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自宅を訪れて彼と過ごすたび、高額なバイト代が入ることになる。二度目の訪問時に、申し訳なくなって手土産を持参した。
人の姿で食べるためのケーキと、兎の姿で食べさせてもらうための果物だ。玄関で持参した手土産を差し出すと、久摩さんは意外そうに目を見開いた。
彼はゆっくりと受け取り、胸のあたりに抱える。
「気を遣わなくても良かったんだが」
前回の訪問で敬語の外れた言葉は、静かに、低い音で紡がれる。
体格がいい割には繊細で、指先は思いのほか器用だ。ウサギを撫でるのも上手い。
「折角こうやってお仕事するから、お菓子でも食べながら久摩さんの事を聞けたらなぁ、って思って。どう、……でしょう?」
不安になって声が縮こまるが、久摩さんは空気を良くするために愛想笑いしたりもしない。
ただ、変わらない表情のまま、私にスリッパを差し出した。ウサギのシルエットが入った、柔らかい材質のそれに足を通す。
「面倒な依頼を受けてくれただけで、感謝している。手土産は過剰だ」
そう言うと、身を翻してリビングへ歩いていった。
慌てて背を追いながら、言葉を心の中で繰り返す。怒っても、迷惑がってもいないようだ。
彼は台所に入ると、ケーキをデザート皿に移し、紅茶を淹れてくれた。明るさにつられて窓辺を見ると、今日はカーテンが開いていた。
「お茶、ありがとうございます。久摩さんはガトーショコラ、でいいですか?」
私の手元には、フルーツタルトが配膳されている。
兎的には果物を食べられて嬉しいのだが、久摩さんが果物好きだったら申し訳ない。
彼は私の言葉に僅かに眉を動かすと、ケーキに視線を向けた。
「ああ……。いや、無意識に、ウサギは果物が食べたいかな、と思ってしまった。長ヶ耳さんは、ヒトなのに」
失礼なことをした、とでも思っているのか、肩が丸くなる。私は慌てて声を上げた。
「ううん。実は食の好みとか、魂が兎だから引き摺られる部分があって。果物は好きなんです。でも、身体が特殊だから、兎の姿でネギとかを食べても何ともなくて」
魂で身体を作っている都合上、ウサギが食べてはいけないとされる野菜を食べたとして、異常を起こすことはない。
ただし、野菜も果物も基本的には好きで、特に関連した印象の強いニンジンなんかは大好物だ。
「俺は、甘ったるいものも良く食べる。ガトーショコラもだ」
そう言うと、黒い生地にフォークを突き立てた。
おそらく好き、と言いたいのだろう言葉を受け取り、私も同じようにフォークを持ち上げた。
苺を掬い上げ、真っ先に口に入れる。少し値が張ったケーキの果物は、お値段ぶんだけ甘い。
思わず頬が持ち上がってしまった。
その時、近くで僅かに息の動く音がする。顔を上げると、コンコンと息を整える久摩さんがいた。
「…………いや、ミミも苺が好きだったな、と」
「私。いま人の姿をしています、よね?」
「すまない。連想してしまうというか」
彼は失言を誤魔化すように、割ったガトーショコラを口に入れる。
兎を連想するにしては私の身長は高い方だと思うのだが、動きが似ているんだろうか。考えつつ、ちょこちょこと果物を頬張っていると、美味しさに悩んでいたことを忘れた。
紅茶を口に含むと、甘さが一気に抜けていく。
「そういえば、聞きそびれていたんですけど、久摩さんの家系って熊と関係がある?」
「ああ。日本でいう氏神様が、熊に縁のある方だ。『動物の魂を持つ一族』の事も、代々言い伝えられていた」
尋ねて彼が答えた『動物の魂を持つ一族』の定義は概ね正確だった。
