琥珀いろの夏 〜偽装レンアイはじめました〜

桐山アリヲ

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エピローグ

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 「結局、落ち着くところに落ち着いたってわけか」

 8月後半。集中講義のために足を運んだ大学で、ほぼ1ヶ月ぶりに顔を合わせた秋斗は、メガネの奥から感慨深げにおれを見た。

 「アキには、いろいろと面倒をおかけしました」

 「ほんとだよ、まったく」
 
 夏休み中とはいえ、昼どきの学食は、そこそこのにぎわいをみせている。
 混んではいても、場の空気がどことなくのどかで明るいのは、だれもが目先の義務や課題に追われる日々から解き放たれているゆえなんだろう。
 夏休みが特別なのは、小学生も大学生も変わらない。

 「偽装恋愛の話を聞いたときには、葛西もいよいよ乱心したかと思ったけど、あながち無意味な茶番ともいえなかったみたいだな」

 「そう、なのかな」
 
 「嘘から出たまことじゃないけど、この場合、実から出た嘘が一周回って真実を引き寄せたわけだろ?人生、なにがどう転ぶかわからないって実例を、間近で見れてよかったよ。なんか、夢があるもんな」
 
 至ってポジティブにまとめると、秋斗は、カレーのルーとごはんの分量を慎重に見極めながら、スプーンですくいあげる。
 カレーをこよなく愛する彼は、ごはんとルーをぴったり同じタイミングで食べきることに、ひそかな情熱を傾けているのだ。

 会わない間、スマホのアプリで連絡を取り合っていた秋斗に、麟太郎とつき合うことになった旨を報告したとき、返ってきたのは『ようやく春が来たな』という、短いけれど祝福に満ちたメッセージだった。
 秋斗もまた、おれと麟太郎が両想いだと、とっくに見抜いていたんだろう。

 「アキは、いつから麟の気持ちに気づいてたわけ?」

 おれは、日替わりランチのアジフライに箸をつけながら、そうたずねた。

 「いつからって聞かれるとむづかしいんだけど……最初に引っかかったのは、視線かな」

 「視線?」

 「俺を見る葛西の目がさ、敵意があるっていうか、殺気を帯びてるっていうか……とにかく、ふつうじゃなかったんだよ。顔や態度に出すわけじゃないし、ほんの一瞬のことだから、はじめは気のせいだと思ってたんだ。でもそのうち、殺気を感じるのは俺が千年といるときだけだって気づいて、それからは、意識して葛西の行動を観察するようになった」

 「全然わからなかった。ずっと隣にいたのに……」

 『ちゃんと見てるつもりでも、実は見えてないものって、けっこうあるんじゃないの?』

 いつかの秋斗の言葉が、改めて胸に迫る。

 「葛西ってさ、自分に自信があるぶん、他人に執着しないタイプだろ。だから、千年に対してそこまで独占欲をむき出しにする理由が、はじめは全然わからなかった。でも、あいつの言動を観察するうちに、ふと思ったんだ。その執着心を恋愛感情に置き換えたら、つじつまが合うんじゃないかって。まぁ、常に女がまとわりついてる葛西のことだし、最初は半信半疑だったんだけど……確信に変わったのは、フットサルのときだな。おまえが急に体調を崩したときのこと、おぼえてるか?」

 もちろん、おぼえている。不覚にも、精神的なショックで軽い貧血を起こし、秋斗と麟太郎から介抱してもらった出来事だ。
 あの日はいろんなことがあり過ぎて、思い返すといまだに胃のあたりがキュッとなる。

 「おまえは見てないから知らないと思うけど、葛西のやつ、ものすごい剣幕で俺の手から千年をかっさらったんだ。腹の底が読みきれないイケメンの怒気って半端ないんだな。あの極寒オーラで、寿命が半年は縮んだ気がする」

