばかり。Tシャツにカーゴパンツという、いかにも学生まるだしのおれの姿は明らかに浮いている。

 待ち合わせ場所で落ちあったサトルさんに、開口一番そのことを謝ると、彼はいつもの軽い口調で「よく似合ってる。かわいいよ」と笑ってくれて、その言葉通り、まったく気にしていないことも十分伝わってきていた。
 
 とはいえ、こうして周囲の目を意識してしまうと、社会的立場のある彼の株を無駄に下げているみたいで、いまさらながら、着替えてこなかったことが悔やまれる。

 麟太郎のやつ……。

 あのあと、かろうじて冷静さを取り戻したおれは、なにごともなかったように話題を変えた麟太郎としばらく雑談を交わしてから、駅の出口で別れていた。
 気まずさを引きずることなく、さっさとやり過ごしてしまえるのは、つき合いの長さゆえなんだろう。いいか悪いかはべつにして。

 「それで、千年くんは彼に協力してあげるつもり?」
 
 運ばれてきた彩りのいい前菜に手をつけながら、サトルさんがたずねた。
 
 「したくはないけど……結果的にはそうなると思います。自分で決めたことに周りを巻きこむのが異常にうまいんですよ、あいつは」
 
 「そういう強引なところに惹かれるのかな」
 
 「どうなんだろう。むしろ迷惑するほうが多いくらいなんですけど」

 でも、どうしてもあらがえない。こういうのを、ほれた弱みというんだろうか。

 「僕も、たまには強引に迫ってみようかな」

 だれに、とはいわずに、サトルさんが、いたずらっぽい笑顔を向けてくる。
 おれがとまどいを浮かべるより一瞬はやく、彼は笑顔のまま、再び口を開いた。

 「ホワイトアスパラ、ちょうど今が旬だから、食べてごらん」

 ガラス製の涼しげな器に美しく盛りつけられているのは、まごうことなくアスパラガスの形をした白い物体。
 いわれた通り、おっかなびっくり口に含んでみる。やわらかな歯ごたえと、野菜とは思えないふくよかな甘みに驚かされた。
 
 「おいしい」

 「よかった。日本だと新鮮なものはあんまり出回らないから、きみに食べさせたかったんだ」

 「あるのは知ってましたけど、食べたのは初めてです」

 「ここのオーナーは北海道の出身でね、知り合いの農家から直接仕入れてるんだよ。シンプルに茹でただけのが僕は一番うまいと思うんだけど、この後もう少し凝った料理も出てくるから楽しみにしてて」
 
 「はい」

 自然と笑みがこぼれてしまう。

 先月は桜鯛に山菜、その前はジビエ。
 サトルさんはいつも、新鮮な旬の食材を楽しめる店に連れていってくれる。
 まわらない寿司屋に、中居さんがかいがいしく世話をやいてくれる高級料亭、一見さんお断りのフレンチレストラン。
 
 どれも、サトルさんと出会わなければ一生縁のなかった場所だ。
 
 この人のそばにいると、まるで自分に価値があるような気がしてくる。たとえそれが錯覚だとしても、居心地の良いことに変わりはない。

 「さっきの話に戻るけど、千年くんは大丈夫なのかな」
 
 いわれて、思わず首を傾げた。

 「せっかく彼と距離を取ろうとしてたのに、カップルを装うことになったら、そうもいかなくなるだろう?そうなれば、また苦しい思いをするんじゃないかと思ってさ。高校のときみたいに」

 「それは……そうかもしれないですけど」

 「いっそのこと、彼に本心を打ち明けてみれば?受け入れてもらえる可能性だって、ゼロとはいえないんじゃないかな」

 「ないですよ、それは絶対。あの筋金入りの女好きが、おれを恋愛対象にするなんて、100パーセントありえません」

 麟太郎は、長続きしない代わりに女を切らしたこともない。高2の秋からずっと、そんな調子でここまできている。

 「だけど、3年越しの片想いってことはさ」

 と、サトルさんが続けた。

 「逆にいえば3年かけてもあきらめきれなかったってことだろう。たとえ想いが叶わなくても、この先ずっとわずらわされる可能性を考えたら、思い切って打ち明けちゃったほうが、きみ自身のためにもなるんじゃないの?」

 「そう、なのかもしれないけど」

 サトルさんのいうことは、きっと正しい。でも……。

 「口に出しちゃったら、もう後戻りできませんよね」

 言葉を選びながら、おれは応えた。

 「おれ、つるんで遊べる仲間なら何人かいるけど、ほんとうに気を許せる友だちって麟太郎しかいないんです。気持ちを打ち明けちゃったら、たったひとりの親友まで失うことになるかもしれない。それに……もしそうなったら、きっと麟太郎にも、それなりのものを背負わせてしまうと思うんです。そういうのいろいろ考えたら、身動きできなくなるっていうか……」

