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日暮れには井戸端で、鈴虫や興梠が賑やかに鳴きいるようになった。慣れない水仕事で半次郎の手のひらは、見る影もなくささくれてごわついている。
綜絖に経糸がすべて仕込まれ、緯糸を打ち込む筬も通された。空引き機の支度はすっかり整った。雪華の帯は、いまや織り出すばかりとなっている。
親方の定七はその日、機が据えられた土間奥に半次郎を呼びつけた。
「お前さんが問屋として持ち込んだ仕事や。織り始めをよく見ておくんやな」
空引き機に腰を据えた定七が機の踏木を足で操ると、綜絖が動きだし必要な経糸が引き上がる。緯糸を仕組まれた杼が、上下にわかれた経糸の間を通されて柄が織り込まれた。
すぐさま筬が打ち込まれ糸を詰める。再び踏み木が踏まれ、綜絖の上下が入れ替わった。
機の上段では、職人頭が模様に応じて空引手の仕掛けで経糸を操って文様を作り出している。下で定七は上段の仕掛けの調子に合わせて、踏み木を踏み込んだ。
背を丸めて織り続ける定七は、機の一部のように無駄のない動きを絶やさない。
シャーッ、ガッシャン、トントン、シャーッ、ガッシャン、トントン
小気味いい音と共に、全てが繰り返されていく。
筬を打ち込む定七の手元で織り上がっていく帯地には、わずかずつ文様が描かれていく。半次郎が下絵師、新六と作り上げた雪華の柄である。
半次郎は時を忘れてその様を眺めていた。
小窓から漏れ入る日差しに茜やウコン、浅葱色の鮮やかな糸が耀き、帯へと生まれ変わる。七宝に宝珠、梅花の一部が織り出され、雪華の花弁の端も顕れてきた。しばらくして、上段の経糸調子を確かめるため機織りは止まった。
台所から出て来た内儀が、半次郎の横顔をじっと見てきた。
「そろそろ買い出しですな」
半次郎が慌てて言うと、内儀は首を振った。
「今日はお夕に頼んでます。それよりあんたの許嫁やった佐世さん、染屋の丹波堂に嫁に行くことになったの、知ってますのか?」
佐世の花のような笑顔が目の前にちらついた。錐で差すような痛みが胸に萌す。
「そうですか、それはめでたいことになりましたな」
内儀は半次郎の腕を掴んで、勢い込んで話す。
「弟子入りしてすぐに所帯は持てんけど、何年か待ってくれて頼んだらどうです? 今から紅やさんに行って、話つけてきなはれ。まだ間に合うかもしれまへん。許嫁が勘当されたからって、すぐに他所に嫁入りするやなんて、あんまり薄情な話や」
半次郎は腕を取られたまま動かなかった。
「いいんです、丹波堂の長助は評判のいい腕利き職人になってます。佐世ちゃんと所帯を持ったらお似合いです」
腕を掴んでいる内儀の手を、そっと解いた。
「いいことありまへん、そんな他人事みたいに。ほんまのところ、富美屋の旦那さんから心配して知らせてきたんですえ。息子がせっかく夢中になったことをやらせたいから、身を切る思いで勘当したそうや。跡継ぎには養子でも迎えるから構わんと。それでも小さい頃から仲良うしてきた許嫁とは、所帯を持たせるつもりやったそうな。えらい悔やんではりました」
心を鎮めようと、半次郎は空引き機に顔を向けた。定七と上段の職人が、図面で確認しては経糸を細工している。
半次郎には、濃藍の暖簾が揺れる丹波堂の板間で、色見本帳を挟んで笑い合う長助と佐世の姿が鮮やかに見えていた。
《なんやあの二人、いつの間にか手を取り合うてる、あ、抱き合って屏風の陰に隠れた、あの晩も傘の下で身が重なり合ってたもんな。ほんまお似合いや。あの二人は絵になる。帯の文様にはならんけど、羽織の裏地にはなるかもしれんな》
息苦しいのは涙を堪えているからではなく、祝福の思いが込み上げるせいだと言い聞かせる。隣で内儀は、紅やに行くようにまだ口説いていた。
