兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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おまけ

ある治癒師の追憶 そのいち

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 それは、突然の招集だった。
 王都から騎士の一団がやってきて、戦の準備として働き盛りの治癒師や鍛冶師と言った職業人を連れて行くという。
 田舎街に残されるのは、弟子に仕事を譲り渡した老人か、まだこれから仕事を覚えていくという見習いになる。
 幸い産婆や薬師は召集対象外だったので、すぐさま街の者たちも暮らしに不自由は起こらないと予想できたが、運悪くラージは召集対象になってしまった。
 
 40歳を過ぎて弟子も持っている治癒師とくれば召集対象になっても仕方ないが、遅くに出来た二人の子供も成人前で、妻も体が丈夫とは言えないので気が滅入る。
 かといって、国王陛下からの命令を拒否できるわけもなく、あとのことを街の住人達によくよく頼んで、しおしおと肩を落としながら迎えの幌馬車に乗り込むしかなかった。

 同じ街から幌馬車に乗せられたのは5人。
 二年以上その職業に従事している技術持ちが召集対象なので、男4人は40歳から50歳といった壮年だった。
 腕には自信があっても戦と聞いて心が燃えるはずもない。天命ならあきらめもつくが、生きるの死ぬのといった人災からは縁を切りたい年頃である。
 弟子である20代の若者はまだまだ師に従事する立場で、独立前だったから召集対象からはずれていたが、師を越えるにはもう少し時間がかかる腕前だった。
 残すのも気がかりだが、弟子を奪われるのも業腹で、それを思えば幸いかもしれないが、弟子を取って技術を継承している最中なのに、とんだ災難であった。

 防具屋の職人も害獣退治の防具や流れの冒険者が客層なので、本格的な鎧をまとう騎士団の一行を見て「俺、場違いだわ」と引いていた。
 50前の厳つい鍛冶屋のオヤジも鍋や包丁といった家庭用品が得意なので、同行中の騎士団から剣の調整を頼まれても「手入れぐらいはできるけどよぅ」と困惑気味で気が重いらしい。
 ガタガタと揺れの激しい幌馬車の中で、舌を噛みそうになりながらも「困った困った」と、男連中はぼやくことしかできなかった。

 そんな中で、一番若い治癒師の少女はずいぶんと目立っていた。
 爽やかな緑の瞳に、ゆるいウェーブのかかった白銀の髪。
 軽く編んで一本にまとめた髪を細いリボンでまとめていて、瞳の大きな愛らしい顔立ちをしているのに、立ち振る舞いは少年のようにしなやかだ。
 ティアちゃんと愛称を呼ぶと、ちょっとだけ困ったように恥じらうのも可愛い。

 どこからどう見ても17歳~18歳にしか見えないが、22歳だと聞いて驚いたのも記憶に新しい。
 荷造りも旅装もラージたち男連中とは違い必要なものを厳選してまとめていて、ずいぶん旅慣れている様子だった。
 少女という年齢ではないのはわかっていても、控えめな物腰や微笑みには若枝のような清涼感があるので、印象が初々しいのだ。

 しかし人妻で、婚姻したての新妻である。
 少女を取り巻くすべてがアンバランスで、そこにいるだけで人目を引いてしまう。
 それでいて優しい気質が顔立ちにも現れ、彼女自身の性質は控えめだった。

 三年ほど前から街の西側に居を構え、同じ治癒師だからどうしたものかと思っていたら、東区に住むラージが休みの日は必ず治癒院を開けているし、ラージに難しい女性の相談にはよく乗る。
 そのうえ、長い付き合いになりそうな患者でも男性ならラージを紹介してくるし、自分の休診日も知らせてくるので調整もしやすく、この上なく付き合いやすい同業者だった。

 唯一の欠点である人付き合いには消極的な面を心配していたが、三年も経つと街に馴染み、最近になって知人のつてでやってきた気のいい兄ちゃんと所帯を持つと聞いて、街のみんなと祝福したのも記憶に新しい。
 治癒師の領分から離れた祝福に、顔をすぐに赤らめうろたえるところも微笑ましく、「この先、旦那についていくにしても、この街を故郷と思えばいいからな」と、声をかけるぐらいには街の一員であったのに。

 旦那になった兄ちゃんが主に報告するため側を離れたとたんに、この招集だ。
 三年も街にいたから召集対象になってしまったが、一年未満だったら呼ばれることもなかったのに、本当に運のない子だと思う。
 本人は気丈にも平気な顔をしているが、旦那に連絡を入れる間もなかったのも不憫だった。

 急遽はじまった古い幌馬車でひた走る旅程は休憩も少なく、身体の出来上がった大人でもかなりつらいものだ。
 小柄な少女が振動で木枠に身体をぶつけたり外に飛び出したりしないように、同じ街の男連中で集まって囲んでいたが、休憩ごとにティアから治癒術をかけられ、逆に気遣われるありさまだった。
 全部で3台ある他の幌馬車の人間だけでなく、強行軍に疲れを見せる騎士たちまで治癒を施すので、ラージなどはヒヤヒヤした。
 壮年の男連中がへばっている中で、多くの人間を癒す余力があるだけで目立つのだ。
 下手に能力が高いと判断されれば、苛烈な戦場に送り込まれかねない。

 もちろんティアも警戒は薄いものの気を付けているのか、それなりに相手を選んでいた。
 地位の在りそうなものやベテランの騎士に見つからないようにコッソリと、新人らしい怪我をした者だけそっと癒していた。

 だが、選んだ彼らこそ、無償の慈愛を持つ異性に慣れない若い男である。
 ティアの旦那が「自分が女だって自覚がねぇから困る」と言っていた理由を目の当たりにして、同郷のおっさん連中と一緒に思わず頭をかかえてしまった。 

 心の制御も未熟な見習い騎士たちのティアを見る目つきが日に日に変わってくるので、危機感を抱いた同郷のオヤジ同盟がすぐさま出来上がった。
 休憩ごとに徒党を組んで「旦那とのなれそめ」や「旦那から聞いた新妻秘話」を披露して、増えてくるアプローチを牽制し潰して回る。

 ティアちゃんに恨まれてもいい。わしらの娘はポッと出の騎士にはやらん!
 この想いに尽きる。

 そうこうしているうちに幌馬車で運ばれる他の街の民間人も、おおらかな性質だからノリノリでからかい始め、羞恥に悶えるティアは辛い旅程の清涼剤に似ていた。
 常日頃、穏やかな微笑みを絶やさず、感情の起伏を見せない治癒師の顔がはがれおち、真っ赤になってうろたえる様子は素晴らしく愛らしい。
 とはいえティア本人は、まったくアプローチに気付いていなかったので、からかわれるたび赤くなり、死んだ魚に似た眼をしていた。

 旦那が傍にいないならとアプローチを重ねようとする輩もいないではなかったが、おっさん連中の鬼気迫る顔面圧に、見習いたちはお預けを喰らった犬みたいな表情でちょっとだけ遠ざかった。
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