守った狸は愛でるよう

さか【傘路さか】

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 案内されて辿り着いた壱矢くんの自宅は、そこそこの高層階まであるマンションだった。エントランスまでにもセキュリティがあり、更にそこからエレベーターを使って階を上がる。

 自宅のある階まで辿り着くと、隣の扉と距離があることにも気付く。大学生の一人暮らしには、過剰に見えるような設備だ。

 口には出さず、案内されるがまま、玄関の扉から中に入った。

「壱矢くんの部屋、広いね」

 外靴を揃えて上がらせてもらい、廊下を抜けた先にはキッチンがあった。一人暮らし用、というよりも、うちの自宅にあるような、家族の食事を作るのに十分な広さのキッチンだ。

 ファミリータイプの冷蔵庫に焼き肉の具材を仕舞いながら、壱矢くんが答える。

「元々は、家族で住んでたから」

 言葉が浮かんで、ぐっと堪えて、黙って眉根を寄せる。

 僕の表情の変化に気づいたらしい彼は、こちらを見て苦笑した。ゴトン、と飲み物のペットボトルが扉の裏側へと仕舞われる。

「うち。高校卒業後に親が離婚して、このマンションを置いて二人とも出て行っちゃったんだ」

「……………………」

 迂闊に、返事をすることは躊躇われた。

 特に、彼と違って円満な両親を持つ僕の言葉は、きっと容易く棘になる。

「高校に入ったくらいから、ずっとそういう話はしてたんだ。だけど、高校卒業までには何とかなるかな、なんて思ってたな。でも、何ともならない物はあるもんだね」

 ゴトン、ゴトン。ただ食材を置いているはずの音が、おもたく響く。

 指先の感覚が遠のき、唇は更に凍り付いた。

 ただ、突っ立っているだけの僕を、壱矢くんは憐れむように見る。彼の唇は、弧を描いたままだ。

「平気だよ。両親はもう、それぞれ相手がいるんだ。幸せに暮らしてるみたい。俺もこうやって自由にやらせてもらってるし」

 彼は冷蔵庫の下段を開け、屈み込んで中に食材を移していく。

 けれど、彼は幸せだ、とは言わないのだ。丸くなって、小さく見える背中に歩み寄り、その背中に縋り付く。

「また、泊まりに来るよ」

 一緒に過ごす度に、一つ、ひとつ、約束が増えていく。

 彼が約束を作ろうとするのは、別離を知っているからかもしれない。約束を増やして、それまで、を少しずつ引き延ばしていく。

 いずれ切れるかもしれない生地を、ほんの少しずつ、更に細い糸へ押し広げるのだ。

「いつでも来てよ。待ってる」

 ぽんぽん、と手が叩かれて、それを合図に身体を起こす。

 振り返った壱矢くんは、両手を広げて僕の身体を抱き竦めた。

「…………っ」

「ありがと!」

 吐き出すように言うと、彼は直ぐに手を放した。

 高い位置にある棚を開けると、中からホットプレートを両手で下ろす。テーブルに運んで、と指示されるがまま、魂が抜けたように機械を抱えて歩いた。

 抱きしめられた背が、じんじんと痺れている。

「絹太くんさ。野菜の切り方に拘りある?」

「ないよ!」

「じゃあ、適当に切るか」

 食事を作るのに慣れているのか、彼は手早く野菜の下拵えを始めた。

 僕はホットプレートを拭い、皿の用意を手伝う。こっそり覗き見た野菜を切り分ける手つきに危なげなものはなく、大学入学より前からの経験を窺わせた。

「はい野菜」

 大皿に載った野菜を渡され、両手でテーブルまで運んだ。

 ふと、隅っこに二つ重ねられていた椅子に気づく。椅子を一つ抱え、二つの席が向かい合うようにする。

 キッ、と椅子の接合面が擦れる音が、耳を叩いた。

「そしてお肉!」

 肉の載った皿は、彼が手ずから運んできた。

 茶碗にはご飯が盛られ、ペットボトルのお茶が添えられる。細々とした物を揃え終えて、僕たちは席についた。

「いただきまーす」

「いただきます」

 そう言い、脂を落としたプレートに、肉を一切れずつ置いていく。

 油が熱で溶け、じゅわ、と音を立てる。沈んでいた気分が、ぱちぱちと弾ける油の音に少しずつ押し上げられていく。

「美味しそう…………」

 スーパーへ行った時間が遅かったためか、見切り品の肉が安く買えたのだ。

 プレートに一面並べた肉を食べ終えても、まだまだ肉がある。

 端の方に時間のかかる鶏肉と、野菜を並べた。二人でお肉を裏返していると、薄めの分はすぐに焼き色がつく。

「ほら絹太くん、今」

「あ、わ。いただきます!」

 肉をタレに付け、口に運ぶ。

 噛み締めると、じゅわ、とまだ熱い肉汁が口の中に溢れた。肉を飲み込んで、味が消えないうちにご飯を口に運ぶ。

「あ、美味」

 前方でもはふはふと壱矢くんが肉をがっついていた。

