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日曜日は、朝から抜けるような青空が広がった。初夏のやわらかな日差しと、ほどよく乾いた風がすがすがしい。
「うわぁ。見事に女子ばっかりだな」
電車を降りて歩くこと約5分。
会場となるフットサルコートへ着くなり若干ひき気味の感想をもらしたのは、同じ学科の友人、市村秋斗だ。
試合はすでにはじまっていて、麟太郎が所属するチームの観戦エリアには、秋斗のいう通り大勢の女子がつめかけ、ひっきりなしに歓声をあげている。
見覚えのあるコもちらほらいるけれど、どちらかといえば知らない顔の方が多い。たぶん、べつの学部や他大学からも来ているんだろう。
「よかったよ、アキについて来てもらって。ひとりだったら完ぺき浮いてた」
おれの言葉に、秋斗は細長い指でメガネのフレームを押し上げながら、苦笑を浮かべた。
「まぁ、2人でも十分浮いてるけどな」
「たしかに」
おれも、つられて笑ってしまう。
こんなふうに気持ちを解きほぐせる相手がいるだけ、ひとりよりはずっといい。
持つべきものは心やさしい友人。そんなことを本人にいったところで、調子のいいやつと笑われそうだけれど。
秋斗とは、入学してすぐのクラスコンパで知り合った。
しっかり者で面倒見のいい彼は、交友関係が広いせいか、学内のゴシップにも明るい。おれに関する噂だって知らないわけがないのに、あえて問いただすこともなければ態度を変えることもなく、フラットな関係を保ち続けてくれている、おれにとっては貴重な友人のひとりだ。
そんな秋斗に、さんざん迷ったあげく今日のつきそいを頼んだのは、昨夜、もうすぐ日づけが変わろうとする頃だった。
麟太郎のはた迷惑な思いつきからはじまった、ここ最近の事情を説明すると、直前のめんどうな頼みごとにも関わらず、秋斗は快く引き受けてくれた。
『偽装カレシね。正気とは思えないアイデアだけど、あの葛西のやることだからな……おまえも苦労するな、千年』
昨夜の口調からすると、少なからずおれに同情してくれているらしい。ほんの少し麟太郎への反感も含まれている気がするのは考えすぎだろうか。
秋斗は以前から、なぜか麟太郎を敬遠しているフシがある。
3日前、学食で麟太郎の誘いにうっかり応じてからというもの、おれは重たい気分を引きずりながら過ごしていた。
『ばぁか。そこがいいっていってんの』
麟太郎の甘い言葉と、髪に触れた指先の感触が、いつまでたっても消えてくれない。
あれはただの演技だと、頭ではわかっている。それでもおれの心と体は、理性をあっさり裏切って、抑えきれないほどの喜びを訴えていた。
だからこそ、その後のみじめさはひどいものだった。まるで底なし沼のように、深くよどんだ自己嫌悪にズブズブとはまりこみ、しばらく抜け出せなかったほどだ。
麟太郎の一挙手一投足にふりまわされる毎日に疲れ、自分から距離を置いたというのに、これではまた、出口のない迷路のふりだしに戻ってしまう。それどころか、一線を越えた麟太郎のふるまいが今後も続くようなら、おれにとっては生殺しの地獄みたいなものだ。
このくだらない茶番劇にも、それに絡んだおれの内面のドロドロにも、無関係な秋斗を巻きこむべきじゃないのはわかっている。とはいえ、この状況をたったひとりで乗り切れる自信もない。
秋斗への連絡がぎりぎりになってしまったのは、そんなむなしい逡巡のあらわれだった。
「麟く~ん、がんばって!」
隣にいた女の子が、ふいに声を張りあげ、おれはびくりと肩を揺らした。
秋斗が、にやにやしながらその様子を眺めている。
「千年も負けずに応援してやれば?そのために来たんだろ?」
「おれの応援なんかなくても、あいつはうまくやるよ。そういうやつなんだ、高校の頃から」
周囲がなにをしようと関係ない。麟太郎は真夏の太陽みたいに、いつだって、ひとりで圧倒的に輝いている。
「なんか、卑屈になってないか?」
あきれたように、秋斗がいった。
「そんなに嫌なら断わればいいのに。恋人のふりなんかしたくないって」
それができたら、どんなに楽だろう。
浮かんだ言葉は、口には出さなかった。
黙りこむおれにちらっと目を向けただけで、秋斗はなにもいわずにピッチへ視線を戻す。
試合はウチの大学が優勢のまま、まもなく前半戦が終わろうとしていた。
相手は社会人チームと聞いていたけれど、思ったよりもレベルが高い。きっと若い頃からサッカーに打ちこんできた人たちなんだろう。
