旦那様はとても一途です。

りつ

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第4話

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 リーゼロッテ嬢と一緒になる望みを完全に断たれたおかげか、アルベルトはようやく失恋の痛みから立ち直る兆しを見せ始めた。

 仕事にも専念し、私の手を煩わせることも減った。
 失恋でやる気が出なかっただけで、彼は本来非常に優秀な人間なのだと私は気づいた。

 最初はどうなることかとこの屋敷の使用人や彼の両親はひどく気を揉んでいたらしいが、意外にも私とアルベルトは上手く良好な関係を築けていた。

 まあ、それは夫婦としてではなく、友人としてだったが。

「クラウディア、以前きみが、暇があったら目を通してくれと頼んだ書類はどこにある?」
「その引き出しの、上から三番目にしまってありますわ」
「あなたは秘書としては非常に有能だな」

 最初は皮肉として述べていた言葉も、今は挨拶のようにしてアルベルトは私に述べる。

 これが彼なりの親しみの言葉であると受け止めるくらいには、私たちは互いの存在を許し始めていた。

 それでもたまに失恋の辛さが思い出されるのか、アルベルトは物憂げな表情で窓の外を眺めることがある。

 そういう時、私は彼の従者に素早く目配せし、彼の好物の茶菓子や紅茶を用意させるのだった。お腹が膨れれば、悲しい気持ちなどどこかへ消えてしまうはずだ。少なくとも私の身体はそうできている。

 どうかアルベルトもそうであって欲しいと願いながら、なるべく優しく、明るい声を意識して話しかけた。

「アルベルト様、美味しいお茶を用意させますので、少し休憩にしましょう」
「食欲がないから必要ない」

 あら、断られてしまった。でも大丈夫。これも想定の範囲内だ。

「でしたらアルベルト様、高台から見える景色を見に行きませんか」
「徒歩でいける距離ではないだろう」
「馬に乗っていけば、そう遠くはありませんわ」
「きみは馬にも乗れるのか?」

 それほど驚くこともないと思うが、彼はずいぶんと仰天したように振り返った。

 だが彼が述べる女性というのはたいていリーゼロッテ嬢のような華奢な人が基準なのだと思えば、納得もいく。

 あの小柄な女性が一人で馬に乗るなんて、危なくて絶対に周囲の人間は許さないだろう。

 ちなみに私は乗馬が大好きで、実家にいた頃は気晴らしと称して頻繁に乗っていたものだ。狐狩りも、毎回欠かさず参加していた。

「ぜひ、アルベルト様と一緒に行ってみたいですわ」
「だが……」
「せっかくですもの。行きましょう!」

 結局彼は私に押し切られるようにして外に出ることになった。

 久しぶりに馬に乗って広大な大地を駆け抜けるのは、とても気持ちが良かった。この煩わしい世界から、どこまでも自由になれる気がした。

「ほら、見えてきましたわ」

 やはり外の風にあたるのはよい。
 最初はどこか憂鬱そうな顔をしていたアルベルトも、今は上気した顔で、遠くの景色を眺めている。

 多少無理強いしたところはあったけれど、やっぱり連れてきてよかった。せっかく整った顔立ちをしているんですもの。悲しい顔をなさるなんてもったいない。

「今度はもっと他のところにも行きましょう」

 積極的に外に出させるために、私は彼と次の約束をする。彼は少し迷ったが、頷いてくれた。とりあえず今はこれでいいと私は満足することにした。

 特に話すこともなく、どこまでも続く田園風景を私たちはただ黙って見ていた。ふいにちらりと自分の夫の横顔を覗き見る。

 彼はいつまでリーゼロッテ嬢を愛するのだろうか。悲しみが消えたとしても、彼女を想う心は変わらないままだろうか。

 もしそうだとしたら本当に彼女のことが好きなのだ。

 私には一人の人間をどうしてそこまで愛し続けることができるのか疑問だった。私の父と母が互いを信頼しながらも、他に愛する人を見つけていたからかもしれない。

 互いを繋ぎ止める人間がただ一人など、ありえない。愛などという尊いものは、実はひどく頼りないものだと、もう一人の自分が冷静に指摘してきた。

 アルベルトとリーゼロッテ嬢に最初から良くない印象を持っていたのもそのためだ。

 お互いしか目に入らぬような、代えのきかない存在だと訴える彼らを私は腹の中で嘲笑していたのだ。好きだ、愛しているなどと言っても、結局一時の感情なだけ。別れてしまえば、すぐに相手のことなど忘れてしまう、と。

