途中闇堕ちしますが、愛しの護衛騎士は何度でもわたしを愛します

りつ

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間違い

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「陛下。お願いがございます」

 セレスト公国の謁見の間で、ランスロットは大公夫妻の前で跪き、頭を垂れた。

「急に改まってどうした、ランスロット。申してみるがよい」
「はっ。……実は勝手ながら近々国を出ようと考えておりまして」

 ランスロットの言葉に大公はあまり驚いた様子は見せなかった。恐らく事前にランスロットの父兄から知らされていたと見える。できれば考えを改めるよう説得も頼まれているはずだ。

「この国を出るということは、騎士団もやめるのか?」
「はい」
「やめてどうするのだ」

 ランスロットは顔を上げ、きっぱりと告げた。

「ノワール帝国軍への入団を志願します」

 これには大公も瞠目したが、すぐに腑に落ちたように眉を下げた。

「リュシエンヌのためか」
「すべて私の勝手な都合でございます」

 リュシエンヌは恐らく迷惑がるだろう。護衛の任を解いてまで自分を遠ざけたのに、わざわざ帝国へ移り住むのだから。

「そうか……。そなたの今の身分を利用すれば、士官として入隊することができるはずだ。皇族の護衛へ繋がる道も決して難しくなく――」
「いえ、皇妃殿下のおそばで仕えるつもりはありません」

 今まで納得した様子を見せていた大公が初めて不可解な顔をした。

「一兵卒から上を目指すというのか?」
「はい」
「しかしそれでは……出世できても下士官までだろう」

 帝国軍の階級は下から兵・下士官・士官となる。貴族出身は大抵士官の少尉からスタートする。高級将校と呼ばれるエリートの道を歩めるのもこのクラスだ。高貴な皇族の護衛も身分などを考慮し、士官から選ぶだろう。

「すべて承知の上でございます」
「下士官で一生を終えるつもりとは……。デュラン侯爵も反対するわけだ」

『今までの経歴をすべて棒に振るつもりか』

 父は身分や勲章にこだわらない人間だと思っていたが、いざ息子がその道を選ぶとなると反対せざるをえなかった。

「家には迷惑をかけぬよう、侯爵家からも籍を抜けるつもりです」
「なんと……」

 家名を捨てて、ただのランスロット個人として帝国へ赴く。

 リュシエンヌに国に残るよう命じられた時から、ずっと考えていたことだ。

「リュシエンヌのそばでもう一度護衛するために入団するのではないか?」
「……姫様は私の身を案じて護衛を外されました。その命に背いて仕えれば、姫様に至らぬ気苦労をおかけしましょう」

 ランスロットとて、なぜリュシエンヌが自分を連れて行かなかったのかわかっている。

 彼女の気持ちを尊重するならば、命じられたようにここに残り、セレスト公国に最期まで忠誠を捧げるのが正しいだろう。それでも――

「遠くからでも構いません。姫様がいらっしゃる国で、兵の一人として帝国の平和を守りたいのです」

 それが彼女の幸せに繋がるのなら、一生会えなくても構わない。彼女が夫であるギュスターヴと心穏やかに過ごしていけるのならば、それがランスロットの幸せだ。

「決意は固いのだな?」
「今までの御恩とセレスト公国の――陛下への忠義心を捨て、帝国へ仕える恥知らずなご無礼を、どうかお許しください」

 セレスト公国から帝国兵になるということは、もし戦争になった時、帝国兵としてセレスト公国の人間へ剣を向けることを意味していた。

 かつて共に肩を並べて戦った者たちを裏切り、仲間の命を奪わなければならない道へランスロットは進もうとしているのだ。

 父が止めるのも道理だ。

 しかし親子の縁を切ることになっても、ランスロットの決意は揺るがなかった。

「……そなたに嫁がせるべきだったかもしれないな」

 大公は独り言のように呟いた。

「いいえ、陛下。姫様はこの国のために嫁ぐと決められたのです。その意思を決して否定してはなりません」
「……そうだな。ああ、そうだとも。私もそのことはよくわかっている。しかしな、ランスロット。まさかあのリュシエンヌが帝国へ嫁ぐなど、思ってもいなかったのだ。あの小さかったリュシーが……」

