琥珀いろの夏 〜偽装レンアイはじめました〜

桐山アリヲ

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 シャー……。

 切れ目のない水音が耳を打つ。
 
 雨……?

 そう思ったのは一瞬だけで、すぐに違うと気づいた。
 まどろみのなかに心地よく漂いながら、シャワーの音に耳をすます。

 かつてないほど、気持ちが穏やかに満ち足りていた。
 いままで経験してきたどんな喜びも霞んでしまうくらいに、胸のなかが温かな感情で満たされ、なにひとつ欠けたものがないと感じる。

 こういうのを、「幸せ」っていうんだろうな……。

 おとぎ話のエンディングみたいに現実味の薄いものだと思っていた幸せが、こんな形で自分の身に訪れるなんて、なんだか夢でもみているみたいだ。
  
 でも、夢じゃなかった。ほかでもない自分の体が、リアルにそう訴えかけてくる。

 全身が、ひどく重だるい。
 とくに麟太郎を受け入れた部分は、いまだ熱をはらみ、たとえようのない異物感まで生々しく残っている。

 ──まだ、ナカに麟がいるみたいだ。

 なにげなく浮かんだ言葉に、みるみる顔が赤くなるのがわかった。

 「恥っず。なにいってんだ、おれ」

 「でっかいひとりごと」

 地味に身もだえていたら、笑いを含んだ麟太郎の声がした。いつのまにか、シャワーは終わっていたらしい。
 仰向けに横たわり、ドアの方へ顔だけ向けたおれの視界に、すっ裸のままタオルで乱雑に髪を拭く麟太郎の姿が映りこむ。

 「なんで真っぱなんだよ。せめてタオルくらい巻いたら?」

 「いまさらだろ」

 ガチャ……と、冷蔵庫を開け閉めする音がして、麟太郎の足音が近づいてきた。

 「べつに隠したくなるほどの粗品でもないし」

 いや、立派なのは認めるけど。

 「そういう問題じゃないから」

 目のやり場に困ったあげく、あわててまぶたを閉じると、体のすぐ横でベッドの沈む気配がした。

 「で、なにが恥ずかしいって?」

 視界がふさがった状態で聞く麟太郎の声は、妙になまめかしい。そんなふうに感じるのは、おれの体が、いつもより敏感になっているせいなんだろうか。

 「改めて聞くなよ。勝手に悶絶してただけ」

 「悶絶するほど恥ずかしいこと考えてたのか?」

 「話をいちいちエロい方に持っていこうとするな」

 麟太郎の笑い声がして、両方のまぶたに、そっとキスを落とされた。

 しかたなく目を開けた途端、やわらかなまなざしにつかまってしまう。

 「体、まだつらいか?」

 「ん……少し休めば、平気」

 「無理させて悪かったな。セーブしたつもりなんだけど、途中から理性が飛んでた」

 「いいよ、謝らなくて」

 乱れたのは、お互いさまなのだ。それに、麟太郎はどこまでもやさしかった。おれの体を気づかって、最大限に自制してくれていたのも知っている

 「シャワーはどうする?歩けないようなら、俺が姫抱っこで風呂場まで連れてくけど」

 「気持ちだけもらっとく。落ち着いたら、自分でできる」

 黙ってうなずいた麟太郎は、片手にまとめ持っていた2本のペットボトルを小さく揺らした。
 
 「少しなら、起きあがれるか?」

 水を見た瞬間、思い出したように猛烈な喉の渇きをおぼえる。

 やっとのことで起き上がり、ヘッドボードに背中を預けて水を飲んでいると、頰のあたりに麟太郎の視線を感じた。

 「どうかした?」

 「いや、ホッとしたっつーか、感慨深いっつーか……」

 珍しく、歯切れが悪い。

 麟太郎は、喉に直接流しこむようにしてペットボトルの水を飲み、それからいった。

 「シャワーしてる間、タマがいなくなってたらどうしようとか、そもそも、ぜんぶ俺の妄想だったんじゃないかとか、しょうもないこといろいろ考えてたからさ。いま、おまえの顔見て、そうじゃないんだってホッとして、3年越しの夢が叶った現実を噛みしめてたとこ」

 いつも自信に満ちあふれた麟太郎の口から、そんな言葉が出てきたことに驚きながらも、自然と頰がゆるんでしまう。

 「麟でも、そんなふうに思ったりするんだな」

 「おまえに関しては、情けないくらい弱気になってばっかだよ。自分のことなら迷ったりしないし、ほとんど悩むこともないのにな」

 「情けない麟も悪くないと思うよ、おれは」

 「それ、すげーフクザツ」

 笑いながら、麟太郎が背後に腕を回して、ヘッドボードの上に水を置いた。その拍子に、ボードの縁に引っかけてあったタオルがはらりと落ちる。
 タオルのゆくえを追ってフローリングの床に目をやったおれは、見覚えのあるものに気づいた。
 ローションのボトル。二度目の行為で使いきり、すでに中身は空になっている。

 「あのさ……それって、みんながふつうに使うものなわけ?」

 「みんなが、ふつうに?」

 「あー……ほら、ローションって、男同士ではあたりまえに使うんだけどさ、おれ、女の子とは経験ないから、そういうのよくわかんなくて」

 「まぁ、ふつうは必要ないだろうな。少なくとも、俺は使ったことない」

 だったら、どうしてこの部屋にあったのだろう。

 おれの疑問をよそに、麟太郎は空のボトルを拾いあげると、部屋のすみに置いてあるゴミ箱へ、狙いを定めて放り投げた。
 きれいな弧を描いて飛んでいったボトルは、寸分たがわずゴミ箱のなかへ消え、ガコンと乾いた音をたてる。

