兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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本編・月の綺麗な夜でした

おわり 末永く幸せに

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 上質な陶磁器に注がれた豊かな紅茶の香りに、ミントは困ったように眉根を寄せる。
 隠れ家とはとても思えない豪華の館の一室で、なぜか歓待を受けていた。
 上質なソファーも、華美な室内も、自分にはあまりに不似合いだとソワソワして、まったく落ち着かない。

「緊張してる? 楽にしてもらえると嬉しいけど」

 正面に座ってにこやかに告げてくる少年に、ミントは無言のまま淡く微笑んだ。
 幼子のように無垢な笑顔を見せてくる美少年だが、今現在、王位簒奪を目指して現王に戦を仕掛け、武力行使寸前なのに余裕で策を弄し、バチバチとやりあっている最中のメンタル猛者である。
 齢12歳だと聞いているが、年季の入った食わせ者の師匠に似た気配を漂わせていた。

 この王子様はただのお飾りの神輿ではなく、もともと自分を推していた派閥はもちろん、現王の手によって命を落とした第二王子の陣営の協力を弁論の力で得ている。
 秘かに真正面からぶつかる武力行使の準備をしながらも、相手の領分で小競り合いを引き起こし、直接の戦を先延ばして敵の勢力を着実に削いでいるのも、この少年の指示だという。
 指揮を執る際に「うまくいけば無血開城も狙えるよ」と天使の微笑みで言い放ったのは小さな伝説らしい。
 そのおかげで、第三王子の支配下では市井の暮らしが落ち着き変化もないが、現王側の暮らしは荒み始めているそうだ。

 もともと虚弱体質で長生きできないと言われていた第二王子に直接師事していていた期間も長く、その遺志を継ぐと言えば現王に不満を持つ者は集まっていた。
 その信頼を裏切らず、ともすれば派閥や思想や身分と言った根幹で味方同士ぶつかる事態にも慌てず騒がず、互いの主張を調整して調和を保つなど、普通の大人にも難しい事だ。
 それを難なくやり遂げていることから、こうして一対一で顔を突き合わせたくなかったし、少年の笑顔が綺麗なだけにミントは背筋がゾッと冷える気がした。

 第三王子を評するのに、天使顔の腹黒魔神と呼んだのがローで、優しい堕とし方を心得ている生まれながらの悪魔小僧だと吐き捨てたのが師匠だ。
 普通ではない二人が、そろいもそろってろくでもない評価をしているので、この見た目に騙されたら厄介ごとに巻き込まれる予感満載である。
 それでも頭を下げたのは、ローが支援を受けている相手で、養父を匿っている相手だと知ったからだ。

「殿下には、お世話になったと聞いています」
「うん、まぁ、君の養父殿に関しては、そうかもね。そんなことより、君の旦那、どうにかならない?」

 欲しいのに手に入れられないと肩をすくめているので、どうにかなるぐらいならミント自身もどうにかしたいと思っているので、同じように肩をすくめた。

 王都に召集された幌馬車から、ローに救出されたのは三か月前の事である。
 それから、面倒な奴に足取りを掴まれないためにも旅をしようと誘われ、二人きりで各地を巡っていた。

 海も初めて見たし、草原や湿地も見た。
 大きな街も、小さな村も、足を延ばして他国にも訪れた。
 毎日が楽しいばかりで、こんな日々も悪くないと思っていたところで、渋い顔のローに言われたのだ。

 一度は顔を出せと第三王子がうるさいから、とりあえず会いに行こうぜ、と。
 王子様に会いに行くとは? と首を傾げたミントは悪くないと思う。

 そこで初めて、第三王子からの招集が面倒で、逃げ回っていた事実を知った。
 ついでのように、現王と第三王子が王位を巡って戦の準備をしているのを知ったし、神の手をはじめとした多くの人材を保護している第三王子を担ぐ動きが民衆にあるのも知った。
 現王は他者に対して苛烈で、些細な事でも残虐性をむき出しにして非道が過ぎたから、第三王子が推されるのも当然だろう。