魂を元に身体が作られている為に、人とは別に動物の姿を持つ。私が兎であるように、動物の姿はそれぞれの種族に由来する。
それと、魂で形作られる身体は、人間のように生殖をしない。
「────俺も気になっていたんだが、兎といっても、色々、姿形があるだろう? どうして長ヶ耳さんは、あの姿をしているんだ?」
「元々は魂だから、形は定まっていないんです。成長するにつれて、特定の形状に固定をする必要があって。兎だったら、耳の長短や、毛が白かったり、黒かったり、茶色だったり。……私は、好きな絵本に出てくるウサギを真似たんですよ」
そう答えると、久摩さんは目を丸くした。
「少し、待っていてくれるか」
彼はそう言い置くと、ソファから立ち上がる。早足で廊下へ出て行くと、さほど経たないうちに戻ってきた。
腕に抱えられていたのは、見覚えのある絵本だ。所々色褪せたページを、大きな手が捲る。
指さされたウサギは、私とも、彼の言う『ミミ』とも似た姿をしていた。
「俺は、この絵本が好きなんだ。その中でもこのウサギは、のんびり屋で、けれど何があっても立ち止まろうとせず冒険する姿が好きだった。一人暮らしを始めて、即、同じ毛皮のウサギを探して、迎え入れるくらい」
僅かに早口になった言葉に、絵本への好意が溢れ出ている。
彼は目を細めて絵本を見るのだが、私は驚きに目を丸くしていた。
「凄いな……、その絵本。うちにもあるんです」
「え?」
「私。この子に似た姿になりたくて、ああいう姿に定めた」
そう告げると、彼の目も私と同じように開かれた。
どうやら、私たちは同じ絵本を見て、同じような兎に行き着いてしまったらしい。本を借り、ぱらぱらと中に目を通した。
「そっか。だから似てたんですねぇ。私とミミさん」
「あぁ……、俺も驚いた」
絵本のページを開き、お気に入りのシーンを語り始めると、久摩さんの身体が近寄ってくる。
二人とも思い入れのある本だからか、話は長引いてしまう。時計の針の進み具合に気づいたのは、私の方が先だった。
「あ。……長話、すみません。ケーキ食べちゃいますね」
私は急いでフルーツタルトを頬いっぱいに詰め込むと、咀嚼して飲み込んだ。冷えてしまった紅茶を飲み干し、脱衣所を借りる許可を得る。
久摩さんは何だか虚を衝かれたように手を止め、そうっと絵本を閉じた。私が脱衣所で姿を変え、リビングに戻ったときにも、ガトーショコラはまだ残ったままだ。
美味しくなかったかな、と不安になったが、それよりも愛しいウサギの姿を目にした彼が私を抱き上げ、思考は止まった。
「……ミミ。果物があるから食べさせたいが、その前に少し運動しよう」
『うん』
彼はしっかりと身体を確保しながら、ミミさんのために割り当てられた部屋へと向かう。扉を開け中に入ると、空調は整っており、中央に大きなケースが置かれている。
中には、綺麗な土がたんまりと入っていた。
『遊んでいいの!?』
思わず振り向き、勢いよく尋ねてしまった。私の勢いにも宵知は気を悪くする様子はなく、ゆっくりと土の上に下ろされる。
大きなケースの周囲にはシートが敷かれており、土を飛び散らせても問題なさそうだ。本能に抗えず、前脚で土を掻く。
さりさりとした感触が、毛の生えた足裏を過ぎていく。うっとりと穴を掘り、頭を突っ込んだ。
「砂とか、チップとか、いろいろ試したがミミは土しか気に入らなくて。洗うのが大変なのにな」
突っ込んだ穴から顔を上げると、ぱらぱらと土が落ちた。伸びてきた大きな指が、目の上の土を払う。
『底が深くてすごくいい。潜るから、あとで身体洗って』
「ああ。穴掘り手伝おうか」
