守った狸は愛でるよう

さか【傘路さか】

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 いちど意識をすると、あとは坂道を転がり落ちるようだった。彼を目で追う眼差しに、違った熱を帯びる。

 彼は、僕を番と思う余地はあるんだろうか。部屋で一人の彼が、二人になったら寂しさは無くなるだろうか。

 思考を巡らせては、可能性のない夢ばかりをみる。

「おはよ。今日は撮影?」

 訪れていた動物プロダクションで、声と共に、背に手が当たる。

 ぶん、と勢いよく振り返ると、驚くような丸い目があった。反応が過剰だった、と慌てて表情を作る。

「違います、…………っと、間違えた」

 長年使っていた外での敬語は、偶に口をついて出る。口元を押さえ、内向きの思考へと切り替える。

「違うよ。事務書類の提出。あと、僕の宣材写真、所属するときに急いで撮ったものだから、正式な写真を撮りたい、って話をしてた」

「それ、俺が撮りたいって話してたやつ」

「聞いた聞いた。撮ってきた写真でいいやつがあったら、使ってもいいよ。だって」

 とはいえ、あまり長く引っ張るなら事務所の方で撮るよ、だそうだ。提示された期限を告げると、壱矢くんは、セーフ、とジェスチャーで示した。

「梅の花と写真を撮るやつ、宣材にしてもらおうと思ってさ」

「あれ? コンテストは?」

「そのつもりだったんだけどさ。梅の花もだし、絹太くんにも手伝ってもらって撮った写真って、ほら、不思議能力な訳じゃん? ほかの写真家には、きっと出来ない」

「そう、…………だね」

 もしかしたら、僕たちみたいな存在に協力を仰いでいる写真家がいるかもしれないが、大多数は野生の動物たちの、偶然の一枚を写真に収めているだろう。

「なんか、コンテスト、って競技の場に提出する一枚としては、フェアじゃないかな、って。だから、宣材とか、プロダクションのSNSに使ってもらうことにしたんだ」

「いいの? …………だって」

 コンテストへの参加は、彼の気持ちの昇華のためにやろうとしていた筈だ。

 それに、もし受賞者として名前が知られれば、壱矢くんの両親へ届くかもしれない。

「いいよ。元々、俺はさ。好きな画を、写真に残すことが好きだっただけだから」

 目的が歪んでいたんだ、そう言う表情は、憑きものが落ちたようだ。

 僕が知らないうちに、彼は何かを噛み砕いて、飲み下してしまっていた。大きな掌が、僕の頭をぽんぽんと撫でる。

「最近、写真を撮るのが本当に楽しいんだ。特に、絹太くんを撮るときが一番」

 細められた瞳は優しげで、きっと、その感情は友愛ゆえだ。

 胸に覚えのあるざわざわが去来して、掻き乱される。

「コンテストとは別だけど。良かったら、また写真撮らせて」

「い、いいよ? 僕で、よければ」

「ん。被写体は絹太くんがいいな」

 いつも通りに腕の中に入れられ、頭を撫でくり回されていると、背後から別の足音がする。

 その人物は僕たちの姿を見ると、目を瞠る。

「大高に用があったんだが……、仲良しだな」

 龍屋さんから向けられる視線が気になり、僕から離れた。

「邪魔するなよー。何?」

「倉庫で荷物運びの時間だ」

 壱矢くんは時計を確認すると、あ、と口を丸く開ける。

「悪い。行く行く。……絹太くん、じゃあまた」

「うん、またね」

 方向を変え、大股で歩いていく龍屋さんの背を、壱矢くんが追いかけていった。つい、ぼうっとその様子を見送ってしまう。

 僕の予定は終わっており、もう帰るだけだ。顔を振り、出入り口付近に歩いて行こうとしたところで、視界の端、足下にハンカチが落ちているのに気づいた。

「これ、壱矢くんのだ」

 狸の刺繍が入った特徴的な柄は、彼が僕に可愛いから買った、とわざわざ報告してから使い始めたものだった。

 ハンカチを拾い上げ、二人が歩き去った方向へと向かう。だが、見える範囲に二人の姿はない。

「倉庫、って言ってたっけ」

 事務所内にはいくつか倉庫があり、僕はまだ建物内の位置関係に弱い。うろうろと倉庫らしき扉の前まで行き、中からの音を聞く事を繰り返した。

 一つの扉の前まで行くと、特徴的な低い声がする。扉に近づいて、耳を押し当てた。

「────いつの間に、立貫と仲良くなったんだ?」

 突然の自分の話題に、出ていくタイミングを失う。

「意外?」

 僕といる時には出さない、落ち着いた声音に目を丸くする。

 すぐに声をかけようとした気持ちも萎んだ。

「意外に思ってるのは、立貫のほうだ。大高のようなタイプには、もうちょっと警戒心を抱くかと思った」

「はは、ひどいなー。……絹太くんは、うちの家庭環境のこと知ってるから、気にしてくれてるだけだよ」

 二人の間の音が、少しの間、止んだ。

 そっと扉から耳を離し、踵を引く。

「あんまり、立貫に寄り掛かりすぎるなよ。最近、目が怖い」

「あはは。絹太くんも、彼のご家族も眩しいんだもん。……別に、憎たらしいとかの感情はないよ。ああいう家庭が欲しいなぁって欲と、築けるのかなぁ、っていう不安はあるけど」

 乾いた笑い声が響く。龍屋は、つられて笑ったりはしない。

「家庭、なぁ…………。なあ、お前。まさか、────?」

 呟くように言った言葉の一部は、扉から耳を離した所為か、よく聞き取れなかった。

 床を滑らせるように、扉からじりじりと遠ざかる。

「────そりゃあ狙うでしょ。俺、あの子のこと、大好きだもん」

 どうやってその場を離れたのかは、よく覚えていない。

 ただ冷や汗を流しながら、靴底を床から上げないよう努めたような気がする。

 僕はぼうっと頭を曇らせたまま事務室に立ち寄ると、大高さんが落としたようだ、という言葉と共にハンカチを預ける。

 自分で渡せばいいだけのハンカチを、渡すだけの僅かな会話さえしたくなかった。事務所の建物を出て、ようやく詰めていた息を吐き出す。

「家族、かぁ…………」

 あの子、と呼んだ時の、纏わり付くような、甘ったるい声音が浮かび上がってくる。僕に対しては、聞くことのない声だった。

 彼は、僕たちの一族の特殊な殖え方を知らない。僕との間に、親と子の形態である家族が作れるとは思っていない。

 僕は端から、対象外だ。

「……変だな。もっと、取り乱すかと思ってた」

 いつかは壱矢くんに恋人ができるのだろうし、そうしたら、僕との時間は自然と減っていくのだろう。

 友達が出来たことは素敵な事だと思っていたのに、恋人を前にすれば、友達に引き留める術はないのだった。







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