 「ナイッシュー」。小さくつぶやいてから、麟太郎が言葉を継いだ。

 「さっき、房総からの帰りがけにドラッグストア寄ったんだ。おまえが寝落ちしてくれて助かったよ。下心全開でこんなの買ってるとこ見られたら、ムードもクソもないからな」

 「……もしかして、事前に調べてくれてたのか?男同士でする方法」

 「当然だろ。万が一にでもタマの体を傷つけたりしたらシャレにならないし、痛い思いなんかさせたら最悪だ。おまえが気持ちよくなってくれなきゃ、そもそもセックスなんて、する意味ないからな」

 「麟……」

 胸が熱くなって、言葉に詰まっていると、なぜか麟太郎が、ニヤニヤしながらおれを見た。

 「文字情報から拾った知識で、あんまり自信なかったけど、あの様子なら、かなりよかったみたいだな」

 きっと、おれの痴態をあれこれ思い返しているんだろう。

 さっきの感動を返してほしい。

 「にやにや笑うな。麟のアホ!」
 
 おれは、背中に当てていた枕を抜き取り、麟太郎の顔面めがけて思いきり投げつけた。

 とっさに上げた片手で枕をつかんだ麟太郎は、にわかに真顔になって口をひらく。
 
 「ついでにいっておくけど、この部屋に、つきあった相手を連れてきたことはないから」

 「……それって」

 「大抵の相手は、それが不満だったみたいだな。まぁ、当然か。やることやっといて、自分のテリトリーには踏みこませない男なんて、俺が女だったら信用できねぇもんな」

 つまり、麟太郎がこのベッドで抱き合ったのは、おれだけってこと?

 「なんだよ、それ」

 安心したら、体の力が抜けてきた。ぐったりと、麟太郎の肩に寄りかかる。

 「そういうことは、先にいえよ」

 「気にしてたのか?」

 「あたりまえだろ。歴代の彼女たちと同じ土俵に乗せられるこっちの身にもなれっての」

 「同じ土俵になんか乗せられるかよ。おまえは特別なんだ。ほかのだれかとくらべるなんて、考えたこともない」

 冷静なときにくらうストレートな愛情表現ほど、破壊力のあるものはない。
 うっかり受け止め損ね、持て余したまま口をつぐんでいると、麟太郎が、ぽつりといった。

 「いまはまだ、全然かなう気がしないけどさ」

 「え?」

 「深山さんのこと。おまえがすごく慕ってるのは、見ててわかる」

 「ちょっと待って。サトルさんとは、まだなにも」

 「それはいいんだ。いま、おまえがここにいる事実が答えだと思ってるから」

 あせって説明しようとするおれを、麟太郎が、やわらかい口調でさえぎる。それから続けた。

 「約束するよ。いつか必ず、深山さんよりいい男になるって。俺を選んだこと、絶対に後悔させない」

 「麟…」

 おれは、壁際の暗がりにたたずむ本棚を見やった。

 法律関係の書籍と並んで、いかにも読書家の麟太郎らしく、ぎっしり詰めこまれた小説の数々。
 その一角を占める「深山悟」の文字に、おれは、部屋に入った最初の方から気づいていた。
 麟太郎は、作家としてのサトルさんを、ずっとまえからリスペクトしていたのだろう。そしていまは、ひとりの人間としても、深い尊敬の念を抱いている。
 
 サトルさんと麟太郎は、いうまでもなくまったくべつの人間で、それぞれに違った魅力があるのだから、くらべて張り合おうとするのはナンセンスなのかもしれない。
 でも、麟太郎がいっているのは、そういうことじゃないんだろう。
 目のまえにある大きな壁を越えていきたい気持ちは、同じ男として、痛いほど理解できる。

 「いつになるかは未定だけどな」
 
 と、麟太郎。

 「いいんじゃないの?おれたち、まだ若いんだし」

 「タマはのんきだからな」

 「引っかかるいい方だなぁ。もっとほかにあるだろ。おおらかとか、気が長いとかさ」
 
 でも、否定はできない。
 3年も同じ場所で足踏みしていたなんて、のんきにもほどがある。

 「とはいえ、おれもそんなにのんびりはしてられないよなぁ。そろそろ就活だってはじまるわけだし」

 いくつもの嘘や偽装も、すれ違っていた日々も、傷つけたひとたちの存在も……すべてをのみこんだうえにいまがある。
 その事実を胸に刻んで、まっすぐに足を踏み出し、理想通りとはいかない穴ぼこだらけの道をひたすら歩く。未来はきっと、そういう地道な歩みを繰り返した先にあるものなんだろう。
 でも明日からは、隣に麟太郎がいる。たとえ足を取られそうな荒れた道でも、ふたりなら、見える景色は変わるかもしれない。
 どんな瞬間も、見逃したくないと思った。麟太郎が愛してくれた琥珀の目に、すべての光景を焼きつけておきたい。
 
 「どうした?」

 急に黙りこんだおれの顔を、麟太郎が心配そうにのぞきこんでくる。

 その視線をとらえ、おれは、晴れやかな気持ちでいった。

 「明日が来るのが楽しみだなんて、子どもの頃以来かも」

 「気が合うな。俺もいま、似たようなこと考えてた」

 視線が、甘く絡んだ。
 どちらからともなく、唇が重なる。

 「好きだよ、麟。おれも、後悔させないから」

 再び覆いかぶさってきた麟太郎をまっすぐ見あげ、おれは、そっとささやいた。

 

 

 






 

 


 

 

 
 

   
 

 
 

 
 

 
 

 
 


 

 
 
 
 
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