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6、初めてのさぼり
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ニコルは次の日も、私と昼食を共にした。彼は意外とおしゃべりなのか、それとも会話が苦手な私に遠慮してか、たくさん話してくれた。私も不器用ではあるが、相槌を打ち、時折自分でも話題を提供した。
そのうち一緒に食べることが、いつしか当たり前となっていった。ううん。もう、お昼だけじゃない。
「次、移動教室だって」
「あ、うん」
ポカンとしていたニコルは、慌ただしく教科書を取り出す。
「そんなに急がなくても大丈夫だから」
ニコルはうん、と勢いよく頷いた。やっぱり急いでいるように見えて、私は思わず笑ってしまう。あ、とニコルが驚いたように口を開けた。
「なに?」
「えっ、あっ、ううん。何でもない」
ぶんぶん首を振るニコルは、どう見ても何かあったように見える。でも本人が何でもないと言っているなら、これ以上は聞くまい。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん」
教室を出る瞬間、くすりと嫌な笑いが聞こえた。
「ぼっち同士でつるんじゃってるよ」
一人よりずっといいよ。
平気だと思っていても、ポツンと一人で廊下を移動するのは辛いことだった。それがわかったのは、隣にいるニコルのおかげだ。
「ねえ、ドーラ」
「なに?」
先ほどの彼女たちの言葉を気にしてか、ニコルは心配そうな声をして言った。
「僕と一緒にいて、大丈夫?」
「お昼も一緒に食べているし、今さらじゃない?」
「それはそうだけど、でもこれは」
わかっている。昼食を一緒にとっていることは、あくまでもこっそりとだった。それが今は、堂々と歩いている。私たちは仲がいいですよって、周りに教えている。
「変な勘違いとか、されるんじゃないかな」
「いいよ」
「へ」
間抜けな声に、私はもう一度はっきりと言った。
「だからニコルとなら、私、別に勘違いされてもいいって言っているの」
ぼふん、という音が、ニコルの顔からした。いや、何言っているのだと言われそうだが、本当にすごい音がしたのだ。
「そ、そ、それって……」
「友達だと思われてもいいってこと」
「へ、と、友達?」
「そう、友達」
そんなに顔を真っ赤にすることだろうか。
「そ、そっか! 友達か! あはは、そうだよね!」
ぶんぶん手を振りまわすニコルに、周囲の冷ややかな視線が突き刺さる。
「ニコル。とりあえず落ち着いて」
このままじゃ、もっと別の意味で目立ってしまう。ほら、きゃあ、という黄色い声が――
私とニコルは声の方を振り返った。視線の先にたくさんの女子生徒に囲まれた、一人の生徒。
ああ、同じ学校に通っているから仕方がないけど、やっぱり見たくなかったな。
アルフレッドの周りには、たくさんの女の子と、可愛い色をした花びらが舞っていた。花びらを出現させて、ひらひらと宙に舞わせる。アルフレッドの魔法だ。
私にもよく見せてくれたっけ。でも、もう彼が私に見せることはない。
ぼうっと見ていると、なぜか彼がこちらを振り向いた。懐かしい、榛色の目だ。私はとっさに顔を逸らした。
――何を今さら動揺しているんだ。
彼とはもう婚約破棄して、赤の他人に戻ったのだ。私とは、何の関係もない。感情を乱す必要なんか少しもない。堂々していればいいじゃないか。
どんなに言い聞かせても、私の心臓はばくばくと暴れまわり、胃がきりきりと痛んだ。どうしよう。どうしよう。
「行こう、ドーラ」
立ち止まっていた私を、ニコルの手が引っ張る。行き交う人々の視線を感じたが、ニコルが私の手を離すことはなかった。
「……ニコル。どこへ向かっているの」
行き先は音楽室のはずなのに、ニコルの向かう方向はどうみても違う。いつも昼食をとる第三校舎の建物が見えてくる。お昼にはまだ早い時間のはずだが。
「ドーラ。きみ、授業さぼったことある?」
ニコルは逆に問いかけてきた。戸惑いつつも、私は正直に質問に答える。
「生まれてから一度もないよ」
真面目な答えに、なぜかニコルは笑った。思わずムッとしてしまう。
「どうして笑うの」
「ごめん。きみらしいなって」
仕方がないじゃないか。授業料はもったいないし、勉強するのはそんなに嫌いじゃないし。
「そういうニコルは?」
「僕は時々してたよ。仮病だって嘘ついたりしてね」
「……ニコルって意外と不良だったんだね」
そうだよ、と振り返ったニコルの唇は弧を描いている。
「ドーラも道ずれだよ」
こうして生まれて初めて、私は授業をさぼった。
不謹慎ではあるが、とてもわくわくした。
