ただ君の顔が好きである【オメガバース】

さか【傘路さか】

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 環の家に通い続けていると、ある日、両親から恋人でもできたのか、と尋ねられた。俺は首を横に振って、友達だ、と説明する。

 両親は納得したのだが、兄たちは匂いに聡い。俺にアルファの匂いが染み付いていくのが気になるようで、『番にならない関係をずるずる続けるのは止めろ』と五月蠅く言うようになった。

 兄達に言われなくとも、環に番ができればこんな宙ぶらりんの関係なんて直ぐに終わるはずだ。そう説明すると、哀しそうな顔をされた。

「────どうかした?」

 眠気に負けて食卓でぼうっとしていると、今日は元気な環が朝食を準備してくれた。

 珈琲と焼いた食パン、サラダと目玉焼き。買い置きのヨーグルトも小皿に盛られている。

「何でもない。いただきます」

 色鮮やかな食事に有難く手を合わせ、フォークを手に取る。

 今日は何処に行こう、と相談しながら食べ進めていると、環の携帯電話が着信を告げた。彼は素早く電話を取ると、こちらに申し訳なさそうに頭を下げつつ廊下に出て行った。

 別に気にする必要もないのだが、俺との時間に横槍が入るとこうやって謝られる。

 通話を終えて戻ってきた環は、見てわかるほど消沈していた。

「どうした?」

「ごめん。ちょっとトラブルで、会社に出なきゃいけなくなった」

「そりゃ災難だ。早めに飯、片付けちまうな」

 彼が家を出るとき、一緒に出なければ鍵が掛けられない。

「ああ。それはゆっくりでいいよ」

 彼は立ち上がると、引き出しの中から一枚のカードを取り出す。いつもこの家を開けるときに使うカードと似たものだ。

「これ置いてくから。好きなだけゆっくりしてって」

「合鍵? いいのか」

「いいよ。雑誌見ても、契約してる映像サービス使ってもいいし。冷蔵庫の中身も好きなだけ食べちゃって」

 環は朝食にラップを掛けて冷蔵庫に仕舞うと、ばたばたとスーツに着替え、一瞬でビジネスマンの顔へと切り替わる。

 最後にもそもそと食事を続ける俺に近寄ると、ひらり、と手を振った。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 手を振り返すと、彼は真面目な顔に戻り、玄関から外へ出て行った。