 「重ねがさねゴメン。それと、ほんとにありがとう」

 渦中にいるときには気づけなかったけれど、いまならわかる。フットサルの1件以外にも、秋斗は、ことあるごとに、おれの背中を押してくれていたのだ。

 「学食のカレー3食分で手を打ってやる」

 「そんなんでいいの?」

 「友情価格だよ。それより、新しいバイトは順調か?知り合いの社長から頼まれたってやつ」

 知り合いの社長、というのは、雨宮さんのことだ。

 『今度ごはん行こう』

 サトルさんのマンションで別れぎわにかけてもらった、あの言葉は社交辞令じゃなかったようで、夏休みがはじまってまもない頃、SNSを経由して、雨宮さんから食事に誘われた。
 サトルさんとのことがある手前、断るべきか迷ったけれど、「悟のことは気にしなくていい。あいつとは関係なく、俺が千年くんに会いたいだけだから」と先回りしてくれた雨宮さんの心づかいに、おれは素直に甘えることにした。
 
 雨宮さんが連れて行ってくれたのは、肩の凝らないカジュアルな洋食屋だった。
 大皿で出される料理は、どれもほんとうにおいしかったし、雨宮さんがおもしろおかしく語る話も楽しくて、時間が早回しで過ぎていくのを感じたほどだ。だから、というわけでもないけれど、家まで送ってもらう車のなかで、「夏休みの間だけでもかまわないから、うちの会社でバイトしないか」と誘われたとき、おれはほとんど迷うことなく「やらせてください」と応えていた。
 
 孤独な心を物語に救われた経験のあるおれには、どこかで、それを生み出す仕事への憧れがあったのかもしれない。改めて意識したことはないけれど、創作の最前線にいるサトルさんの生き方に触れた影響も、決して小さくはないだろう。

 任される仕事は、資料整理やデータ入力などの雑用が多い。それでも、一冊の本ができあがっていく課程を間近で見て、その熱気に触れる日々は、全身の血が沸き立つほど刺激的だった。
 おれが編集の仕事に興味を持っていることがわかると、一緒に働くスタッフは、どんなことでも惜しみなく教えてくれた。雨宮さんは雨宮さんで、作家との打ち合わせや編集会議に、たかが学生アルバイトのおれを積極的に同席させてくれる。おかげで、入った当初は複雑に絡まる糸のように思えた仕事の流れが、いまではきちんと把握できるようになっていた。

 「おれ、あの仕事かなり好きみたい。就活は、出版社に狙いを絞ろうと思ってる」

 「ふぅん?そっちも、いい出会いだったみたいだな」
 
 秋斗が顔をほころばせたとき、いかにも体育会系の雰囲気を身にまとう集団が、昼食のトレーを手に、空席を探しながら歩いてくるのが見えた。
 なかでも、ひときわ目立つ茶髪の男が、おれに気づいて片手を上げる。

 「千年っち!」

 「後で合流するわ」と、仲間たちに声をかけた三雲は、おれの隣にやってきて腰をおろした。

 「ふたりは、今日から集中講義なんだってな」

 「うん。三雲は練習だったんだよね」

 「このクソ暑いなか、もの好きだろ?」

 自分で軽く突っこみを入れると、三雲は、「いただきます」と律儀に合掌してから続けた。

 「今年はリーグ優勝も狙える位置につけてるからさ、みんな気合い入ってんだよ。うちのエースも、最近は絶好調だし。だれのおかげとは、あえていわねーけど」

 にやにやしながらおれを見る。
 おれと麟太郎がつき合っていることは、当然、三雲の耳にも入っているのだろう。

 「そのエースがいないみたいだけど、今日は休みか?」

 秋斗がたずねた。

 「来たけど、練習終わるなり速攻で帰った。午後から予備校だってさ」

 「予備校?」

 「そ。最近になって通いはじめたんだ。予備試験の論文対策だと」

 口いっぱいに、ごはんとアジフライを詰めこんだ三雲が、モゴモゴしながら行儀悪くしゃべる。

 「予備試験って、もしかして、司法試験の予備試験のことか?」

 「もしかしなくても、その予備試験だよ。麟のやつ、年明けには挑戦するつもりでいるみたいだぜ」

 「嘘だろ……」
 
 あんぐりと口を開け、秋人が絶句した。

 おれも最近になって知ったのだけれど、司法試験を受けるためには、そもそも受験資格というものが必要らしい。4年制の大学を出たあと、ロースクールへ進んで必要な課程を修了すれば、自動的に、その資格が得られるのだという。
 一方、ロースクールへ入らずに受験資格を得られる道筋も用意されていて、それが、三雲のいう「予備試験」と呼ばれるものにパスすることなんだけれど……。

