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15.目覚め
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「ナタリー様は聖なる力を持っています」
「聖なる力?」
ジョナスの言葉にリアンは怪訝そうに顔を上げた。ナタリーが教会で倒れるように床に座り込んだ所をリアンが駆けつけ、すぐに医者に診せるため部屋へと運んだ。それなのになぜか途中から司教やら神学者やらがわらわら寝ている彼女の周りに集まり、代表してジョナスが冒頭の言葉をリアンに伝えたのだった。
「あなたは何を言っているんですか」
「証拠は彼女の掌にあります」
確かめてみて下さいと有無を言わせぬ口調で言われ、リアンは渋々従った。
「これは……」
意識のない彼女に触れる無礼を心の中で詫びながら言われた通りすると、刃物で切られたような赤い傷痕が、たしかにナタリーの右の掌にできていた。
「それは聖痕です」
「聖痕?」
はい、とジョナスはどこまでも真面目腐った表情で頷いた。そう言えば彼は、王都の教会で育てられた孤児だと聞いたことがある。こういうことにも詳しいのだろうか。
「過去、預言者と呼ばれた女性たちにも同じような印が肩や腕、額などにありました。神託を受けた証拠だと、司教や神学者たちは考えました」
「俺にはただの傷痕にしか見えないが」
ナタリーが倒れ込んだ時、どこかにぶつけてできただけではないか。だがジョナスは違いますと首を振った。
「私は彼女のすぐ近くにいましたので、はっきりとこの目で見ました。床へと座り込んだ彼女の掌に、この聖なる証が浮かび上がる様を。決して、怪我などではありません」
「……たとえそれが本当だとして、ナタリーには何か特別な力が与えられたっていうのか?」
「ええ。まだ眠っていらっしゃるので具体的にどんな力を神から授けられたかはわかりませんが、おそらくこのラシア国を救う素晴らしい力のはずです」
私の予想では、とジョナスはじっとナタリーの顔を見つめた。
「治癒能力ではないかと思います」
どんな病気も治し、多くの人を救える力。神に選ばれた者だけが与えられるという力だった。
「預言者の女性たちには神の声が聞こえるだけでなく、不思議な力も同時に与えられました。その力を使い、多くの人の命を救った。だから彼女たちは、聖女、とも呼ばれています」
いつもよりも興奮した様子で話をするジョナスに、リアンは頭がついていけなかった。
「ナタリーが……」
医務室のベッドに寝かされているナタリーに目を向ける。ジョナスや司教たちはとりあえず彼女が目を覚ますまでやることがあるからと部屋をそそくさと出て行った。
(ナタリー。目を開けてくれ。頼む)
リアンは彼女が聖女だろうが何だろうが関係ないと思った。今自分にとって大切なのは愛しい人が目覚めることだけ。それだけだった。
それからナタリーは一ヵ月近く眠り続けた。それはあまりにも長く、リアンは彼女がこのまま一生目を覚まさないのではないかと気が気でなかった。
(頼む。目を覚ましてくれ……!)
そのためなら何でもする。自分の命と引き換えにしたって構わない。
そんなリアンの祈りが通じたのか、ある日の昼下がり、彼女はようやく、弱々しく瞼を開いたのだった。
「ナタリー!」
「リアン。わたし……」
彼女はぐったりとした様子でリアンを見上げた。
「ああ。ナタリー! よかった。本当によかった!」
ぼろぼろ涙を流すリアンに、ナタリーは手を伸ばした。その手を掴み、彼は頬を寄せる。そうして嗚咽まじりに、愛しい人の名を何度も呼んだ。
「おまえが死んでしまうのではないかと思って、ずっと生きた心地がしなかった……」
「ごめんね、リアン」
違う、とリアンは慌てて首を振った。
「いいんだ。こうして目を覚ましてくれただけで」
「リアン。わたし……」
「お目覚めですか、聖女さま」
振り返ると、いつの間にかジョナスが部屋へと入ってきていた。
「ようやく目を覚まされたようで、私も嬉しく思います。聖女さま」
聖女、という言葉にリアンは眉根を寄せる。せっかく目を覚ましたナタリーと自分たちに割って入るように声をかけたことも気に食わない。
「ジョナス、ナタリーはまだ、病み上がりなんだ。話なら後にしてくれ」
そう言って追っ払おうとしたリアンだったが、ジョナスはだめですと首を振った。
「聖女さまにはこれからやっていただかなければならないことが、山のようにあるのです」
「いい加減にしてくれ! だいたいナタリーが聖女だなんて、俺はまだ信じていない!」
はあ、とジョナスはため息をつくと、何を考えたのか懐からナイフを取り出した。ぎょっとしたリアンが思わず立ち上がると、ジョナスは自身の腕をさっと切りつけた。赤い線がスッとでき、血が流れ出すのを、リアンもナタリーも呆然としたように見つめる。
「聖女さま、この傷を癒してください」
ずいっと腕を差し出したジョナスに、ナタリーは青ざめる。リアンがおい、と止めようとしたが、ジョナスはさあと彼女の手を強引に掴んだ。ナタリーの指に、赤い血がつく。
「ジョナス、いい加減に……」
リアンの言葉がそこで途切れた。ナタリーのふれた指先から、淡い光がこぼれ始め、ジョナスの傷口をみるみるうちに塞いでいったからだ。
「どうです? これで信じてもらいましたか」
切られた傷はもはや少しも見当たらず、白い肌がそこにはあった。ジョナスは袖を戻し、リアンの顔を見ると、満足そうにうなずいた。
