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7 シノ、何を考えている?
しおりを挟む「シノ、この後何かあるの?」
本田は、ちえみを捕まえるために待っていた。
ちえみは他学年の声楽科の男子からは『篠原さん』と呼ばれていたが、同じ学年の声楽科の男子からは『シノ』と呼ばれていた。
ちえみの父親の篠原はこの大学の教授で、個人レッスンはもちろん、男声の合唱クラスを受け持っている。そのため、学年を問わず声楽科の男子で篠原教授を知らない人はいない。面倒見の良い篠原教授の世話にならない人もいなかった。大柄で、普段は陽気で朗らかな分、素の彼はどういう人物なのかは誰も知らない。
あれが『彼女の父親』だったら怖いよな、という共通認識だった。なので、その教授の娘に「おい篠原!」とか「ちえみ!」とは呼べず、『シノ』と呼んでいた。
男で『ちえみ』と呼ぶのは松本だけ。逆に『シノ』と気安く呼べるのは、同クラの自分達だけだからと『シノ、シノ、菓子やるから来いよ!』などと皆で可愛がり、構い倒していた。
ちえみは、本田には別に隠すこともないと判断し、普通に「合コンに行くの」と答えた。
本田は驚いて声も出なかった。
本田こそ、篠原教授の個人レッスンを受けている門下生。つまり松本は本田にとって門下の大先輩だ。松本は、皆で密かに恐れている篠原教授のことを、
「もっと怖い先生のレッスン受けてたし、一度も怖いと思ったことはない」
とサラリと言ってのけ、後輩達を驚かせた。実は本田は、篠原教授からも、松本からも「ちえみを頼む」と言われていた。篠原教授も松本も、そんなに深い意味ではなかった筈だった。最初は。
しかし、松本がちっとも連絡しないことでちえみの心が枯れていくのが傍から見ていても痛々しく、頼まれなくても目が離せなかった。
本田はちえみが好きだった。ピアノ演奏科やヴァイオリン科はプライドの高い女子ばかりだし、声楽科は華やかな女子が多い。ちえみは庶民的で、近寄りがたい美人でもなく、小さくて可愛くて、周囲の煩いくらいの声楽女子に比べるとおとなしく、誰とでもにこにこ接し、とにかく感じがよかった。
本田は大学に入ってから篠原教授の門下になったので、教授のお嬢様と、尊敬すべき大先輩がそれ以前からの長いつきあいだということを知り、あっさりと諦めることができた。
去年までカフェテリアで松本と二人でいた『シノ』は、本当に可愛かった。松本を見る目、笑った顔。松本が『シノ』を見る目、さり気なく気遣う様子。お似合いだ。適う筈もない。
だが、寂しがらせているなら話は別だ。なのに、『シノ』も『シノ』だ。合コンだと?先生にチクるぞ?いや、今からならチクってる場合じゃない。先生に頼まれる以前に僕は『シノ』の味方だ。ずっと二人を応援していたが、状況によっては、どこまで先輩の味方ができるかわからない。本田は警戒されないようにちえみの隣を歩いた。
そんな格好で合コンだと?
「食われないように気をつけろよな」
本田は言葉を選び、本心からそう言ったのだが、ちえみは全くわかっていないようだった。
「別に熊がいるところに行くわけじゃないし」
と平然と言う。
熊じゃない!狼に気をつけろと言ったのだ!
本田は頭痛がしそうだった。これ以上、どう釘を刺せばいいのだ。
「お持ち帰りされるなよな?」と言ってみれば、「ちゃんと食べてくるもん」と返された。テイクアウトの相談ではない!本田は目眩がしそうだった。
次の瞬間、尾行することに決めた。
ちえみの尾行は簡単だった。待ちあわせの新宿まで一緒に行くよと言ったらOKされ、店の場所まで教えてくれた。もはや尾行ではない。違う意味でも隙だらけだ。心配で行かせたくないが、阻止する訳にもいかない。今更ながら自分の気持ちにも気づいた。ちえみを好きなことは、秘めておくつもりだ。
本田は新宿まで雑談しながら一緒に行き、待ちあわせの時間まで一緒に時間をつぶした。この後が合コンなどでなければ、まるでデートみたいだったのに、と少々悔しかった。しかし、この時間すらそんな格好のシノを一人にさせなくてよかったと、胸をなで下ろした。
待ちあわせの時間には『じゃあ』と別れたふりをして、本田は合コンの店の近くをウロウロすることにした。
入り口、出口を見て、待っていても不自然じゃないところを探した。
「いつでもどこでも人生はオペラの舞台!」とばかりに演技派の篠原先生のように、自分は探偵の役なのだ、いやボディーガードの役だ……などと考えていられたのは最初の数分だけだった。
夜になり、すっかり暗くなった新宿の街は、ネオンの街だ。もう絶対にシノを一人で歩かせたくない状態だった。
ずっと松本先輩に守られていたシノに、ここから一人で家に帰すなんて、絶対にさせられないと思った。
篠原教授よりも、松本先輩に『どうすんだよ先輩!』とすぐさま電話したかった。
連絡先、教えといてくださいよ松本先輩!
応援ありがとうございます!
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