兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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本編・月の綺麗な夜でした

そのに 仮初めの番犬

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 満ちていた月が欠け、欠けた月がまた満ちていく。
 その繰り返しは、一人暮らしでは寂しいものでしかなかったけれど、二人暮らしとなってからは揺れる心そのままに似ていた。

 いつまでと期限を切らなかったローは、あれからミントの家に居ついていた。
 それどころか、ひとつふたつと季節が過ぎても、当たり前の顔で一緒に暮らしている。
 はじめは戸惑っていたミントも、この奇妙な同居人にすぐに慣れてしまった。

 相変わらず正体不明のままだが、ローはとても魅力的な青年だった。
 ミントが22歳だと言うと、非常に驚いた顔で「嬢ちゃん、俺のみっつ下かよ。子兎みてぇな顔していても、大人じゃねーか」と失礼なことを言ってきたから、青年自身はベテラン臭を醸し出す童顔ではなく、そのまま見た目通りの年齢らしい。

 小柄なミントと並ぶとより背が高くみえるが、ローは痩躯ながら武人らしい鍛えあげた身体をしている。
 腰まである長い黒髪を一つに束ね、紅玉のようにきらめく瞳は鋭い。
 いわゆる美丈夫の類で、野性味のある表情がローの性格をよく物語っていた。
 思わず見惚れてしまうほど整った顔立ちも、つかみどころのない飄々とした立ち振る舞いも、内に秘めた凄烈な勇猛さを隠し切れずにいた。
 かといって得物を腰に下げておらず、武装も軽装である事から、自分の魔力で武器を編む魔法戦士なのだろうとミントは予想している。

 ローはどこまでも自由だった。
 一階にあるミントの部屋の隣を堂々と占拠して、朝起きれば朝食をねだり、昼間は街でその日限りの護衛や用心棒といった仕事を請負ったり、風のように姿をくらましたり、自分勝手に行動しているものの、夕刻を過ぎたら当然の顔でミントの治療院に帰宅して夕食を所望する。

 ローは若い武人らしく健啖家でもあるから、よく食べよく飲んだ。
 誰かのために作る料理というのは嬉しいもので、知らず知らず毎日の手料理にも力が入ってしまい、食事をふるまうことにミントは喜びを感じるようになっていた。
 悠々自適というか、飄々としすぎていて驚くばかりだが、カラリとした性格とさばけた物言いで憎めないのが困りものだった。

 ともすればタダ飯喰らいのヒモと揶揄されそうな状態なのに、神の手から請け負った依頼内容すら口にしない。
 そして師匠の居場所も「無事ならそれでいーじゃねぇか」と知らぬ存ぜぬで通すから、ミントから師匠に手紙を出して依頼内容を尋ねることもできない。

 ミントの都合を考えた行動はしているものの、ロー側からの相談とか報告はほぼなかった。
 けれど、たまに治療に街へ出向けば、当然の顔で付き添って送り迎えもしてくれる。
 急患に飛び出し行き先を言い忘れた時も、ミントの居場所を簡単に探し出し、当然の顔で迎えに来る。
 出先の治療が長引き遅くなると「俺のおごりだ。たまには食って帰ろうぜ」と食堂に引っ張り込まれるし、ふらりと出かけた後で土産を持ち帰ることも多くて、嬉しいけれどどうしていいかわからなくなる。
 家族でも友人でもないのに気が付くと胸の内に入り込んでいて、ほど良い心の距離を掴めない。
 ずっと育ててくれた師匠と比べても、あまりにも近すぎるのだ。

 不思議なことに、小さな街のハズレにある個人の治療院なので、明らかに武人とわかる男が居ついたのは不審だろうに、誰も気にしていなかった。
 むしろ三年定住していても仕事以外で人と関わらないミントよりも、親密な距離感でその懐に入り込み、街の住人から「番犬のにーちゃん」と親しみを込めて呼ばれて馴染んでいる。

