フェリシアン・シンドローム

九條 連

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第3章

第1話(2)

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 ずっと俯きがちで、かおの造作すらわかりづらかった相手とはじめてまともに目が合う。
 なにものにも無関心で、それどころかすべてを徹底的に拒むような雰囲気を持ち合わせていた相手が見せた、思いがけない反応。その意外すぎる反応に、群司のほうが逆に動揺をおぼえた。え?と思う気持ちと、そんな反応をさせてしまうような目つきで見ていただろうかという焦りが生じた。同時に、その容姿が想像を遙かに超えて整っていたことも、心臓の鼓動を跳ね上げる要因になったかもしれない。

「あっ、と……いや、その……っ」
 自分でもなにを言うつもりかよくわからないまま、群司は咄嗟に呟いていた。

「えっと、すみません。あの、俺……」

 だが、言葉を重ねようとするまえに、ふたりのあいだに流れていた緊張は途切れた。
 群司を捕らえていた視線が逸らされる。同時に、直前に見せた反応さえ見間違えであるかのように、スッと表情が消えた。拒絶の幕が下りたのが、目に見えるようだった。
 素の感情が露わになった瞬間、表層に浮かび上がった本来の華やかさは急速になりをひそめ、瞬く間に周囲の空気に融けこんで目立たなくなった。そのあざやかな変容に、今度は群司が息を呑む番だった。

 やはりなにを言うべきか言葉が見つからないまま、それでも声をかけるとっかかりを見つけようと群司は口を開こうとする。と、そのとき。

「お~、群ちゃん、お疲れ!」

 すぐわきを通りかかった人物に声をかけられた。先日、飲みの席に誘ってくれたバイオ医薬研究部の坂巻だった。

「あ、ども。お疲れさまです」
 群司もあわてて挨拶をする。立ち上がりかけた群司を、坂巻はいいからいいからと気さくな調子で制した。

「めずらしいね。今日は外行かないんだ。あんま社食ここ、使わないでしょ、群ちゃん」
「あ~、そうですね。社員じゃないんで、どうも敷居高くて。けど、さすがに今日の天気だと外に出るのは億劫で」
 結局お邪魔させてもらいましたという群司に、坂巻は愉しげに笑った。

「いやいや、そんな遠慮することないでしょ。群ちゃんだって立派にうちのメンバーなんだからさ。充分利用する資格あるわけだし、気兼ねせずにガンガン使いなさい……って、おお、さすが若人。カレー大盛りか」
 食べ途中の皿を覗きこんで、坂巻は感心したように目を瞠った。
「いや、並盛り、のはずだったんですけどね」
 なぜかこうなっちゃいました、と群司は苦笑する。坂巻は途端に、カ~ッと呻いて額に手をやり、天を仰いだ。

「食堂のおばちゃんまでイチコロかよ! イケメンの威力、ハンパねえなっ」
「いや、たぶん見るからに学生なんで、オマケしてくれたんじゃないですかね」
「謙遜、謙遜。群ちゃんは男の俺から見てもイイオトコよ? おばちゃんの依怙贔屓えこひいきに感謝して、しっかり食いなさい。若いんだから」

 坂巻はからからと笑う。目の前の人物が、不意に立ち上がった。視線を向けると、やや食べ残した状態の食器の載るトレイを手に、席を離れる。あ、と思ったが、ここで引き留めるわけにもいかない。群司はその姿を目の端で追った。

「あ~、午後は会議か。はじまるまえから疲れたよ。もう帰って寝たい」
 群司の様子にも気づかず、坂巻はぼやいた。そして、

「群ちゃんもスタミナつけて、午後も頼むね。ってか、巻きこんで悪かったな。ちゃんと食事摂る時間あってよかった」
 俺もたったいま五分でうどん掻っこんだとこだよと、うんざりした様子で嘆いた坂巻は、腕時計を確認して「やべっ」と小さく叫んだ。群司がつい先程まで追われていた資料作りは、坂巻を中心とするグループが予定している会議に使用するためのものだった。

「俺、先行くけど群ちゃんはゆっくりしてってな」

 そう言い置いてあわただしく立ち去っていく。あとに残された群司は、その背を見送って小さく息をついた。
 あらためて見やったその先で、返却コーナーに食器を戻した細身の人影が、食堂から出て行くところだった。
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