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ED. 2016 6/5 「雨とカプチーノ」
しおりを挟む湿度の高い室内。
昼時で人々の騒ぎ声でむせかえる狭い店内。
喧騒から少し離れた窓際に彼は居た。
初めて見る顔のような気もするが、ずっと前からいたような気もする。
そのくらい毎日雰囲気が違っていた。
彼のすることはひたすら真っ白の紙とにらめっこをし、思いつき、描いてはぐちゃぐちゃにして、また思いついて描いてはぐちゃぐちゃにしての繰り返しだった。
私は振り返って屑箱から溢れて床に落ちたゴミ…となってしまった紙を拾い、広げた。
そこで気付いた。彼の雰囲気が毎日変わる理由が。
その日書いている詩の言葉と合わせて彼は姿を変えていたのだ。
彼の詩には本当の魂が宿っていた。
こういうのを天才って言うんだろうか。
「なんでぐちゃぐちゃにするの?こんなにきれいなのに。」
「インクがきれいなだけだよ。僕の筆じゃこのインクの美しさを超えることは出来ない。今はね。」
「もっと読ませて。」
文字が、言葉が、胸に染みた。
陳腐な表現かもしれないが、それ以上私の力では言い表すことが出来ない。
飲みかけのカプチーノを一息に飲み干し、彼の真正面に座った。
「名前、なんて言うの?」
「……エイミー、とか。」
「適当でしょ、絶対。じゃあ私もなんでもいいよ。」
彼はすっかり黙ってしまった。
初対面にしては踏み込みすぎたかな。
秒針が鳴った。
窓には水滴が滴っていた。
机をとんとんとん、と鳴らす音が聞こえた。
じっとなにかを考えてるエイミーの指が机の上で小刻みに動いていた。
彼女は気付く。
「カンパネラ?」
そう聞くと彼はハッとして指を引っ込めた。
「私もしてるんだ、ピアノ。」
すると、ぶっきらぼうに彼は言った。
「もうしてないよ。」
そして彼の筆が止まった。
秒針が鳴った。
雨はあがっていた。
しばらくして彼が言った。
「少し、歩こうか。」
通りには濡れたコンクリートの匂いが充満していて、それはまるで梅雨の訪れを告げるようだった。
富士見通りを通って歩いて行くと、一台のグランドピアノが目に入った。
なるほど、弾きに来たんだ。
「何を弾くの?」
私がそう聞いても
彼は黙ったままだった。
黙ったまま椅子に座ると空気が静まるのも待たずに「ラ・カンパネラ」を弾き始めた。
きめ細かい音粒がひたすら美しく並んでいくような演奏。
だが、顔は苦悩に歪んでいた。
歪む顔の割に彼が創る音楽はひたすらにまっすぐ、綺麗だった。
静寂を守らねばならない。そのような威圧感のある整然とした演奏だった。
演奏が終わり私が拍手をしていると
彼は不満足そうな顔で立ち上がりながら
「次は君だよ」
と言った。
挑戦的なセリフではあるがその言葉に攻撃性は無かった。諦めすらも感じられた。
指の震えを感じながら、言われるがままに彼女はピアノ椅子に座った。
そして、彼女もまた「ラ・カンパネラ」を弾いた。
……息を呑んだ。彼女の演奏に。
僕がパラパラと拍手をすると、彼女は我に返ったように立ち上がって、「初めて通せた!」と喜んでいた。
なるほど、これが才能ってやつか。
静寂から次へ進もうとする意思のある音楽だった。
彼女だったら僕の音楽を完成することが出来るのだろうか。
「エイミーの演奏を先に聴いたからかな?
指の行き先が、鍵盤の道筋が見えたんだ。」
彼女が1人で歓声をあげる。
我に返ったように応える。
「そっか僕はエイミーだったね。」
「自分で命名して忘れちゃってるじゃん、エイミー。」
と彼女が笑い、そして言う。
「エイミー、私の名前はもう決めた?」
僕はずっと前からそのセリフを待ちわびていたかのようにしてようやく口に出す。
エイミーは言った。
「それなら、君はエルマだ。今から君はエルマだよ。」
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退会済ユーザのコメントです
読んでいただきありがとうございます。この文章はヨルシカさんの「だから僕は音楽をやめた」と「エルマ」というアルバムを基にしています。
全部の話のタイトルが曲名になっているので、もし宜しかったら調べてみてください。
布教みたいになっちゃってごめんなさい笑