《そうや、雪華の帯の評判が良かったら、友禅にも染めるよう、呉服問屋に下絵を持って行ってもいいな。ほんで次は、八犬伝の柄の帯を作るのはどないやろ。忠犬八房の周りに数珠玉や牡丹の花弁が飛び散っている絵。小舟が浮かぶ大河の流れ、そこにせり出して建つ芳流閣から二人の犬士が絡み合って落ちてくる。そんな物語の場面を柄にするのはどうやろうか。これまた、きっと美しい帯になる。なあ、与平はん、きっと見てておくれな》
動きだした機からは再び、拍子を刻む音色が奏でられだした。
何千本もの糸から生み出される帯地には、少しずつ大輪の雪華が咲きはじめた。
半次郎の胸底に淀む黒ずんだ情念を雪《すす》ぐように、燦然と清らかに輝く雪華は次々と花開いていった。
※※※
明くる年の弥生、桜が散り始めた頃の早暁である。
大坂天満の寺町にある日蓮宗成正寺の本堂外廊下に、畳紙が置かれてあった。
蒼褪めた薄明の下、朝の勤行前に廊下を通りかかった住職が見つけ、小さく声をあげた。
畳紙の隅には『大塩さま供養 与平』と小さく書かれてある。
「また大塩様へお供えかいな、物騒なことしはる。お役人に見つかったらただではすまん」
辺りを見回して人の気配がないのを確かめてから、住職は廊下の板敷に端座して畳紙を開いた。
立涌文の地紋に朝顔、蜻蛉が散りばめられ、真ん中に涼し気な雪華が織りだされた西陣の帯である。このところ京では雪華文様の帯が評判と聞く。
「これはこれは、なんと清らかで美しい織物や。小さく鎌輪ぬ文まで入ってる。ご本尊にお供えさせてもらおう。大塩様にも届くやろうて」
住職は帯を畳紙に包み直し、墨染の衣の袖を翻して押しいただき、本堂へと入っていく。
折から大川の方角から吹く風に、境内に咲く桜の花弁が飛ばされてきた。
花びらは外廊下に散らばっていく……、まるで乱を起しながら志成らず、無惨に命を落とした者たちの遺恨を宥めるように、はらはらと――。
その日はちょうど、中間の与平が京の東本願寺で世を去った命日であった。
〈了〉
綜絖に経糸がすべて仕込まれ、緯糸を打ち込む筬も通された。空引き機の支度はすっかり整った。雪華の帯は、いまや織り出すばかりとなっている。
親方の定七はその日、機が据えられた土間奥に半次郎を呼びつけた。
「お前さんが問屋として持ち込んだ仕事や。織り始めをよく見ておくんやな」
空引き機に腰を据えた定七が機の踏木を足で操ると、綜絖が動きだし必要な経糸が引き上がる。緯糸を仕組まれた杼が、上下にわかれた経糸の間を通されて柄が織り込まれた。
すぐさま筬が打ち込まれ糸を詰める。再び踏み木が踏まれ、綜絖の上下が入れ替わった。
機の上段では、職人頭が模様に応じて空引手の仕掛けで経糸を操って文様を作り出している。下で定七は上段の仕掛けの調子に合わせて、踏み木を踏み込んだ。
背を丸めて織り続ける定七は、機の一部のように無駄のない動きを絶やさない。
シャーッ、ガッシャン、トントン、シャーッ、ガッシャン、トントン
小気味いい音と共に、全てが繰り返されていく。
筬を打ち込む定七の手元で織り上がっていく帯地には、わずかずつ文様が描かれていく。半次郎が下絵師、新六と作り上げた雪華の柄である。
半次郎は時を忘れてその様を眺めていた。
小窓から漏れ入る日差しに茜やウコン、浅葱色の鮮やかな糸が耀き、帯へと生まれ変わる。七宝に宝珠、梅花の一部が織り出され、雪華の花弁の端も顕れてきた。しばらくして、上段の経糸調子を確かめるため機織りは止まった。
台所から出て来た内儀が、半次郎の横顔をじっと見てきた。
「そろそろ買い出しですな」
半次郎が慌てて言うと、内儀は首を振った。
「今日はお夕に頼んでます。それよりあんたの許嫁やった佐世さん、染屋の丹波堂に嫁に行くことになったの、知ってますのか?」
佐世の花のような笑顔が目の前にちらついた。錐で差すような痛みが胸に萌す。