『自分で掘るのがいいの』
ぺち、と土を掻こうとした手をはたき落とし、自らの前脚で土を掻いた。
払っても払っても毛に土が絡み付き、それが心地いい。ごろん、と土の上で転がる。
無防備な背を、大きな掌が撫でた。離れていくそれに、顔を擦りつける。
『宵知も土遊びしたら?』
「そうだな」
彼は土を盛り、山を作り始める。
側面を前脚で掻くと、ぱらぱらと崩れる。視線を上げ、もっと固い山を作るよう促した。手が側面を押し、固めるが、私が前脚で掻くとやっぱり崩れた。
『これ。宵知が作るのへた』
「ああ。俺が下手だな」
兎相手に、彼は怒る様子はない。だらしなく顔を綻ばせ、土に塗れた手を払う。
ごそごそと穴を掘り、頭を突っ込み、脚を伸ばして土を踏む。宵知は何かしら作ろうとしていたが、私が邪魔をするので上手くいかなかった。
それでも彼は嬉しそうなのだ。在りし日の幸せだった光景を覗き見たような気がして、私がそれを取り上げてしまっているように思って、ちいさく胸が痛んだ。
「────そろそろ、お腹空いたか?」
『空いた』
土の中から顔を上げると、身体を抱き上げられる。
身体に付いた土が払われ、飼い主の胸のあたりに収まった。そのまま部屋を出て、風呂場に向かう。
人の感覚を持つ私に水への恐れはなく、洗面器に入れたぬるめのお湯を用意してもらい、脚を入れる。ちゃぽちゃぽと水を揺らしながら身体を洗っていると、上から脚の届かない場所へとお湯が掛けられた。
ぱしゃ、と水を跳ね散らかしながら顔を上げる。
『落ちた?』
「いや。もう少し」
洗面器のお湯を交換し、改めて人間の指が土を落としていく。
綺麗な毛皮に戻ると、風呂場から出て柔らかいタオルに包まれた。水分を含みやすい特殊な品らしく、良い具合に水気が落ちる。
「ドライヤーで早く乾いた方がいいか?」
毛繕いをしていると、横から尋ねられる。
『五月蠅いから私きらい』
「そうか。じゃあ、もう一回タオルを使うから」
抱き上げられ、新しいタオルに包まれる。丁寧に毛を撫でられる度に、水分は落ちていった。
後は自然乾燥でもいいだろう、という程度までタオルを使って乾かされると、そのままリビングへ抱いて運ばれる。
私にとっては別に廊下を歩くくらい何てことはないのだが、ミミさんと宵知の関係はこういうものだったのだろう。
ソファに敷物が置かれ、その上に乗せられる。
「フルーツを切ってくる。少し待っていてくれ」
背を撫でられる。言葉の代わりに、その掌に顔を擦り付けた。
土の上で跳ね回ったおかげか、二度目のデザートが入るくらいにはお腹も空いている。敷物の上で寛いでいると、綺麗なガラスの器に入ったフルーツが運ばれてきた。
「おいで」
伸ばされた手に近づくと、太股の上に乗せられる。
切られた苺が手ずから口元へと運ばれ、ぱくりと口に含んだ。美味しい、と感じる感覚は、私のそれか兎のそれか、それとも人が定義するウサギの感覚なのかは分からないが、ともかく美味しい。
もごもごと口元を動かす様を、彼は目尻を下げつつ見ていた。
「次はどれにする?」
『りんご』
座っているだけで、口元に果物が運ばれてくる。
しゃり、と噛みついて、さりさりと咀嚼して、こくんと飲み込んだ。美味しい、と近くにある腕に頭を擦りつける。
「どれくらい食べても平気なんだ?」
『身体は魂でできてるから、普通のウサギよりいっぱい食べても平気だけど。私の気持ちの方が満腹になっちゃうかも』
「じゃあ、少しずつ食べようか」
時間も丁度おやつ時で、私は申告よりもたくさんの量を食べさせてもらった。