 大公の手を気遣うように公妃が撫でた。大丈夫だと告げるように大公は微笑むと、またランスロットを見つめた。

「わかった。そなたがこの国を去ることを許そう。……遠くからでもどうか、あの子を見守ってほしい」

 自分たちの代わりに、という大公の声なき願いが聴こえてくるようであった。

     ◇

「――ランスロット」

 謁見の間を後にし、さっそく出立の準備に取り掛かろうとしていたランスロットを呼びとめる声があった。

「これは、フェラン様」

 振り返ると、白銀の髪をした、まだ幼いながらもその表情はずっと大人びた少年の姿があった。リュシエンヌの弟であり、将来セレスト公国を継ぐ若君である。

「……姉上のもとへ行くのか?」

 ランスロットは少し困った顔をする。

「殿下のお耳にも届いてしまいましたか」
「侯爵やあなたの兄君が嘆いていたからな。あの調子では恐らく弟君や使用人たちも同じ様子でないのか」
「おっしゃるとおりで……お恥ずかしい限りです」
「そう言うな。みなあなたのことを心配して、愛しているからだろう」
「愛している、ですか。殿下はそういったことを臆面もなくおっしゃられて素晴らしいですね」

 リュシエンヌなら、きっと恥ずかしがって口にできないだろう。それとも、夫であるギュスターヴには言えるようになったのだろうか……。

「あなただって言えるだろう?」
「いえいえ。私はそんな率直には言えませんよ」
「いいや、言える。少なくとも姉上に対しては言えたはずだ」

 まいったな、とランスロットは苦笑した。

 上手く話を逸らそうとしたが、軌道修正されて、本題にズバリと斬り込んできた。

「殿下に任せておけば、セレスト公国は安泰ですね」
「僕一人にできることなど、限られている。周りの支えあってのこと……。姉上のおかげでもある」

 フェランはリュシエンヌと同じ色をした瞳を足元へ落としていたが、再びランスロットを見据えた。

「姉上から月に一度か二度、手紙が届く。内容はすべて上手くやっているから心配しないでくれ、体調に気を遣ってくれというものばかりだ」

 ランスロットはこの小さくも賢い若君が何を言おうとしているか察したものの、沈黙で先を促した。

「ランスロット。これは僕の杞憂なのかもしれない。しかしそれとは別に、ひょっとしたら、という気持ちがあるんだ」

 リュシエンヌが無理をしているのではないか。――あるいは、もっと深刻な事態に局面しているのではないか。

 そういった「もしも」を、フェランは決して直接口にはせず、遠回しに訴えた。

「殿下。私にどこまでできるかわかりませんが、できる限り、リュシエンヌ様のお力になれるよう尽力いたします」
「……僕は悪いやつだ。あなたの家族のことを思えば、ここに残るよう引き留めるべきなのに、できない」

 正直な感想にランスロットは笑った。

「説得なさるおつもりだったのですか」
「あなたの顔を見て、やはり無理だと悟った。むしろあなたらしい選択だと思い、当然だろうとも思った。あなたは姉上だけの騎士なのだから」
「……護衛の任は解かれてしまいましたけれどね」
「本心ではない。あなたも、それは十分わかっているはずだ」

(どうでしょう。本当は違うかもしれませんよ? 姫様は俺のことが疎ましくなって……)

 そう思いかけたランスロットの脳裏に、別れを告げた時のリュシエンヌの顔が浮かび、口を噤んだ。

 彼女との出会いはランスロットが十歳の頃だ。公妃に隠れるようにして、あの青紫の瞳でランスロットを怯えたように、でも興味深く見つめていた。 

 年上で異性ということもあり、最初は話しかけてもなかなか会話が続かず、リュシエンヌはとても気まずそうな顔をしていたのを覚えている。

 そんな彼女と距離を縮めるきっかけとなったのは――

『猫を助けようとして、下りれなくなったの……』
 
 木の上で半泣きのリュシエンヌをランスロットが助けたことだった。ちなみに肝心の猫はリュシエンヌが手を貸す必要もなく、勝手に独りで下りていったというのだから、無慈悲なものだ。

