お姉さまは最愛の人と結ばれない。

りつ

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アルベリク・モラン

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 乗合馬車を呼び止め、二人は向き合う形で腰掛けた。こうして異性と二人きりになることは初めてのことでクロエは内心緊張する。

(考えてみれば馬車で移動していたのだから付き添いは必要なかったかもしれないわ)

 けれどもう遅い。走り出した馬車にクロエは諦めようと思った。途中まで送ってもらって、あとは適当な理由で帰ってもらおう。

「あの、」

 青年から声をかけられ、クロエはハッとする。

「何でしょう」
「本当はもっとどこか寄る予定だったのではないですか」
「いいえ。特に予定はありませんでしたわ」

 ただなんとなく街の風景を目に焼き付けておきたかっただけかもしれない。

「そうですか……よくお一人で出かけるのですか?」
「いいえ。いつもは友人と出かけます」

 クロエの言葉に青年はちょっと考え、もしかしてと問いかける。

「マティナールの学生ですか」
「ええ」

 頷きながらも自分の個人情報を相手に知られたことを不安に思う。

「女性で勉強するとなると大変でしょう」
「そうですね。でも、面白くてやりがいがありますわ」

 青年はじっとクロエを見つめてくる。彼の癖なのだろうか。なんとなく正面から受け止める気になれず、視線を落とせば彼の手が赤くなっていることに気がついた。

「怪我していますわ」
「えっ……ああ。どこかで切ったのでしょう」

 これくらい気にしないで下さいと言われても、クロエは気になってしまい、ハンカチを取り出した。

「これ、よかったらお使いになって」
「はぁ……」

 青年は受け取ったものの、どうすればよいかわかっていないようであった。お節介だとは思いながらもクロエは右手を差し出すよう言い、傷口にハンカチを巻き付けた。

(昔外で怪我するとお姉さまがこうやって応急手当してくれたわ)

 青年は黙ってクロエの指先を見ていた。

「先程の話の続きですが……あなたはどんな勉強がお好きですか」

 こんな状態で話す彼に少し驚きながらクロエは何だろうかと考えてみる。

「そうですね……哲学の授業は毎回興味深いです」
「哲学ですか。難しそうですね」
「ええ、難しいですわ」
「でもお好きなんですか?」
「先生が生徒の興味を引くよう、まず身近な質問で授業を展開していくんです。それがけっこう楽しみなんです」
「なるほど」

 青年はそれからも質問を重ね、クロエから話を引き出そうとした。あとから振り返れば沈黙で気まずくならないようにという青年なりの配慮だったかもしれない。どこかぎこちない繋であったから。

 学校の近くまでくると馬車から降りて、二人は歩きだした。途中何度もクロエはここまででいいと断ったけれど、青年は何かあったらいけないからとその都度丁寧に固辞した。

「今日はどうもありがとうございました」

 結局学校の門前まで送ってもらい、クロエは青年にお礼を述べた。正直気疲れしてしまった。

「よかったら、」

 別れを切り出さず、青年はクロエの顔をじっと見つめてくる。

「あなたの名前を教えてもらえないだろうか」

 ここへたどり着くまでの間に男の口調は砕けたものへと変わり、親しみがそこにはあった。

 けれど今更な質問である。馬車に乗っている間、聞こうと思えば聞くタイミングはいつだってあった。それなのにそうしなかったのは二人が今日限りの出会いだからだ。名前をいちいち知る必要はない。

「あの、わたし……」
「俺の名前はアルベリク。アルベリク・モランという」

 あなたは? とアルベリクの声はクロエの答えを待ち望んでいた。

「……クロエ。クロエ・バレーヌと申します」

 バレーヌというのは母方の姓である。

「そうか。クロエ。少しの間だが、あなたと話せて楽しかった」
「いいえ、こちらこそ」
「ハンカチは洗って返す」

 その必要はないとクロエは首を振った。

「差し上げますわ」

 いらないなら捨ててくれと言っても、アルベリクは納得がいかなそうであった。

「次も、あなたと会いたい」

 クロエは曖昧に微笑み、縁があれば会えるでしょうと別れを告げた。

「さようなら、モラン様」

 彼と会うことはもうないだろう。来週にはクロエは学校を去る。たとえ彼が足を運んでも意味のないことだ。それに親切な青年だと思っても、結局彼もあの男とそう変わらないではないかと思った。

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