お腹いっぱいになると、飼い主の太股の上で転がる。その様子を見て、彼は余った果物を自らの口に運び始めた。
私の残した果物はすっかり空になり、からんとフォークが硝子の器に置かれる。空いた手は、自然に私の身体に触れた。
「もう、お腹いっぱいか?」
『うん。眠くなってきたよ』
寝てもいい、と了承を貰い、乾いてきた毛を骨張った指が撫でる。
「実は今日、俺もお菓子を用意していたんだが……」
『えっ。被っちゃった?』
私がぴょんと後ろ脚で起き上がると、彼はその動作を見て口元を綻ばせた。
宵知は兎相手に、いや、ミミさん相手には表情が柔らかくなる。
「後で持って帰ってくれ。近くの和菓子屋の饅頭なんだ」
『…………後で食べるのはだめなの?』
「それだと、長ヶ耳さんの労働時間が増えてしまう」
前回もそうだったが、彼の仕事時間、の計算はあまりにもきっちりしていた。
太股の上に座り、ううん、と首を傾げる。ついでに軽く毛繕いをしてしまった。短い耳を前脚で折り曲げ、表面を撫でて、放す。
ぴょこん、と持ち上がった耳が跳ねた。
『私が、久摩さんと人の姿でお菓子を食べるのは、労働ではないです』
「……そういうのは、公私の切り分けができなくなって、良くないと思うが」
『良くないのは、分かってますけど』
ぺったりと耳が落ち、持ちあげていた前脚も降りてしまった。
私、に戻ってしまった身体を、変わらない掌が撫でる。
「────じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかな」
『……いいの?』
彼の顔を見上げると、私を見返す表情は優しい。
「それは、こちらの台詞だ」
私の毛が乾くまで兎の姿で過ごし、乾いた毛をブラッシングしてもらう。
時間を空けて、お茶とお饅頭をいただいた。彼が選んだお菓子はいつも美味しく、もふもふと頬に詰め込んでいると、久摩さんはなんだか柔らかい表情をしていた。
自宅を訪れて彼と過ごすたび、高額なバイト代が入ることになる。二度目の訪問時に、申し訳なくなって手土産を持参した。
人の姿で食べるためのケーキと、兎の姿で食べさせてもらうための果物だ。玄関で持参した手土産を差し出すと、久摩さんは意外そうに目を見開いた。
彼はゆっくりと受け取り、胸のあたりに抱える。
「気を遣わなくても良かったんだが」
前回の訪問で敬語の外れた言葉は、静かに、低い音で紡がれる。
体格がいい割には繊細で、指先は思いのほか器用だ。ウサギを撫でるのも上手い。
「折角こうやってお仕事するから、お菓子でも食べながら久摩さんの事を聞けたらなぁ、って思って。どう、……でしょう?」
不安になって声が縮こまるが、久摩さんは空気を良くするために愛想笑いしたりもしない。
ただ、変わらない表情のまま、私にスリッパを差し出した。ウサギのシルエットが入った、柔らかい材質のそれに足を通す。
「面倒な依頼を受けてくれただけで、感謝している。手土産は過剰だ」
そう言うと、身を翻してリビングへ歩いていった。
慌てて背を追いながら、言葉を心の中で繰り返す。怒っても、迷惑がってもいないようだ。
彼は台所に入ると、ケーキをデザート皿に移し、紅茶を淹れてくれた。明るさにつられて窓辺を見ると、今日はカーテンが開いていた。
「お茶、ありがとうございます。久摩さんはガトーショコラ、でいいですか?」
私の手元には、フルーツタルトが配膳されている。
兎的には果物を食べられて嬉しいのだが、久摩さんが果物好きだったら申し訳ない。
彼は私の言葉に僅かに眉を動かすと、ケーキに視線を向けた。
「ああ……。いや、無意識に、ウサギは果物が食べたいかな、と思ってしまった。長ヶ耳さんは、ヒトなのに」