そうはいっても、ピッチを動き回る10人のなかで、ひときわ目立っているのは、やっぱり麟太郎だった。
ルックスがどうという以前に、ボールに触れる機会が、ほかの選手とくらべて明らかに多いからだ。ゴールに繋がる動きの起点には、必ず麟太郎がいるといっても過言じゃない。
「うまいんだな、葛西。あいつが玉蹴りしてるとこ、初めて見たけど、動きがプロみたいだ」
秋斗の言葉に、おれは大きくうなずいた。
「高校まで、本気でサッカーやってたから」
そういえば、手術した膝は大丈夫なんだろうか。
サッカーと違って走る距離は短くてすむけれど、そのぶんスピードや足元の技術が要求される競技のように思える。
麟太郎がトリッキーな足技を使うたび、ギャラリーからどよめきや歓声が湧き起こる一方で、おれは膝にかかる負担を想像しながらハラハラしていた。
「ほれ直した?」
しばらくして秋斗に問われ、いつのまにか食い入るように麟太郎を見つめていたことに気づいた。
「そんなんじゃないって」
「ふぅん?まぁいいけど。俺は正直、ああいう男のどこがいいのかわからない派だからな」
率直な秋斗の言葉に、なんだか申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「なんかごめん。麟とは、あんまり関わりたくなかったよな」
「ん?なんだそれ」
「いや、だって……アキは麟のこと、あんまり快く思ってなさそうだから」
「はぁ?」
一瞬、あっけに取られた顔をした秋斗は、「違うって、それは誤解だ」と、心外そうに首をふった。
「さっきのは、俺が女だったら恋愛対象として葛西はナイって意味で、べつにあいつに他意があるわけじゃない。どっちかっていうと、俺を煙たがってるのは葛西のほうだと思うけど」
「麟が?なんで……」
麟太郎と秋斗の間に、これといった接点はないはずだ。理屈っぽい性格の麟太郎が、はっきりした理由もなくだれかを嫌うというのも考えにくい。
「さぁ、なんでだろうな」
どこか突き放すようにそういうと、秋斗は続けた。
「ちゃんと見てるつもりでも、実は見えてないものって、けっこうあるんじゃないの?たったいま、おまえが俺の言動を誤解したみたいにさ」
見ているつもりで、見えていないもの。
その言葉は、なぜか胸の奥の方に重く響いた。
「そういや、おまえって、高校時代のあだ名がタマだったの?」
唐突な話題転換。おれはついていけずに、ぼんやり秋斗を見返す。
「いや、さっき高校の話が出ただろ。葛西がおまえのことそう呼んでるから、当時はタマで通ってたのかと思って」
「ほかの人は、普通に玉根とか千年って呼んでたよ」
玉根だからタマ。いままであたりまえに聞き流していたけれど、よく考えたら発想が安直すぎてがっくりくる。
「最初に聞いたとき、俺はネコみたいだと思ったけどな」
と、秋斗がいった。
「千年って、どことなくネコっぽいだろ。目元とか、雰囲気とかさ」
「いまどき、飼いネコの名前にタマはないだろ」
「まぁ、昭和の匂いがするのはたしかだけど」
なんの思い入れもない、まるで記号みたいな呼び名。
そう思った瞬間、心臓がぎゅっと縮んだ。背中の芯を、冷たいものが走り抜けていく。
もしかしたら、そこにすべてが表れていたのかもしれない。
恋が叶わないのは仕方がないと、どこかであきらめていた。おれと麟太郎では、そもそも恋愛のフィールドが違う。そう思えばいくらか納得もできた。
そのぶん麟太郎の親友という立ち位置にしがみつくことで、おれはいままで、どうにか自分を保ってきたのだ。
けれど、肝心の麟太郎はどう思っているのだろう。どこに行っても気を許せる友だちに恵まれる麟太郎にとって、そもそもおれの存在に、つなぎとめるほどの価値なんてあるんだろうか。
足元が崩れるような感覚と同時に、ぐらりと体が揺れた。
「千年!どうした」
秋斗がとっさに肩を抱いて支えてくれる。
「ごめん、ちょっとめまいがして」
「大丈夫か?具合いが悪いなら早くいえよ」
「そういうわけじゃ……大丈夫、すぐにおさまるから」
目を閉じて、深く息を吸いこむ。
何度か深い呼吸をくり返していると、ふいに周りの空気が激しく波立つのを感じた。次の瞬間には腕をつかまれ、体ごと、なにかに引き寄せられる。
「なにがあった」
頭の上で、麟太郎の低い声がした。
慌てて目を開けたけれど、視界が黒一色にふさがれ、なにも見えない。
黒の布地が麟太郎のユニフォームだと気づいて、ハッとした。
おれ、麟に抱きしめられてる!?
