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本編
1.隣に立つには(ヴィルヘルム視点)
しおりを挟む兄に追いつきたいと願ったのは、剣を初めて握った時だった。
6歳の兄が剣術の稽古を受けている姿を見て、自分もやってみたいと駄々をこねた。
そんな俺に、兄は細心の注意を払って俺に持っていた摸造剣を握らせてくれた。
「重い…」
「ヴィルはまだ小さいから、持てないだろう。私が使っていた木剣を用意させよう」
兄だって周りで剣を振るう大人達よりずっと小さいのに、苦しい顔なんて一度も見せずに毎日剣を振るっている。
そんな兄に憧れて、俺も剣を習うようになった。
「ヴィルは筋がいいな。すぐに私より強くなるだろう」
木剣で相手をしてくれる兄は、いつもたくさん褒めてくれた。だから俺は剣が好きになって、毎日続けられた。
「よく頑張った。乳母がお菓子を用意してくれているそうだから、行っておいで」
冷たい表情なのに、兄の手はいつも温かい。幼い体に不釣り合いなくらい剣だこまみれの手で、俺の頭をよく撫でてくれた。
俺は、ランスロットの表情が変化したところを一度も見たことがなかったけれど、兄の優しさは知っていた。
「兄様!また剣を教えてくださいね!」
…ずっと小さい頃はあまり会ってももらえず、嫌われているのかと思ったこともある。
本当は、会わないのではなく、会えなくて。俺を守るために矢面に立っていた事を知るのは、何年も後になってからのこと。
───たった三年、先に生まれただけなのに兄の背中は大きすぎた。
誰よりも強くなりたい。そう願ったのは、10歳の誕生日を迎えた年のことだった。
「兄様、どこに…」
13歳で既に公務を始めている兄は、剣の鍛錬や勉強も続けているので多忙を極めた生活を送っていた。
座学はからきしで、剣の鍛錬ばかりしている俺が兄を探し、相手をしてもらう事でかろうじて兄弟の関係性を保てている。
「兄様、入ってもいいですか?」
兄に与えられた執務室のドアを叩く。大事な書類が沢山あるから勝手には入ってはいけないと教えられていた。
「………ヴィル、悪いが今日は、会えない」
ドアの向こうから聞こえる兄の声に、嫌な予感がしてもう一度ドアを叩いた。
「兄様、何かあったんですか?…兄様!!」
ドンドンと何度叩いてもドアは開かれない。
兄は返事をしてくれなかった。こんな事は初めてだ。
「兄様!!」
「…………ヴィル。騎士を、呼んで来てはくれないだろうか」
しばらくドアを叩いていると、ようやく兄の声が聞こえてホッとした。
兄はドアの向こうに立っているようだが、やはり開けてはくれない。
「私は大丈夫だから、ヴィル。騎士を呼んでくれ。…呼んだら、今日は部屋に戻っているように」
「…わかった」
大人しく言う事を聞いて騎士を呼びに行き、どうしても気になった俺は一度帰ったフリをして、離れた所でこっそりと様子を伺った。
「…ヴィルヘルムは居ないな」
「ヴィルヘルム殿下は自室に戻られました。ここに居るのは騎士だけです。」
───ゆっくりと開かれた扉から、全身が血塗れの兄が出てきた。
「ッ───」
叫ばないように両手で口を押さえる。心臓がバクバクと騒いでいて死にそうだ。
それなのに、兄はいつもの無表情で騎士に血濡れの剣を差し出した。
「殿下…!?」
「私の血ではない。相手を見れば、状況もわかるだろう。」
バタバタと執務室に駆け込む騎士には視線を向けず、どこか呆然とした様子で自分の両手を見つめている兄が、全てを諦めたように目を閉じた。
数日間、兄の執務室は床の清掃や壁紙の張替えが行われていて
兄は「部屋で座学をする」と言って自室にこもり、その間は誰とも会わずにすごしていた。
俺も、会ってはもらえなかった。
俺は、がむしゃらに鍛えるようになった。
「10歳でその実力はすごい」と言われていたところで、兄に頼ってもらえないなら、なんの意味もないと知った。
兄の身に何かがあったあの日、第二妃の子供が生まれたんだと侍従に聞いた。
第二妃の子供が生まれたことで、ランスロットの立場が悪くなったと勘違いをした奴がいたんだと。