「これが、聖女の力です」
「聖なる力?」
ジョナスの言葉にリアンは怪訝そうに顔を上げた。ナタリーが教会で倒れるように床に座り込んだ所をリアンが駆けつけ、すぐに医者に診せるため部屋へと運んだ。それなのになぜか途中から司教やら神学者やらがわらわら寝ている彼女の周りに集まり、代表してジョナスが冒頭の言葉をリアンに伝えたのだった。
「あなたは何を言っているんですか」
「証拠は彼女の掌にあります」
確かめてみて下さいと有無を言わせぬ口調で言われ、リアンは渋々従った。
「これは……」
意識のない彼女に触れる無礼を心の中で詫びながら言われた通りすると、刃物で切られたような赤い傷痕が、たしかにナタリーの右の掌にできていた。
「それは聖痕です」
「聖痕?」
はい、とジョナスはどこまでも真面目腐った表情で頷いた。そう言えば彼は、王都の教会で育てられた孤児だと聞いたことがある。こういうことにも詳しいのだろうか。
「過去、預言者と呼ばれた女性たちにも同じような印が肩や腕、額などにありました。神託を受けた証拠だと、司教や神学者たちは考えました」
「俺にはただの傷痕にしか見えないが」
ナタリーが倒れ込んだ時、どこかにぶつけてできただけではないか。だがジョナスは違いますと首を振った。
「私は彼女のすぐ近くにいましたので、はっきりとこの目で見ました。床へと座り込んだ彼女の掌に、この聖なる証が浮かび上がる様を。決して、怪我などではありません」
「……たとえそれが本当だとして、ナタリーには何か特別な力が与えられたっていうのか?」
「ええ。まだ眠っていらっしゃるので具体的にどんな力を神から授けられたかはわかりませんが、おそらくこのラシア国を救う素晴らしい力のはずです」
私の予想では、とジョナスはじっとナタリーの顔を見つめた。
「治癒能力ではないかと思います」
どんな病気も治し、多くの人を救える力。神に選ばれた者だけが与えられるという力だった。
「預言者の女性たちには神の声が聞こえるだけでなく、不思議な力も同時に与えられました。その力を使い、多くの人の命を救った。だから彼女たちは、聖女、とも呼ばれています」
いつもよりも興奮した様子で話をするジョナスに、リアンは頭がついていけなかった。
「ナタリーが……」
医務室のベッドに寝かされているナタリーに目を向ける。ジョナスや司教たちはとりあえず彼女が目を覚ますまでやることがあるからと部屋をそそくさと出て行った。
(ナタリー。目を開けてくれ。頼む)
リアンは彼女が聖女だろうが何だろうが関係ないと思った。今自分にとって大切なのは愛しい人が目覚めることだけ。それだけだった。
それからナタリーは一ヵ月近く眠り続けた。それはあまりにも長く、リアンは彼女がこのまま一生目を覚まさないのではないかと気が気でなかった。
(頼む。目を覚ましてくれ……!)
そのためなら何でもする。自分の命と引き換えにしたって構わない。
そんなリアンの祈りが通じたのか、ある日の昼下がり、彼女はようやく、弱々しく瞼を開いたのだった。
「ナタリー!」
「リアン。わたし……」
彼女はぐったりとした様子でリアンを見上げた。
「ああ。ナタリー! よかった。本当によかった!」
ぼろぼろ涙を流すリアンに、ナタリーは手を伸ばした。その手を掴み、彼は頬を寄せる。そうして嗚咽まじりに、愛しい人の名を何度も呼んだ。
「おまえが死んでしまうのではないかと思って、ずっと生きた心地がしなかった……」
「ごめんね、リアン」
違う、とリアンは慌てて首を振った。
「いいんだ。こうして目を覚ましてくれただけで」
「リアン。わたし……」
「お目覚めですか、聖女さま」
振り返ると、いつの間にかジョナスが部屋へと入ってきていた。
「ようやく目を覚まされたようで、私も嬉しく思います。聖女さま」
聖女、という言葉にリアンは眉根を寄せる。せっかく目を覚ましたナタリーと自分たちに割って入るように声をかけたことも気に食わない。
「ジョナス、ナタリーはまだ、病み上がりなんだ。話なら後にしてくれ」
そう言って追っ払おうとしたリアンだったが、ジョナスはだめですと首を振った。
「聖女さまにはこれからやっていただかなければならないことが、山のようにあるのです」
「いい加減にしてくれ! だいたいナタリーが聖女だなんて、俺はまだ信じていない!」
はあ、とジョナスはため息をつくと、何を考えたのか懐からナイフを取り出した。ぎょっとしたリアンが思わず立ち上がると、ジョナスは自身の腕をさっと切りつけた。赤い線がスッとでき、血が流れ出すのを、リアンもナタリーも呆然としたように見つめる。
「聖女さま、この傷を癒してください」
ずいっと腕を差し出したジョナスに、ナタリーは青ざめる。リアンがおい、と止めようとしたが、ジョナスはさあと彼女の手を強引に掴んだ。ナタリーの指に、赤い血がつく。
「ジョナス、いい加減に……」
リアンの言葉がそこで途切れた。ナタリーのふれた指先から、淡い光がこぼれ始め、ジョナスの傷口をみるみるうちに塞いでいったからだ。
「どうです? これで信じてもらいましたか」
切られた傷はもはや少しも見当たらず、白い肌がそこにはあった。ジョナスは袖を戻し、リアンの顔を見ると、満足そうにうなずいた。
「これが、聖女の力です」
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