 茶碗に盛られたご飯は大盛りで、箸で上手に大量のご飯を掬っては口に放り込む。あまりにも気持ちの良い食べっぷりだった。

 負けじと肉を焼き、口へ放り込む。

「鶏肉まだかな……」

 僕が言うと、彼は口元に手の甲を当て、ふっと笑った。

「……もうちょっとだよ」

「鶏肉さ。薄いとすぐ焼けるけど、分厚い方が美味しいんだよね」

「分かる」

 ようやく焼けた鶏肉の肉汁に頬が綻ぶ。カリカリに焼けた皮を噛み締め、次の肉へトングの先を伸ばした。

 肉は買いすぎかと思っていたが、壱矢くんの食欲を甘く見ていた僕が肉の量を渋った所為か、最後には焼きおにぎりを焼く羽目になった。

 あち、と指先を浮かせつつ、焼きおにぎりを頬張る。

「どうだった? 焼肉」

「美味しかった! でも、壱矢くんの胃袋舐めてたかも」

「ごめん。なんか楽しくて箸が進んじゃった」

 戯れに軽い文句を言うが、この後のデザートまで考えると、適量と言えるかもしれない。

 壱矢くんはコーヒー……よりカフェオレがいいと言うとカフェオレを用意してくれ、買ってきたデザートを隣に並べた。

 スーパーの隣にあったケーキ屋で、僕はフルーツタルトを、彼はガトーショコラを選んだ。

 スプーンで救って口に運ぶと、甘いフルーツの果汁に顔が蕩ける。

「美味しい……」

「久しぶりかも。ちゃんとしたケーキ食べるの」

 しみじみと呟かれた言葉に、こくこくと頷いて同意する。

 近くに置いていたカフェオレを口に含むと、ケーキに合わせてか砂糖は入っていなかった。

 コーヒーと牛乳が混ざった、中間の色を見つめる。液体同士は混ざり合って、境目は無くなっている。

「あ、砂糖いる?」

「ううん。あの、…………今日、うちにご挨拶に来てくれた時。いやな気持ちじゃなかった?」

 目の前で、ガトーショコラを割る手が止まる。

 何故、と言いたげに瞬きを繰り返す表情に、僕の方が困惑してしまった。

「ごめんね。うちのお母さん、他意はなくて。いつも僕が他の家の親御さんにお世話になると、ちゃんと挨拶したがる人なんだ。だから、壱矢くんの親御さんのことを気にした時も、悪気はなかったと……」

「ああ。そういうこと? 全然。怒ったり、悲しくもなかったよ。……ちょっと、羨ましかったけど」

 僕は、カップの端に口をつけて啜る。

 貸し出されたカップは明らかにテーマパークの土産物で、新品……普段は使われていないものに見えた。

「俺が挨拶に行ったとき、ご両親、二人とも揃ってたでしょ。もし俺がさ、絹太くんを連れてくるよ、ってうちの両親に言ったって、きっと帰って待ってはくれなかったよ」

「…………それは、うちは二人とも、偶然のんびりした仕事だからだよ。お仕事が忙しいんだったら、余裕も無くなっちゃうんじゃないかな」

 うん、と頷いて、彼は自分のマグカップを口元に寄せた。

 彼が持つには幼く見えるキャラクターもののマグカップは、端の方のプリントが剥げている。サイズも大きくはなく、彼の掌に比べれば小さく見えた。

 彼だけが、家族の思い出を追っている。

「そうだよなぁ……。俺やっぱ、子どもだわ」

 はは、と苦笑する壱矢くんの表情は大人びているのに、声の震えは誤魔化せやしない。

 彼は近くのキャビネットから、一冊の雑誌を持ってくる。折り目がつけられた場所を開くと、写真コンテストの募集要項が載っていた。

「動物の写真……?」

「今日、俺さ。絹太くんにこのコンテストに協力してもらえないか、頼むつもりだったんだ」

「狸の僕を被写体にする、ってこと?」

「そう。昔から、こういうコンテストにちょくちょく応募してて」

 壱矢くんは雑誌を見下ろすと、ページに指先を添わせた。指に力が篭もり、くしゃり、と角がひしゃげる。

「小さい頃、まぐれで入賞したことがあったんだけど、その時、家族で揃って食事に行ったんだ。それから、賞を貰ろうと躍起になってる。ただ、褒めてもらいたいが為に」

 でもなあ、と彼は息を吐き出す。

 肩は丸まって、眉は不安げに下がっていた。

「無駄だよなぁ。……やっば」

 僕は彼の手元にあった雑誌を持ち上げる。壱矢くんが作った皺を、丁寧に指先で伸ばした。

「もし、入賞できたら、僕は嬉しいと思うよ。あと、僕の両親と、弟と、弟と、妹は喜ぶと思う」

「…………え。家族六人もいるの!?」

「え。反応するとこ、そこ?」

 僕と彼は、同時に吹き出した。

 差し出した雑誌は、両手で受け取られる。

「撮ってみようかな。入賞したら、絹太くんが褒めて」

「任せて。全力で褒めるよ」

 大きく割ったガトーショコラを、大きな口に入れる。

 あっという間に消えてしまった欠片を飲み込むと、彼はにかりと笑った。







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