失礼なことをした、とでも思っているのか、肩が丸くなる。私は慌てて声を上げた。
「ううん。実は食の好みとか、魂が兎だから引き摺られる部分があって。果物は好きなんです。でも、身体が特殊だから、兎の姿でネギとかを食べても何ともなくて」
魂で身体を作っている都合上、ウサギが食べてはいけないとされる野菜を食べたとして、異常を起こすことはない。
ただし、野菜も果物も基本的には好きで、特に関連した印象の強いニンジンなんかは大好物だ。
「俺は、甘ったるいものも良く食べる。ガトーショコラもだ」
そう言うと、黒い生地にフォークを突き立てた。
おそらく好き、と言いたいのだろう言葉を受け取り、私も同じようにフォークを持ち上げた。
苺を掬い上げ、真っ先に口に入れる。少し値が張ったケーキの果物は、お値段ぶんだけ甘い。
思わず頬が持ち上がってしまった。
その時、近くで僅かに息の動く音がする。顔を上げると、コンコンと息を整える久摩さんがいた。
「…………いや、ミミも苺が好きだったな、と」
「私。いま人の姿をしています、よね?」
「すまない。連想してしまうというか」
彼は失言を誤魔化すように、割ったガトーショコラを口に入れる。
兎を連想するにしては私の身長は高い方だと思うのだが、動きが似ているんだろうか。考えつつ、ちょこちょこと果物を頬張っていると、美味しさに悩んでいたことを忘れた。
紅茶を口に含むと、甘さが一気に抜けていく。
「そういえば、聞きそびれていたんですけど、久摩さんの家系って熊と関係がある?」
「ああ。日本でいう氏神様が、熊に縁のある方だ。『動物の魂を持つ一族』の事も、代々言い伝えられていた」
尋ねて彼が答えた『動物の魂を持つ一族』の定義は概ね正確だった。
魂を元に身体が作られている為に、人とは別に動物の姿を持つ。私が兎であるように、動物の姿はそれぞれの種族に由来する。
それと、魂で形作られる身体は、人間のように生殖をしない。
「────俺も気になっていたんだが、兎といっても、色々、姿形があるだろう? どうして長ヶ耳さんは、あの姿をしているんだ?」
「元々は魂だから、形は定まっていないんです。成長するにつれて、特定の形状に固定をする必要があって。兎だったら、耳の長短や、毛が白かったり、黒かったり、茶色だったり。……私は、好きな絵本に出てくるウサギを真似たんですよ」
そう答えると、久摩さんは目を丸くした。
「少し、待っていてくれるか」
彼はそう言い置くと、ソファから立ち上がる。早足で廊下へ出て行くと、さほど経たないうちに戻ってきた。
腕に抱えられていたのは、見覚えのある絵本だ。所々色褪せたページを、大きな手が捲る。
指さされたウサギは、私とも、彼の言う『ミミ』とも似た姿をしていた。
「俺は、この絵本が好きなんだ。その中でもこのウサギは、のんびり屋で、けれど何があっても立ち止まろうとせず冒険する姿が好きだった。一人暮らしを始めて、即、同じ毛皮のウサギを探して、迎え入れるくらい」
僅かに早口になった言葉に、絵本への好意が溢れ出ている。
彼は目を細めて絵本を見るのだが、私は驚きに目を丸くしていた。
「凄いな……、その絵本。うちにもあるんです」
「え?」
「私。この子に似た姿になりたくて、ああいう姿に定めた」
そう告げると、彼の目も私と同じように開かれた。
どうやら、私たちは同じ絵本を見て、同じような兎に行き着いてしまったらしい。本を借り、ぱらぱらと中に目を通した。
「そっか。だから似てたんですねぇ。私とミミさん」
「あぁ……、俺も驚いた」