 とぎれてしまった言葉の後を引きとるように、サトルさんがいった。

 「たしかに僕らの恋愛は、なかなか一筋縄じゃいかないからね。軽々しくものをいうなって、また怒られるところだった」

 ぺろりと舌を出した彼の子どもっぽい仕草に、おれは思わず吹き出した。おかげで、重くなりかけていた空気が一気にほぐれる。
 
 答えの出ない問題は、深刻に額を突き合わせたところで煮つまるだけ。そのことを、この人はよくよく知っているのだろう。
 なんだかんだいって、おれはこの人の軽さに救われているのかもしれない。
 

 サトルさんとは、高校3年の冬、ゲイ専用のマッチングアプリで知り合った。
 
 麟太郎への複雑な想いをもてあまし、受験のプレッシャーにもさらされていた当時のおれは、同じ性指向を持った男たちのプロフィールを眺めながら理想のカレシを妄想するという、正しく根暗なやり方で、たまりにたまったストレスを発散させていたのだ。
 
 あくまで空想するだけ。リアルな出会いまで求めていたわけじゃない。むしろ、おれは過去の経験から、恋愛に関しては臆病と呼べるほど慎重になっていた。
 
 そんなおれの気が変わったのは、ある日たまたま見つけたプロフィールのせいだ。
 
 『ふだん家にこもって仕事をしているので出会いがありません。学生さんでも社会人でも主夫の方でも大歓迎!これまであなたが経験したこと、身近なひとにはいえない愚痴やクレーム、お悩み相談その他、なんでもOK!あなたのナマの声を、ドシドシ僕にぶつけてください。年齢 30歳、職業 自営』
 
 新手の宗教だろうか。それともマルチの勧誘?
 
 世間知らずなおれでさえ、迷わずドン引きするほどあやしげな文面。
 ワンナイト目的の書きこみだってざらにある出会い系界隈で、サトルさんのそれは、はっきりいって、かなり悪目立ちしていた。
 
 それでもうっかりマッチングを成立させてしまったのは、だれかに話を聞いてほしい気持ちが切実すぎて、判断力がバグったせいとしかいいようがない。
 その点でいえば、サトルさんはメッセージ上でのやり取りからずっと、こちらが舌を巻くほど優秀な聞き手だった。
 
 いま思えば、あたりまえかもしれない。作品を書くために必要な取材をするのは、サトルさんにとって重要な仕事のひとつだろうから。
 
 
 サトルさんから本名を打ち明けられたのは、3度目となる食事の席だった。
 「深山悟」といえば、エンタメ系推理小説の名手で、いまをときめく作家のひとりでもある。おれも過去の作品をいくつか、高校の図書館で借りて読んでいた。表紙のカバーに掲載された著者近影だって、何度も目にしている。

 狐につままれたような気分でサトルさんにその話をすると、彼は『あれはデビュー当時の写真だからなぁ』と苦笑した。『スマホでググれば過去の宣材写真が山ほど出てくるし、本屋に行けば最新のポスターも貼ってあると思うよ』
 
 その場でググりたい気持ちを抑え、翌日の学校帰りに本屋へ駆けこんだおれは、そこでようやく、頭のなかの深山悟と現実のサトルさんが結びついたのだった。
 出版社は、彼の浮世離れしたビジュアルを、宣伝戦略として最大限に活用しているらしい。ポスターのなかのサトルさんは、端正な顔にミステリアスな微笑をうかべ、自分の本を手に取る老若男女を、理知的な瞳でじっと見つめていた。
 
 でも、実物の方が断然カッコいいんだよな。

 おれの前を歩く彼の後ろ姿に、視線が吸い寄せられる。こうして見ると、全身のバランスがすごくきれいで、作家といよりモデルみたいだ。
 
 身長は、麟太郎とどっちが高いだろう。

 「どうかした?」
 
 サトルさんが、歩きながら肩越しにふりかえる。
 「いえ」と応じながら、おれは駆けよって彼の隣に並んだ。

 「サトルさん、今日はありがとうございました。いつもごちそうになってばかりで、すみません」

 「あいかわらず水くさいなぁ。誘ってるのは俺のほうなんだから、気にしなくていいんだよ。それに、きみを甘やかすのは純粋に楽しいからね」

 アルコールがまわると、サトルさんは一人称が「俺」になる。きっと、ごく親しい間柄の人たちには、常に「俺」で通しているんだろう。

 「じゃあ……ごちそうさまでした、また誘ってください……?」
 「そうそう、その調子」
 「テキトーにいってるでしょ」
 「なにごとも適当が1番うまくいくんだよ」
 「それ、深いのか浅いのか、わかんないです」
 「ははは」