とっさに身をよじって逃れようとしたものの、干からびかけたミミズみたいに小さくのたくっただけで、かえって強く囚われるはめになってしまった。
だめだ。体に力が入らない。
あきらめて全身から力を抜くと、少しこわばった秋斗の声が聞こえた。
「話してたら、めまいがするって、急に」
「貧血か?」
「どうかな。軽い熱中症かもしれないし。とにかく、少し休ませて様子をみてから、俺が連れて帰るよ」
「いや、タマは俺が送るからいい」
え……。
「面倒かけて悪かったな、市村」
いやいやいや。勝手に決めるなよ。だいたい試合はどうした、試合は。
おれの内心が聞こえたように、秋斗がいった。
「でも試合はどうするんだ。ハーフタイムが終わったら、すぐに後半戦だろ」
そうか、いつのまにかハーフタイムに入ってたんだ。
ほっとしたのもつかの間、麟太郎がいい放った次の言葉に、おれは再びぎょっとした。
「俺が抜けても控えがいるから、そっちはなんとかなる」
まさか。そんなわけがない。
さっきまでの試合展開を見る限り、このチームが麟太郎ありきで成り立っていることは素人のおれにすらわかる。こいつが抜けた穴を、代わりの選手がふさぐなんて無茶な話だ。
おれは、たまらず口をはさんだ。
「2人とも、心配かけてごめん。ちょっとふらついただけだから、もう大丈夫」
なんとか腕を突っ張って麟太郎から離れ、ふたりを交互に見やる。
「アキはこれからバイトだろ。麟は、試合に戻れよ。おれはもう十分元気だし、ひとりで問題なく帰れるから」
おれの言葉に、ふたりが短く視線を交わすのがわかった。間を置かず、ふたり同時に口をひらく。
「だめだ」
「却下」
おそろしく息の合ったジャッジに、あ然としてしまう。
敬遠がどうのと気を回していたさっきまでの時間はなんだったんだろう。
ふいに視線を感じて横を見ると、ついさっきまで声を張って麟太郎を応援していた女の子と目が合った。
周囲の喧騒を考えたら、こちらの会話がちゃんと聞こえているとは思えない。それでも麟太郎が試合を放り出そうとしていることや、その原因がおれにあることは、ニュアンスとしてしっかり伝わっているようだ。その証拠に……。
おれ、めっちゃにらまれてるし。
おれの動揺に目ざとく気づい秋斗が、さりげなく間に入って彼女の視線をさえぎってくれる。
だいぶ弱気になっていたせいか、そのやさしさが、体の芯までしみてきた。
これ以上、秋斗に迷惑はかけられない。
「わかったよ。麟に送ってもらう。けど、頼むから試合が終わってからにして」
麟太郎はうなずいて、ピッチの方をあごで示した。
「だったら、終わるまでベンチで休んでろ。飲み物も氷も用意してあるから」
「ベンチって、もしかして、あのベンチ?」
おれの視線の先には、さっきまでピッチを走り回っていた選手たちが体を休め、同時に大勢のギャラリーが熱のこもったまなざしを向けている、簡素だけれど、いまだけは世界の中心と呼ぶにふさわしいベンチが鎮座している。
「ほかに、どのベンチがあるんだ?」
と、麟太郎。
思わず救いを求めるように秋斗を見ると、心やさしく世慣れた友人は、にやりと笑っていった。
「マネージャーに見えなくもないな。まぁ、がんばれよ」
「うわぁ。見事に女子ばっかりだな」
電車を降りて歩くこと約5分。
会場となるフットサルコートへ着くなり若干ひき気味の感想をもらしたのは、同じ学科の友人、市村秋斗だ。
試合はすでにはじまっていて、麟太郎が所属するチームの観戦エリアには、秋斗のいう通り大勢の女子がつめかけ、ひっきりなしに歓声をあげている。
見覚えのあるコもちらほらいるけれど、どちらかといえば知らない顔の方が多い。たぶん、べつの学部や他大学からも来ているんだろう。
「よかったよ、アキについて来てもらって。ひとりだったら完ぺき浮いてた」
おれの言葉に、秋斗は細長い指でメガネのフレームを押し上げながら、苦笑を浮かべた。
「まぁ、2人でも十分浮いてるけどな」
「たしかに」
