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こんな先生になりたかった
15 2回目のレッスン
しおりを挟む槇るり子先生の2回目のレッスンの日がやってきた。
前回は初めてだったからお母さんと一緒に来たけれど、今日は一人。
レッスンとはいえ、一人で東京に出かけるのは楽しみ。洋服なんて、あまり買ってもらえないからお洒落できないのは残念だけど、東京までの往復切符代、音楽大学の先生のレッスン代がかかるのだ。すごく良心的なレッスン代みたいだけど、それでも今までとは全然違う。絶対に合格して音大に行きたいから頑張らなければ。
前回のレッスン曲に加えて、バッハをもう1曲、ツェルニーを次の5曲練習してきた。ベートーヴェンのソナタは精度を上げた。
緊張する。意を決してインターフォンを押した。
「はい、少々お待ちください」
……あ、あのカッコいいお兄ちゃんがドアを開けてくれた。水色のシャツを着ている。都会の男の子がカッコいいというのもあるけど、この子は特別カッコいいんだろうな。
リビングでは、妹ちゃんがリビングのテーブルでマグカップの中を真上からのぞいていた。
「かおちゃん、まだ熱いからね。あと30数えて」
「いーち、にーい、さーん……」
小さい声で真剣に数え始めた。
「かおちゃん、その前にお姉さんにご挨拶……」
「しーち、はーち、……」
「……あ、すみません。29・30!かおちゃん、お姉さんにご挨拶して」
いきなり30になり、妹ちゃんはパアッと顔を輝かせて、私に大きな声でご挨拶した。
「こんにちは!」
「ふふっ、こんにちは」
可愛いなぁ。
「あれは何ですか?」
お兄ちゃんに聞いてみた。
「プリンです。まだ出来立てで……」
お兄ちゃんの手作りプリン。何て素敵なんだろう。……いけない、また和んでしまった。
前の生徒さんもいるレッスン室に入った。前回、前後になった人だ。相手もそう思ったのだろう。二人とも笑顔で会釈した。
槇るり子先生が私達に言った。
「貴女たちは同じ学年なの。ぜひお互いにいいお友達になって?メール交換したら?さやかちゃんは夏期講習は参加申し込みしていないのよね?集まれる人だけでも試演会と門下会をしましょう。みかちゃんも、夏期講習の最終日の夕方から夜、空けておいて?さやかちゃん、東京に一泊できるかご両親に相談してみて?」
槇るり子先生はリビングに行った。私達はレッスン室で、お互いのメールアドレスを交換した。どうしよう、何だかうれしい。
「わあ~ん!」
妹ちゃんの泣き声が聞こえた。
「かおちゃん、どうしたの?」
槇るり子先生の声が聞こえる。きっと、プリンが熱かったんだろう。冷めないうちに食べてしまったんだな。
「あの子たち可愛いね」
みかちゃん、ていうのかな。
「ふふっ、本当にね。さやかです。よろしくね」
「みかです。メールするね。じゃ、また」
「うん、またね」
私はレッスンのために気持ちを引き締めた。
槇るり子先生の3時間レッスンは、私が練習してきた内容を聴いていただくだけではなく、練習の仕方やソルフェージュの訓練も含んでいて、強化したい内容のエチュードを即席で作ってくれて練習したりした。なるほど、わかりやすい。こうやって練習するんだなと納得した。
少し教えてもらって上手くできるようになると、少しだけ自信がついた。それでも私は進度が遅れているだろう。みかちゃんが持っていた楽譜は、バッハの平均律やハイドンのソナタが見えた。海外版の、高価そうな楽譜だった。私なんて未だに国内の出版社の楽譜だ。私もいずれやるからと言われていた楽譜だったことがわかった。練習曲に至っては私が知らない作曲家だった。
それらをただ埋めていくだけじゃなく、こうして内容を充実させていかなければと思った。今まで自分で頑張ってきたつもりだったけど、先生の仰ることをこなすだけの、受け身な習い方だったのだと気がついた。あぁ、どうしよう。
そんな気持ちが、槇るり子先生に伝わってしまったのだろうか。
「焦らなくても大丈夫。だんだん自分で仕上げられるようにレッスンしていくから。その頃には大学にも合格しているし、道は拓けてくるわ。試演会は、大学の広いレッスン室で何人か集まって、順番に弾くの。さやかちゃんはバッハを2曲と、ツェルニーを10曲でどうかしら。暗譜はしなくてもいいから、とにかくたくさん人前で弾いてほしいの。4月に発表会があるから、ベートーヴェンのソナタはそちらで全楽章披露してもらいましょう」
「はい、頑張ります」
試演会も門下会も初めてだけど、絶対参加したい。夏期講習は、槇るり子先生のプライベートレッスンが受けられなかったら…………誰ともご縁がなかったら参加するつもりでいたから、申し込みしていなかった。
3時間のレッスンを終えると、指が、手が、腕がくたくただった。胸も頭もいっぱいだ。
レッスン室のドアが開くと、リビングから驚くほど綺麗なピアノの音が聴こえた。お兄ちゃんがお手本で弾いているバイエルだと思ったら、なんと、あの小さな妹ちゃんが弾いていた。
さっき、プリンが熱くて泣いていたあの子が……確か年少さん、って槇るり子先生が言ってた。あまりにも綺麗で、ひたむきで、思わず立ち止まって聴いてしまった。最後の小節まで弾くと、今度は同じ曲を、違う調で弾いていた。短い曲だけど、4つ位聴いた。まるでステージで弾いているかのような集中力で、それでいて本当に楽しそうな弾き姿だった。
お兄ちゃんは妹ちゃんの演奏を止めずにそっと席を立った。邪魔しないようにしているのだと、すぐにわかった。私が玄関に行くのを見送ってくれ、静かに礼をして鍵を閉めてくれた。
ショックだった。
ピアニスト……ピアノの先生のおうちの子って、すごいなぁ。地元では私くらい弾ける人だってなかなかいないのに。それだって、私は別にすごいわけではない。前回はバイエルの中頃の曲だったのに、2週間後の今日は、もう最後の方の曲だった。いろいろな調で弾いていた。きっと、小さい手で応用できる全てのことをしているんだろう。美しくて表現力も素晴らしかった。今度……2週間後、あの子はどんな風になっているんだろう。怖くなった。そんな感情は初めてだった。そして私は……いや、私は私で頑張ろう。
帰りの新幹線でみかちゃんにメールしてみようと携帯を取り出したら、既にメールが来ていた。
『夏期講習の最終日は一緒にホテルに泊まれば?ってお母さんに言われた』と書いてある。本当は、一人でホテルに泊まったことなんてないから、お母さんが何て言うか心配していた。
私は家に帰ってから、お母さんに試演会と門下会のこと、同じ学年のお友達が出来たこと、夏期講習の最終日にその子と一緒にホテルに泊まろうと誘われたこと、頑張るからとお願いしてみた。
お母さんは、快く承諾してくれた。
夏休みが楽しみになった。
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