 「合格率4パーセントの超絶に狭き門だぞ」

 と、秋斗。

 「そんな離れ技にあえて挑戦しなくても、学部を卒業してから、おとなしくロースクール通えばいいのに。時間はたっぷりあるんだし、金に困ってるわけでもないんだろ?」

 「そこは、愛の力ってやつだよ。なぁ、千年っち?」

 と、なぜか三雲が、にやけた顔でおれを見る。

 「……なんの話?」

 「またまた、いまさらすっとぼけんなって。高3のときの話だよ。麟のやつ、千年っちと同じ大学に通いたい一心で、在学中の司法試験合格を条件に親を説得したんだろ?難関大を出なくても、予備試験に通った実績があれば十分箔がつくし、ショートカットすることでキャリアも早く積めるからって」

 初耳だった。思わず、まじまじと三雲の顔を見つめてしまう。

 「あれ、もしかして、ほんとに知らなかったのか?」

 「やべ、バラしちまった」とあせる三雲に、おれは、あわてて笑顔を向けた。

 「ありがとう、教えてくれて。そういうこと、麟は絶対おれにいわないから」

 「あいつ、千年っちのまえではカッコつけたがるからな~。ま、それが男のさがってもんだけど」

 自分にも思い当たるふしがあるのだろう。三雲は苦笑を浮かべてそういうと、ふいに口調を変えた。

 「あいつは大丈夫だろ。やるといったら絶対にやり遂げるやつだから」

 くもりのない三雲の笑顔が、今日はなんだかまぶしく見える。

 「うん。おれも、麟ならやれると思う」
 
 高校の頃、だれもが二の足を踏む編入試験に挑んで、格闘のすえ堂々と乗り越えた麟太郎の姿が、鮮やかによみがえった。

 「はいはい。ごっつぁんです」

 と、三雲。

 「なんだよ、その雑な反応」

 「ノロケんのもいいけどさ、あいつ、根詰めると寝食忘れるタイプだから、しっかり見張っといてくれよ」

 「わかってるけど、ノロケてないから!」

 「いっそ同棲でもしてくれたら、俺が気を揉むこともないんですけど」

 「おれの話、聞いてる?しかも同棲って、急になにいっちゃってんだよ、三雲」

 「葛西の事情はべつにしても、千年の家、大学から遠くて通うの大変そうだもんな。この際、一緒に暮らすってのもアリなんじゃないの」

 「ちょっと、アキまで……いくらなんでも気が早いって」

 「なにいってるんだ。どうせ、いまだって入り浸りなんだろ?今日も葛西の部屋から来たんだろうし」

 まるで見てきたような秋斗の言葉に、ぎょっとする。

 「なんでわかるんだよ、そんなこと」

 「バレバレだって。ばっちり首に跡ついてる」

 自分のうなじに人差し指を向ける秋斗を見て、絶句した。とっさに、片手で首筋を押さえる。

 麟太郎と行為に及んだ昨夜の記憶がよみがえり、いっきに血の気が引いた。

 麟のやつ、いつのまに……。

 「キスマークつけて大学来るとか、どんだけエロいんだよ千年っち。わいせつ物陳列罪で訴えてやろっかな~」

 「……」
 
 いったん足の先まで引いた血が、今度は頭のてっぺんまで駆け登ってくる。耳まで真っ赤になっているのが、自分でもわかるくらいだ。

 「どっちかっていうと、陳列したのは葛西だろ。あいつ、意外とガキっぽいさかり・・・方するんだな。あんまり想像したくないけど」

 「本気で惚れたら、超絶ドライなモテ男も、不器用で一途なただのオスになるってことだろ。千年っちも気をつけろよ。あいつ体力おばけだから、そんな細っこい体でまともに相手してたらもたねーぞ」

