琥珀いろの夏 〜偽装レンアイはじめました〜

桐山アリヲ

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 住宅街を貫く駅までの道を、ぼんやり歩いている。
 
 なんだか、脱け殻にでもなったみたいだ。
 
 頭も体も妙にふわふわしていて現実感がない。そのくせ、ミユの発した悲鳴のような声が耳から離れず、そこだけは、やけにリアルに感じられる。

 むき出しの感情をまともに食らうことが、これほど神経を削られるなんて知らなかった。
 ふだん、どれだけ整えられた体裁のなかで生きているかを突きつけられた気分だった。

 ヴーヴーヴー……。
 
 突然、指先に強い振動を感じた。
 驚いて目を落とすと、右手がしっかりスマホを握りしめている。
 サトルさんのメッセージを確認したときから、そのままだったことに気づいて、空気のぬけるような力ない笑いがこぼれた。  
 
 着信の相手は、そのサトルさんだった。
 
 『がまんできなくてかけちゃったよ。いま、マズかったかな』

 やわらかな声を聞いた瞬間、泣きたいような気持ちになった。
 
 「全然マズくないです。すみません、返信できなくて」

 『それはいいけど……声、元気ないね。なにかあった?』

 「……サトルさん」

 『ん?』

 「会いたいです」

 『……いま、どこにいる?迎えに行くよ』

 理由を聞くでもなく、サトルさんは当然のようにそういった。
 このひとに、すべてを預けてしまいたい。そんな衝動に駆られている自分が怖い。

 顔をあげると、道の向こうにコンビニの看板が見えた。
 目印としてその場所を伝えたおれに、サトルさんは、「10分くらいで行けると思う。なにか楽しいことでも考えながら待ってて」と告げてから通話を切った。
 
 スマホをポケットに突っこんで、再び歩き出す。
 
 サトルさんのおかげで、いくらか気分がマシになっていた。
 恋人と呼べるわけでもなければ、ただの友人とも違う。名前のつかないあやふやな関係なのに、いまのおれにとってサトルさんとのつながりは、夜の海を照らす灯台みたいに、ほのかな希望をもたらしてくれるかけがえのないものだ。

 目指すコンビニまで残りわずかのところで、背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。
 
 「なんで勝手に帰るんだよ。待ってろっていっただろ」

 なんとなく予感はしていたから、声を聞いても驚かなかった。
 
 「タマ!」

 足を止めようとしないおれに、麟太郎がいらだった声をあげる。

 「こっち向けよ、タマ」 

 「触るな」

 背後から肩をつかまれた瞬間、ほとんど反射的に、おれは麟太郎の手をふり払っていた。

 自分でも驚くほどの激しい拒絶に、止まった足が動かなくなる。

 ひるんだように一瞬だけ動きを止めた麟太郎は、おれの正面に回りこむと、声のトーンを落としていった。
 
 「ミユに、なんていわれたんだ」

 無言のままのおれに向かって、続ける。

 「三雲の彼女から聞いた。おまえがミユからケンカ売られてたって」

 「そんなんじゃない」

 ケンカなら、まだよかった。ぶつけられた言葉を躊躇なく投げ返すことも、聞き流してさっさと忘れることもできただろう。
 
 でもあれは……彼女の叫びは、胸のなかに長く留まり、ひたすら昏くよどんでいく類のものだ。どんなに望んだところで、いちばん欲しいものには手が届かず、もどかしさにあえいでいる、飢えた獣のようなおれ自身の声そのものだから。

