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プロダクションへ加入するための事務手続きは終わり、こちらが希望をすれば仕事を探せる状態になった。
だが、しばらくの間、写真に撮られる練習をしたい、と正式な仕事は少し待って貰っている。
「週末、写真に撮られる練習しない?」
大高くんがそう言い出したのは、金曜日の午後の講義が終わった後だった。これから休日、という解放感と少しの寂しさを感じていた所に、そう提案される。
普段だったら、そこまで優しくして貰わなくても、と断るのだが、プロダクションのスタッフである彼なら、実利を目的としているかもしれない。
少し悩んで、承諾した。
「また、プロダクションに行きますか?」
「いや。面倒だしさ、俺の家おいでよ」
その提案に面食らい、瞬きを繰り返す。
「お家の方は……?」
「俺、大学に入るときに一人暮らし始めたんだ」
「えっと。お邪魔、ではないですか……?」
「邪魔だと思って誘う人いないでしょ。来てほしいな」
「……じゃあ、お伺いします」
一緒にお肉を食べに行く予定も立っているのに、その前に自宅訪問が挟まってしまった。同じ人と予定を積み上げていく経験が薄く、目眩がする。
大高くんと僕は、端から見れば友達、なんだろうか。
「ていうか、泊まりに来る?」
「えっ……?」
「写真慣れする時間は長い方がいいし」
「あ、と。僕、人の家にお泊まりしていいか、両親に聞いたことない。ので、……なんて言われるか」
数秒のあいだ停止して、やがて大高くんはくすりと笑った。
「そうだよね。じゃあさ、泊まるなら必要な荷物もあるでしょ。俺、絹太くんのおうちついて行っていい?」
「それで、何を……?」
「挨拶して、泊まっていいですか? って一緒に聞くから。駄目だって言われたら絹太くんのおうちだけ見て帰るよ」
それなら、少しは気持ちも軽いかもしれない。僕が携帯電話越しの両親に家にいるか尋ねると、ちょうど僕たちが帰る頃には家にいるようだ。
友達が家に寄りたいと言っている、とメッセージを送ると、二人とも驚いているらしい返事がある。
「挨拶だけなのでお菓子とかお茶とかはいいです、って言っておいて」
僕が連絡しているのを見ながら、大高くんが言う。僕は言葉をそのまま二人に送った。
弟妹には連絡すべきか悩んだが、からかわれそうで止めておく。
「えと。じゃあ、……まずは僕の家に、行きましょうか」
「お邪魔しまーす」
「まだ家に着いてないですよ」
二人で連れ立って大学を出た。
大高くんと過ごす日常が増えていくほど、人の視線も減っていくし、慣れてくる。最近ではタイプの違う年上たちとも交流が増え、僕の周りの風景が描き変わってしまったみたいだ。
最寄りの駅まで歩き、そこから電車に乗り込んだ。学生ばかりで混んでおり、立ったまま扉の近くに寄る。
「絹太くん、大丈夫?」
「平気、です」
目の前に大きな身体がある所為で、僕の方に人波は押し寄せてこない。同じ電車に乗る時は、自然と庇う位置に立ってくれる。
車体が大きく揺れても、彼はさほど揺らがなかった。
「────着きました」
大高くんの服の裾を引き、開いた扉から外に出る。
多くの人が流れていく中、僕たちは寄り添って駅の出口を目指した。途中、大きな手が僕の腕を掴む。
僕も何も言わず、彼を引いて歩いた。
「へえ、落ち着いてて、いい駅前だね」
「はい。いつも、こんな感じですよ」
いつもの道のりを、いつもとは違う人と歩く。
普段は使わない駅だからか、大高くんの視線はあちこちを彷徨い、興味深そうに僕に質問をする。
住み慣れた町に驚きもない、と思っていたのだが、別の視線を通した街並みは、小さなものが突然浮かび上がる。
「マンホールの模様かっこいいなー」
