Educator 

槇 慎一

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26 そんなの、どっちでもいいくらい嬉しい!

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 美桜は六年生になってからは、夕方に下見の先生とかいう先生の元に通い、夜は中学受験のための家庭教師を呼んでもらって勉強していた。たまに帰りが遅くなって、僕が先生を迎え、世間話や勉強の話をして待つようなこともあった。
 僕は『先生』と呼ばれる人間が好きだった。


 週末、美桜は偉い先生のレッスンに通っていた。この先生は、『先生』とは言い難かった。『先生』って、シンイチのことを考えても、年齢でも肩書きでもないと思った。だが、年齢も肩書きもあるのに『先生』と認めたくない、あの人は何だ?『先生』という表面的な名前の、何だ?




 僕はそんな悩みを抱えて、とても部活をやる気にもなれず、塾に行ってみたいとも言えず、自分で自分の勉強をした。まぁ、一人でもできる。学校でも新しい友達が増え、それなりに上手くいっていた。



 偉い先生のレッスン日。

 帰宅した美桜とお母さんは、明らかに安堵した顔をしていた。二人のそんな笑顔は久しぶりだった。


 何でも、レッスン中に税務調査が入ったとかで、お母さんにレッスン代の確認をして、そのまま答えたらその場で先生に『もう来るな!』と言われたとか何とか。


 お母さんは興奮状態で、話がよくわからない。

 僕は美桜に、すぐに高田先生に会いに行くように言った。美桜は、嬉しそうに出ていった。


 僕は、シンイチのお父さんに渡されていた番号に電話した。

「もしもし、加藤です」
「タケル君?その声は進展あったか?」

「はい。ありがとうございます」
「匿名だから、大丈夫だからな。また何か困ったら連絡してくれ」

「はい……ありがとうございます」


 それから、週末にお父さんとお母さんと美桜は高田先生のところに話をしに行った。


 誰もが、一番最初に高田先生に相談すればよかったと思っただろう。


 帰宅した美桜は、僕の部屋に来た。

「お兄ちゃん、あのね、高田先生と話したの。それでね、今から無理に中学受験をしないで、附属中学には上がれるからそこまでは進んで、高校受験で音楽を目指すか、都立か私立か音大附属を目指して頑張ることにする!それに、今から音楽中学を目指すより、落ち着いて勉強してから音大附属高校に行く方がいいって。それに、音大にはピアノ科だけじゃなくて、教育学科や教養学科、総合学科など、たくさんの進路があるから、勉強とピアノを続けながら考えましょうって!それでね、そういう方向を視野に入れるなら、勉強することはたくさんあるから、レッスン時間も長くして、これからカリキュラムを組んで考えましょうって。それにね!私っ、お兄ちゃんのおかげで、『楽典』がバッチリだって言われた!まだ少しやることはあるけど、今の段階でこれだけ基礎があれば大丈夫って!お兄ちゃんありがとう!あとは、ピアノと聴音と、自分の強い気持ちだって言われた」


 シンイチが言ってたのと同じだ。

 それは言わなかったが、美桜は一旦止まり、小さな声で僕に言った。

「お兄ちゃん、私ね……シンイチ先生と同じ中学に行くのが、イヤだったんだ……」

 あぁ、女の子ってそういうのがあるのか。本当に面倒くさい妹だ。


「ほら、そんなこと言ってないで、シンイチにお礼の電話しろよ。ありがとうを言える関係なんて、いいじゃないか。このまま黙っていたら、シンイチの中でお前の存在が『calando』、『perdendosi』、『smorzando』になるぞ?意味は?」
「えーっと……消えるように!」


「すごいじゃないか!よく覚えたな!」
「お兄ちゃんが丸つけてくれたから」

 僕達も、久しぶりに笑った。


「美桜が問題解いたからだ。やらないと、周りは何もしてやれないんだからな!シンイチ先生の立場を考えろ!ほら、電話してこい!」
「はーい!」


 美桜は下に降りていって、リビングにある電話の受話器を押す音が聞こえた。








 電話が終わった美桜が、再び僕のところに来て言った。目がハートになるって、こういうヤツか、と驚いた。


「お兄ちゃん!シンイチ先生がね、『美桜ちゃんは、僕が知る限り、一番熱心にバイエルに取り組んだ女の子だ』って!」
「バカ!お前それ、ほめられてないんだぞ?わかってるのか?」

「えー、そんなのどっちでもいい!嬉しかったー!」


 ついに、妹にバカと言ってしまった……。


「お兄ちゃん、それからシンイチ先生が、『今度は僕の相談にのって』ってー!」


 そうだ。
 僕の相談を先にしてくれたんだ。


 何だろう。
 何でもいい。


 ようやくシンイチに会える。

 そんな気持ちだった。
 僕は嬉しかった。




















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