Conductor

K

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accompanist

5 あふれ出てくるもの

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 寝ている仁の髪を撫でた。私と同じ髪質、慎一さんと同じ寝顔……。今更ながら、まだ小さな男の子。いつもなら幸せな、こんな時間すら……つらかった。

 仁がアンサンブルを辞めた後も、個人レッスンには行く予定だった。レッスンは数日後の予定だった。
 仁は練習をしていなかった。ただ、音楽のことを考えているようで、話しかけることを躊躇われた。仁の頭の中には、音楽が鳴っていて、途中で途切れたり、また鳴り出したり、音が消えたりしているようだった。目元はぼんやりし、口元は常にドレミで何か呟いているようだったから、練習しなさいとも言わなかった。


 ヴァイオリンのレッスン当日の朝もそんな様子だったから、先生にお詫びしてお休みにさせてもらった。次回の予約は、改めてこちらから相談させていただくことにした。
 小石川先生は、
「必ず連絡してね。お待ちしています」
と優しい言葉を下さった。


 仁は数日間、しばらくぼうっとしていた。私はリビングのテーブルに食べ物を置いておき、慎一さんに言われたように自分の練習をして過ごした。後で見ると、ちゃんと食べてあった。よかった。仁の練習日記にもそれらを書き留めた。




 あれから何日たった後だろうか。仁が、五線紙がほしいと言った。私は、自分の和声やソルフェージュの勉強に使う大人用の五線紙を出した。

「これでいい?」
「うん」

「もっとほしい?」 
「うん」

「じゃ買ってくるね?15分くらいお留守番できる?」 
「うん」

 私は、近くの音楽大学の中にある楽器店で、五線紙をたくさん買った。




 帰宅すると、仁はテーブルの上にさっき渡した五線紙を広げて、懸命に何かを書いていた。音符は、紙の中でまるで生きているかのようだった。柔らかい鉛筆の芯が擦れて手について、紙にも広がっている。

 邪魔しないようにそうっとのぞくと、ヴァイオリン二本とピアノのための曲のようだった。ちょうど、バッハの『二つのヴァイオリンのためのコンチェルト』を練習していた。それと同じ編成だ。

「ママ、ピアノのパートをきれいに書き直してほしい。リズムの書き方がわからないところがある。音価が正しいかどうか見てほしい。それから、一週間後くらいに、小石川先生のところに行きたい」
「わかった。小石川先生にお願いするね」


 私は小石川先生にご連絡して、一週間後に伺いたい旨を伝えた。先生はレッスンの約束をしてくださった。


 仁はヴァイオリンを練習していない。曲を創っているんだなとわかった。仁は書き慣れていないだけで、一つの小節の中にどんな音とリズムにしたいのかは伝わった。ヴァイオリンの二つのパートは仁が書いていた。仁はピアノはあまり弾けない。ピアノのパートは私が歌ったり弾いたりして確認して、それを譜面に書き起こした。レッスンにこれを持って行きたいのだとわかった。


 編成はバッハの『二つのヴァイオリンのためのコンチェルト』と同じだけれど、それはまるでチャイコフスキーの音楽のようだった。仁は、産まれる前からチャイコフスキーの音楽が好きだった。歌ってあげると、お腹の中で喜んでいるのがわかった。私と仁は、小石川先生にお願いした日まで、睡眠時間も惜しい程に譜面を書き起こす日々になった。



 小石川先生のレッスン日。先生は、「よく来たわね」と、ほっとしたような笑顔を見せて下さった。小石川先生は、私のママと慎一さんのお母さんよりも歳上で、一般的には若すぎる母親を持つ仁にとって「きちんとしたお婆ちゃま」のような存在でもあった。いくら可愛くても決して甘やかさないし、良いことをしたらほめてくれ、いけないことは叱ってくれた。仁が素直に聞いているので、すくすくと伸びている。

 私のことも、
「あなたのママは、とてもいいママね」
と仁に言ってくれる。


 仁はヴァイオリンを持ってきたものの、練習をしていなかった。

「先生……僕、ヴァイオリンを練習していませんでした。それで、これを書いていました。ピアノのところを書くのはママに手伝ってもらいました」

 ピアノの譜面は、私が清書したものと、仁が書いた音の玉だけのものの二種類あって、ヴァイオリンのパートは二つのパートが縦に揃えて書いてあった。

 先生は私達を座らせて、ご自身もソファにお掛けになって時間をかけてそれを見ていた。




 先生は仁に聞いた。

「あなた、よく書いたわね。これ、私が綺麗に書き直してもいい?そうしたら、一緒に弾いてみましょう?」

 仁はほっとしたのか、頷いてから私のところに来て、静かにさめざめと泣いた。

「あらあら、急に赤ちゃんみたいになって。ゆっくりしていきなさいな」

 先生はお部屋から出ていった。


 仁は、私の胸で泣いて眠ってしまった。今まであまり眠っていなかった。それよりも、精神的に張りつめていた。私の胸で眠る、小さい頃から変わらない寝顔。私はそのまま静かに抱きしめていた。



 軽いノックの音がして、小石川先生じゃなくて平山さんが入ってきた。平山さんは慎一さんの後輩で、小石川先生のお宅のお婿さんだけど、小石川先生とは本当の親子みたいだ。

「あれ……仁、寝ちゃったの?」
「はい。今日まであまり眠れなかったみたいで」

「聞いたよ。復活してよかった。アンサンブルはともかく……お母さん、仁がここに戻ってくるか、すごく気にしてたんだ。あ、いいよ。そのまま寝かせてて……これ、すごいね。ピアノ譜はこれを元にかおりさんが書いたんでしょ?」
「はい」

「これは母親にしかできないな。書きたいことが追いつかないんだね。ヴァイオリンのパートは僕がパソコンで打って、ピアノパートも合わせてスコアにするけど、どうかな?」
「ありがとうございます。お願いします」

「それから、ピアノ二台でオケ伴奏みたいにアレンジしてみてもいい?オケのアレンジもやってみたいけど、ひとまず二台ピアノで」
「はい、ありがとうございます」

「しかし、すごい。楽しみだ。しばらくお預かりするよ。家の者に送らせるから、支度してて?」
「はい、ありがとうございます」

「素敵なママをしているね。家の息子とも、今度遊んでくれるかな?」
「はい、ぜひ。ありがとうございます」

 平山さんのところにも、仁と同じ学年の男の子がいる。仁が行けなかった幼稚園に通っている。仁も小学校から入れたらいいなと思う。確かに、まだまだ赤ちゃんみたいな時がある。


 私は仁を抱っこして、平山さんにヴァイオリンと鞄を車に乗せてもらって、平山家の運転手さんに送ってもらった。



















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