おれも、つられて笑ってしまう。
こんなふうに気持ちを解きほぐせる相手がいるだけ、ひとりよりはずっといい。
持つべきものは心やさしい友人。そんなことを本人にいったところで、調子のいいやつと笑われそうだけれど。
秋斗とは、入学してすぐのクラスコンパで知り合った。
しっかり者で面倒見のいい彼は、交友関係が広いせいか、学内のゴシップにも明るい。おれに関する噂だって知らないわけがないのに、あえて問いただすこともなければ態度を変えることもなく、フラットな関係を保ち続けてくれている、おれにとっては貴重な友人のひとりだ。
そんな秋斗に、さんざん迷ったあげく今日のつきそいを頼んだのは、昨夜、もうすぐ日づけが変わろうとする頃だった。
麟太郎のはた迷惑な思いつきからはじまった、ここ最近の事情を説明すると、直前のめんどうな頼みごとにも関わらず、秋斗は快く引き受けてくれた。
『偽装カレシね。正気とは思えないアイデアだけど、あの葛西のやることだからな……おまえも苦労するな、千年』
昨夜の口調からすると、少なからずおれに同情してくれているらしい。ほんの少し麟太郎への反感も含まれている気がするのは考えすぎだろうか。
秋斗は以前から、なぜか麟太郎を敬遠しているフシがある。
3日前、学食で麟太郎の誘いにうっかり応じてからというもの、おれは重たい気分を引きずりながら過ごしていた。
『ばぁか。そこがいいっていってんの』
麟太郎の甘い言葉と、髪に触れた指先の感触が、いつまでたっても消えてくれない。
あれはただの演技だと、頭ではわかっている。それでもおれの心と体は、理性をあっさり裏切って、抑えきれないほどの喜びを訴えていた。
だからこそ、その後のみじめさはひどいものだった。まるで底なし沼のように、深くよどんだ自己嫌悪にズブズブとはまりこみ、しばらく抜け出せなかったほどだ。
麟太郎の一挙手一投足にふりまわされる毎日に疲れ、自分から距離を置いたというのに、これではまた、出口のない迷路のふりだしに戻ってしまう。それどころか、一線を越えた麟太郎のふるまいが今後も続くようなら、おれにとっては生殺しの地獄みたいなものだ。
このくだらない茶番劇にも、それに絡んだおれの内面のドロドロにも、無関係な秋斗を巻きこむべきじゃないのはわかっている。とはいえ、この状況をたったひとりで乗り切れる自信もない。
秋斗への連絡がぎりぎりになってしまったのは、そんなむなしい逡巡のあらわれだった。
「麟く~ん、がんばって!」
隣にいた女の子が、ふいに声を張りあげ、おれはびくりと肩を揺らした。
秋斗が、にやにやしながらその様子を眺めている。
「千年も負けずに応援してやれば?そのために来たんだろ?」
「おれの応援なんかなくても、あいつはうまくやるよ。そういうやつなんだ、高校の頃から」
周囲がなにをしようと関係ない。麟太郎は真夏の太陽みたいに、いつだって、ひとりで圧倒的に輝いている。
「なんか、卑屈になってないか?」
あきれたように、秋斗がいった。
「そんなに嫌なら断わればいいのに。恋人のふりなんかしたくないって」
それができたら、どんなに楽だろう。
浮かんだ言葉は、口には出さなかった。
黙りこむおれにちらっと目を向けただけで、秋斗はなにもいわずにピッチへ視線を戻す。
試合はウチの大学が優勢のまま、まもなく前半戦が終わろうとしていた。
相手は社会人チームと聞いていたけれど、思ったよりもレベルが高い。きっと若い頃からサッカーに打ちこんできた人たちなんだろう。
そうはいっても、ピッチを動き回る10人のなかで、ひときわ目立っているのは、やっぱり麟太郎だった。
ルックスがどうという以前に、ボールに触れる機会が、ほかの選手とくらべて明らかに多いからだ。ゴールに繋がる動きの起点には、必ず麟太郎がいるといっても過言じゃない。
「うまいんだな、葛西。あいつが玉蹴りしてるとこ、初めて見たけど、動きがプロみたいだ」
秋斗の言葉に、おれは大きくうなずいた。
「高校まで、本気でサッカーやってたから」