「王太子殿下は美しいですからね…隙が出来ると奪いたくなってしまうものなのでしょう。おっと、殿下には早いお話でした」
「…奪う…?」
命を奪われそうになったから、殺したのかとその時は思った。
本当はもっとおぞましい目にあうところだったと知ったのは、随分と後のことだった。
ただでさえ関係は希薄だったのに、第二妃を娶ってからすっかり会わなくなった父は、会ったことがない弟を可愛がるのに忙しいらしい。
それは別に構わなかった。俺には兄がいる。それだけでいい。
「殿下、もうそろそろ休憩を…」
「うるさい。まだ足りてない」
俺は兄を守る剣になる。そう決めてひたすら鍛える毎日だった。
月日は過ぎて、俺は15歳になった。この国では成人だ。
珍しく、忙しい兄の方から俺を訪ねてきた。
「ヴィル、兵役を志願したと聞いたが…」
「隣国と戦争するって父上が言っていたから。俺がこの国で一番強いし」
「お前は、まだ若い。…それに王族だ」
兄も剣は扱えるが、俺ほどではない。
鍛えていくうちに身体は大きくなり、ついに兄の身長を追い越していた。
───反対されると思ったから、先に父に話を通したのは正解だった。
父は俺どころか王太子の兄にも関心がない。第二妃に惚れ込み、好き放題を許して、ついには隣国と戦争にまで発展してしまった。
それでも第二妃を止める気もなく、久しぶりに顔を合わせた息子を相手にどうでも良さそうにどこかを見ていた。
関心がない俺が、何をしようと、例え死のうとも。父は関心を抱かない。
だが、これはチャンスでもあった。
(戦争を利用して、兄上に認めてもらう。)
俺は未だに、兄の庇護下だ。
兄は俺を守る対象だと思って常に大事に囲っている。
争いを利用しようなどと、醜悪な考えに軽蔑されるかもしれないが、知られなければ問題ない。
「……ヴィル、考え直せ」
「もう遅いって。二日後に出陣する事が決まってるんだ」
「二日…」
いつも無表情な兄の瞳が揺れた。
俺をどうしたら引き止められるか、思考を巡らせているのだろう。
それを邪魔してやろうと絹糸のような髪ごと頭をワシワシと撫でた。
「ヴィル」
「俺も成人だ。それで…王族だ。俺だって国を守る義務があるだろ」
成人する前から公務をこなしていたランスロットに、国を守る義務があると訴えれば
やはり何も言い返せなくなったようだ。眉間に皺が寄り、綺麗な顔が僅かに崩れる様はなるほど傾国…と内心で納得する。
ランスロットはその美貌が絶世のものであると評価され、男女問わず狙われる事が多かった。
決して崩れることのない美しいものほど、崩してしまいたくなる。その心理が多くの人を狂わせ、ランスロットに牙を剥いた。
「あー!にいさま!二人とも見つけた!」
「…また、座学から抜け出して来たのか」
無表情に戻ったランスロットが横を向いたその時、鍛えられても細身のままの身体に小さな子供が体当たりしてきた。緩く巻かれた金色の髪がふわふわと跳ねて、受け止めたランスロットの手がそれを整えるように撫でつけた。
愛嬌のある振る舞いと、ランスロットによく似た整った顔つきから人々に天使と呼ばれる弟、アレクシスは兄に頭を撫でられ満面の笑みでしがみついていた。
人々から愛され、期待を寄せられている第二妃の子。
その存在が王太子であるランスロットの命を脅かしている事も知らず、幽閉されて勢力を失った正妃の子である俺達にもよく懐いていた。
「アレクシス、逃げ出すのはよくないな」
「だって、今日のお勉強はとっても難しかったんです。でもランスにいさまが一緒なら、がんばれます!」
「ならば一緒に勉強しよう。教師に伝えておいで」
「やった!ヘルにいさまも、お勉強がない日は遊んでくださいね!」
「あぁ」
ひらひらと手を振ると、アレクシスは満面の笑みで来た道を戻って行った。
パタパタと走り去る弟を見送り、少しだけ下を向いたランスロットが拳を握って…黙って見守っていた俺の胸に軽く当てる。
「……生きて、帰って来るように」
「兄上より先には死なないって」
アレクシスがまとわりついている間は、ランスロットも安全だろう。第二妃もアレクシスを溺愛しているから手出しが出来ないはずだ。
