Conductor

槇 慎一

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13 王子様の普段の姿

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 あまり遅くならずに帰れた。
「ただいま」
 母親はいつも通り、私をちらっとしか見なかった。

 私は勇気を出して言った。
「お母さん、ヴァイオリンのレッスンに行ってもいい?」

 母親はちょっと驚いていたみたいだけど、許可してくれた。
 
 私はすぐに小石川先生に電話をして、次の週末よりも前の日程で約束をさせてもらった。何しろ浪人中の身なのだ。平日だって午前中からだって行ける。

 私はひととおりの音階を丁寧に弾いた後、シベリウスのコンチェルトを取り出した。仁君の音を思い出しながら。

 レッスンの前日。
 父親の帰りを待って、両親に打ち明けた。

「音大を目指してもいいでしょうか」

 両親は驚いていたけれど、
「絶対に医学部とは思わなくてもいい。莉華がやりたいことがあるなら、それを応援する」
と言ってくれた。ただ、小石川先生に話して受験用の指導をしてもらえるよう、お願いしなさいということを言った。
 
 小石川先生のお宅には、母親と一緒に行った。
 
 小石川先生は、母親にヴァイオリンを買い替えるつもりがあるかどうか聞いてきた。

「そのヴァイオリンも良いものですけれどね、ちょうどフルサイズの少し小型で、ネックも細身のいいものがあるって連絡をもらったところなの。莉華ちゃんに、レッスンのご連絡を頂いた時だったわ。聞いてみて、まだあるなら押さえてもらっておくから。楽器との出会いはご縁なの。莉華ちゃんの一生物になるになるかもしれないわ」

 母親は直ぐに「お願いします」と返事をし、小石川先生は電話をしに行った。仮予約と言う形で、来週工房に見に行くことになった。

 母親の思い切りの良さに驚きつつ、有り難いことなのだと感謝した。

 小石川先生と、受験曲を決めた。

 カール・フレッシュのスケール
 バッハのパルティータ2番 S1004 アルマンド
 パガニーニのカプリス 17番  
 シベリウスのコンチェルト 第三楽章

 副科ピアノは、モーツァルトがいいでしょうと言われた。
 ソルフェージュも一緒に、藤原かおりさんに教わりなさいとも。小石川先生からお話するけれどと、私にも連絡先も教えてくださった。


 この充実感は久しぶりで、嬉しかった。
 毎日朝から寝るまで練習する日々になっても、本望だと思えた。

 ピアノとソルフェージュのレッスンは、小石川先生から正式に委託され、来週から『藤原先生』のご自宅に伺うことになった。



 文化祭の日。
 研究発表があると言っていたから、仁君に会えるのかどうかはわからなかった。私達は二人とも携帯電話を持っていなかった。

 一般向けの受付に行って来場者の欄に名前を書くと、名簿を見せてもらえた。「藤原 仁」という名前を探したら、二年A組だということがわかった。

 受付の学生が、これから講堂で研究発表があり、講堂の場所と、学生は皆そこにいると教えてくれた。受付にいた彼等は、とても真面目そうに見えた。国立の学校なんて、初めて来た。

 店があるとか、そういう派手なことはなさそうな雰囲気だった。

 なるほど講堂に行くと、前半分に学生がいて、後ろ半分が保護者席だった。私が保護者席なんて、何だか可笑しいなと思いつつ座る場所を探すと、綺麗な長い髪の女の人を見つけた。もしかして……とお顔を覗くと、やっぱり藤原かおりさんだった。

「藤原先生……」

 私はそうっと声をかけてみた。先生はパアッと笑顔になった。なんてわかりやすく可愛らしい人なんだろう。

「莉華ちゃん、来てくれてありがとう。ここ、どうぞ。今日は先生なんて、やめて?ね?」

「はい、すみません。じゃ、今日だけ……」


 壇上で、クラス毎の発表があった。各クラスの中でグループに別れ、一番面白かったグループが今日の研究発表に参加しているらしかった。真面目なものが多いのかと思ったら、面白さと深さと切り込み方で判定しているらしく、そこはユニークな中学生だなと思った。

 少なくとも、食べ物や手作りの作品を販売するようなものはなく、保護者しか来ていないんじゃないかと思った。仁君てば、よく誘ってくれたものだと可笑しくなった。

 学生はたくさんいたから、仁君がどこにいるかはわからなかったけれど、あの笑ったり先生方に怒られてる中にいるんだなと思ったら、何だか微笑ましくてたまらなかった。

 藤原先生と一緒に見られることも、嬉しくてたまらなかった。藤原先生がお母さんだったらいいのに、と密かに思った。

 こっそりと横顔を伺ってみたら、藤原先生も楽しそうに前を見ていた。何て可愛らしいんだろう。この人が「お母さん」なんて信じられない。すごく若そうだし。いくつの時の子供なんだろうと思った。