絵本のページを開き、お気に入りのシーンを語り始めると、久摩さんの身体が近寄ってくる。
二人とも思い入れのある本だからか、話は長引いてしまう。時計の針の進み具合に気づいたのは、私の方が先だった。
「あ。……長話、すみません。ケーキ食べちゃいますね」
私は急いでフルーツタルトを頬いっぱいに詰め込むと、咀嚼して飲み込んだ。冷えてしまった紅茶を飲み干し、脱衣所を借りる許可を得る。
久摩さんは何だか虚を衝かれたように手を止め、そうっと絵本を閉じた。私が脱衣所で姿を変え、リビングに戻ったときにも、ガトーショコラはまだ残ったままだ。
美味しくなかったかな、と不安になったが、それよりも愛しいウサギの姿を目にした彼が私を抱き上げ、思考は止まった。
「……ミミ。果物があるから食べさせたいが、その前に少し運動しよう」
『うん』
彼はしっかりと身体を確保しながら、ミミさんのために割り当てられた部屋へと向かう。扉を開け中に入ると、空調は整っており、中央に大きなケースが置かれている。
中には、綺麗な土がたんまりと入っていた。
『遊んでいいの!?』
思わず振り向き、勢いよく尋ねてしまった。私の勢いにも宵知は気を悪くする様子はなく、ゆっくりと土の上に下ろされる。
大きなケースの周囲にはシートが敷かれており、土を飛び散らせても問題なさそうだ。本能に抗えず、前脚で土を掻く。
さりさりとした感触が、毛の生えた足裏を過ぎていく。うっとりと穴を掘り、頭を突っ込んだ。
「砂とか、チップとか、いろいろ試したがミミは土しか気に入らなくて。洗うのが大変なのにな」
突っ込んだ穴から顔を上げると、ぱらぱらと土が落ちた。伸びてきた大きな指が、目の上の土を払う。
『底が深くてすごくいい。潜るから、あとで身体洗って』
「ああ。穴掘り手伝おうか」
『自分で掘るのがいいの』
ぺち、と土を掻こうとした手をはたき落とし、自らの前脚で土を掻いた。
払っても払っても毛に土が絡み付き、それが心地いい。ごろん、と土の上で転がる。
無防備な背を、大きな掌が撫でた。離れていくそれに、顔を擦りつける。
『宵知も土遊びしたら?』
「そうだな」
彼は土を盛り、山を作り始める。
側面を前脚で掻くと、ぱらぱらと崩れる。視線を上げ、もっと固い山を作るよう促した。手が側面を押し、固めるが、私が前脚で掻くとやっぱり崩れた。
『これ。宵知が作るのへた』
「ああ。俺が下手だな」
兎相手に、彼は怒る様子はない。だらしなく顔を綻ばせ、土に塗れた手を払う。
ごそごそと穴を掘り、頭を突っ込み、脚を伸ばして土を踏む。宵知は何かしら作ろうとしていたが、私が邪魔をするので上手くいかなかった。
それでも彼は嬉しそうなのだ。在りし日の幸せだった光景を覗き見たような気がして、私がそれを取り上げてしまっているように思って、ちいさく胸が痛んだ。
「────そろそろ、お腹空いたか?」
『空いた』
土の中から顔を上げると、身体を抱き上げられる。
身体に付いた土が払われ、飼い主の胸のあたりに収まった。そのまま部屋を出て、風呂場に向かう。
人の感覚を持つ私に水への恐れはなく、洗面器に入れたぬるめのお湯を用意してもらい、脚を入れる。ちゃぽちゃぽと水を揺らしながら身体を洗っていると、上から脚の届かない場所へとお湯が掛けられた。
ぱしゃ、と水を跳ね散らかしながら顔を上げる。
『落ちた?』
「いや。もう少し」
洗面器のお湯を交換し、改めて人間の指が土を落としていく。
綺麗な毛皮に戻ると、風呂場から出て柔らかいタオルに包まれた。水分を含みやすい特殊な品らしく、良い具合に水気が落ちる。
「ドライヤーで早く乾いた方がいいか?」
