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浄福寺通を北へ上がり五辻を過ぎたところで西へと路地を入れば、軒を連ねる織屋建の中ほどに織定がある。
正面から吹きつける朝の風が半次郎の結城木綿の衿元に入り込み、火照った躰を冷やす。あまりに道を急いだせいか、喉が渇いてひりつくようだった。
『織定』と墨書された軒看板の前で、やっと立ち止まる。
「半次郎でございます」
あらたまった口調で表戸を叩く。
戸がゆっくりと開いて下働きの娘、お夕が糸のような目を丸く見開いて笑んだ。
「お早いお越しですな、旦那さんは機の支度にかかってますけど」
敷居をまたぐ前に深く頭を下げた。
「今日はお願いがあって参りました。旦那さんの手が空くまで、待たせてもらってよろしいでしょうか」
へえ、どうぞと案内され、半次郎は土間に入った。いつになくかしこまって、敷居際に立ち尽くす。
目を丸くしたまま訝しげに首を傾げるお夕は箒を手に取り、入れ違いに路地に出ると掃きはじめた。
四半刻待って、ようやく主人の定七が土間奥の機から離れて姿を見せた。
「お待たせしてすんまへんな。朝からどうしましたんや」
糸屑の付いた手で腰を擦りながら、半次郎を見据えてくる。
半次郎は膝を付いて風呂敷を脇に置くと、土間に手を付いて頭を下げた。
「今朝がた、富美屋を勘当されました。このところ帯の機織りが始まるのが待ち遠しくて仕方なく、店の仕事に手がつかずにおりました。勘当されることは覚悟の上でしたんや……。これまで半端者でしたが、こちらの織屋に、弟子入りさせて、もらえますでしょうか。どうか、どうか、お頼み、申し上げます……」
渇ききった半次郎の喉から出る声は、次第に掠れていった。
織屋の内は静まり返って、しばし何の物音もしなかった。胸の内で激しく脈打つ音だげが土間に響くようだった。
「さて、どうしたもんかいな。二十歳過ぎた弟子を取るのは、気が進まんけど」
定七の素気ない言葉に、半次郎は慌てて顔を上げる。
「使い走りでもなんでもします、下絵の見方から糸、織りの種類やら空引き機の織り方、ぜんぶ一から習う覚悟です。土間の隅にでも寝かせてもらえたらいいんです」
「そもそも帯問屋の跡継ぎの、ほんの気まぐれやないのんか?」
腕組みした定七は、眉根を寄せた険しい顔つきになった。
「わては二度と富美屋に戻ることはありまへん。帯を売るんやなくて、織り出すことを生業にと心を決めて……」
渇いた喉から声を張り上げ過ぎて、ついに声が出なくなった。項垂れて咳込んでいると、目の前に湯呑が差し出された。
「少し落ち着きなはれ」
いつの間にか内儀が、台所から水を汲んできていた。
おおきに、と何度も礼を言って水を飲み干す。胃の腑に染みわたる旨さだった。すぐにもう一杯汲んできてくれた。また一息に呷って飲む。
「どうや、落ち着いたか。真剣なんやな、気が変わらんのやな」
定七はしゃがんで、半次郎の顔をじっと見た。
半次郎は定七から目を逸らさずに見つめ返し、こくりと頷く。
「わかった、末弟子でいいのやったら、この織屋に置いてやってもいい。その代わり水汲みやらの下働きから勤めることになる」
「おおきに、ここに置いてもらって働けるんですね。ほんまおおきに、旦那さん」
「これからは親方て呼ぶんや、弟子やからな。ほな、今すぐ働いてもらおう、まず台所仕事からや」
へえ、親方、そう言い直して半次郎はすっくと立ちあがった。鼻の奥がつんとして、背筋がぶるりと震えた。