『あの猫ったらひどいわ……。でも、怪我がなくてよかった。……あなたも、助けてくれてありがとう』

 恥ずかしいところを見られて今すぐにでも逃げ帰りたい様子なのに、涙目できちんとお礼を述べる小さな公女様に、ランスロットは幼いながら「可愛らしい人だな」と微笑ましい気持ちになった。

(臆病なようで、強くて、優しい心もきちんと持っていらした……)

 出会ってからもう十年以上の付き合いだ。性格やちょっとした癖など、誰よりもよく知っている。別れを告げられたあの時の言動も、すべて無理をしていて、それでも乗り越えなければならないと思って選んだ道だとわかっていた。

 だからこそ、ランスロットはリュシエンヌの命に背いてはいけないと思った。

 今まで仕えてきた忠誠を最後まで守り、彼女に報いたかった。

「なぁ、ランスロット。あなたは本当は姉上のことを――」

 ランスロットは笑みを浮かべることでその先の言葉を封じた。

 ずっとそばにいた。

 常に他人を警戒して、なかなか本心を見せてくれないのに、自分だけには心を開いてくれて、素顔を見せてくれた。いつも頼りにしてくれた。慌てる姿が可愛くて、ついからかってしまいたくなって困ったものだ。

 寂しがり屋だから、もっとうんと我儘を言わせて、たくさん甘えさせたかった。はにかんだ笑みを見せてくれるなら、どんな無理難題でも聞いて、叶えてやりたいと思っていた。

(最初は、妹のように思っていたのにな……)

 気づけばそれ以上の、かけがえのない存在になっていた。

 ――本当は、彼女が嫌だと言えば、助けてといつものように駄々をこねてくれれば、彼女を攫って逃げてもよかった。いや、心のどこかでは望んでいたのだ。

 顔も見たこともない男より、自分を選んでほしいと。

 ……でもそれは、ランスロットの身勝手な願望に過ぎない。

 彼女のためを思うならば、見送るべきだ。

 護衛騎士としての自分と、一人の男としての自分。

 それぞれの思いが激しくぶつかり合い、ランスロットは今までになく悩み、結局リュシエンヌを帝国へ送りだしてしまった。

 遅れて馬で追いかけたのは、やはり自分も連れていってほしい気持ちと、いい加減未練を断ち切らなければならないという自制心がせめぎ合った結果だ。後衛の騎士たちに追い返され、心配した兄の説得で国に留まっても、やはり後ろ髪を引かれる思いだった。

「殿下。俺は未練がましく、優柔不断な男だとつくづく思い知りました」

 こんなのは、非常に自分らしくない。

「優柔不断な男が故国を捨てて、ただの兵になるとは思わない」

 迷いが吹っ切れたランスロットの顔を、フェランは少々呆れた様子で見やった。ランスロットもその言葉に笑う。

「もう、すぐにでもここを出るつもりなのか?」
「はい。準備ができればそのつもりです」
「そうか……。わかった。侯爵やご兄弟のことは心配しないでくれ。僕がきちんと説得してみせよう」

 自分よりもまだ小さな身体でありながら、フェランは立派にそう宣言してみせた。

 ランスロットは相好を崩すも、その場に跪き、深く頭を下げた。

「殿下。あなたと過ごした時間は短いものでしたが、とても得難いものでした。私が城を去った後も、殿下のご活躍とこの国の繁栄を願っております」
「ああ。僕も、おまえの幸せを願っている。……姉上をよろしく頼む」

 ランスロットはフェランの手を借りながら立ち上がり、互いに手を握りしめ合った。

「では、失礼いたします」

 ランスロットがそう言って別れを済ませようとした時。

「フェラン様!」

 彼の侍従がいつになく慌てた様子で駆け寄ってきた。

 フェランはその慌てぶりにまず落ち着くよう言い、何が起きたのか冷静に告げるよう命じた。侍従は述べようとして、ランスロットの姿を見ると、一瞬固まる。しかし主に促されて、耳元で用件を述べた。

