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第17章
第1話(1)
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「さ、坂巻さ……っ」
思わず声を上擦らせて愕然とする群司を見下ろして、坂巻はかすかに笑った。
ゲッソリと窶れ、眼窩が落ち窪んで痩けた頬にはびっしりと無精髭が生えている。藤川に匹敵する変容ぶりだったが、それでも、坂巻の瞳には正気の色があった。
「平気? どっか、怪我とかしてない?」
「だい、じょぶです」
「ごめんね、遅くなって。ほんとはもっと早く来てあげたかったんだけどさ。俺も見つからないようにずっと逃げまわってて。待ってて、いまはずしてあげるから」
「あの、なんでここに……」
しゃがみこんだ坂巻は、群司の上半身をパイプ椅子に固定している縄をほどきにかかった。
「俺ね、しばらくまえからこの屋敷に監禁されてたの」
「監禁!? それ、ほんとなんですか?」
「あ、ごめん、動かないでじっとしてて」
注意されて、群司はすみませんと正面に向きなおる。
「かみさん亡くなって、諸々の手続きとか葬儀とか、ひととおり済んですぐくらいのときかな。家でひとりでぼんやりしてたところに黒服の男たちが押し入ってきて、有無を言わせず気絶させられて、気がついたら、みたいな」
縄をほどく作業をつづけながら、坂巻は軽い口調で説明した。
「なんでそんな……」
「会社の機密いろいろ探ってたから、目、つけられてたんだと思う。手に入れた情報、他社に流すつもりだったし」
とんでもない爆弾発言に、群司はさらにギョッとした。
「なんでって思うでしょ? そんなスパイみたいな真似」
「思います。坂巻さんみたいな優秀な人がわざわざそんなこと」
「ごめんね、汚い大人で。これから社会に出てくっていう子の夢と希望を打ち砕くようなことしちゃってさ」
坂巻は笑った。
「けど俺も、しかたなかったんだよね。どうしても手に入れたかったんだ、『魔法の薬』」
ちょうどそこで、躰に巻きついていた縄がほどけた。足もとに移動した坂巻は、今度はふくらはぎと足首を拘束する縄をほどきはじめる。
「俺のかみさん、病気が原因で亡くなったんだけど、結婚してわりといくらもしないうちに発症しちゃったんだよね。ALSって病気、群ちゃん知ってる?」
何気ない口調で訊かれて、群司は息を呑んだ。
「身体中の筋肉が痩せ衰えていくっていう、原因不明の……」
「そう。遺伝とか関係なくて、治療法も確立されてない難病」
硬く縛られた縄をほどきながら、坂巻は淡々と話をつづけた。
「最初はね、全然わかんなかったの。なんか、なんにもないとこで突然転んだ、とか言い出して、そそっかしいなぁ、気をつけろよってふたりで笑ってたの。けどさ、だんだん様子がおかしくなってきたんだよね。渡したはずの皿とかコップ取り落としたり、歩きかたが不自然になってきたり。足に力が入りづらいとか言い出して」
心配になって大学病院で検査を受けさせたところ、最初は異常は見当たらず、原因不明という診断だったという。それでも日増しに違和感が増していったため、受診する科を変え、検査を重ねていく中で病名が判明したとのことだった。
「もう頭ん中真っ白でさ。こんな仕事してんのに、情けないよね」
坂巻は力なく笑った。
思わず声を上擦らせて愕然とする群司を見下ろして、坂巻はかすかに笑った。
ゲッソリと窶れ、眼窩が落ち窪んで痩けた頬にはびっしりと無精髭が生えている。藤川に匹敵する変容ぶりだったが、それでも、坂巻の瞳には正気の色があった。
「平気? どっか、怪我とかしてない?」
「だい、じょぶです」
「ごめんね、遅くなって。ほんとはもっと早く来てあげたかったんだけどさ。俺も見つからないようにずっと逃げまわってて。待ってて、いまはずしてあげるから」
「あの、なんでここに……」
しゃがみこんだ坂巻は、群司の上半身をパイプ椅子に固定している縄をほどきにかかった。
「俺ね、しばらくまえからこの屋敷に監禁されてたの」
「監禁!? それ、ほんとなんですか?」
「あ、ごめん、動かないでじっとしてて」
注意されて、群司はすみませんと正面に向きなおる。
「かみさん亡くなって、諸々の手続きとか葬儀とか、ひととおり済んですぐくらいのときかな。家でひとりでぼんやりしてたところに黒服の男たちが押し入ってきて、有無を言わせず気絶させられて、気がついたら、みたいな」
縄をほどく作業をつづけながら、坂巻は軽い口調で説明した。
「なんでそんな……」
「会社の機密いろいろ探ってたから、目、つけられてたんだと思う。手に入れた情報、他社に流すつもりだったし」
とんでもない爆弾発言に、群司はさらにギョッとした。
「なんでって思うでしょ? そんなスパイみたいな真似」
「思います。坂巻さんみたいな優秀な人がわざわざそんなこと」
「ごめんね、汚い大人で。これから社会に出てくっていう子の夢と希望を打ち砕くようなことしちゃってさ」
坂巻は笑った。
「けど俺も、しかたなかったんだよね。どうしても手に入れたかったんだ、『魔法の薬』」
ちょうどそこで、躰に巻きついていた縄がほどけた。足もとに移動した坂巻は、今度はふくらはぎと足首を拘束する縄をほどきはじめる。
「俺のかみさん、病気が原因で亡くなったんだけど、結婚してわりといくらもしないうちに発症しちゃったんだよね。ALSって病気、群ちゃん知ってる?」
何気ない口調で訊かれて、群司は息を呑んだ。
「身体中の筋肉が痩せ衰えていくっていう、原因不明の……」
「そう。遺伝とか関係なくて、治療法も確立されてない難病」
硬く縛られた縄をほどきながら、坂巻は淡々と話をつづけた。
「最初はね、全然わかんなかったの。なんか、なんにもないとこで突然転んだ、とか言い出して、そそっかしいなぁ、気をつけろよってふたりで笑ってたの。けどさ、だんだん様子がおかしくなってきたんだよね。渡したはずの皿とかコップ取り落としたり、歩きかたが不自然になってきたり。足に力が入りづらいとか言い出して」
心配になって大学病院で検査を受けさせたところ、最初は異常は見当たらず、原因不明という診断だったという。それでも日増しに違和感が増していったため、受診する科を変え、検査を重ねていく中で病名が判明したとのことだった。
「もう頭ん中真っ白でさ。こんな仕事してんのに、情けないよね」
坂巻は力なく笑った。
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