君が奏でる部屋

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31 ウィークエンドシトロン

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 日曜日。
 今日は、朝勉強するためのアラームが鳴っていても、なかなか起きることができなかった。たいていは目覚ましがなくても起きるのに。

 そうだ、昨日マヤちゃんとお出かけして、先生と帰ってきて遅くなったんだった。

 少し時間がかかったけど、起きて勉強して、シャワーを浴びた。学校の課題や授業の予習をする。今は教授に頂いた本で、ロシア語も少しずつ勉強している。

 コンサートの前、教授が先生に何か話していた。何か、私のことを言われていたような気がした。教授の、先生への評価が上がった、と仰ったのかな?



 まだ少し眠い。

 この前、教授の奥様に教えていただいた、外国のお菓子を作ってみよう。簡単だから、私にもできるって仰った。キッチンで慣れないものを作るのは、要領が悪くて集中できなくて、物を落としたり散らかしたり、別の失敗をしたり、それを片付けて調理器具を出して、洗って戻して、とにかく時間がかかった。奥様が、コンサートの後で作ってね、と仰ったのがわかる。


「シンイチにはお酒を飲ませるな」
とも言われたような。……あれはどういうことなんだろう?私はまだ未成年だから私に飲まないように、の間違いじゃないよね?先生は大人だからお酒を飲んでもいいはずだけど。昨日は、先生がお酒を飲んでいた。本当は一人で飲みたかったのだと、私にもわかった。もし、先生がたくさんお酒を飲んだらどうなるんだろう。教授も、あの、だれだっけ……先生の後輩の……お名前は忘れちゃったけど、あの方も、先生がお酒を飲んだらどうなるか知っているみたいだった。


「シンイチには何とかってお酒が良くない」
 何とかのスペリングもわからないから教えてもらいたい。何語なんだろう?

 あとは、
「かおりはやせすぎ、グラマーだとシンイチが喜ぶ」
とも教えてくれた。もっと太りなさいって、いつもたくさんのごはんを出してくれたけど、私はそんなにやせていないし、そんなにたくさん食べられない。グラマーって、何がどのくらいだとグラマーなのかな?先生かパパに何でも聞いてって言われたけど、これはどうなの?先生と教授がいらっしゃらない時に奥様に聞いてみたい。

 朝5時から、今日は勉強を少ししかしないで焼き菓子を作ったので、完成した。奥様にお会いしたいから、一人で行ってみよう。結婚したら、教授と奥様のマンションと同じマンションに住めるなんてうれしい。それから、私が通う大学も見てきたい。日曜日だから、外から見るだけでもいい。

 私は、出来上がった焼き菓子が少し冷めたところでそれを包み、パパを起こさないように、そうっと出かけた。

 外は寒かった。タイツにしてみたけれど、あたたかかった。これから学校に行く時も、靴下じゃなくてタイツにしようかな。

 駅は学校とは反対方向だから、駅まで歩く道のりは久しぶり。自分で暖かい格好をしてきたけれど、先生がいつも私に掛けてくれたり、着せてくれたりするコートが暖かくて好き。男性向けは暖かいのかな?大きいからかな?先生のお洋服はシンプルだけど、どれも素敵。先生は、どんなお洋服が好きなのかな。大学は制服がないし、先生と一緒にお買い物に行ったりもしてみたい。今日は奥様に聞きたいことがあるから一人で行くけど。

 教授の家についた。チャイムを鳴らすと奥様が出迎えてくださった。

私は、
「こんにちは」 
と言って焼き菓子を出した。

「まぁ、カオリ!来てくれてうれしい!会いたかったわ!ウイークエンドシトロンをつくったのね!一緒に頂きましょう!」
と中に入れてくださった。

「ありがとうございます。教授は起きていらっしゃいますか?まだお休みかしら?起こしてしまったらごめんなさい。私の父はまだ寝ていました」
 そう言ったら、キッチンに行った奥様が、戻ってこなかった。





「奥様……?」
 私はキッチンに行ってみた。

「カオリ……まだ、知らなかったのね」
「えっ?……何ですか?」

「彼は、急に亡くなったの。あなたのコンチェルトを聴きながら。あなたの、美しい、インテルメッツォを、聴きながら……」

「……え?……あの……、奥様……」
 奥様は私を抱きしめて、泣いていた。


 まって、開演直前まで教授は私と一緒にいて、
「カオリはここを歌って長めに弾きたい」
「カオリはここのリズムが大好きだから生かしてあげて」
「カオリはここからのテンポを速く弾きたい」
 指揮者の方にたくさんたくさん伝えてくださっていた。

 本来、それは私が自分ですべきことだったのに、教授が指揮者の方と、音楽の準備をしてくれて、私は出番の直前まで、精神を集中させることに専念できた。

 真っ直ぐに立って、手を合わせて目を閉じる。これは、誰にも代わってもらえない、本番前の大切な時間だった。小さな頃から先生に教えてもらったことで、教授もそれをわかってくれた。

 開演のベルが鳴って、教授は私の肩を抱いて、優しく頬にキスをしてくれた。ほら、これはやっぱりパパのキスと同じ。口調は穏やかでも、先生の熱いキスとは違う。今度、先生にはそれも伝えよう。


 教授には、
「スパスィーバ」
ありがとうを伝えられた。

 それで?それで、何?


「カオリ、ありがとう。彼は、あなたのコンチェルトを聴けて幸せだったわ。2台ピアノで共演したことも。シンイチとあなたのコンチェルトのレッスンをしたことも。あなたの『愛の夢』を聴けたことも。あなたに会えて、幸せだったわ」

 私は、ちょっと急すぎて、何て言ったらいいかよくわからなかった。教授に、もう会えないの?


「今日は、シンイチは?一緒にこなかったのは彼に用事が?……電話するわね」
 まるで、遠くの方から声が聞こえるみたいだった。



「シンイチ?……カオリが来ているわ。……迎えに来られる?……えぇ、待ってるわ……」

 私は、ピアノのところに行って、一人でシューマンのコンチェルトを弾いた。教授がたくさん弾いてくれたオケパートの音は、私の中にたくさんあふれていたから、それに乗せて歌い上げた。

 教授は、私が歌いたい音楽を指揮者に伝えてくれた。ほしい時にほしい音をくれた。本物のオーケストラの音。

 教授の、あふれるほどの音楽への愛情……。

 私に、たくさんたくさんくれた。

 例え教授がいないのだとしても、私の中に教授の音があって、私が弾くピアノの音の中に教授がいる、ように感じる。ほら、この音も、この音色も、この長いフレーズの中にも。みんなみんな教授が教えてくださった音色。先生の音と同じ種類の色で、教授の方が濃くて深い……。



 先生の透明感のある色も好き。

 教授の濃くて深い色も、好き。















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