「へえ。気にしたことなかったです」
「え、面白くない? 結構、変わったやつあってさ」
隣に立つ大高くんは背が高くて、足の長さも違う。けれど、一緒に歩くうちに歩幅は揃うようになった。
相手が、少しずつ懐に入ってくる。胸がもぞもぞするが、嫌な気はしなかった。
「────ここです」
自宅の前に辿り着くと、家の明かりはもう点いていた。
門を開け、庭に入る。ぱっとセンサーライトが灯り、父母が手入れをしている庭が浮かび上がった。
敷かれた砂利と、葉の長さが切りそろえられた木。そして落ち着いた色味の花壇。庭自体も広く、子どもの頃から遊ぶのには困らなかった。
「お庭いいね。日本庭園って感じで」
「ありがとうございます。縁側から見える部分は、特に気を遣ってるらしいです。七輪とか持ち出して、庭でご飯食べるの楽しいですよ」
「えー、いいなー。焼く時は俺も呼んで」
上手い社交辞令なのかもしれないが、本当に呼んだら来そうな気配もあった。
あはは、と曖昧に笑いながら、玄関までの敷石を踏む。
僕が歩く後から、誰かの足音がするのが不思議な気分だ。
「ただいま」
鍵を開け、家の中に入る。
僕たちの帰宅を待ち侘びていたように、早足で父母がリビングから出てきた。二人は大高くんを見ると、揃って驚いたように目を丸くする。
「初めまして、大高壱矢です。髪の色で驚かれるかもしれないんですが、母からの遺伝で、地毛です。絹太くんに悪いことを教えるつもりはないので、ご安心ください」
にっこりと笑ってみせる表情は、好青年のそれだった。
けれど、父母が驚いたのは、大高くんの髪色に、ではなく、僕が友達を連れてきた、という点のはずだ。
案の定、母は、違うのよ、と彼の誤解をとく。
「────それに、別に染めていてもいいじゃない。素敵な色ね」
「ありがとうございます」
言葉遣いと表情が違うだけで、ここまで別の空気を纏えるのだ。普段とは違う彼に、僕の方が戸惑ってしまう。
「大高くんは、例のアルバイトに誘ってくれたお友達だったよね?」
父の問いに、僕が頷く。
父も母も、社会経験、という意味でアルバイトをする事を賛成してくれていた。僕が大学と自宅を往復していたのが気がかりだったらしい。
「今日、大高くんの家で写真撮影の練習をしようって話してて。それで、折角だから、泊まりでどうか、って話を、して……」
ええと、と言葉を選んでいると、僕の肩に大きな手が乗る。そして、言葉を引き継いだ。
「急に決まったので、着替えなんかも必要だし。折角なら、取りに行くついでに俺も顔見せしておいたほうが、ご両親も安心じゃないかと思って。それでお邪魔しました」
「ご丁寧にありがとうね。でも、大高くんのお家の方は急に泊まりなんて、ご迷惑じゃないかしら?」
「大学に入学する時に、一人暮らしを始めたんです。広すぎて寂しいくらいなので、来てくれるのは嬉しいです」
父母は顔を見合わせて笑う。特に悪い印象も持たなかったようで、口からは想像通りの返事があった。
「泊まり自体は、別に構わないよ。あまり、はしゃぎ過ぎないようにね」
「絹太、お菓子持ってく?」
「持ってく!」
僕は靴を脱ぐと、着替えの準備をしてくる、と言い置いて自室へと駆け込む。背後で大高くんがリビングへと誘われている声が聞こえた。
僕はリュックに最低限の着替えと道具を詰め、肩に掛けてリビングへ戻る。
「おかえり」
駆け込んだ先には、大高くんが父母と談笑している姿があった。
母から、お菓子がたくさん詰まった買い物袋を渡される。
「大高くん。庭を眺めながら七輪でサンマを焼きたいんですって」
「いつでもおいで。サンマも茸も何でも焼こう」
「本当ですか? やったー」
父は大高くんの肩を叩き、庭について語っている。僕は二人に近寄り、割って入った。