 槇さんも若そうっていうより、やっぱり若いし。


 二年A組の発表になった。6人の男子が前に進み出た。一際背が高い男の子がいる。あまりにも遠目だけど、あのサラサラの髪……きっとそうだ。

 藤原先生に、
「ビデオとか、撮らないんですか?」
って聞いたら、
「うん、目で見て覚えておくの」
と、何やらカワイイことを言われた。だから、一生懸命拍手をしていた。

 こちらを向いた仁君の学生服姿は、新鮮というより、やっぱりジェネレーションギャップを感じさせた。だよね……。こちとら浪人二年生、あちらはピチピチの中学二年生。

 発表の内容は、正直よくわからなかった。サイバー攻撃がどうのこうの……。時折、学生達がどっと笑うのを見ると、わかる人にはわかるのだろう。最後に、「とどのつまりは、某数学科主任の○○先生が○○○○しようとして失敗しちゃった話をもとにして作りました」と読まれると、先生方まで笑っていた。さっきまでの、一年生達のグループよりも桁違いの笑いを誘っていた。

「以上。脚本、シナリオ  藤原仁」
とアナウンスされて、終わりになった。

 藤原先生に、
「わかりましたか?」
と聞いてみたら、
「ううん、ちっとも」
とにっこり微笑んだ。

 可愛らしいなぁ。お母さんなら、息子のことは可愛いんだろうなぁ。
 私の母親も、弟には甘かった。傍から見ても、あまり愛情みたいなものは感じなかったけど。姉はどうだっただろう。少し歳が離れているから比較する気にもならなかった。でも、ピアノの練習をたくさん聴いたのは、今となってはよかったかも。習わなくても、多少練習すればピアノは弾けるし。

 研究発表は休憩時間になった。
 藤原先生は、
「化粧室に行ってくるね」
と席を立った。

 あ、藤原先生、化粧室はそちらではありません。……私も行こう。何だか、この『保護者』を一人で行かせたくない気分にさせられた。さしずめ、『保護者』の『保護者』だ。

 私は女子トイレの外で待っていた。

 リボンもネクタイもないシンプルな制服の女子中学生。
 着崩す要素もない、学ランを着た男子中学生。

 何だか、この学ランを着た年齢の人が私の『彼氏』になるのか、ならないのかわからないけれど、とても信じられなかった。
 あの「好きな人って」に「莉華だよ」と言ってくれたことも、信じられなかった。嬉しくて、なんて思えなかった。
 正直、嘘かもしれないけれど、甘い言葉で抱きしめてくれたコーチの方が、わかりやすく愛されてるのを感じる私はおかしいんだろうな…………。
 こんなところでそんなことを考える私も、どうかしてる。


 中学生男子が、ぞろぞろと通りかかった。

「あ~もう、仁のヤツ、マジウケる」
「あの先生の顔、見た?」
「今度、ぜってー授業中に仕返しされるぜ」
「大丈夫だ、数学は仁がちゃんと予習してあるし」
「仁が予習してあっても、あの先生じゃ答えだけだと許されねーダロ」

 あぁ、何か懐かしい。私は中高は女子校だったけど、男子がいたらこうだったのかな。そんなことを思った。

「そういえば仁、兄ちゃん来ないのかな」
「はぁ?親は来ても兄ちゃんは来ないだろ。何で?」
「兄ちゃんの彼女が好きらしいぜ」
「ウソ!マジ?誰情報?ドコ情報?」
「カミヤンが女にフラレた時、腹いせにシメて吐かせたって」
「あ~逆恨みもいいとこだけど、あれだけ女子の人気もってかれてるしな」
「ウラヤマ。ってか気の毒。仁、兄ちゃんのこともダイスキらしいしな」
「兄ちゃんも同じくらいカッコいいのかな?」
「あ、ソレきっついわ~勝ち目なしか~」


「お待たせしました」
 藤原先生の声に、聞き耳を立てていた神経が、一気にこちらに引き戻された。

「いえ。あの、仁君て、ご兄弟はいるんですか?」
 思わず聞いてしまった。

「ううん、仁一人だけ」

「あ、お兄さんはいらっしゃらない?」

「え?いない。えっと、私は三月生まれで、結婚したのは17歳なの。仁が産まれたのは、私が18歳の時だったから……」

 もともと声が小さい藤原先生の声。最後の方は、ほとんど聞こえなかった。若いわけだ。さっきの話は何だったんだろう。仁違い?


「あ、いた!」

 仁君が来た。

「仁、面白かったよ。莉華ちゃんと聞いてたの」
 藤原先生がにこにこと言う。

「見えたよ。物騒な話だから、意味わかんなかっただろ。ごめんな」
 仁君は私の方を向いて言った。

 まだ二年生なのに、くたびれた学生服。色味すら、他の男子と全然違う。身長が伸びたから、誰かのお下がりなのだろうか。弟の制服も、母親同士でそんなやりとりをしていたのを聞いたことがある。それにしても。

 見えてたんだ?
 あんな壇上から、人がたくさんいる中で、私達が。

 この前の公開レッスンも。
 私達が、見えたんだ?

 探してくれたの?
 それとも、偶然見つけただけ?

 あの時のもやもやを思い出した。




 









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