「そうですか、それはめでたいことになりましたな」
内儀は半次郎の腕を掴んで、勢い込んで話す。
「弟子入りしてすぐに所帯は持てんけど、何年か待ってくれて頼んだらどうです? 今から紅やさんに行って、話つけてきなはれ。まだ間に合うかもしれまへん。許嫁が勘当されたからって、すぐに他所に嫁入りするやなんて、あんまり薄情な話や」
半次郎は腕を取られたまま動かなかった。
「いいんです、丹波堂の長助は評判のいい腕利き職人になってます。佐世ちゃんと所帯を持ったらお似合いです」
腕を掴んでいる内儀の手を、そっと解いた。
「いいことありまへん、そんな他人事みたいに。ほんまのところ、富美屋の旦那さんから心配して知らせてきたんですえ。息子がせっかく夢中になったことをやらせたいから、身を切る思いで勘当したそうや。跡継ぎには養子でも迎えるから構わんと。それでも小さい頃から仲良うしてきた許嫁とは、所帯を持たせるつもりやったそうな。えらい悔やんではりました」
心を鎮めようと、半次郎は空引き機に顔を向けた。定七と上段の職人が、図面で確認しては経糸を細工している。
半次郎には、濃藍の暖簾が揺れる丹波堂の板間で、色見本帳を挟んで笑い合う長助と佐世の姿が鮮やかに見えていた。
《なんやあの二人、いつの間にか手を取り合うてる、あ、抱き合って屏風の陰に隠れた、あの晩も傘の下で身が重なり合ってたもんな。ほんまお似合いや。あの二人は絵になる。帯の文様にはならんけど、羽織の裏地にはなるかもしれんな》
息苦しいのは涙を堪えているからではなく、祝福の思いが込み上げるせいだと言い聞かせる。隣で内儀は、紅やに行くようにまだ口説いていた。
《そうや、雪華の帯の評判が良かったら、友禅にも染めるよう、呉服問屋に下絵を持って行ってもいいな。ほんで次は、八犬伝の柄の帯を作るのはどないやろ。忠犬八房の周りに数珠玉や牡丹の花弁が飛び散っている絵。小舟が浮かぶ大河の流れ、そこにせり出して建つ芳流閣から二人の犬士が絡み合って落ちてくる。そんな物語の場面を柄にするのはどうやろうか。これまた、きっと美しい帯になる。なあ、与平はん、きっと見てておくれな》
動きだした機からは再び、拍子を刻む音色が奏でられだした。
何千本もの糸から生み出される帯地には、少しずつ大輪の雪華が咲きはじめた。
半次郎の胸底に淀む黒ずんだ情念を雪《すす》ぐように、燦然と清らかに輝く雪華は次々と花開いていった。
※※※
明くる年の弥生、桜が散り始めた頃の早暁である。
大坂天満の寺町にある日蓮宗成正寺の本堂外廊下に、畳紙が置かれてあった。
蒼褪めた薄明の下、朝の勤行前に廊下を通りかかった住職が見つけ、小さく声をあげた。
畳紙の隅には『大塩さま供養 与平』と小さく書かれてある。
「また大塩様へお供えかいな、物騒なことしはる。お役人に見つかったらただではすまん」
辺りを見回して人の気配がないのを確かめてから、住職は廊下の板敷に端座して畳紙を開いた。
立涌文の地紋に朝顔、蜻蛉が散りばめられ、真ん中に涼し気な雪華が織りだされた西陣の帯である。このところ京では雪華文様の帯が評判と聞く。
「これはこれは、なんと清らかで美しい織物や。小さく鎌輪ぬ文まで入ってる。ご本尊にお供えさせてもらおう。大塩様にも届くやろうて」
住職は帯を畳紙に包み直し、墨染の衣の袖を翻して押しいただき、本堂へと入っていく。
折から大川の方角から吹く風に、境内に咲く桜の花弁が飛ばされてきた。
花びらは外廊下に散らばっていく……、まるで乱を起しながら志成らず、無惨に命を落とした者たちの遺恨を宥めるように、はらはらと――。
その日はちょうど、中間の与平が京の東本願寺で世を去った命日であった。
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