買われた平民娘は公爵様の甘い檻に囚われる

りつ

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2、突然の出来事

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「セシリア」

 自分の名前を呼ばれ、セシリアは後ろを振り返った。後ろで三つ編みにした亜麻色の髪が揺れ、大きな焦げ茶色の瞳がぱちぱちと瞬く。

「ハンス」

 太い眉に日に焼けた肌をした、小さい頃から付き合いのある幼馴染が片手を振ってこちらへ駆け寄って来る。セシリアが持っていた籠の中身を見ると、笑みを浮かべた。

「林檎じゃないか。一つくれよ」

 返事を聞く前にひょいと取って、さっそく一口齧ったのでセシリアは呆れる。

「もう。勝手に食べないでよ」
「悪い悪い。お詫びに今度、薬草摘むのを手伝うよ」
「本当?」
「ほんとほんと。ついでに俺んちの卵もやるよ」

 ハンスの家が飼っている鶏の卵をやると言われ、セシリアは顔を綻ばせた。

「じゃあ許してあげる」
「現金なやつ」
「何か言った?」
「いえいえ。それより家に帰る途中なんだろう。危ないから送って行ってやるよ」

 林檎の籠も重いだろうとひょいと奪われ、代わりに持ってくれる。

「そんなこと言って、少しでも家の仕事をさぼりたいからでしょう」
「まさか。田舎だからって油断しちゃダメだぜ? それにセシリアは鈍臭いところがあるからな。俺が目を光らせとかないと」
「なにそれ」

 恩着せがましい言い方であるが、ハンスとはもうずっとこんな感じなので、今さらである。それにセシリアの方も遠慮なく言い返すので、気安い仲とも言えた。

「俺の親父がさ、口を開けば腰が痛い、領主様は小作人である俺たちの苦労なんてちっとも知らないって、愚痴ばかりでさ。息抜きしないとやってられないわけよ」
「そうなの……。でもおじさんも年だからいろいろと大変なんでしょう」
「そりゃあそうかもしれないけどさぁ……セシリアだって、あのおばさんにいろいろ言われるのはきついだろう?」

 叔母のことを口にされ、セシリアは言葉に詰まる。するとすぐにハンスはまずいことを言ってしまったと、「悪い」と謝った。

「俺より、おまえの方が肩身が狭いよな」

 素直に「うん」とも言えず、セシリアは曖昧に笑った。
 そんな態度にますますハンスは同情の眼差しを向けてくる。

 両親が流行病で呆気なく亡くなった後、まだ幼かったセシリアを母方の叔母夫婦が引き取ってくれた。血の繋がりがあるとはいえ、自分の家族を養っていくのでも大変な状況で、さらに姉の子どもを一緒に育てることはかなり負担となっただろう。

 叔母たちが自分をどこか疎ましく思う理由は他にもあった。どちらかといえば、こちらが最たる理由であろう。

 セシリアも事情を知った時は複雑な気持ちになった。

「しっかし、おまえの親父さんも、すごいよな」

 一緒になるために駆け落ちするなんて、と続くハンスの言葉に、セシリアは黙って頷いた。そしてすぐにやるせないような、自嘲めいた気持ちになる。

(大変な思いをして一緒になったのに、あんなに早く亡くなってしまうなんて……)

 運命とは残酷なものだ、とまだ大して生きていないセシリアでもそう思ってしまうくらいに、両親の死は痛ましい思いと共に心に刻まれていた。

「でもさ、それだけ二人は愛し合っていた、ってことだろう?」

 ハンスが慰めるようにそう言えば、セシリアも微笑んで頷く。

「ええ。とても仲が良かったと聞くわ」
「だったら、それを悪く思うのは良くないよな」

 彼なりに励まそうとしているのがわかり、セシリアは笑みを深めた。ハンスが照れ臭そうに笑い、セシリアの名前を呼ぶ。

「大変なのは、あと少しだと思うぜ」
「どうして?」
「だっておまえはさ、もうすぐ十八だろう? 結婚して、家を出るってことじゃないか」
「……でも、まだそんな話出ていないわ。それに相手もいるかわからないし」

