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13、帰郷
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本格的な夏が到来した。王都の夏は田舎よりも蒸し暑く、毎日過ごすのが息苦しく感じられた。
それはもうずっと前から王都で暮らしている貴族たちも同じなのか、この季節は田舎の領地や涼しい避暑地で過ごすという。クライヴも毎年公爵家の領地に帰っていると聞いていたので、今年もそうするのかなと思っていたが――
「えっ。わたしの故郷へ?」
「そうだ。きみの住んでいた土地を治める領主に頼んで、空いている屋敷を貸してもらえることになったから、今年の夏はそこで過ごそうと思っている」
クライヴは新聞から顔を上げ、呆けた表情をしているセシリアを見た。
「何かまずかったか?」
「あっ、いえ……その、まさか故郷へ帰れるとは思わなくて……驚いてしまって」
「きみはこちらへ来てから、ずっと帰っていないのだろう?」
間を置いた後、小さく頷く。
結婚式には叔母たちは呼ばれなかった。体面を気にして伯爵が呼ばなかったからでもあり、叔母たちも自分たちの立場を弁えていた。手紙で祝いの言葉が届いただけであった。
伯爵が考えた設定では、叔母たちは一度は両親を亡くしたセシリアを引き取ったものの、育てきれず、やむを得ず修道院に預けた……ということになっているので、余計に顔を合わせるのが気まずいわけだ。
「一度、顔合わせをした方がいいだろう」
「あの、でも……」
伯爵の言葉を気にして、セシリアは言い淀む。
「ダウニング卿に言われたことは気にしなくていい」
クライヴの様子だと、何もかも全てお見通しのように見えた。
考えてみれば、クライヴほどの大貴族が伯爵の言うことを何もかも信じて結婚するとは思えない。事前にこちらのことを調査するのが普通で、さらに公爵家の権力を駆使すれば、ある程度はもうばれている気がした。
とすると、理解した上で自分と結婚してくれたのは、やはり世間体のためだろうか……。
「それより、ここのところ体調が良くないときみのメイドから聞いた。故郷に戻れば、少しは骨休めになるだろう」
(……もしかしてわたしのために考えてくださったのかな)
「私も、そこの領主と一度会ってみたいと思っていたから、良い機会だ」
農作物の収穫量が他の地域と比べて多いらしい。何か秘策があるのか調べたいそうだ。
(なんだ。クライヴ様にも、目的があったのね)
自分のためだけに考えてくれたわけではないと知り、少しがっかりする。
しかし、久しぶりに故郷へ帰ることができると思うと、胸がわくわくした。
◇
伯爵家へ連れて来られた時、セシリアは何も持たされず、身一つで故郷を離れた。
しかし今度はたくさんの荷物を荷馬車に詰め込み、厳選されたとはいえ使用人たちも数人引き連れて帰郷することになった。
「楽しみですね、奥様」
タバサにボンネットの紐を結んでもらいながらセシリアははにかむ。
「ええ。すごく楽しみ」
クライヴと共に馬車に乗り、二人きりの空間で長時間拘束されても、ゆっくりと移り変わる景色に――懐かしい景色に目を奪われて、ちっとも気にならなかった。
(帰ってきた……!)
故郷を離れた日のことが蘇ってきて、辛くて悲しい気持ちも込み上げてくる。でもそれ以上に帰れた喜びで胸がいっぱいになった。
道中宿で泊まって時間をかけて目的地へ向かっている間もセシリアの心はずっと落ち着かなかった。
生まれ育った古くて狭い家。ハンスと一緒に歩いた田舎道。あの懐かしい林檎の木。
(早く帰りたい。早く!)