織定で働きだした半次郎は朝の掃除にはじまり洗濯、台所の買い出しから使い走りまでに追われる日々である。夜は台所の板間の隅で寝た。
雪華の帯の糸支度が仕上がりつつある機は、土間を行き来する通りすがりにちらりと見やるだけだった。つい胸が躍って足が止まりかけるのを振り切って機から離れ、頼まれ事に戻った。
晩に仕事が終わった後のほんのひと時、機に見入ることがきる。綜絖屋が経糸を引き上げるための穴、綜絖に一本ずつ色糸を通した機の有り様を眺めれば、織り上がった帯の姿が眼裏に浮かびあがるようだった。
富美屋から数日置きに、茂吉が商用で織定を訪れた。
「これまで新町から西陣まで毎晩通って、よう平気でしたな」
ああ、しんど、と言って半次郎が煎れた茶を飲みながら、茂吉は頼みもせぬのに縞木綿の綿入れや肌着などを差し入れてくる。
「どうぞ鎌わんといてください。ここで働いていることは、店の者に言わんといてくださいよ」
「うちが言わんでも、店のみなが知ってますけどな」
腹掛けに股引の半纏姿、埃じみた顔で笑う半次郎に、茂吉は目を潤ませる。
「戯作狂いの暢気な若旦那やったのに、情けない恰好して。今からでも戻ってきたらどうです、一緒に大旦那さんに謝りますから」
「わてはな、機のそばで働けて大満足なんや」
菊や紅葉柄など秋物の帯の支払いを済ませた去り際に、茂吉は半次郎に耳打ちした。
「そう言えば、頼まれてた大罪人の大塩の菩提寺、わかりましたよ、どうしてそんな物騒なこと調べるのか知りませんけど。大坂天満、寺町の真ん中にある日蓮宗の成正寺だそうです……なんや大坂では、死んだあと塩漬けにされて飛田で磔にされた大塩を、『大塩様、大塩様』というて崇め奉っているそうな、ああ、恐ろしい」
そうか、おおきにご苦労かけましたな、二度深く頷くと半次郎は差し入れの包みを小脇に挟んで台所へ戻っていった。
正面から吹きつける朝の風が半次郎の結城木綿の衿元に入り込み、火照った躰を冷やす。あまりに道を急いだせいか、喉が渇いてひりつくようだった。
『織定』と墨書された軒看板の前で、やっと立ち止まる。
「半次郎でございます」
あらたまった口調で表戸を叩く。
戸がゆっくりと開いて下働きの娘、お夕が糸のような目を丸く見開いて笑んだ。
「お早いお越しですな、旦那さんは機の支度にかかってますけど」
敷居をまたぐ前に深く頭を下げた。
「今日はお願いがあって参りました。旦那さんの手が空くまで、待たせてもらってよろしいでしょうか」
へえ、どうぞと案内され、半次郎は土間に入った。いつになくかしこまって、敷居際に立ち尽くす。
目を丸くしたまま訝しげに首を傾げるお夕は箒を手に取り、入れ違いに路地に出ると掃きはじめた。
四半刻待って、ようやく主人の定七が土間奥の機から離れて姿を見せた。
「お待たせしてすんまへんな。朝からどうしましたんや」
糸屑の付いた手で腰を擦りながら、半次郎を見据えてくる。
半次郎は膝を付いて風呂敷を脇に置くと、土間に手を付いて頭を下げた。
「今朝がた、富美屋を勘当されました。このところ帯の機織りが始まるのが待ち遠しくて仕方なく、店の仕事に手がつかずにおりました。勘当されることは覚悟の上でしたんや……。これまで半端者でしたが、こちらの織屋に、弟子入りさせて、もらえますでしょうか。どうか、どうか、お頼み、申し上げます……」
渇ききった半次郎の喉から出る声は、次第に掠れていった。
織屋の内は静まり返って、しばし何の物音もしなかった。胸の内で激しく脈打つ音だげが土間に響くようだった。
「さて、どうしたもんかいな。二十歳過ぎた弟子を取るのは、気が進まんけど」