 と、そこでセシリアはハンスの方を見た。こちらを見ずに前を歩く彼の横顔はどこか緊張した面持ちで、また耳がうっすらと赤くなっていた。ハンスを見ていたセシリアの胸に、ふと甘い期待が押し寄せる。

 彼女の速くなった心臓の鼓動を聞いたようにハンスが立ち止まり、足元を見つめながら、ぼそりと言う。

「まぁ、なんだ。もし行く当てがなかったら、俺がも、もらってやるから」
「わたし、ハンスのお嫁さんになるの?」
「……ああ。おまえが、なってもいいなら」

 掠れた声でハンスが言う。セシリアは何だかくすぐったい感じがして、つい笑ってしまいそうな、おかしな気持ちになった。  

「うん。誰もいなかったら、なってあげてもいいかな」
「なにその上から目線」
「ハンスの真似」

 笑って答えれば、ハンスは呆れて、でもセシリアの笑顔につられたように笑みを返した。

 道端であっさりと結婚の約束をするなんてロマンチックの欠片もないが、自分たちらしくていいかもしれない。

「じゃあ、まぁそういうことで。そろそろ帰るぞ」
「うん」

 とはいえ、セシリアの家はもうすぐそこだった。叔母夫婦に彼女の子どもたち五人  を含めた家族で暮らすには、少々窮屈に感じる小さな家で――

「あれ」
「どうした? ……なんだ、あの馬車」

 家の外見には不釣り合いな立派な馬車が見え、ハンスと一緒になって首を傾げる。

「お貴族様が乗るような馬車だな」
「本当ね……何かあったのかしら」

 こんな辺鄙な田舎まで、しかも自分の家に場違いな馬車が止まっているので、なんだかセシリアは不安になった。ハンスから籠を受け取って別れると、すぐに家の扉を開けた。

 食事をする大きなテーブルがまず目に入り、叔母夫婦に見慣れない男性――服装など見るからに自分たちとは違う人間が椅子から立ち上がった。

「ちょうどよかった。きみがセシリアかね」
「え? はい、そうですけれど。あの、あなたは……」

 男性は怯むセシリアの様子など微塵も気にせず無遠慮に距離を詰めると、しげしげと顔を覗き込んできた。

「ふむ……素材は思ったより悪くない。これならば、何とかなるかもしれない」
「あの?」

 困惑するセシリアをよそに、男性は叔母夫婦の方を見ると、「では、そういうことでよろしいかね」と何かを確認するように告げた。不安そうな顔で男性を見ていた叔母たちは逆らうことなく、「どうぞよろしくお願いいたします」と深々と頭を下げたので、いよいよセシリアは訳が分からない。

「ではセシリア。すぐに出かける準備をしなさい」
「出かける?」

 これからどこかへ連れて行かれるのだと何となく理解したセシリアは、怯えを滲ませて男性に問い返す。彼は事情を呑み込めない彼女に苛立ったような表情をし、「そうだ」と命令するような冷たい口調で断言した。

「詳しいことは道中話す。だから今すぐに準備を……いや、もうそのまま馬車に乗りなさい。一刻も早い方がいい」
「え……、あ、待って、待ってください!」

 男性がセシリアの腕を掴んで強引に引っ張る。林檎の入った籠を床へ落としてしまっても、彼は止まってくれなかった。

 問答無用で自分を連れて行こうとする男性にセシリアは怖くなって、叔母夫婦に助けを求めた。

「叔母さん!」

 しかし彼女たちは後ろめたそうな様子で顔を逸らしただけであった。

「……セシリア。あんたもこの家のために役立てる時がきたんだ。だから――」

 最後まで聞くことは叶わず、バタンと扉が男性によって閉められた。外へ連れ出されたセシリアは無理矢理馬車へ押し込まれてしまう。

「さぁ、出してくれ!」

(うそ!)

 セシリアは動き出した馬車に、人攫いのようにしてこのまま連れて行かれる状況に言葉を失う。

 誰かに――先ほどまで会っていたハンスに助けを求めるよう、外を眺めたが、彼はもはや帰った後らしく、セシリアを引き留めてくれる者は誰もいなかった。

 きっとハンスは、馬車に乗ってきた人間がセシリアに用事があるとは夢にも思わなかったはずだ。

 セシリアも同じ思いだった。自分を連れ出すために男性が訪れたなんて……。


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