「さぼりって、何するの?」
「何をしたって、いいんだよ」
私たちは第三校舎を隅々まで探検することにした。と言っても、どの教室も机と椅子が並べてあるだけで新鮮さはない。めったに使われていないので埃っぽく、鼻がむずむずしてしまった。
それでも馬鹿みたいにはしゃいで、私たちは教室を見て回った。
「今頃みんな、退屈な授業を受けているんだね」
「そうだね」
最上階の窓から私たちはぽっかりと浮かぶ雲を見ていた。本当は屋上に行きたかったが、残念ながら施錠してあった。でも、窓から空を眺めるのも悪くない。
暇つぶしに私は水を作り出す。ぐるぐると回る輪っかの水に、太陽の光が降り注ぐ。
「ねえ、ニコル」
「なんだい」
水はきらきらと輝き、とても綺麗だった。
「今日はありがとう」
私が落ち込んでいたから、元気づけようとしてくれたのだろう。わざわざ一緒に授業をさぼってくれてまで。ニコルは照れくさそうに頬をかきながら、うんと頷いた。
「あの人……ドーラの婚約者?」
「うん。正確には元婚約者だけどね」
そうか。ニコルは転校してきたばかりで詳しいことは知らないのか。私は簡単にだが、アルフレッドのことや、婚約破棄された事情を話した。
「……酷いやつだね、そいつ」
口をへの字にして、ニコルは言った。彼にしてはどこか刺々しい物言いだった。
「私、自分でも思った以上にアルフレッドのこと好きだったみたい」
「きみを、見捨てたのに?」
「うん。好きだったから。信じていたから、傷ついたんだと思う」
本当は気づいて欲しかった。手を差し伸べて欲しかった。アルフレッドに、助けて欲しかった。アルフレッドなら、助けてくれると思っていた。
勝手に期待して、勝手に裏切られた。たったそれだけのことが、こんなにも苦しくて、悲しいことだなんて初めて知った。
「……ドーラは、彼との記憶、消したい?」
唐突に、ニコルがそんなことを聞いた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんとなく。ただ今のドーラが……とっても辛そうだから」
記憶を消す、か。
「消えたら、楽なんだろうね」
「じゃあ――」
「でも、もう大丈夫だと思う」
ニコルは本当? と不安そうな声で聞いた。私はうんと自信をもって頷く。
「本当だよ。それに、ニコルがいるし」
「へ」
「もしまた私が落ち込んだら、一緒にさぼってくれる?」
そう言ってニコルの顔を覗き込むと、彼はまたすごい音をさせた。
「も、もちろんだよ……」
耳まで真っ赤にして、ニコルは引き受けてくれた。
そのうち一緒に食べることが、いつしか当たり前となっていった。ううん。もう、お昼だけじゃない。
「次、移動教室だって」
「あ、うん」
ポカンとしていたニコルは、慌ただしく教科書を取り出す。
「そんなに急がなくても大丈夫だから」
ニコルはうん、と勢いよく頷いた。やっぱり急いでいるように見えて、私は思わず笑ってしまう。あ、とニコルが驚いたように口を開けた。
「なに?」
「えっ、あっ、ううん。何でもない」
ぶんぶん首を振るニコルは、どう見ても何かあったように見える。でも本人が何でもないと言っているなら、これ以上は聞くまい。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん」
教室を出る瞬間、くすりと嫌な笑いが聞こえた。
「ぼっち同士でつるんじゃってるよ」
一人よりずっといいよ。
平気だと思っていても、ポツンと一人で廊下を移動するのは辛いことだった。それがわかったのは、隣にいるニコルのおかげだ。
「ねえ、ドーラ」
「なに?」
先ほどの彼女たちの言葉を気にしてか、ニコルは心配そうな声をして言った。
「僕と一緒にいて、大丈夫?」
「お昼も一緒に食べているし、今さらじゃない?」
「それはそうだけど、でもこれは」
わかっている。昼食を一緒にとっていることは、あくまでもこっそりとだった。それが今は、堂々と歩いている。私たちは仲がいいですよって、周りに教えている。
「変な勘違いとか、されるんじゃないかな」
「いいよ」
「へ」
間抜けな声に、私はもう一度はっきりと言った。
「だからニコルとなら、私、別に勘違いされてもいいって言っているの」
ぼふん、という音が、ニコルの顔からした。いや、何言っているのだと言われそうだが、本当にすごい音がしたのだ。
「そ、そ、それって……」
「友達だと思われてもいいってこと」
「へ、と、友達?」
「そう、友達」
そんなに顔を真っ赤にすることだろうか。
「そ、そっか! 友達か! あはは、そうだよね!」
ぶんぶん手を振りまわすニコルに、周囲の冷ややかな視線が突き刺さる。
「ニコル。とりあえず落ち着いて」