 異次元の恥ずかしさに気が遠くなりかけているおれの耳を、勝手に盛りあがるふたりの会話がすり抜けていった。


 
 
 「千年くん。いま、ちょっといい?」
 
 雨宮さんから、オフィスのいちばん奥にあるミーティングルームへ呼ばれたのは、もうすぐ夏休みが終わろうとする頃だった。
 出入り口からほど近い椅子に腰をおろした雨宮さんは、おれが隣に座るのを待って、おもむろに口をひらいた。

 「働きはじめて、そろそろひと月になるけど、仕事はどうかな。きつくない?」

 「おぼえることがいっぱいで大変ですけど、すごく楽しいです」

 「それはよかった。俺としては、今後もうちで働いてほしいと思ってる。よかったら考えておいて。もし続けるなら、いま掛け持ちしてるカフェのバイトをどうするかってことも含めてね」

 「はい」

 後期の授業がはじまれば、使える時間は限られてくる。
 カフェの仕事は好きだし、穂香さんや同年代のバイト仲間にも思い入れがあるけれど、どちらかひとつを選ばなければならないとしたら、おれの心はすでに決まっていた。

 「実は、こっちが本題なんだ」

 ふいに、雨宮さんがいった。会議用の長机に置かれていたA4サイズの封筒から、1冊の本を取り出す。

 「悟から預かった。千年くんに渡してほしいって」

 「サトルさんが……」

 おれは、手渡された本の表紙を、穴が開くほどじっくり眺めた。

 いちめん水色の背景に、淡いオレンジ色の雫が滴る抽象的な構図の装丁。
 著者名は「深山悟」とある。ただ、そこに記されたタイトルは、はじめて目にするものだった。
 サトルさんが書いたもので書籍化されているものは、これまでに、すべて読んでいる。だから、まちがえるはずがない。
 それは、サトルさんの新刊だった。おそらくは、まだ発売まえの。
 
 「書店に出回るのは、もうちょっと先だから、扱いは慎重にね」

 雨宮さんが、笑いながら釘を刺す。
 
 自分のデスクではなく、わざわざミーティングルームへおれを呼び出したのは、サトルさんのプライバシーを、ほかの社員の目に触れさせないためだったのだろう。

 「あいつは至って元気だよ。いつになく意欲的に書いてる。あんなに好きだった釣りも、ここしばらく封印してるくらいだ」

 雨宮さんが、おれにサトルさんの近況を語るのは、はじめてだった。

 「この夏の間に長編も書きあげてるから、年末までには刊行されるだろう。悟はもともと多作な方だけど、今期は記録的なペースだよ」

 「それって……無理してるわけじゃ、ないですよね」

 思わず、たずねずにはいられなかった。
 
 「心配しなくていい。まえにもいったと思うけど、あいつは、プライベートに刺激があった方が筆が進む。それがどんな種類のものだろうとね」

 そういって小さく笑うと、雨宮さんは、静かに続けた。

 「悟のまんなかには、いつも小説がある。あいつは、書くことで自分を救えるんだ。小説家ってのは、つくづく幸せな人種だと思うよ」

 雨宮さんの言葉を聞きながら、おれは、海のうえに浮かんでいるような、あの部屋の内部を鮮明に思い返していた。
 連れて行ってもらったのは、ほんのひと月ほどまえのことなのに、なんだか無性に懐かしく感じる。

 「サトルさんは、いま」

 ──どこにいるんですか?