 ランスロットはフェランの目が見開かれ、息を呑むのを見ていた。

 一瞬であるが、彼が痛ましそうに、憐憫の眼差しで自分を見たことも。

 嫌な予感がした。なぜかリュシエンヌの顔が思い浮かんだ。

「殿下。姫様に、何かあったのでございますか」

 否定してほしかった。きっと違うことだ。

 しかし――

「姉上が……殺人の容疑で逮捕されたと……処刑も免れないと、知らせが入った」

 聡い彼でもショックが大きかったのか、呆然としたように呟いた。

     ◇

 何かの間違いだと思った。

 たとえリュシエンヌが夫である皇帝に愛されず、妻である自分よりも愛妾たちを可愛がって、醜い嫉妬を掻き立てられようと、彼女は決して命を奪うことなどしない。

 その前に自身の心を殺して殻に閉じこもる性格だからだ。

(周囲の人間に嵌められたんだ)

 ランスロットの胸に後悔が押し寄せてくる。それはまるで毒のようにじわじわと身体中を蝕み、やがては止めを刺すものだ。

(いいや、まだ間に合う)

 彼はすぐに帝国へと向かった。馬を途中交代させながら、彼自身は休むことなく走り続けた。

 ただ一刻も早く、リュシエンヌを助け出したかった。無事であることをこの目で確かめたかった。

 大公の命で付き添っていた騎士とリュシエンヌが捕えられているであろう建物へ入り、ランスロットは地下牢へ侵入した。

 薄汚く、すえた臭いが充満している。とても高貴な人間が入る場所には見えなかった。ランスロットは本当にここにいるのだろうかと半信半疑で、しかし階段を下りて、襲ってくる見張りの兵をなぎ倒しているうちに、心臓の鼓動はますます速くなり、眩暈と吐き気を催してきた。

(どこだ……。どこにいるんだ!)

 きっとここにはいない。彼女は別の部屋に捕えられている。きっと無事で……。

(あぁ――)

 ランスロットは自分の目を潰してほしかった。視力を奪い、目の前の光景を消してほしかった。

「姫、さま……」

 布切れ一枚敷かれず、リュシエンヌは冷たい石畳の上に転がされていた。ぐったりとした様子で目を瞑っており、いつも綺麗に手入れされていた髪は汗でべたついていて、元は上等な衣装だったと思われる服はみすぼらしく、粗末な布へと変わり果てていた。

「姫様! リュシエンヌ様!」

 必死で名前を呼ぶ以外に、言葉が出てこなかった。

(なんで彼女がこんな所にいる。なんでこんな目に遭っている)

 一体リュシエンヌが何をした。殺害の容疑がかけられていたとはいえ、彼女は皇妃であり、慎重に事情を聴く必要がある。それをなぜこんな――

「姫様! 目を覚ましてください!」

 身体中に巡っていた毒が、止めを刺そうとしている。嫌だ。認めたくないと絶叫するランスロットの声に応えるように、リュシエンヌがうっすらと目を開けた。

 彼の心に希望が湧き、同時に打ち砕かれた。

 リュシエンヌはあどけなく微笑んだ後、永遠に目を覚まさなかったから。

 彼女はこの薄汚い部屋で、たった十八年の生涯を終えたのだ。

(どうして……)

 仲間がランスロットの肩を揺さぶり、しっかりしろと叫んでいる。帝国兵が駆けつけ、このままでは捕えられる。せめて姫の亡骸を抱えて逃げようと……。

 どれもその通りで、悠長に立ち止まっている暇はなかったが、ランスロットは動けなかった。

(どうして俺はあの時、彼女の命に従ったんだ)

 どうして何があってもついて行くと逆らわなかった。
 どうして見送りの日にみすみす遅れて行った。
 どうしてもっと早くセレスト公国を出なかった。

(ああ、そもそも……)

「そんな小娘のために、わざわざ遠くから駆けつけてきたのか?」

 牢屋の入り口に男が立っていた。

 顔は見たことなかったが、ランスロットには誰だか理解できた。

 リュシエンヌを傷つけ、殺した相手だ。
 彼女の意思を粉々に打ち砕いた相手。

「死んでくれたおかげで、戦争する理由ができたな」

 リュシエンヌはこんな男と結婚するべきではなかった。

 彼女の選択は間違いだった。

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