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3 投函できない手紙がどんどん溜まる
しおりを挟む「あ、いたいた! ね、翔子、紹介して」
翔子の友人がカフェテリアに現れた。
「あぁ、本当に来たのね。こちらはピ演科の葵。こちらが中高からの友達で、奈緒、ちえみ、美穂だよ」
翔子は、順番に友人を紹介した。
「こんにちは」
声楽科の三人は口々に挨拶をした。
「こんにちは。翔子と同じクラスなの。勉強のために歌の伴奏をしたいので、どなたか伴奏者探している方がいたらご紹介ください。よろしくお願いします」
皆、笑顔で頭を下げた。
声楽科をはじめ、ピアノ演奏科以外の実技試験では、それぞれ伴奏者を伴って試験を受ける。レッスンにも同伴し、アンサンブルとしての技術を磨く。
大学側から割り振られる訳ではないので、上手い伴奏者は瞬く間に評判になり、引っ張りだこになる。評判の良い伴奏者スケジュールの調整が困難で、「試験の時だけでもお願いしたい」という依頼もある。
作曲科の実技試験は課題を楽譜という形で提出し、加えて演奏科の学生に作品を演奏してもらうことになる。もちろん作曲科の学生自身の演奏も可能だ。
翔子は、去年の前期試験にピアノ独奏曲の組曲を、後期試験はピアノ独奏曲の明るいヴァリエーションを書いた。今年は短調の暗い曲で、ピアノ伴奏付きの女声三部合唱を書くつもりだ。それに、これまでもこの三人の声楽科実技試験の伴奏をしてきた。ずっと同じ音楽を共有してきたから、音楽観が一致していて、伴奏あわせも楽だった。
ちえみが口火を切った。
「いつも翔子にお願いしているけど、私も他の伴奏者と勉強してみたいかも。試しに練習ってことで、近々お願いしてもいいかな?」
まさかちえみがそんな返事をするとは、誰もが思わなかった。
葵は喜びを顕にした。
「本当に?ぜひよろしくお願いします!連絡先交換しよう!」
二人はあっという間に連絡先を交換した。
この場にいる人とはこんなに直ぐに連絡が取れるのに……。こんな具合に、ちえみはまた『誰かさん』のことを思い出した。そして、ちえみが『誰かさん』のことを思い出したことを、葵以外の全員が察知した。
翔子は、わざと「ね、お願い。もう一回歌って」と声をかけ、ピアノの前に座った。
葵は初めてできた声楽科の友達の演奏を聴けることに喜んだ。さっき聴いた素敵なアンサンブルの子と友達になれた、伴奏もできるなんて……と夢見心地だった。
翔子の目論見通り、ちえみの頭の中をいっぱいにしている人物のおかげで、暗い曲調の歌声に深みが出た。
それをわかっている他のアンサンブルメンバーも、初見で歌った一回目よりも音楽的な質を上げた。3度の狭めた音程、ギリギリ上がりきらない導音の切ない響き……くぅぅ、たまらない!今のヴァリエーションの手直しをして、来週までに創る第四ヴァリエーションは、ああしよう、こうしようと、ちえみには申し訳ないが楽しくてたまらない翔子だった。
午後。
ちえみは次の時間は空き時間のため、一人で図書館に行った。空き時間にいつでも書くことができるよう、便箋を持ち歩いている。書きすぎて便箋がなくならないように、予備の便箋まで持ち歩いていた。何を書くって、時差のある場所にいる『誰かさん』宛の手紙だっだのだが、最近は専ら独り言となっていた。明るい午後の陽射しの中でなら、暗くならずにしたためることができる。
「徹くん、元気?今日も皆に『松本氏から連絡きた?』って聞かれたよ。『きてない』って答えた。そんなやり取りも慣れてきちゃった。徹くん、慣れないことばかりで、きっと忙しいんだよね。そうだよね。慣れない国で、慣れない食事で、大変なんだよね?風邪とかひいていない?具合悪くなってない?ホームステイ先は、どんな家?誰が住んでいるの?一人じゃないなら寂しくないかな。学校はどう?春期講習会って言うんだっけ?レッスンがあるんでしょ?他にはどんな科目があるの?それも全部フランス語なんだよね?九月から、正式に入学できるかどうかは決まったの?いつ決まるの?質問ばっかりでごめんなさい。聞きたいことがいっぱいある。この手紙の宛先すら知らない。どうして、連絡くれないの?忙しいなら返事はなくてもいい。せめて、私から手紙を出したい。読んでくれるだけでもいい。いつ、連絡くれる?今度、いつ会えるの?大好きな徹くんに、はやく会いたい」
ちえみはそこまで書いて小さなため息をつき、図書館の机に紙を伏せた。だめだ、暗くなってしまう。外はこんなに明るいのに……。気を取り直して、新しい便箋を広げた。
「翔子が、女声三部合唱のヴァリエーションを書いてる。毎週、少しずつ進んで、今は第三ヴァリエーションまで見せてくれた。私も、自分の歌を頑張るね。徹くんの好きなドビュッシーの曲を歌ってみたい。プーランクでもいい。私にはまだ無理かな?先生に許可をいただけるかわからないけど、前期試験で歌ってもいいか、相談してみるつもり。徹くんにも聴いてもらいたいな。いつか綺麗に歌えたら、聴いてくれる?」
いつか、『誰かさん』がこれを読む日がくるのだろうか。また、ため息が出てくる。さっきより大きなため息…………。一人でいる時には隠すこともなく、もはや無意識だった。
静かな図書館であまりにも大きなため息が聞こえ、思わず顔を上げた。
同じ声楽科の本田は、遠くからそっとちえみを見ていた。
誰にでも感じの良い笑顔で接し、誰かに呼ばれたら愛くるしい返事をしてくるくると動き回る小さなちえみは、小動物のようで、皆に可愛がられていた。
優等生キャラでもなく、近寄りがたい程の美人でもなく、可愛い系。何しろ子供っぽい。
声楽科の篠原教授の一人娘ということは知られていて、男女問わず「皆の妹」的な女子だった。本田は篠原の門下生でもあり、「松本氏」のこともよく知っていた。尤も、知らなかったとしても「篠原教授の愛弟子の松本は、篠原ちえみと公認の関係で、この春からフランスに留学した」とは、この学年ではなくとも、声楽科の男子なら学年を問わず誰でも知っている。
本田は、その『誰でも知っている』ことを、誰よりも早く知っていた。
それを知ったのは、兄弟子である「松本氏」本人からだった。
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