 だが体調を崩してまで一人の女性を思い続けるアルベルトを見て今は――

「では、そろそろ帰りましょうか」

 私は意味のない思考に終止符を打ち、アルベルトに声をかけた。帰ったら彼の好きな紅茶と茶菓子が用意してある。それで悲しみも紛れるだろう。

「クラウディア」
「はい」

 何でしょうと振り返ると、アルベルトは言うか言うまいか迷っているような微妙な表情をしていた。何だろう。

 もう余計なことはしないでくれって言われるのだろうか。

 私が辛抱強く待っていると、ようやく彼は覚悟を決めたように私の目を見た。

「ありがとう。いろいろと気をつかってもらって」

 まさかのお礼の言葉に私は目を丸くした。返事をするのに一瞬遅れてしまった私を、アルベルトは少しきつい目で見た。

「なんだ」
「いえ、少し驚きまして」
「私だって馬鹿じゃない。きみや、みなが、私が落ち込まぬようにいろいろやってくれていることはわかっている」

 早口でそう説明したアルベルトは、どこか気まずそうで、いつもの刺々しさは鳴りを潜めている。私は今までのお返しにと少し意地悪したくなった。

「それは、それは。初対面の時の態度とはだいぶ違うので、私、アルベルト様のことを誤解しておりましたわ」
「うっ……それは、私も悪かったと思っている。だがあの時は本当に切羽詰まっていたんだ」
「では、もうリーゼロッテ様のことは吹っ切れましたの?」

 私がそう尋ねると、アルベルトは顔を逸らした。

 どうやらまだ諦めきれないようである。まあ、吹っ切れていたら今こんなところに来ていないので、当然と言えば当然の反応だ。

 彼をここまで虜にするとは、本当にリーゼロッテ嬢は罪なお方だ。あるいはアルベルトが一途なだけか。

 それに何も思わないわけではなかった。けれど私は仕方がないなあと笑った。

「いいですよ。あなたの気のすむまで落ち込んで下さい。私はそんなあなたを支えると約束したんですから」

 さあ帰りましょうと鞍の上にとび乗った私を、アルベルトはただ静かに見つめていた。



 気分転換の乗馬作戦はまずまず上手くいった。この調子で、私はアルベルトにもっとリーゼロッテ嬢以外のことで意欲的になってもらおうと、読書やボードゲームなど、興味がありそうなものは何でも勧めた。

 その中でアルベルトは、私が思った以上に芸術にも秀でた男だということが判明した。

 詩の暗誦や、ピアノを奏でてくれたり、素晴らしい歌声を披露してくれたのだ。

「素敵だわ」

 ずっしりとお腹に響くような、それでいて力強い歌声に私はうっとりと目を閉じた。

 音楽にはあまり詳しくない私だが、それでも彼の声は声楽家にでもなれそうなほど素晴らしいものだと思った。

「大げさだな。私が声楽家になれるなら、世の中は歌声であふれている」
「けれど私は本気でそう思いましたわ」

 心にもないお世辞は嫌いだ。
 アルベルトはもっとその才能に自信を持っていい。

 私が真面目な顔でそう述べると、彼は少し面食らった表情をして、視線をそっと逸らした。ひょっとして私にこう言われるのは嫌だったろうか。

「……あなたが正直者だということは、私もよく理解している。その、ありがとう」

 そう言ってぎこちない笑みを浮かべるアルベルト。どうやら照れているらしい。

 私はこの頃、彼の珍しい顔ばかり見ているなと思い、せっかくなのでじっくりと眺めることにした。すると途端に彼は嫌そうな顔をしてそっぽを向く。

「そうしげしげと見ないでくれ」
「あら、だってとても素敵なお顔立ちですもの。どうか恥ずかしがらず、じっくり見せて下さいな」

 すると今度は呆れた表情をするのだ。

「きみなあ……」
「ふふ。その呆れた表情も素敵ですわ」
「ふん。勝手にしたまえ」

 再びそっぽを向く彼が、可愛いと思ってしまったのは内緒だ。

 何気ない日常の積み重ねは、ゆっくりと、だが確実に私とアルベルトの絆を深めていったと思う。

「アルベルト、こちらですわ!」
「待ってくれ、クラウディア」

 彼はいつしか私が彼の名を呼び捨てで呼ぶことを許し、彼もまた私のことを「きみ」とか「あなた」と頑なに呼んでいたのを、しだいに名前で呼んでくれるようになった。

 私が馬で広大な土地を駆け回る姿を、彼はなぜか眩しそうに目を細めて見つめる。

 太陽の光があたって眩しいのかと聞いたが、彼は何でもないとぶっきらぼうに答えた。

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