毛繕いをしていると、横から尋ねられる。
『五月蠅いから私きらい』
「そうか。じゃあ、もう一回タオルを使うから」
抱き上げられ、新しいタオルに包まれる。丁寧に毛を撫でられる度に、水分は落ちていった。
後は自然乾燥でもいいだろう、という程度までタオルを使って乾かされると、そのままリビングへ抱いて運ばれる。
私にとっては別に廊下を歩くくらい何てことはないのだが、ミミさんと宵知の関係はこういうものだったのだろう。
ソファに敷物が置かれ、その上に乗せられる。
「フルーツを切ってくる。少し待っていてくれ」
背を撫でられる。言葉の代わりに、その掌に顔を擦り付けた。
土の上で跳ね回ったおかげか、二度目のデザートが入るくらいにはお腹も空いている。敷物の上で寛いでいると、綺麗なガラスの器に入ったフルーツが運ばれてきた。
「おいで」
伸ばされた手に近づくと、太股の上に乗せられる。
切られた苺が手ずから口元へと運ばれ、ぱくりと口に含んだ。美味しい、と感じる感覚は、私のそれか兎のそれか、それとも人が定義するウサギの感覚なのかは分からないが、ともかく美味しい。
もごもごと口元を動かす様を、彼は目尻を下げつつ見ていた。
「次はどれにする?」
『りんご』
座っているだけで、口元に果物が運ばれてくる。
しゃり、と噛みついて、さりさりと咀嚼して、こくんと飲み込んだ。美味しい、と近くにある腕に頭を擦りつける。
「どれくらい食べても平気なんだ?」
『身体は魂でできてるから、普通のウサギよりいっぱい食べても平気だけど。私の気持ちの方が満腹になっちゃうかも』
「じゃあ、少しずつ食べようか」
時間も丁度おやつ時で、私は申告よりもたくさんの量を食べさせてもらった。
お腹いっぱいになると、飼い主の太股の上で転がる。その様子を見て、彼は余った果物を自らの口に運び始めた。
私の残した果物はすっかり空になり、からんとフォークが硝子の器に置かれる。空いた手は、自然に私の身体に触れた。
「もう、お腹いっぱいか?」
『うん。眠くなってきたよ』
寝てもいい、と了承を貰い、乾いてきた毛を骨張った指が撫でる。
「実は今日、俺もお菓子を用意していたんだが……」
『えっ。被っちゃった?』
私がぴょんと後ろ脚で起き上がると、彼はその動作を見て口元を綻ばせた。
宵知は兎相手に、いや、ミミさん相手には表情が柔らかくなる。
「後で持って帰ってくれ。近くの和菓子屋の饅頭なんだ」
『…………後で食べるのはだめなの?』
「それだと、長ヶ耳さんの労働時間が増えてしまう」
前回もそうだったが、彼の仕事時間、の計算はあまりにもきっちりしていた。
太股の上に座り、ううん、と首を傾げる。ついでに軽く毛繕いをしてしまった。短い耳を前脚で折り曲げ、表面を撫でて、放す。
ぴょこん、と持ち上がった耳が跳ねた。
『私が、久摩さんと人の姿でお菓子を食べるのは、労働ではないです』
「……そういうのは、公私の切り分けができなくなって、良くないと思うが」
『良くないのは、分かってますけど』
ぺったりと耳が落ち、持ちあげていた前脚も降りてしまった。
私、に戻ってしまった身体を、変わらない掌が撫でる。
「────じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかな」
『……いいの?』
彼の顔を見上げると、私を見返す表情は優しい。
「それは、こちらの台詞だ」
私の毛が乾くまで兎の姿で過ごし、乾いた毛をブラッシングしてもらう。
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