 口に出そうとして、寸前で思い留まった。聞いてどうなるというのだろう。おれにはもう、会う資格のないひとだ。
 嫌というほどわかっているのに、会いたい気持ちが、せつないほどに胸を焦がした。

 中途半端に黙りこんだおれを見て、雨宮さんは、やわらかく口の端をあげた。

 「帰ったら読んでみるといい。悟がきみをどんなふうに見ていたのか、自分の気持ちをどういうやり方で昇華させたのか。読めば、きっとわかるから」


 
 それは、五つの話から成る短編集だった。
 どれも読み応えのある話ばかりだけれど、なかでもおれが胸を突かれたのは、最後に掲載された一編だ。
 タイトルは「サマー イン アンバー」。小説家の男を主人公とする物語だった。
 
 
 男は早熟の天才肌で、若くして数々の賞を受賞したものの、その後スランプに陥り、過去の栄光と、思うように書けない現状との落差に苦しんでいる。
 そんなある夏の夜、彼は場末のバーで「アンバー」と名乗る魅力的な青年に出会う。美しい顔立ちと奔放なふるまいで男を翻弄するアンバーには、なぜか、それ以前の記憶がなかった。
 なりゆきで彼を自宅へ連れ帰った男は、アンバーの求めに応じ、あるゲームをすることになる。それは、男がアンバーに成り代わり、架空の日記を書くことで、彼の失われた記憶を時系列に埋めていく、というものだった。
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 この話は、ほかの四編とは明らかに毛色が違う。サトルさんの持ち味であるリアルな世界観と抑制された文体は封印され、代わりに、幻想的で温かな肌触りのノスタルジーが、作品世界を一貫して包みこんでいた。
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 主人公の男は、サトルさん自身なのかもしれない。物語を読み進める間、おれはずっと、そのことを考えていた。経歴が似ているということもあるけれど、サトルさんが、性的マイノリティーを主人公に据えた作品を発表するのは初めてだったから。
 そして、アンバーのモデルになったのは、おれなんだろう。
 単なるうぬぼれではないと思う。アンバーが「琥珀」を意味するからというだけじゃない。サトルさんが書いてくれた直筆サインの横に、【俺の永遠のアンバー、千年くんへ】というメッセージが添えられていたからだ。
 
 その夜、おれは麟太郎に悪いと思いつつ、サトルさんの短編集を枕元に置いてベッドへもぐりこんだ。
 眠りは深く、夢は見なかった。


 大学の授業が再開すると、おれと麟太郎がふたりきりで過ごせる時間はめっきり減った。
 おれはカフェのバイトを辞め、雨宮さんの会社一本に絞っていた。
 大学が終わると、その足で都心にあるオフィスへ向かい、ときには雨宮さんやスタッフたちと遅めの夕食をとってから、電車に揺られて両親と暮らす自宅へ帰る。
 一方の麟太郎も、大学と予備校の往復で、毎日、帰りが遅い。休日になればフットサルの試合に出かけ、空いた時間を隙間なく使って予備試験の勉強に没頭するという、まさに気力と体力の限界に挑むような生活だった。

 
 吹き抜ける風に秋の気配が混じる頃、ようやく、サトルさんの短編集が書店に並んだ。
 売れ行きは、かなり好調らしい。さまざまなメディアで作品を絶賛するコメントや書評を目にするたびに、おれは、まるで自分が褒められているよな誇らしさを感じた。
 
 麟太郎の部屋のデスクに、その本が置かれているのを見つけたのは、久しぶりに泊まりに行った週末のことだ。

 「これ、麟も読んだんだ?」

 「まぁな」

 言葉少なに返してきた麟太郎は、その夜、いつもよりちょっと乱暴におれを抱いた。

 「大丈夫か?」

 ずるりと繋がりを引き抜くなり、荒い息の下から麟太郎が問いかける。
 あせりを含んだ声音を心地いいと感じながらも、おれは返事をする余裕すらなく、目を閉じたまま、ひたすら肺に空気を送りこんでいた。
 体を拭いたり水を飲ませたりと、かいがいしく世話をやく麟太郎に、ぐったりと身をゆだねる。