 空気が湿っていると思ったら、いつのまにか雨がふりだしていた。
 外を歩く人たちが、たったいまおれとサトルさんが出てきたビルのエントランスへ足早に吸いまれていく。

 屋根のついたアプローチの下で、ふいに、サトルさんが足を止めた。

 「本格的な梅雨に入る前に、軽くドライブでも行こうか。いくつか連載を抱えてて、まとまった時間は取りにくいから、近場になっちゃうと思うけど」
 
 サトルさんから、食事以外で誘われるのは初めてだ。

 「千年くんは、どこか行ってみたいところある?」
 「んー…すぐには思いつかないな」
 「じゃあ、考えておいて」
 
 返事をしようとしたとき、背後から声をかけられた。正確には、サトルさんが。

 「あのぉ、作家の深山悟先生ですよね」

 若い女性の2人連れが、期待に顔を輝かせてサトルさんを見上げている。

 「はい、そうですが」

 「やっぱり!こんなところでお会いできるなんて嘘みたい!」
 「先月発売された新刊、読みました!最後のどんでん返し、もう鳥肌立っちゃった」

 「ありがとうございます」

 営業スマイルで対応するサトルさんから、邪魔にならないよう、そっと離れた。
 会話が聞こえないところまで来ると、手持ちぶさたに空を見上げる。
 街灯やビルの明かりに照らされながら落ちてくる都会の雨は、まるで銀色に輝く無数の針みたいだ。
 ときおり、風にあおられた雨粒が頬に当たる。そのひんやりした感触が、ほてった肌に心地よかった。
 
 
 サトルさんと、いまより多くの時間を過ごすようになれば、たぶん、これまで通りにはいかなくなる。
 彼がいままで、おれに対してなにかを求めたことは一度だってない。それでも、大の男が時間と金を費やす相手になにも期待していないと思うほど、おれは子どもじゃなかった。
 
 そろそろ、態度を決めるべきなんだろう。 
 
 「お待たせ。ほったらかして悪かったね」

 隣に立っておれを見おろしたサトルさんが、小さく息をのんだ。

 「驚いた。泣いてるのかと思ったよ」

 そういうと、高そうなサマージャケットからハンカチを取り出して、おれの頬にやさしく押し当てる。

 「すみません。雨が気持ちよくて、濡れちゃいました」
 
 「まったく……きみは時どき子どもみたいだな」

 慈しむようなサトルさんの声音に、なぜだか胸が苦しくなった。
 
 「さっきタクシー手配したから、もう少しここで待とう。家まで送るよ」
 「いいですよ。電車で帰れます」
 「この雨のなかにきみを放り出したりしたら、俺は今晩眠れなくなる」

 冗談とも本気ともつかない顔でいうサトルさんに、おれは少し笑った。
 
 「じゃあ、お願いします」
 「……軽々しくいってるわけじゃないんだ」
 「はい?」
 「きみが俺の大切なひとだって、さっきの話。俺は、ほんとうにそう思ってる」
 「……はい」
 「ついでにいうと、この先もずっと一緒にいられたら、とも思ってる」
 「でも、おれは……」
 「いまは、ほかに好きな男がいたってかまわない。そういうのもこみで、俺はきみに惹かれてるんだ」
 「……」
 「きみはまだなにも決めなくていい。俺を選べなんていわない。ただ、きみの時間と関心を、俺のために少しだけ割いてくれないか。いま俺が望んでるのは、それだけだ」

 ここでイエスといってしまっていいのだろうか。あまりにもおれにとって虫のいい話に聞こえる。
 多くの人から必要とされているこの人に、ここまで譲歩させる価値が、おれなんかにあるんだろうか。

 「そんなにむづかしい顔しなくていいよ。いろいろいったけど、要は、いままで通りでかまわないってことだから。さっきの話は、頭の片隅にでも入れといてくれたらいい」
 「……はい」
 「やっと返事できたね。おりこうさん」

 サトルさんはくすっと笑って、おれの手に、皺ひとつない清潔なハンカチを握らせた。

 「濡れたところ、ちゃんと拭いておきなね。かぜひくよ」

 
 なにをためらう必要がある?

 サトルさんは頼りがいのあるおとなで、なにをするにもリードしてくれて、おれの知らない世界を見せてくれる。隣にいると安心できるし、麟太郎といるときに感じるような苦しさもない。
 このままサトルさんについて行けば、おれはきっと、いまより上手に笑えるはずだ。 
 おれはただ、イエスとうなずけばいい。

 『恋って、なんなんだろうな』

 ふと、麟太郎の声が耳の奥によみがえった。
 
 あれはどういう意味だったんだろう。
 
 やわらかく手になじむ布の感触が、記憶のなかにある光景を鮮やかに呼び起こす。

 ──あいつはハンカチなんて気のきいたもの、持ってなかったけどな。

 さりげなく顔をうつむけて、おれは、思わずゆるんだ口元をサトルさんから隠した。 







 




 
  

 
 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 
 
 

 

 
 
 



 

 
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