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10 夢の中で

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「シノ、起きて」

 ちえみは本田に起こされて、眠っていたことに気がついた。キスしてもらった夢を見ていた。ずっと、もっとそのままでいたい…………。

「大丈夫?シノ、ほら起きて」
「起きたくない……キスの続きをして。おてても、やめないで……」 

 本田はぎくりとした。自分がやっていたと、バレただろうか。それより、この流れだと、僕は篠原先生に怒られるんじゃないか?電話を入れておけばよかったか?


 何て言えばいいんだ……。


 門の奥の玄関から、篠原先生が出てきた。タクシーが止まった音がしたからだろう。

 やっぱり!温厚で陽気な人物ほど、怒ったらヤバい奴だろ!どうする僕…………。


 先に降りた僕は頭を下げた。とても正視できない。

「ごめんなさい。本田君は悪くないの。助けてくれたの。私が悪いの…………」

 ちえみはタクシーを降りてきて、黙って怒りに震える父親にそう言った。


「入りなさい。本田も」

 珍しく……素の状態は初めてだった。演技をしていない篠原は、父親の顔をしていた。ぶるぶると手が小刻みに震えていて、本田はひたすら恐怖だった。松本先輩はこういうメにあっていないのだろうか?疑問ではない。怒りを鎮めるにはどうしたらいいのか?という助けを求めたかった。

「ちえみは顔を洗って、着替えてきなさい」 

 本田は、自宅一階の広いレッスン室に通され、事情を簡単に説明した。自分が一緒だったが、ちえみはとても怖い思いをしたし、反省しているからどうか叱らないでほしいと、ちえみの立場が悪くならない程度に暈した。


 篠原は本田に礼を言った。篠原は、声楽家らしい恰幅の良さだが、この一晩で数十キロ痩せてしまうのではと本田は心配した。ちえみの母親が出てきて、本田に挨拶をした。篠原が母親に簡単に説明すると、母親は泣きながら礼を伝えた。


「もう遅いから、泊まっていきなさい。徹の部屋だが……あいつめ、散らかしたままだが、休んでいってくれ」

 篠原は言った。本田は無理してでも帰るつもりだったが、松本の部屋というものに興味がわき、促されるままに案内された。


 松本先輩の部屋…………。意外だとか意外じゃないとか思う程に、松本のプライベートを知っている訳ではない。篠原先生と同じように、松本も常に演技していたからだ。『学生』という演技を。
 ちえみが降りてきた。その部屋のベッドを軽く整え直し、その部屋の引き出しからパジャマを出した。男物だ。畳んであってもラージサイズなのがわかる。誰もがはっきりとは語らなかったが、住み込みの愛弟子という名の『親公認の同棲』とは真実だったのだ…………。


 ちえみは、本田も見慣れたいつもの雰囲気の服に着替えてあり、メイクを落として素顔になっていた。本田が授業に出る時間には友達によって化粧を施されていたから、それは久しぶりに見た素顔だった。その方が可愛い、ちえみはそのままで可愛い……決して口には出さなかったが、目だけで伝えた。こんな気持ちの伝え方まで制限されることはないだろう。


 ちえみは、部屋からすぐに出ていく様子はなかった。


「あの、さっき、ごめんなさい……」
 ちえみは小さな声で謝った。

「ん?何が?」
 本田はわざと聞き直した。

「私、さっき、変なこと、言っちゃったかも……」

 探りを入れてきたのか?本田は切り込んだ。
「夢を見ていたんだろう?」

 本田にごまかしが効かないことを悟ったちえみは、泣きそうだった。

「なんの夢を見ていた?……代わりに続きをしてやろうか?何をやめないでほしかったんだ?」
 本田は、ちえみの手をそっと握った。ここまでは余裕だった。冗談だと逃がしてやることもできたのに……。なのに。

 ちえみは、そんなの言えないとでも言うようにあわてて首を降った。その瞬間の、表情と仕草は扇情的で、もう堪らなかった。ソレは『イヤ』じゃないだろ! 我慢出来なかった。抱き寄せて後頭部から両手でこちらを向けさせ、正面からキスをして、舌で口腔を自分のものにした。ちえみは力が抜けて、されるがままになっていた。




 唇がゆっくり離れた。






「俺以外には、絶対に、許すなよって、言われてたのに、キスしちゃった……」


 ちえみは動揺し、後悔していた。抗えなかった……のではなく、自分が本気で拒まなかったことに。どうしよう、どうしよう、ちえみは混乱した。だが、本田はもう止めるつもりはなかった。

「僕が勝手にしただけだ。シノは悪くない。先輩は、ここでシノを抱いた?」 

 ちえみは躊躇いながらも頷いた。

「先輩はどんなふうに?優しかった?こんなふうにさわった?」

 本田は男の欲望を順番にしていく。タクシーの中でしたように、胸を優しく揉んだ。ちえみは身をよじった。

「本当に嫌なら拒めばいい。嫌じゃないなら、流されればいい」

 本田は優しく抱き寄せてベッドに座り、スカートの中に手を入れて足からゆっくりと腰に触れた。体を傷つけないよう、愛情をこめて優しく撫でた。

 ちえみも、本気で嫌ならば今の本田を振りほどくことはできただろう。でも、何故かそうしたくなかった。手が、動かなかった。人肌が、たまらなく恋しかった。下着の中は、触れられていなくても、きっともうとろけているだろう。こんな時、いつも彼は必ず言葉にしてくれた。

「ちえみ、好きだ。……俺を掴んで、そのまま離すな」

 そんな熱い眼差し、声、唇、逞しい体を思い出す。本田に同じことをしてほしいとは思わなかった。でも、本田がしたいこと、本田がしたことは、ちえみが少しだけ期待したことと同じだった。それは松本との、秘密の時間を思い出させてくれた。だめなのに…………。


 それ、すき……。

 かつて松本は、この場所でちえみの喜ぶところを優しく愛してくれた。本田も同じことをしてくれた。松本も本田も、悪戯に我儘に女を抱きたい訳ではない。ちえみのことが好きで、ちえみを大切に抱きたいという気持ちが同じだからだ。
 だが、ちえみは本田の気持ちをわかっていなかった。それ故、夢中で口から漏れ出た言葉が、本田にとってどんなに残酷なことか、わからなかった。


「徹くん、好き……大好き。徹くん、もっと……」


 男の微弱な愛撫でこんなにも酔わされ、甘えた声で恋人の名前を何度も呼ぶ姿……。本田はその言葉は聞きたくないのに、それは可愛くて、好きな女が求めていること、喜んでいることをやめられなかった。彼女が望むなら、勿論やめたくなかった。


 本田は、決して触れないつもりだった下着の中に、そっと指を入れてみた。直接そこに触れられただけで意識を飛ばしてしまうほどの、閃光のようなあの感覚も久しぶりで、ちえみはそれを無意識に何度もねだり、本田は無言で応えた。松本先輩とは全く違う声質だからだ。


 ずっと見守っていた好きな女が自分に甘えてくれている。自分の指先に感じて可愛くも乱れている。今だけでもいい。嬉しかった。ずっと諦めていた師匠の娘。尊敬する先輩の彼女。今だけでいい。


「徹くん、……徹くん…………」


 ちえみは夢の中で、大好きな松本先輩に抱かれているのだ。
 それでいい。


 彼女の着衣は一つも乱さないまま、本田は自分を抑え、愛で包んだ。

 これでいい。
 
 だが、松本先輩の声になって、彼女の名前を愛を込めて優しく囁いてやりたかった。

 

















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