 交換されたシーツの上で、さっぱりした体を背後から抱きこまれ、しばらく無言のまま事後の余韻にたゆたっていると、やがて、麟太郎がぽつりといった。

 「サマー イン アンバー。あれ、タマと深山さんの話だよな」

 はっとした。なんて鋭いやつなんだろう。アンバーというワード以外、おれをあの物語に結びつける要素はないはずなのに。

 「すぐにわかったよ。アンバーの造形、ちょっと色気を足したら、まんまタマだし。それに、小説家がアンバーに向ける視線が嫌になるほどやさしくてさ。途中から、ふたりの話を読まされてる気がしてた」

 いったん言葉を切った麟太郎が、おれを抱く腕に力をこめる。

 「すげぇ嫉妬した。それこそ頭がおかしくなりそうなくらい。そのくせ、無性にせつなくてさ。なんなんだろな、マジで」

 麟太郎が、親を求める子犬みたいに、おれのうなじに鼻先をうずめてくる。

 「どうやったら、あんな純度の高い世界を創り出せんだよ。それとも、よけいなものぜんぶ削ぎ落としたら、この世界はあんなふうに透き通って見えるもんなのか?」

 「……たしかに、サトルさんは、おれたちとは別の角度から世のなかを見てるのかもしれない」

 うなじに麟太郎の熱い吐息を感じながら、おれはいった。

 「でも、麟がそばにいてくれると、おれも世界が違って見える気がするんだ。日の光も雨の雫も、なんだかキラキラしてて、おかげで雨の日がそんなに憂うつじゃなくなった。それに、まえよりずっとやさしい気持ちで周りのひとたちと向き合えてる。おれにそんな魔法をかけられるのは、麟だけだよ」

 「……タマ」
 
 少しかすれた声が、おれの名をつぶやく。
 そうしてしばらく押し黙ったあと、麟太郎が、おもむろに口をひらいた。

 「来年の予備試験、絶対に受かるから」

 「うん」

 「だから、俺と一緒に暮らさないか、タマ」

 「……」

 びっくりした。ここのところ、おれもずっと同じことを考えていたのだ。
 秋斗や三雲からそそのかされたときには一蹴してしまったけれど、まともに会えない日々が続くなか、同棲のイメージは、おれのなかで、かなり具体的なものになっていた。

 生活をともにするとなれば、麟太郎との関係は、もうひとつ上のステージへ進むことになる。いままでのようにはいかないことも出てくるだろう。
 以前のおれなら、入り口で足踏みしていたかもしれない。でもいまは、麟太郎とふたりで、新しい世界を歩いてみたかった。うまくいかなくなったら、そのつど話し合えばいい。そんなふうに思えるようになったのは、まちがいなく麟太郎のおかげだ。

 「それ、おれが先にいおうと思ってたのに」

 「え……」

 腕を解いた麟太郎が、背後から、おれの顔をのぞきこんでくる。

 「いまの、イエスって意味だよな」

 「うん。おれも、麟と暮らしたいって思ってた」

 麟太郎は、いかにもうれしそうに笑うと、おれの頬にそっとキスした。

 「そういうことなら、もっと広い物件探さねーとな。この部屋じゃ、ふたりで住むには狭すぎる」

 「たしかに、それぞれ部屋があった方がいいよね。麟も司法試験の勉強に集中しなきゃだし、おれも、ひとりになれる時間がほしいから」

 「お、けっこう具体的」

 「それと、寝るのも別々にしよう」

 「はぁ?」

 「麟のペースにつき合ってたら、おれの身がもたない」

 「そんな殺生なこというなよ。さっき強引にしたこと、怒ってんのか?」

 麟太郎が、情けない声を出す。

 「そういうことじゃないから」

 「じゃあ、百歩ゆずって、本番は週3回ってことで」
 
 「なに勝手に決めてるんだよ。しかも譲歩になってない。なんなら週1で十分だし」

 「おまえ鬼だな。俺の性欲ナメてるだろ」

 「ドヤ顔で性欲自慢するなよ、バカ麟」

 らちもなくじゃれ合う恋人たちを、カーテンのすきまから差しこむ月明かりが、ほの蒼く照らし出していた。

       
           おわり
 

 

 

 
 

 
 
 
 


  

 

 
 

 

 
 
 




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