 あけすけに語るローなどは「ほっといてもアレは自滅するぜ」と現王を評価していたが、それとこれとは別だ。
 詳しいことは話したくないとも言われたが、もともとローは第二王子の専属護衛をしていたそうだ。
 その縁で第三王子の陣営と顔見知りであるが、現状は協力する気はないと突っぱねているらしい。

 とはいえ、今回ミントを保護したように、たまには協力する。
 内容にもよるしその場限りの助力だが、相手はここぞとばかりに理由をつけて本格的に自陣にからめとろうとしてくるのがやっかいなのだとか。

 そういった政治的なものを厭うローだから、王子様からの呼び出しが嫌なのもわかる。
 けれど夫婦者を装って旅していたし、恋人同士の距離感で二人旅を楽しんでいたから、初めから教えてくれたらよかったのにとも思う。
 まさか都合よく逃げる理由に使われていたとは思わなかったので、ミントは少しだけ傷ついてもいた。

「私もすべて事後承諾ですから、お力になれることはないと思います」

 そして、フッと気づいたように顔を上げた。
 聞き捨てならない単語があった気がする。

「あの……確かに惚れてますが、旦那ではありませんけど。怒られますよ、勝手な事を言い広めていると」

 こうして顔を合わせるとわかる。
 この少年王子が綺麗なのは顔だけで、夫婦者を装ってでも逃げたくなる食わせ者なのは確かだ。
 その食わせ者が本気で目を見開き、驚きの顔になった。

「君、本気でそれ言ってる?」
「えぇ、まぁ。それに自分で広めるのは平気な人ですが、他人に好き放題言われるのは許せないのがローさんです」

 う~ん、と深く悩むそぶりを見せてから、少年は困った風に眉根を寄せて、おもむろに紅茶を口に運んだ。
 何か言いかけてから、う~んと再び唸り、頭を悩ませている。
 けれど、しばらく思い悩んでから少年は、ほろ苦い笑みを浮かべた。

「まぁ、二人の事は、ちゃんと二人で話し合いなよ。僕からも口添えしておいてあげるから。そんなことより、君もたまにはボクに力を貸してくれたら嬉しいな」

 流れるように助力を求めてくる少年の強い瞳に、ウワァと心の中で肩をすくめた。
 この威圧は強者独特のモノで、慣れてない人だと断れないだろうな、と思いながらニコリと微笑んだ。
 幸い、ミントはそういった圧に慣れすぎていた。

「私がお力になれ……」
「お力になれる事なんぞ、なにもねぇよ」

 かぶせるような強い声が後ろから響いて、喜びに振り向いたミントは目を見開いた。
 おやおやと余裕の笑みを浮かべていた少年王子も、笑みを浮かべたまま固まっている。
 ノックもせず唐突に扉を開けて入ってきたローだが、その右頬に手のひらのあざが真っ赤なもみじのように焼き付いていた。

「派手だね、その顔」
「おうよ。花嫁の父の怒りの張り手だとよ! よくも儂の娘に手を出したな、なんて泣きべそかいてるジジィが珍しすぎて、避け損ねちまった」

 やってらんねぇぜとぼやきながらズカズカ歩み寄り、ソファーに座っているミントの横にドカリと座った。
 そして、第三王子を睨みつける。

「俺の嫁を勝手に口説いてんじゃねーぞ、腹黒小僧が」
「いやいや、君の愛が足りないから、まだ旦那様だって認められていないのでは?」

 ふふふっと軽やかな笑い声に、ローは流れるように「そーなのか?」と尋ねながら、恥ずかしがっているミントの耳朶をかじった。
 なんども肌をあわせたというのに、こんな風に距離が近い事にも、突然の嫁扱いにもちっとも慣れない。

 どう答えていいかわからずアワアワしながら、とりあえず治療しようと真っ赤なモミジの痕に手をやって、正面からローと目が合うとヒィッと悲鳴が出そうになる。
 表情こそ笑みを形作っているが、赤い目は怒っていた。

