青い鳥  ~ロクデナシの彼と生真面目な彼女(仮

真朱マロ

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初恋の部:愛莉

見えない彼と偽りの私3

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 先輩は本当に寂しがり屋なのか、些細なことでも甘えるばかりだった。
 少しでも私と離れるのを嫌がって、どこにでもついてくる。

 さすがに、トイレやお風呂は目が見えないとわかっていても、困ってしまった。
 問答無用でテレビの前に置き去りにしたら、ぼんやりと行き場のない様子で膝を抱えて、ずっと私を待っていた。
 その背中は、抱きしめたくなるぐらい、寂しいものだった。

 だけど、私が部屋に足を踏み入れると同時に、驚くほど様子が変わるのだ。
 パッと表情が生き生きと血が通ったように華やいで、声や仕草が艶めいた。
 ねぇねぇとちょっとしたことでも私を呼びつけて、ネコのようにひたすら甘えてくるし。

 懐かれているのかもしれないけど。
 触れることができないソファーの反対側に私が座ったら、先輩はひどいと口をとがらせた。
 だけど、そこにいてくれるならいいやと歌うようにつぶやいて、今夜はずっと一緒だね~なんてくすぐったそうに笑っていた。

 テレビを見ても、DVDを見ても、先輩は番組の内容なんてどうでもいいようだった。

 なぜか、私の反応ばかり楽しんでいた。
 お風呂の介助も老人ホームの話をしたらものすごくショックを受けていて、俺は見ず知らずの爺さんと同レベルかとよろけていた。

 それからお風呂に誘うような、セクハラめいた発言は控えめになったけど。
 だけど、干物みたいなジジイと一緒なら大丈夫だよねと、ボディークリームを背中に塗るのを手伝ってとか、新手の嫌がらせに変わった。

 本当に恥ずかしくなるような身体接触も、当たり前の調子で子供のように求めてくる。
 それでも毅然として断るとあっさり引くから、本気で求めていないらしい。

 お風呂の中でもドクターの言葉を無視して包帯をとって頭を洗おうとするし。
 私が怒ったらはにかんだように口元をほころばせて、ゴメンと謝っていたけど。
 ちゃんと包帯を巻きなおしてくれないとお風呂から出ないと変な頑張り方をして、しばらく無視したら勝手にのぼせそうになっていた。

 やることが子供以上に幼いので、私もつい諭すような口調になってしまう。
 そのたびに、うん、とはにかむようにうなずいて、してやったりみたいな笑みを口元に浮かべているので、この問題行動ってわざとじゃないかしら? とあらぬ疑惑が湧く。

 もしかして、からかわれているのかしら?

 先輩の好きな桃の香りがするクリームは本当にお肌がすべすべになって、お風呂上がりに使いなよと勧められたので、自分も欲しくなった。

 とはいえ、先輩の使う日用品は私が特売で買う物などと桁がいくつも違う。
 シャンプー一本でも一万円近いし、とても手に入れられないような高級品だった。
 本当に、物語の中から抜け出たような人だ。

 一緒に寝るのだけはどうしても抵抗があったけど、容態が急変した時に困るともっともらしい事を言うので、私が折れた。
 真ん中に巨大な熊のぬいぐるみを置いてみた。
 クローゼット代わりの部屋の真ん中に、大切そうに置いてあったのを持ちだしてきたのだ。

 それでも同じ布団の中だとあんまり意味はない気がしたけれど、私の意思をくんだのか先輩は暑いとぼやくだけだった。
 添い寝は他をあたってくださいと断ると、冷たいなとすねながらも楽しそうだった。
 少しふてくされながらも、同じベッドなら我慢してあげると、上から目線で物を言うのが先輩らしかった。

 ただ、なんにもしないと言いたげなその優しい声音に、なんだか個人的にも受け入れてくれたのがわかってしまう。
 枕元に置かれたままの避妊具が生々しかったので、本当にそんな気のない様子に私はホッとしていた。
 私が寝ましょうと言うと、少しだけ先輩は言葉に詰まっていた。