 街の人たちの言葉の端々から想像するに、古傷の治療をうける間は治療費代わりにミントの護衛的な事もしている、という設定らしい。
 ちゃんとした護衛や用心棒的な仕事の長期依頼も、気を利かせた街の住人からもらうこともあるが、あっさり断っていた。
 下手な理由をつくらず「嬢ちゃんの番犬だからずっとはムリだな、悪ぃ」と快活にいなしているから、なぜか「古傷の治りが悪い、治癒師のお嬢ちゃんだけの手負いの番犬」として扱われているようだ。

 他人を謀るのも甚だしい「手負い」の噂も、ミントはあえて訂正することもなく、その方が都合がいいのだろうなと思っている。
 信憑性を持たせるためか人前で何度かローにも治癒術も施してみたけれど、不調など何一つない健康優良児すぎて、周囲の人たちの心配顔が本気だからこそ、どんな顔を作ればいいのかもわからなかった。

 番犬のにーちゃんとして気楽に過ごすローの要領の良さにあきれていたら、ミントに向かって「飼い主になった気分はどうだ?」などと意地悪なことも聞いてくるから質が悪い。
 どこからどう見ても従順な番犬ではなく、獰猛な獣なのだから人間になつく訳がない。
 そんな風に感じているから、いつもミントは返事に困り言葉に詰まってしまうが、ローは呵々とばかりに笑って大きな手でクシャクシャと頭をなでて終わる。

 あぁ、相手にされていないんだな。とわかって、それが少し切ない。
 それでも、だ。

「昼は帰れねぇから、良い子にしてな。ご主人様は番犬抜きで勝手に出歩くんじゃねーぞ」

 そんなふうに言われてしまうと、出会った時の警戒や自分のそっけなさも忘れて、どうしようもなく頬が熱くなった。
 いつの間にかほだされてしまい「いってらっしゃい」や「おかえり」を言う事にも、ミントは慣れてずっと続けばいいとさえ願ってしまう。
 ふと正気に戻った瞬間に「あぁ、このままではダメだ」と思うのに、気が付くと目がローの姿を追ってしまうのだ。

 恋になど堕ちたりしないと生涯の誓いを立てたはずが、簡単に気持ちは理性を裏切る。

 笑ってくれた。喜んでくれた。
 呆れた顔でも、ミントの行動を受け入れてくれている。
 そんなささやかな連続に、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。
 とはいえ、そんな風にほだされているのはミントばかりだ。

 ローの態度は、最初から何ひとつ変わらない。
 人間と同居しているというよりも、気まぐれで獰猛な野生の獣が、ほんの一時居ついただけなのだ。
 もし、まかり間違って捕まえて飼育しようとしたなら、その瞬間に姿を消すだろう。
 そんな確信があった。

 けれど、なんでもない時間の連続はあたたかく、身の内を毒のように侵していく。
 師匠といる時には感じることのなかった、失う事への不安がミントの中で広がっていた。

 傍にある快活な笑顔が当たり前になって、側にいる事すら怖い。
 今だけの幸せを抱きしめるように、時間を過ごせばよいはずなのに、ふと心に影が射す。
 これはいずれ失う縁だと、自分に言い聞かせても心が揺れてしまう。

 ローは師匠の依頼でミントのところへやってきただけで、その依頼が完了したら風のように去っていく人だ。
 あっさり訪れるだろう別れの日は、さほど遠くないとわかっているので、その日を思うと心が揺れてしまった。

 この人を好きだと思うたびに、泣きたくなる。
 なんて不毛なのだろう。なんて愚かなのだろう。
 忘れる勇気もないのに、簡単にほだされ囚われてしまうのは何故なのか。

 一度、離れてしまえば、二度と会えない人を好きになるなんて。
 恋は残酷でままならぬもので、ジワリと心を蝕む毒に似ていた。
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