このままじゃ、もっと別の意味で目立ってしまう。ほら、きゃあ、という黄色い声が――
私とニコルは声の方を振り返った。視線の先にたくさんの女子生徒に囲まれた、一人の生徒。
ああ、同じ学校に通っているから仕方がないけど、やっぱり見たくなかったな。
アルフレッドの周りには、たくさんの女の子と、可愛い色をした花びらが舞っていた。花びらを出現させて、ひらひらと宙に舞わせる。アルフレッドの魔法だ。
私にもよく見せてくれたっけ。でも、もう彼が私に見せることはない。
ぼうっと見ていると、なぜか彼がこちらを振り向いた。懐かしい、榛色の目だ。私はとっさに顔を逸らした。
――何を今さら動揺しているんだ。
彼とはもう婚約破棄して、赤の他人に戻ったのだ。私とは、何の関係もない。感情を乱す必要なんか少しもない。堂々していればいいじゃないか。
どんなに言い聞かせても、私の心臓はばくばくと暴れまわり、胃がきりきりと痛んだ。どうしよう。どうしよう。
「行こう、ドーラ」
立ち止まっていた私を、ニコルの手が引っ張る。行き交う人々の視線を感じたが、ニコルが私の手を離すことはなかった。
「……ニコル。どこへ向かっているの」
行き先は音楽室のはずなのに、ニコルの向かう方向はどうみても違う。いつも昼食をとる第三校舎の建物が見えてくる。お昼にはまだ早い時間のはずだが。
「ドーラ。きみ、授業さぼったことある?」
ニコルは逆に問いかけてきた。戸惑いつつも、私は正直に質問に答える。
「生まれてから一度もないよ」
真面目な答えに、なぜかニコルは笑った。思わずムッとしてしまう。
「どうして笑うの」
「ごめん。きみらしいなって」
仕方がないじゃないか。授業料はもったいないし、勉強するのはそんなに嫌いじゃないし。
「そういうニコルは?」
「僕は時々してたよ。仮病だって嘘ついたりしてね」
「……ニコルって意外と不良だったんだね」
そうだよ、と振り返ったニコルの唇は弧を描いている。
「ドーラも道ずれだよ」
こうして生まれて初めて、私は授業をさぼった。
不謹慎ではあるが、とてもわくわくした。
「さぼりって、何するの?」
「何をしたって、いいんだよ」
私たちは第三校舎を隅々まで探検することにした。と言っても、どの教室も机と椅子が並べてあるだけで新鮮さはない。めったに使われていないので埃っぽく、鼻がむずむずしてしまった。
それでも馬鹿みたいにはしゃいで、私たちは教室を見て回った。
「今頃みんな、退屈な授業を受けているんだね」
「そうだね」
最上階の窓から私たちはぽっかりと浮かぶ雲を見ていた。本当は屋上に行きたかったが、残念ながら施錠してあった。でも、窓から空を眺めるのも悪くない。
暇つぶしに私は水を作り出す。ぐるぐると回る輪っかの水に、太陽の光が降り注ぐ。
「ねえ、ニコル」
「なんだい」
水はきらきらと輝き、とても綺麗だった。
「今日はありがとう」
私が落ち込んでいたから、元気づけようとしてくれたのだろう。わざわざ一緒に授業をさぼってくれてまで。ニコルは照れくさそうに頬をかきながら、うんと頷いた。
「あの人……ドーラの婚約者?」
「うん。正確には元婚約者だけどね」
そうか。ニコルは転校してきたばかりで詳しいことは知らないのか。私は簡単にだが、アルフレッドのことや、婚約破棄された事情を話した。
「……酷いやつだね、そいつ」
口をへの字にして、ニコルは言った。彼にしてはどこか刺々しい物言いだった。
「私、自分でも思った以上にアルフレッドのこと好きだったみたい」
「きみを、見捨てたのに?」
「うん。好きだったから。信じていたから、傷ついたんだと思う」
本当は気づいて欲しかった。手を差し伸べて欲しかった。アルフレッドに、助けて欲しかった。アルフレッドなら、助けてくれると思っていた。
勝手に期待して、勝手に裏切られた。たったそれだけのことが、こんなにも苦しくて、悲しいことだなんて初めて知った。
「……ドーラは、彼との記憶、消したい?」
唐突に、ニコルがそんなことを聞いた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「なんとなく。ただ今のドーラが……とっても辛そうだから」
記憶を消す、か。
「消えたら、楽なんだろうね」
「じゃあ――」
「でも、もう大丈夫だと思う」
ニコルは本当? と不安そうな声で聞いた。私はうんと自信をもって頷く。
「本当だよ。それに、ニコルがいるし」
「へ」
「もしまた私が落ち込んだら、一緒にさぼってくれる?」
そう言ってニコルの顔を覗き込むと、彼はまたすごい音をさせた。
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