「俺、夜が苦手」

 恥かしげに、ポツンともらした。
 夜にシンと沈む静寂が怖いと声が震えたので、甘えではなく本気で怯えているのがわかった。
 本当に子供みたいだと、つい笑ってしまった。

 それでも夜を怖がる存在は、幼い弟で慣れていた。
 確かにとても広いこんな家の中で、一人きりだと怖いぐらい静かだ。

 なんとなく、ほっとけなかった。
 見えないから、灯りをつけても意味がないし。

 不安が少しでも和らげばいいと、ぬいぐるみ越しに手を伸ばした。
 先輩のひんやりとした長い指がからむ。

 その戸惑いがちな優しい触れかたに、なぜかドキリとした。
 慈しむって、こんな感じかもしれない。

 そっと手をつなぐと熊を抱く形になって、私と先輩は「暑い」と同時に笑ってしまった。
 それでも、つないだ手をそのままにしていた。

 キングサイズの大きなベッドに、人間サイズの熊のぬいぐるみと、川の字に寝ている。
 そのありえなさが、夢に相応しい気がした。

 私たちは、儚い夢の時間を共有している。

 先輩の眠りは浅い。
 私が起きたら、不安げに目を覚ます。

 綺麗で、優しくて、薄情で、繊細な人。
 目が見えたらその場で私のことなんて忘れてしまうのに、今だけでいいと全て求める人。
 朝の挨拶と同じように、キスしようとか、SEXしようとか、当たり前に誰でも誘える人。
 好きな人としか触れ合うことなんてできないと答えても、俺のことを好きになれば問題ないよねと、罪のない笑顔を見せる人。

 他の女の人とも、ここで寝てるんだろうな。

 そのことに気付くと、少し落ち着かなかった。
 だけどそんな強引な行動を、私にだけは全く取らなかった。

 壊れ物のように、そっと扱われている。
 そっとつながった手や、オズオズと触れる指先は不思議なほど優しくて、ずっとこの時間が続くのだと勘違いしそうだった。

 私の居場所はここではないのに。

 先輩との毎日は音楽のようになめらかで、不思議なほど綺麗な日々を過ごしていた。
 ほんの少し言い争いをして、同じことで笑って、同じ物を食べて、同じ場所で眠る。

 少しづつ、先輩に向かって想いが降り積もる。
 もう少しでこの夢が終わるとわかっているから、時々は胸が締め付けられそうになる。
 だけど、あと少しでいいからこのままでいたくて、先輩が戸惑いながら伸ばしてくる手を、そっと握りかえすことしかできなかった。

 時々、携帯にかかってくる家族からの電話だけが、私を日常に引き戻す。
 それでも里帰り中の祖母も従兄のジェイクも、すっかりドイツに染まっていた。
 当たり前に彼らの言葉で私も話していると、先輩は「どこの国?」と不思議そうだった。

「秘密です」

 笑ってごまかしながら、先輩の中にいるアイリーンは、私とは全く違う姿をしたドイツ人に違いないとポツンと思った。
 先輩が心を開いて甘えている夢の時間にいるアイリーンは、仕事ができて、大人で、おそらく私なんか想像もつかない程の美人だろう。
 誤解されているから約束の一週間が過ぎると、自分の日常に戻れるという安心感もあった。

 たとえ道ですれ違っても、先輩は私に気付きもしない。

 それでいいはずなのに。
 この時間全てを夢か幻に変えてしまうには先輩に感情移入し過ぎて、想像だけで心が乱れてしまう。

 冬真先輩は、とても孤独だった。
 どこまでもまっすぐに側にいてほしいと気持ちを向けてくるのに、現実にはそんなことはありえないと最初からあきらめている。

 その寂しい背中は、私の保護欲をかきたてる。

 時々いつもの癖なのか、他の女の人にするよう艶めかしく触れかけて、やめた。
 ハッと気付いたように手を引いて、それでも温もりから離れるのがひどく不安な様子だった。

 ためらいながらも、ソロソロと伸ばしてくる。
 手を振り払われることを恐れていた。
 壊れ物のように私の手を握るか髪に軽く触れるぐらいで、無理に抱いたりつかんだりすることもなかった。

 耳をすまし、気配をたどって、一途なほどに私の存在を確かめている。
 他に何もいらないから側にいてと無心に頼られて、心が揺れない訳がなかった。

 私、本当はどうしたいのだろう?