食い入るように窓の景色を見つめるセシリアを、クライヴがじっと見ていることには気づかなかった。
◆
見慣れた景色が増えたと思ったが、領主が貸してくれるという屋敷へ行く道はセシリアには馴染みのないもので、こんな場所にあったのかと新たな発見をした思いだった。
「――着いたぞ」
「わぁ……」
赤茶色のレンガ造りの瀟洒な建物に、セシリアは感嘆の声を上げる。
雑木林の中に隠されるようにして、ここら辺ではめったにお目にかかれない立派な建物である。王都のタウンハウスと同じか、それより少し大きい。
クライヴたちが使うと知らされてか、掃除もされて、領主の使用人たちも出迎えてくれた。クライヴは軽く挨拶すると、食事の準備をするよう言い、セシリアを手招きして部屋を見ようと誘った。
「こちらの部屋は奥様が読書なさったり、手紙を書いたりできるようにと、手配しております」
三階の東側に面した部屋はバルコニーがあり、日当たりがよかった。小さな本棚には屋敷の主人が気に入っている詩集や図鑑があり、埃が被らないよう布がかけられていた。白いチェストや一人用のソファも可愛らしい。
それほど広くはないが、小さい部屋にわくわくするものがぎゅっと詰め込められている感じがセシリアは気に入った。妻の満足気な様子に気づいたクライヴも、暇な時はここで過ごすといいと勧めてくれた。
それから遅めの昼食を済ませ、引き続き部屋の案内をしてもらったり荷解きを手伝っていると、その日はあっという間に終わった。
次の日。クライヴと共に領主へ挨拶しに行き、そのまま夕食をいただく流れとなった。領主は葡萄酒が注がれたグラスを空にするペースが速く、うっすらと頬を朱に染めながら近くに座るセシリアに微笑んできた。
「あなたのご家族も、さぞ鼻が高いでしょうな」
領主の言う「家族」とはセシリアの叔母夫婦を指していた。
「小屋のような粗末な家も建て替えて、雨漏りがなくなったと喜んでいたそうですよ。あなたのお陰でしょう。ですが畑仕事が少々疎かになっているのは困りますな」
セシリアを引き取る際に手切れ金として伯爵が渡したお金が使われたのだろう。
その後も安定した金が入ってくるとわかり、少し怠惰な生活になってしまっているようだ。
「彼らに会ったら、あなたからも言ってくれませんかね」
「ええ、そうしてみますわ……」
「いやぁ、それにしてもあなたが公爵様のような方と結婚するとは、人生何が起こるかわかりませんね。ね、公爵様もそう思うでしょう?」
「そうですね。それよりこの葡萄酒、とても美味しいですね」
「おお、わかりますか。そうなんですよ。実は酒好きの知り合いに頼んで譲ってもらったもので……」
話題が葡萄酒の話に変わり、セシリアは内心安堵する。
だが聞かされた叔母たちのことを考えると、憂鬱な気持ちになった。そんなセシリアをクライヴはちらりと見ていたのだが、やはり気づかなかった。
それはもうずっと前から王都で暮らしている貴族たちも同じなのか、この季節は田舎の領地や涼しい避暑地で過ごすという。クライヴも毎年公爵家の領地に帰っていると聞いていたので、今年もそうするのかなと思っていたが――
「えっ。わたしの故郷へ?」
「そうだ。きみの住んでいた土地を治める領主に頼んで、空いている屋敷を貸してもらえることになったから、今年の夏はそこで過ごそうと思っている」
クライヴは新聞から顔を上げ、呆けた表情をしているセシリアを見た。
「何かまずかったか?」
「あっ、いえ……その、まさか故郷へ帰れるとは思わなくて……驚いてしまって」
「きみはこちらへ来てから、ずっと帰っていないのだろう?」
間を置いた後、小さく頷く。
結婚式には叔母たちは呼ばれなかった。体面を気にして伯爵が呼ばなかったからでもあり、叔母たちも自分たちの立場を弁えていた。手紙で祝いの言葉が届いただけであった。
伯爵が考えた設定では、叔母たちは一度は両親を亡くしたセシリアを引き取ったものの、育てきれず、やむを得ず修道院に預けた……ということになっているので、余計に顔を合わせるのが気まずいわけだ。
「一度、顔合わせをした方がいいだろう」
「あの、でも……」
伯爵の言葉を気にして、セシリアは言い淀む。
「ダウニング卿に言われたことは気にしなくていい」
クライヴの様子だと、何もかも全てお見通しのように見えた。
考えてみれば、クライヴほどの大貴族が伯爵の言うことを何もかも信じて結婚するとは思えない。事前にこちらのことを調査するのが普通で、さらに公爵家の権力を駆使すれば、ある程度はもうばれている気がした。
とすると、理解した上で自分と結婚してくれたのは、やはり世間体のためだろうか……。
「それより、ここのところ体調が良くないときみのメイドから聞いた。故郷に戻れば、少しは骨休めになるだろう」
(……もしかしてわたしのために考えてくださったのかな)
「私も、そこの領主と一度会ってみたいと思っていたから、良い機会だ」
農作物の収穫量が他の地域と比べて多いらしい。何か秘策があるのか調べたいそうだ。
(なんだ。クライヴ様にも、目的があったのね)
自分のためだけに考えてくれたわけではないと知り、少しがっかりする。
しかし、久しぶりに故郷へ帰ることができると思うと、胸がわくわくした。
◇
伯爵家へ連れて来られた時、セシリアは何も持たされず、身一つで故郷を離れた。
しかし今度はたくさんの荷物を荷馬車に詰め込み、厳選されたとはいえ使用人たちも数人引き連れて帰郷することになった。
「楽しみですね、奥様」
タバサにボンネットの紐を結んでもらいながらセシリアははにかむ。
「ええ。すごく楽しみ」
クライヴと共に馬車に乗り、二人きりの空間で長時間拘束されても、ゆっくりと移り変わる景色に――懐かしい景色に目を奪われて、ちっとも気にならなかった。
(帰ってきた……!)