定七の素気ない言葉に、半次郎は慌てて顔を上げる。
「使い走りでもなんでもします、下絵の見方から糸、織りの種類やら空引き機の織り方、ぜんぶ一から習う覚悟です。土間の隅にでも寝かせてもらえたらいいんです」
「そもそも帯問屋の跡継ぎの、ほんの気まぐれやないのんか?」
腕組みした定七は、眉根を寄せた険しい顔つきになった。
「わては二度と富美屋に戻ることはありまへん。帯を売るんやなくて、織り出すことを生業にと心を決めて……」
渇いた喉から声を張り上げ過ぎて、ついに声が出なくなった。項垂れて咳込んでいると、目の前に湯呑が差し出された。
「少し落ち着きなはれ」
いつの間にか内儀が、台所から水を汲んできていた。
おおきに、と何度も礼を言って水を飲み干す。胃の腑に染みわたる旨さだった。すぐにもう一杯汲んできてくれた。また一息に呷って飲む。
「どうや、落ち着いたか。真剣なんやな、気が変わらんのやな」
定七はしゃがんで、半次郎の顔をじっと見た。
半次郎は定七から目を逸らさずに見つめ返し、こくりと頷く。
「わかった、末弟子でいいのやったら、この織屋に置いてやってもいい。その代わり水汲みやらの下働きから勤めることになる」
「おおきに、ここに置いてもらって働けるんですね。ほんまおおきに、旦那さん」
「これからは親方て呼ぶんや、弟子やからな。ほな、今すぐ働いてもらおう、まず台所仕事からや」
へえ、親方、そう言い直して半次郎はすっくと立ちあがった。鼻の奥がつんとして、背筋がぶるりと震えた。
織定で働きだした半次郎は朝の掃除にはじまり洗濯、台所の買い出しから使い走りまでに追われる日々である。夜は台所の板間の隅で寝た。
雪華の帯の糸支度が仕上がりつつある機は、土間を行き来する通りすがりにちらりと見やるだけだった。つい胸が躍って足が止まりかけるのを振り切って機から離れ、頼まれ事に戻った。
晩に仕事が終わった後のほんのひと時、機に見入ることがきる。綜絖屋が経糸を引き上げるための穴、綜絖に一本ずつ色糸を通した機の有り様を眺めれば、織り上がった帯の姿が眼裏に浮かびあがるようだった。
富美屋から数日置きに、茂吉が商用で織定を訪れた。
「これまで新町から西陣まで毎晩通って、よう平気でしたな」
ああ、しんど、と言って半次郎が煎れた茶を飲みながら、茂吉は頼みもせぬのに縞木綿の綿入れや肌着などを差し入れてくる。
「どうぞ鎌わんといてください。ここで働いていることは、店の者に言わんといてくださいよ」
「うちが言わんでも、店のみなが知ってますけどな」
腹掛けに股引の半纏姿、埃じみた顔で笑う半次郎に、茂吉は目を潤ませる。
「戯作狂いの暢気な若旦那やったのに、情けない恰好して。今からでも戻ってきたらどうです、一緒に大旦那さんに謝りますから」
「わてはな、機のそばで働けて大満足なんや」
菊や紅葉柄など秋物の帯の支払いを済ませた去り際に、茂吉は半次郎に耳打ちした。
「そう言えば、頼まれてた大罪人の大塩の菩提寺、わかりましたよ、どうしてそんな物騒なこと調べるのか知りませんけど。大坂天満、寺町の真ん中にある日蓮宗の成正寺だそうです……なんや大坂では、死んだあと塩漬けにされて飛田で磔にされた大塩を、『大塩様、大塩様』というて崇め奉っているそうな、ああ、恐ろしい」
そうか、おおきにご苦労かけましたな、二度深く頷くと半次郎は差し入れの包みを小脇に挟んで台所へ戻っていった。
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