 榊さんは診察以外でも、毎日顔を出す。
「監視だけでいいのに。貴女は本当に世話好きなんですね」
 なぜか微笑みながら、おかしそうにそんな言葉をかけられた。

 もちろん足りない物を買ってきてくれたり、先輩の容態を気にしていたりもするのだけど。
 私のことも観察しているようだった。
 先輩に自分のことを話すのも、このまま顔を見せずに消えるのも、私の好きにすればいいと一任されてしまった。

 榊さんはやわらかな笑顔で、全て見透かしていた。
 私の迷う心を突いてくる。

 自分のことを全て打ち明けてもいいと言われると少し気恥かしいけれど、ハイともイイエとも、今の私には答えることなどできなかった。

 榊さんは先輩が見えないからとはいえ、当たり前に目の前で今後のことを話す。
 もちろん、ドイツ語だ。
 私の家は週に一度、ドイツ語の日があるので当たり前に話せるけど、榊さんも大学時代にドイツ語を専攻していたと涼しい顔だった。
 私は居心地が悪かったけれど、先輩が子供みたいにからんでくるので、これでいいのだと笑うしかなかった。

「二人だけの世界を作るなんて、ずるくない?」
「悔しかったら勉強しなさい」

 ドイツ語がまったくわからなくて抗議する先輩を、そんなふうに榊さんはからかっていた。
 この二人、本当に仲がいい。
 子供のように先輩をあしらいながらも、榊さんは私をドイツ語で諭した。

「後悔だけはしないように、自分自身の一番納得できる方法を探して下さい」
 そんなふうに、やわらかく笑う。

 そして、生活費は持ち帰りなさいと言い、更に金額の部分が空白の小切手を一枚私に渡した。
 我儘で迷惑な人の面倒をみた自分の働きの価値を、百万でも一億でも書きいれればいいと言われて、私は困ってしまった。
 こんなものでしか感謝の気持ちを表すことのできない人が冬真様のご両親なんですと、榊さんは遠い目をしていた。

 返す言葉もなかった。
 限度額はありませんからお好きにどうぞと付け足されて、それがどういうことか理解するまでに時間がかかってしまった。

 ただの女子高生の私には、どうしていいかもわからなかった。
 小切手を受け取ったけれど、そのペラペラした紙の頼りなさに、なぜか涙がこぼれた。

 榊さんはかすかに微笑んだ。
 ハンカチを私の手に握らせると、榊さんは何も言わずにそのまま帰っていった。

「え? なに? なんかあったの?」

 会話がわかっていない先輩には、突然榊さんが帰ったようにしか思えなかったのだろう。
 非常に狼狽していたけど、私には答えることなんてできなかった。

 ただ、小切手を握りしめた。
 なんて薄っぺらくて軽いんだろう。
 お金なんかどうでもいいのに。

 先輩の孤独が、そのまま形になっていた。
 寝ているのと死んでいるのが変わらないと、吐きだした乾いた声が蘇る。
 生きている実感など欠片もない時間や、目覚めたときに誰もいない静寂が、置き去りにされたままの先輩の全てなのだ。

 やっと、先輩の言葉の意味が、私の胸に響いた。

 どうか今すぐここにきて、目の見えない間だけでもいいから、息子さんを抱きしめてあげてください。
 小切手だけを送りつけてきた人たちに、そう伝えることができるなら。

 私は何もいらない。
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