故郷を離れた日のことが蘇ってきて、辛くて悲しい気持ちも込み上げてくる。でもそれ以上に帰れた喜びで胸がいっぱいになった。
道中宿で泊まって時間をかけて目的地へ向かっている間もセシリアの心はずっと落ち着かなかった。
生まれ育った古くて狭い家。ハンスと一緒に歩いた田舎道。あの懐かしい林檎の木。
(早く帰りたい。早く!)
食い入るように窓の景色を見つめるセシリアを、クライヴがじっと見ていることには気づかなかった。
◆
見慣れた景色が増えたと思ったが、領主が貸してくれるという屋敷へ行く道はセシリアには馴染みのないもので、こんな場所にあったのかと新たな発見をした思いだった。
「――着いたぞ」
「わぁ……」
赤茶色のレンガ造りの瀟洒な建物に、セシリアは感嘆の声を上げる。
雑木林の中に隠されるようにして、ここら辺ではめったにお目にかかれない立派な建物である。王都のタウンハウスと同じか、それより少し大きい。
クライヴたちが使うと知らされてか、掃除もされて、領主の使用人たちも出迎えてくれた。クライヴは軽く挨拶すると、食事の準備をするよう言い、セシリアを手招きして部屋を見ようと誘った。
「こちらの部屋は奥様が読書なさったり、手紙を書いたりできるようにと、手配しております」
三階の東側に面した部屋はバルコニーがあり、日当たりがよかった。小さな本棚には屋敷の主人が気に入っている詩集や図鑑があり、埃が被らないよう布がかけられていた。白いチェストや一人用のソファも可愛らしい。
それほど広くはないが、小さい部屋にわくわくするものがぎゅっと詰め込められている感じがセシリアは気に入った。妻の満足気な様子に気づいたクライヴも、暇な時はここで過ごすといいと勧めてくれた。
それから遅めの昼食を済ませ、引き続き部屋の案内をしてもらったり荷解きを手伝っていると、その日はあっという間に終わった。
次の日。クライヴと共に領主へ挨拶しに行き、そのまま夕食をいただく流れとなった。領主は葡萄酒が注がれたグラスを空にするペースが速く、うっすらと頬を朱に染めながら近くに座るセシリアに微笑んできた。
「あなたのご家族も、さぞ鼻が高いでしょうな」
領主の言う「家族」とはセシリアの叔母夫婦を指していた。
「小屋のような粗末な家も建て替えて、雨漏りがなくなったと喜んでいたそうですよ。あなたのお陰でしょう。ですが畑仕事が少々疎かになっているのは困りますな」
セシリアを引き取る際に手切れ金として伯爵が渡したお金が使われたのだろう。
その後も安定した金が入ってくるとわかり、少し怠惰な生活になってしまっているようだ。
「彼らに会ったら、あなたからも言ってくれませんかね」
「ええ、そうしてみますわ……」
「いやぁ、それにしてもあなたが公爵様のような方と結婚するとは、人生何が起こるかわかりませんね。ね、公爵様もそう思うでしょう?」
「そうですね。それよりこの葡萄酒、とても美味しいですね」
「おお、わかりますか。そうなんですよ。実は酒好きの知り合いに頼んで譲ってもらったもので……」
話題が葡萄酒の話に変わり、セシリアは内心安堵する。
だが聞かされた叔母たちのことを考えると、憂鬱な気持ちになった。そんなセシリアをクライヴはちらりと見ていたのだが、やはり気づかなかった。
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