人懐っこい弟で助かった。自分の命よりよっぽど不安な兄の身の安全が守られる。
(なるべく構ってやるように、アレクシスには言い聞かせておかないといけないな。)
俺の胸に当たる僅かに震える拳を、壊さないようにそっと握って
兄が少しでも傷つかないように、この手に握られる剣になるんだと、心に刻むよう祈った。
───殺し、殺され。何も満たされない表情を浮かべて死んでいく。
本当にこんなものを、こんな世界を望んでいるのかと不思議に思う。
俺が剣を振るう度に、死体の山が大きく育つ。
目の前に立つのはただの人間で。俺も、ただ一人の人間でしかなくて。死んだら山の一部になる。
「殿下!貴方様は後ろに…」
「うるせぇ!!間違えて斬られないよう下がってろ!」
血を吸った服が重い。
構えられた盾は蹴りつけ、確実に命が刈り取れるよう首を飛ばす。
「────殺気くらい、消して来い。」
背後から迫る剣を弾き飛ばし、心臓を貫く。
背中から突き出された剣に垂れ下がる身体には、自分が身に付けた鎧に刻まれた紋章と同じものが飾られている。
「…殿下……」
「間違えて斬られないようにしろって、言ってんだろ」
暗殺出来るもんならしてみろよ。
この程度で死んでたら、守れねぇんだよ。
「コレは第二妃に送り付けとけ。大切な同胞を弔ってやるくらいの気概はあるだろ」
「……かしこまりました。」
戦場に到着してから、やけに俺の身を案じていた男が膝をついて頭を下げた。
俺よりも少し年上くらいだが、落ち着いた雰囲気のあるこの男が敵か味方かは判断出来ず、放っておいたのだが…
「──ヴィルヘルム王子殿下、私はレヴァン侯爵家の長男、クリストファー・レヴァンでございます。ランスロット王子殿下より、貴方様の身を守れと仰せつかりました。」
「……その首を持って、帰れ。守られるのは俺じゃないとランスロットに伝えろ」
「畏まりました。…殿下のご武運をお祈り申し上げます。」
自分では守るどころか足手まといになると判断したのだろう。
物言わぬ死体を引きずりながら、後方へ下がって行ったクリストファーに背を向け、敵陣を睨み付けて笑う。
「ハッ……全部だ!刃を全て俺に向けろ!!この程度の戦火を薙ぎ払うことも出来ない男が、未来の王を守る剣となる筈がないだろうが!」
───前も、後ろも、俺が守る。俺が斬る。
「認めろランスロット!俺がお前の剣だ!!」
血を浴びる度に頭が熱くなる。殺せば殺すほど、自分こそが兄の道具になるのだと、兄の物になるのだと確信する。
興奮に身を任せ、雄叫びを上げて戦場を駆け回った。
悲鳴をあげようと、泣いていようと、剣を構える者は全て斬り伏せた。正気はとっくに捨て去った。
兄と共に、居られるなら。
この身が一生、戦場に囚われようと。それで構わない。
血溜まりの中。あの日、返り血を浴びて目を閉じた兄に思いを馳せる。
お前がそこに立ち続ける限り、俺も隣に立ち続けると、逃れられないと知るといい。
「もう、お前よりもずっと、俺の手の方が血にまみれているじゃねーか。」
吐き捨てるように笑い、血だらけの手で拳を握った。
「……クソッタレが。こんな血にまみれた王冠を、アイツに押し付けやがって。…クソ親父が。」
あとどれだけ殺せば、親父共は満足するのか。ランスロットの元に帰れるのか。
(英雄になった俺を、ランスは恐れるかもな)
それが運命なら、笑うしかない。
それでも守る。そんな運命にする。俺にしか、ランスロットは守れないと認めさせる。
「───ハッ。ハハハ。………クソッ…会いてぇ」
会えない時間は、気持ちを大きく育てるばかりだ。
命を狙い、狙われる瞬間。いつも思い浮かぶのはランスロットの姿ばかりだった。
あの美しい兄は無事に生きられているだろうか。苦しい思いをしていないだろうか。
心配が育ち、会いたいという気持ちはやがて歪み、俺の中で熱を持ち始めた。
戦争が終結する一年後まで、俺はランスロットと会えないまま血の海をがむしゃらに生きた。
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