そういえば、手術した膝は大丈夫なんだろうか。
サッカーと違って走る距離は短くてすむけれど、そのぶんスピードや足元の技術が要求される競技のように思える。
麟太郎がトリッキーな足技を使うたび、ギャラリーからどよめきや歓声が湧き起こる一方で、おれは膝にかかる負担を想像しながらハラハラしていた。
「ほれ直した?」
しばらくして秋斗に問われ、いつのまにか食い入るように麟太郎を見つめていたことに気づいた。
「そんなんじゃないって」
「ふぅん?まぁいいけど。俺は正直、ああいう男のどこがいいのかわからない派だからな」
率直な秋斗の言葉に、なんだか申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「なんかごめん。麟とは、あんまり関わりたくなかったよな」
「ん?なんだそれ」
「いや、だって……アキは麟のこと、あんまり快く思ってなさそうだから」
「はぁ?」
一瞬、あっけに取られた顔をした秋斗は、「違うって、それは誤解だ」と、心外そうに首をふった。
「さっきのは、俺が女だったら恋愛対象として葛西はナイって意味で、べつにあいつに他意があるわけじゃない。どっちかっていうと、俺を煙たがってるのは葛西のほうだと思うけど」
「麟が?なんで……」
麟太郎と秋斗の間に、これといった接点はないはずだ。理屈っぽい性格の麟太郎が、はっきりした理由もなくだれかを嫌うというのも考えにくい。
「さぁ、なんでだろうな」
どこか突き放すようにそういうと、秋斗は続けた。
「ちゃんと見てるつもりでも、実は見えてないものって、けっこうあるんじゃないの?たったいま、おまえが俺の言動を誤解したみたいにさ」
見ているつもりで、見えていないもの。
その言葉は、なぜか胸の奥の方に重く響いた。
「そういや、おまえって、高校時代のあだ名がタマだったの?」
唐突な話題転換。おれはついていけずに、ぼんやり秋斗を見返す。
「いや、さっき高校の話が出ただろ。葛西がおまえのことそう呼んでるから、当時はタマで通ってたのかと思って」
「ほかの人は、普通に玉根とか千年って呼んでたよ」
玉根だからタマ。いままであたりまえに聞き流していたけれど、よく考えたら発想が安直すぎてがっくりくる。
「最初に聞いたとき、俺はネコみたいだと思ったけどな」
と、秋斗がいった。
「千年って、どことなくネコっぽいだろ。目元とか、雰囲気とかさ」
「いまどき、飼いネコの名前にタマはないだろ」
「まぁ、昭和の匂いがするのはたしかだけど」
なんの思い入れもない、まるで記号みたいな呼び名。
そう思った瞬間、心臓がぎゅっと縮んだ。背中の芯を、冷たいものが走り抜けていく。
もしかしたら、そこにすべてが表れていたのかもしれない。
恋が叶わないのは仕方がないと、どこかであきらめていた。おれと麟太郎では、そもそも恋愛のフィールドが違う。そう思えばいくらか納得もできた。
そのぶん麟太郎の親友という立ち位置にしがみつくことで、おれはいままで、どうにか自分を保ってきたのだ。
けれど、肝心の麟太郎はどう思っているのだろう。どこに行っても気を許せる友だちに恵まれる麟太郎にとって、そもそもおれの存在に、つなぎとめるほどの価値なんてあるんだろうか。
足元が崩れるような感覚と同時に、ぐらりと体が揺れた。
「千年!どうした」
秋斗がとっさに肩を抱いて支えてくれる。
「ごめん、ちょっとめまいがして」
「大丈夫か?具合いが悪いなら早くいえよ」
「そういうわけじゃ……大丈夫、すぐにおさまるから」
目を閉じて、深く息を吸いこむ。
何度か深い呼吸をくり返していると、ふいに周りの空気が激しく波立つのを感じた。次の瞬間には腕をつかまれ、体ごと、なにかに引き寄せられる。
「なにがあった」
頭の上で、麟太郎の低い声がした。
慌てて目を開けたけれど、視界が黒一色にふさがれ、なにも見えない。
黒の布地が麟太郎のユニフォームだと気づいて、ハッとした。
おれ、麟に抱きしめられてる!?