「お父さん。もう行くから」
「そうかい? 大高くん。今度、うちにも泊まりにおいで」
「是非、お邪魔します」
弟妹が部活から帰ってこないうちに、僕は大高くんの服を引いて玄関へと向かう。
両親ともに笑いながら、見送りに出てくれた。さり気なく引き留めようとする二人を躱し、ようやく外に出る。
「じゃあ、行ってくるね」
「「いってらっしゃい」」
玄関の扉を閉めると、ようやく騒がしさも落ち着いた。
はあ、と息を吐くと、隣から僕の荷物が持ち上げられる。リュックを肩に掛けてしまった大高くんに、慌てて手を伸ばす。
「お、重いよ……!?」
「いいって」
「でも……!」
僕がいくら受け取ろうとしても、彼はリュックを返してはくれない。
やがて、諦めて隣を歩き出した。空はずいぶん暗くなり、街灯があちこちで灯っているのが見える。
「絹太くんさ。家では、敬語じゃないんだね」
「そりゃ、敬語じゃないよ。……ん、と。敬語じゃない、です」
「あはは。俺にもさ、ご家族と同じように話してほしいんだけど、難しそう?」
沈黙が落ち、ざっ、ざっ、と靴底がアスファルトを蹴る音だけが響く。
外で敬語を崩さないようにしているのは、人の形を保つ条件付けも兼ねている。家と外、狸に転じてもいい場所と、いけない場所だ。
彼と話す時に敬語を外してしまったら、外と内が分からなくなったら。僕はまた、以前と同じように、狸になってしまう失敗をしそうだ。
だから、断りたかった。断ろうと思った。
「………………」
チカ、チカ、と通りかかった街灯の光が瞬く。
前を向く、大高くんの眉は僅かに寄っている。視線はあちこちを彷徨い、瞼が忙しなく上下した。
僕が、敬語を外さない、と言うことに対して、不安を抱いている、んだろうか。
「僕。家の外でだけ、敬語を使うようにしているんだけど」
「…………うん」
少し間を置いて、返事があった。無視されない事にほっとする。
「敬語を使っていると、緊張があるっていうか、背筋が伸びる感じがする、んだよね。ほら、僕って気を抜いて、狸になっちゃったでしょう。普通なら、動物の姿と人の姿、行き来するのって力を使うんだけど、僕、その境が薄いみたいなんだ」
ちら、と彼の方を見る。
ふと立ち止まると、同じように、彼の足も止まった。二人の影は重なって、そこに境など無くなってしまっている。
「敬語を使うことで、人でいなきゃ、って気を張っていられる。だから、本当は大高くんとも、普通におしゃべりしたいよ。したい、…………けど。狸になったら、迷惑を掛けちゃうから」
「迷惑なんて事、……ないよ」
そうっと、掌が伸びてくる。
僕の頬に触れた親指が、血が上って火照っているであろう頬を撫でた。
「おうちでの絹太くん。びくびくしてないし、肩の力も抜けてて、いいなぁって思った。羨ましいなぁ、って。……もし、良ければ。二人の時だけでも、お互いに気が抜けるような関係になりたい」
指は、余韻だけを残して離れる。
二人の間を浮くその掌を、空中で掴み取った。
「じゃあ、最初は、……二人の時だけ。様子を見ながら、外ではどうするか決める、のでいい?」
「うん、いいよ。…………じゃないな、喜んで」
今度は掴んでいたはずの僕の手が、大きな両手で包まれる。
大高くんはにっと笑うと、僕の手を引いて歩き出した。
「絹太くん、俺の名前覚えてる?」
「…………壱矢くん」
その振りが、何を意味しているかは鈍い僕でも分かる。
街灯が照らす道を、光から光へと乗り継ぐ。暗い夜道の中で、手を引くひとりだけが鮮明に浮かび上がった。
勇気を振り絞って、その名を呼ぶ。
「────壱矢くん。晩ご飯、何が食べたい?」
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