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第17章

第1話(2)

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「けど、そこからはもう必死。医者からくわしく説明受けたけど、全然納得いかなくて。だって結局、なにをどうしても病気の進行を遅くするくらいのことしかできないっていう話になるんだもん」
 話しているうちに、片側の縄がほどける。坂巻はそこで、倒れていた椅子を引き起こして群司を座らせ、あらためてもう片方の縄を解くために傍らに跪いた。

「打つ手がないっていうなら、俺がなんとかしなきゃって思ったんだ。病気のこといろいろ調べて、有効な治療薬、自分で創り出せないかって文献片っ端から漁って、職場でもいろんなこと試してみて。でもね、圧倒的に時間がたりないの」
「坂巻さん……」
「発症してからの生命の刻限はわずか数年。たったそれだけの時間で治療薬なんて開発できるわけないよね。そんなときに俺も、例の噂にたどり着いたんだよ。どんな病でも、遺伝子レベルで正常化させて完治させることができる魔法の薬。藁にも縋る思いって、こういうことなんだなって痛感した」

 不治の病に冒された妻を救うため、必死で情報を掻き集めた日々。

「もうほんと、びっくりしたよね。その魔法の薬を開発してるのが、まさか自分の勤めてる会社だったなんてさ」
 坂巻は乾いた笑いを漏らした。

「調べて調べて調べて、ようやく貴重な情報にたどり着いて、マージナル・プロジェクトの存在まで探り当てて。けど、俺にはなぁんにも打つ手がないの。薬の存在も、プロジェクトの存在も極秘扱いで、社員なのに近づくことさえできない。かみさん――佳菜恵の生命と引き替えにしてまでほしいものなんてなにもないって心から願って、薬が手に入れられるならどんなことでもする、いくらかかってもかまわない、全財産なげうっても惜しくないって本気でそう思ってたのに、俺たち庶民にはどこにも入手ルートがなくて」

 足を固定していたもう一方の縄もほどくと、坂巻は群司の背後にまわって手錠をはずしにかかった。どこかで、鍵を手に入れてきたらしかった。

「うちのかみさんの場合、運悪くメチャクチャ進行が早くてさ。なんかもう毎日、一分一秒が惜しくて、早くなんとかしなきゃ、どんな手使ってでも手に入れなきゃって焦りまくって。もちろん自力で症状を抑えこめる薬を開発できたらって、研究のほうにも力は入れたけど、当然ながらそう簡単にはいかなくて」

 ある話を持ちかけられたのは、焦りと苛立ちに押し潰されそうになっていたときだったという。このままでは間に合わない。最愛の伴侶を喪ってしまう。追いつめられ、どうにもならない運命を呪いはじめたとき――

「フェリスに関する機密をできるかぎりくわしく調べて情報を流してくれれば、その情報をもとに開発した新薬を優先的に提供してやる。福知山ふくちやま薬品の開発部の人間からそう持ちかけられてね、俺は一も二もなく飛びついた」

 手錠の鍵がはずされて、拘束から解放された群司は立ち上がり、坂巻と向きなおった。
 坂巻の口から告げられたのは、業界で天城製薬と一、二を争うライバル会社の名前だった。
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