とっさに身をよじって逃れようとしたものの、干からびかけたミミズみたいに小さくのたくっただけで、かえって強く囚われるはめになってしまった。
だめだ。体に力が入らない。
あきらめて全身から力を抜くと、少しこわばった秋斗の声が聞こえた。
「話してたら、めまいがするって、急に」
「貧血か?」
「どうかな。軽い熱中症かもしれないし。とにかく、少し休ませて様子をみてから、俺が連れて帰るよ」
「いや、タマは俺が送るからいい」
え……。
「面倒かけて悪かったな、市村」
いやいやいや。勝手に決めるなよ。だいたい試合はどうした、試合は。
おれの内心が聞こえたように、秋斗がいった。
「でも試合はどうするんだ。ハーフタイムが終わったら、すぐに後半戦だろ」
そうか、いつのまにかハーフタイムに入ってたんだ。
ほっとしたのもつかの間、麟太郎がいい放った次の言葉に、おれは再びぎょっとした。
「俺が抜けても控えがいるから、そっちはなんとかなる」
まさか。そんなわけがない。
さっきまでの試合展開を見る限り、このチームが麟太郎ありきで成り立っていることは素人のおれにすらわかる。こいつが抜けた穴を、代わりの選手がふさぐなんて無茶な話だ。
おれは、たまらず口をはさんだ。
「2人とも、心配かけてごめん。ちょっとふらついただけだから、もう大丈夫」
なんとか腕を突っ張って麟太郎から離れ、ふたりを交互に見やる。
「アキはこれからバイトだろ。麟は、試合に戻れよ。おれはもう十分元気だし、ひとりで問題なく帰れるから」
おれの言葉に、ふたりが短く視線を交わすのがわかった。間を置かず、ふたり同時に口をひらく。
「だめだ」
「却下」
おそろしく息の合ったジャッジに、あ然としてしまう。
敬遠がどうのと気を回していたさっきまでの時間はなんだったんだろう。
ふいに視線を感じて横を見ると、ついさっきまで声を張って麟太郎を応援していた女の子と目が合った。
周囲の喧騒を考えたら、こちらの会話がちゃんと聞こえているとは思えない。それでも麟太郎が試合を放り出そうとしていることや、その原因がおれにあることは、ニュアンスとしてしっかり伝わっているようだ。その証拠に……。
おれ、めっちゃにらまれてるし。
おれの動揺に目ざとく気づい秋斗が、さりげなく間に入って彼女の視線をさえぎってくれる。
だいぶ弱気になっていたせいか、そのやさしさが、体の芯までしみてきた。
これ以上、秋斗に迷惑はかけられない。
「わかったよ。麟に送ってもらう。けど、頼むから試合が終わってからにして」
麟太郎はうなずいて、ピッチの方をあごで示した。
「だったら、終わるまでベンチで休んでろ。飲み物も氷も用意してあるから」
「ベンチって、もしかして、あのベンチ?」
おれの視線の先には、さっきまでピッチを走り回っていた選手たちが体を休め、同時に大勢のギャラリーが熱のこもったまなざしを向けている、簡素だけれど、いまだけは世界の中心と呼ぶにふさわしいベンチが鎮座している。
「ほかに、どのベンチがあるんだ?」
と、麟太郎。
思わず救いを求めるように秋斗を見ると、心やさしく世慣れた友人は、にやりと笑っていった。
「マネージャーに見えなくもないな。まぁ、がんばれよ」
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