 机の上に置かれた合鍵……カードキーを見やる。不用心にも程がある気がしたが、確かに雑誌も見たかったし、豊富に契約されている映像サービスが使えるのも捨てがたい。

 冷蔵庫の中には、昨日買った美味しい食べ物も入ったままだ。

「休みだし、ゆっくりしてくか」

 食べ終えた皿を濯いで食器洗浄機に入れ、洗剤をセットして動作させる。

 動き出したそれを見送って、布巾で食卓を拭った。よし、と確認を終えると、冷蔵庫から飲み物とお菓子を調達してソファへと向かう。

 モニタから映像サービスのホーム画面を開き、キャンプ番組を選択する。火の起こし方と、バーベキューの手順くらい知っておきたかった。

 お菓子をつまみつつ番組に熱中していると、今度は俺の携帯電話から着信音が鳴った。画面を見ると『有菱環』と表示されている。

 おぼつかない手つきで、通話ボタンを押す。

「……碌谷です」

『遊?』

「どうしたんだ」

『忘れ物をしたみたいなんだ、確認してもらえるかな?』

 彼の指示通りに書斎に向かう。仕事道具が置かれているこの部屋はふだん出入りすることもなく、家を一通り案内された時に見て以来だ。

 ゆっくりと扉を開き、カーテンの閉じられた部屋に照明を灯す。

『机の右側に引き出しがあるでしょう』

「ああ」

 置かれたデスクに近寄り、彼の言われた通りに引き出しに触れる。

『一番上の引き出しを開けて。うちの社名の書かれた封筒ある?』

 言われたとおりに引き出しを開けると、これまた彼の言うとおりに社名の書かれた封筒があった。

 封筒を持ち上げて振ると、中からかさかさと紙が動く音がする。

「あった。届けるか?」

 彼の会社は、以前訪れたショップの上階だと聞いている。

『助かる。会社への入り方は────』

 裏手から警備室までの入り方を聞きつつ、封筒を持って書斎を出る。

 リビングに置きっぱなしにしていた自分の着替えが入った鞄に近づき、中身を出した。

「今からだと……。一時間は掛からないくらいか、出来るだけ直ぐ出るから」

『ごめん! 埋め合わせは必ず!』

「もう物は要らない。じゃあな」

 手早く服を着替え、モニタを消し、机の上を纏める。

 お出かけ用の鞄を手に取って肩に掛け、封筒を持って靴を履き、そして玄関を出た。








 早足で移動したからか、彼に告げたよりも早く会社に辿り着く。裏手に回り、教えられた休日用の通用口から中に入った。

 ちょうど横にあった小窓から、警備員に話しかけられる。

「あの、……有菱……さんの忘れ物を届けに来ました」

「ああ。有菱社長の。お伺いしていますよ。こちらにお名前だけ頂けますか」

「はい」

 急いで差し出された帳面に名前を書くと、年配の警備員が奥の部屋から出てくる。

 案内されるまま後に続くと、エレベーターの前に出た。

「社長室は最上階ですので、案内しますね」

「ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ、社長の忘れ物ですから」

 警備員は休日に外出させられた俺に対して同情的だった。エレベーターの操作パネルに率先して近づき、丁寧に誘導してくれる。

 最上階に辿り着くと、廊下の一番奥。他とは違った扉を開いた。

「お疲れ様です。有菱社長にお届け物をされたいとのことで、碌谷さんをお連れしました」

「ああ、ありがとうございます!」

 中から出てきたのは、落ち着いた空気を持つ、オフィスカジュアル姿の女性だった。

 陶器のような肌を始めとして、容姿も美しく、以前見せてもらった、環の好きなタイプど真ん中だ。

 ひゅ、と無意識に息を吸い込む。オメガだろうか。彼は、この人とも恋人だったことがあるのだろうか。

 自然と薬指を見てしまい、指輪がない事に落胆する。

「碌谷といいます。有菱さんの友人で、書類を届けに来ました」

「秘書をしております、鵜来です。本当にご迷惑をお掛けしました! 社長はいまトラブル対応中ですので、私がお預かりしますね」

「はい。じゃあこの封筒を……」

 鵜来、と名乗った女性は封筒の中身を確認すると、ほっと息を吐く。

 おそらく、トラブルに関係する書類なのだろう。無事届けられたことに、俺も力を抜いた。

「抜けもないようです。本当に助かりました」

「良かった。では、私はこれで」

 軽く頭を下げ、待機していた警備員の方へと身体を向ける。

 背後から再度お礼を言う声が聞こえたが、俺は振り返らずに社長室を後にした。

 エレベーターを使って一階に戻ると、警備員室で残りの入退室書類を書き、会社を後にする。空調の整った場所から出ると、春とはいえ日差しが熱かった。

「……あっつ」

 誰にも聞こえない場所で声を上げ、街の方向へと脚を踏み出す。

 歩くたびにじりじりと肌が灼かれ、汗が浮いてくる。本当に、春は一瞬だ。

「美人だったなー……。顔の好みで選んでるとかか?」

 はは、と気の抜けた笑いを浮かべ、口を閉じる。あんな美人ばかり侍らせていたら、確かに目も肥えそうだ。

 少し歩くだけで、店の並んだ通りに出る。ショップの前を通ると、ガラスに自分の姿が映った。

 普通の顔、ちょっといい服。少しはましになった隈と、あまり良くない顔色をしたオメガ。

 面食いを直す為だけに付き合う、特に好みでもなんでもない。寧ろ、番にする余地のないような相手。

 自ら付き合いを望んだのに、環を酷いと詰りたくなってしまう衝動に、狂いそうになる。

「俺。長く付き合えば、……環がこっちに靡くかも、なんて思ってたのかな」

 だとしたら、人としての差を突きつけられた気分だった。目の奥で先ほどの美人がちらちらと浮かび上がってくる。

 大きな目、整った鼻筋、小さな顔と細い首。手入れされた髪と、きれいな指先。環と並んだら、誰もがお似合いだと思うような美女だった。

 もう終わらせた方がいいのかな、と思った。湧いてしまった希望に気づいてしまっても、その先があまりにも昏い。

 合鍵を返さなければいけないことを、ただ億劫に思った。




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