 「ミユには、もう一度ちゃんと話をつける。二度とこんなマネはせない」

 「ちゃんとってなに。性懲りもなく同じ嘘ついて、彼女のこと、また傷つけんのか?」

 自分でも、はっとするほど冷ややかな声が出た。

 「おれは嫌だよ。そんなことに、もう協力はできない」

 「好きな男がいるからか?」

 麟太郎の乾いた声に、思わず目をあげた。
 
 「おまえが時どき会ってる相手、深山悟だろ、作家の」

 「どうして、そんなこと知って…」 

 「見たんだよ。おまえらが落ち合うところ。俺とタマが駅ナカで話した日に」

 「それって……おれの後つけたってこと?」

 信じられない思いで問いかけると、麟太郎は、顔色ひとつ変えずにうなずいた。

 「なんでそんなことするんだよ!」
 
 「心配だからに決まってんだろ!危なっかしいんだよ、おまえ。俺の見てないところで、つまづいて泣いてんじゃないかと思ったら、放っておけるわけないだろうが」

 「……なんだよ、それ。心配してくれなんて頼んでない」

 無意識に、声が震えた。

 おれは、麟太郎からそんなふうに思われていたのだ。親友なんてとんでもない。はじめから、対等な関係ですらなかった。

 膝から力が抜けていく。なんとか立っていられたのは、かろうじて残されていた意地のおかげだ。
 いまこの瞬間、麟太郎のまえでだけは、絶対に弱みを見せたくなかった。

 「なぁ、タマ。あいつとは、もう会うなよ」

 いつもの落ちついた口調に戻って、麟太郎がいった。
 
 「釣り合わない相手といたって、いいことなんかなにもない。むしろお互い不幸になるだけだ。高校のときのこと、忘れたわけじゃないだろ」

 「過去の話を持ち出せば、おれが黙っていうこときくとでも思ってんの?」

 「そんなつもりでいってるんじゃない」

 「じゃあどんなつもりだよ。おれの行動を縛る権利が、おまえにあるのか?保護者にでもなったつもりかよ。それとも恋人ごっこの続き?」 

 「なんでわかんねぇかな」

 麟太郎が、再びいらだちをにじませた。

 「そういうおまえこそ、どういうつもりなんだよ。人気作家だかなんだか知らねぇけど、簡単に引っかかりやがって。どうせ、いいように遊ばれてんだろ。いつからそんなチョロいやつに成りさがったんだ、おまえは」

 「サトルさんはそういうひとじゃないし、おれも簡単に引っかかったわけじゃない。だいたい、おれがだれとどんなふうにつき合ったって、おまえに関係ないだろ!」

 麟太郎は、なぜか痛みをこらえるような顔をした。その顔のまま、微妙に焦点のずれたまなざしで、おれをとらえる。

 「そうだな。たしかに俺には関係ない。けど、オトコたらしこむなら、次からは俺の見えないところでやってくれ。これ見よがしに試合にまで連れてきてイチャつかれたら迷惑だ」
 
 「それ……アキのこといってんの?」

 思わず息をのんだ。 
 どこをどう切り取ったら、そんなふうに事実が歪んで見えるんだろう。めちゃくちゃだ。もはや否定する気にもならない。
 
 怒りの代わりに、きしむような哀しみが胸を満たした。同時に、あきらめに近いなにかが、すとんとおりてくる。

 もう、こいつと一緒にはいられない。

 シルバーのボルボが滑りこんできたのは、そのときだった。
 ハザードランプをつけたメタリックな車体が、路肩ぎりぎりに幅寄せして止まる。
 
 運転席から降りてきたのは、サトルさんだった。
 
 「取りこみ中だったかな」

 サトルさんは、麟太郎にちらっと目をやり、おれに向かってたずねた。

 「ひょっとして、彼が噂の“麟太郎”くん?」

 名指しされた麟太郎が、眉を寄せておれを見る。
 
 「噂ってなんだよ、タマ。この男に、俺のことまで話したのか?」

 応えたのは、サトルさんだった。

 「話に聞いてたとおり、威勢がいいねぇ。エネルギー持て余してる感じがうらやましいよ」

 ひょうひょうとしたものいいが癇にさわったのだろう。いつもより数段低い声で、麟太郎が険のある言葉を返した。
 
 「あんた、ひとの神経逆なですんのがうまいんだな。さすが文章こねくり回して金もらってるだけあるわ」

 「初対面の若者に褒めてもらえるなんて、光栄だな」

 「褒めてねぇよ。嫌味も通じねぇとか、どんだけツラの皮が厚いんだ」

 「ポジティブ思考なんでね。そういうきみのほうこそ、ずいぶん弁が立つみたいだ。大方、舌先ひとつで周りの人間を振り回してきたんじゃないのか?」

 サトルさんの口調は、あくまで淡々としている。けれどその内容は、ヒリヒリするほど辛辣だった。

 「いままでは、それでうまくいってたんだろう。でも気をつけたほうがいい。他人を振り回してるつもりが、きみの語る言葉にきみ自身が振り回されてる可能性だって、ないとはいえないからね」

 「……なにがいいたい」

 うめくように、麟太郎がいった。いまにも噛みつきそうな鋭い目で、サトルさんをにらみつけている。

 「本音を隠すために言葉を取り繕ってばかりいると、自分でも、なにが本音かわからなくなるってことだよ」

 「あいにく、俺はそんなにマヌケじゃない」

 「だったら、どうして千年くんに恋人のフリなんて頼んだ。俺には、きみが迷走してるとしか思えないけどね」

 いい返すかと思ったら、麟太郎は無言のまま、サトルさんから視線をそらした。顔から表情が消えている。

 「言葉には力がある」

 サトルさんが、静かにいった。

 「だからこそ、使いようによっては自分を解放してくれる福音にもなるし、反対に、縛りつける呪いにもなるんだ。本心を偽るのはきみの勝手だし、心底どうでもいいと思うよ。でも、その偽装が行き過ぎて、いちばん大切なものまで見失ってしまったら、それこそマヌケの極みなんじゃないのか?気づいたときには手遅れだったなんて、べつに珍しい話でもないけどね」

 麟太郎が、小さく息をのむのがわかった。

 こいつが他人にやりこめられる場面を見るのは初めてだ。驚きととまどいと、わずかな憐憫の混ぜ合わされた感情が、モヤモヤと胸をふさぐ。
 
 「行こうか、千年くん」

 サトルさんにうながされ、後ろ髪を引かれる思いで、ボルボの助手席に乗りこんだ。

 サトルさんの車が、来たときと同じようになめらかに発進するまで、麟太郎は、一度もおれを見ようとはしなかった。

 
 
 
 
 
 

 
 

 

 

  

 

 
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