「それなら仕方ねぇ。わかり合えるまで、仲良くしような」

 ニヤッと笑うと、よいしょっとばかりにミントを肩に担ぎ、スタスタと歩き出した。
 仲良くの意味することになんだか嫌な予感がして、助けを求めて王子様を見たミントだけれど、目が合った瞬間にあきらめた。
 助けて欲しいよね? とキラキラと輝く瞳は、交換条件をあれこれ考えているに違いなく、絶対にダメだと思った。
 この人に助けを求めたら、ろくな目に合わない。

「また会える日を楽しみにしているよ。僕はこんなだけどね、兄上の遺志を穢したりしない。だから、君が必要な時は声をかけるから、その時はよろしく」
「おうよ。期待してるぜ。せいぜい気張んな」

 アワアワしているミントを担いだまま、挨拶もなく退出していくローの背中に、少年はヒラヒラと右手を振った。
 部屋を出る寸前に足を止めてチラリと振り返ると、ローは獰猛な獣の笑みを浮かべる。

「てめぇが遺志を穢したなら、この俺が息の根を止めてやるよ」
「そうだね、君はそれぐらいでちょうどいい。僕もそのつもりで心に留めておくよ」

 絶対零度の冷たい応酬に、ヒィッと心の中でミントは悲鳴を上げた。
 交わされる会話が物騒すぎて、聞かなかったことにしたかった。
 けれど、すでに聞いてしまったものは仕方ない。

「末永くお幸せに」

 パタン、と扉は閉じられたけれど、最後に少年から祝福が贈られた。
 これは本物の彼の言葉だと思った。
 ちょっぴり皮肉がこもったその声は、まぎれもない祝福だったから、心が震えた。
 受け取った言葉を反芻していたら、ローがぼそりと言った。

「ちょっとだけジジイの機嫌を取ったら、新婚旅行の続きと洒落こもうぜ。行きてぇところはあるか?」
「え?」
「え? じゃねぇだろーよ、おい」

 本気で怒るぞと凄まれて、なんだか呆然としながらその肩にしがみつく。
 つかみどころのない人ではあるけれど、本気で言っているのはわかる。
 そうか、この人は本気で「嫁だ」とか「夫婦だ」とか言っていたのだ。

 まぎらわしかったのは状況だけで、ずっと本気だった。
 圧倒的に言葉の足りない相手だけれど、わかりやすい人なのかもしれない。
 だから、疑って拗ねていた気持ちを捨てて、ほんの少し素直になる。

「月を、見に行きましょう」

 国の南端にある港町では、来月末に宝月祭が行われる。
 ランタンを灯して街を彩り、豊穣と祝福を祈る年に一度の大祭だ。
 祀られているのは海の大神と月の女神で、夫婦円満の神様でもある。

 その場所を告げただけで、へぇっと小さく漏らしたローの機嫌がよくなった。
 ただ、一気に足取りが軽くなったので、ミントは自分の失敗に気付いた。
 使用を許可されている客室に嬉々として運び込まれ、ベッドの上にポスンと投げ落とされる。

「ま、そういう事なら、手加減してやらぁ」
「それはちょっと……待ってぇぇ?!」
「おう。待たねぇ」

 結局のところ、いつものように、いつものごとくである。
 あっという間に小兎は、猛獣に美味しくいただかれてしまうのだ。

 様子を伺っていた影から、そんな二人の様子を聞いた第三王子は、クツクツと肩を震わせて笑った。
 なんだかなぁとあきれるぐらい、愉快だった。
 彼らを自由にするかわり、神の手が手に入ったから良しとする。
 有能な彼らを手に入れられないのは惜しいけれど、彼らは彼らのままでいいのだろう。
 そして野暮だと知りつつ、祝福の言葉を心から紡ぐのだった。

「末永くお幸せに」



【 終わり 】
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